ファンク

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テンプレート:独自研究ファンクfunk)は音楽ジャンルのひとつであり、その中でもアフリカ系アメリカ人黒人起源ソウル・ミュージックのジャンルに属す。

概要

語源

ファンクと言う言葉はそもそも「土俗的」などの意を含む俗語(スラング)だった。語源としては、クレオールの俗語で「匂い」(転じて体臭)を指す言葉であった。『ファンキー』とは元々はファンクが誕生する以前にファンキー・ジャズ (※後述するジャズ・ファンクとは異なる音楽ジャンル)に対して使われていた言葉で、ブルース、ソウル、ゴスペルなどの音楽と並んで、黒人生活全般を指す面もあった。「素晴らしい」という訳語[1]がある一方で、「悪臭のする」という訳語[1]もあり、転じてネガティヴな意味合いで使われることもある。このように「ファンク」という言葉は感覚的な言葉であり、明確に日本語に訳すことは難しい[2]

起源

ファンクは1960年代(1964年ごろ)にジェームス・ブラウンおよび彼のバンド(後のJBズ)のメンバーが中心になって、その原型が形成されたものである。その後、ベーシストブーツィー・コリンズが、ジョージ・クリントンによりPファンクにスカウトされ、Pファンク黄金時代を築き上げた(Pファンクにて詳細)。一方、1970年代初頭サンフランシスコから、白人・黒人混成バンドスライ&ザ・ファミリー・ストーンが登場し、彼らのロック的要素を取り入れたファンクが白人にも受け入れられるようになった。またこうした過去の曲が現在でも多数サンプリングされ、世界中のアーティスト達のリスペクトを受けている。そして、ブラック・ミュージック、ソウル/R&Bを土台にし、アフリカ音楽ジャズ的要素を取り入れ発展していった。

特徴

ファンク・ミュージックの大きな特徴は、バックビート(裏拍)を意識した16ビートリズムフレーズの反復を多用した曲構成である。ダンス・ミュージックとしての色彩も強いため、とりわけリズムはファンクを位置づける大きな要素となっており、分厚くうねるベースライン、鋭いリズムギター、強いリズムのホーンセクションなど、演奏楽器のすべてがファンクビートを形成していると言える。ベースにはスラッピング、ギターにはカッティングという奏法技術が多用される。そのためポップスなどでもこの技術が使われているだけでファンクという印象を与えるほど影響が大きい。バンド楽曲ごとにさまざまな特徴があるが、80年代以降はドラムマシーンによる機械的なビート、アフリカやラテン系のリズム、ラテンロックレゲエの要素を取り入れるなど、ジャンルを超えた発展を続けている。

歴史

1960年代末から1970年代初頭にはスライ&ザ・ファミリー・ストーン(Sly & the Family Stone)がファンクに白人にも受け入れられるようなロックの要素を取り入れ、70年代には、ジョージ・クリントンPファンクパーラメント - ファンカデリック)として活動し、ファンクを発展させた。その他の70年代、80年代ファンクの代表的アーティストとしては、ブーツィー・コリンズ(Pファンク一派にも属する)、ブーツィによりプロデュースされたザップロジャー・トラウトマン)、クール・アンド・ザ・ギャングオハイオ・プレイヤーズグラハム・セントラル・ステーションアース・ウィンド・アンド・ファイアースレイブ、レイクサイドなどが挙げられる。

しかし、やがてファンクは他ジャンルと交わり洗練され過ぎてしまう。クインシー・ジョーンズがプロデュースを手掛けたマイケル・ジャクソンをはじめとして、アース・ウィンド・アンド・ファイアーの79年作「黙示録」、プリンスの「1999」などがそれに該当する。しかし今日の音楽の世界では、直接・間接にファンクのエッセンスを取り入れているミュージシャンも、かなり存在する。アシッド・ジャズロックのジャンルに含まれるミュージシャンがファンクのリズムを取り入れたり、ヒップホップアーティストがファンクのフレーズをサンプリングしたりするなど、現在においてもその影響はいたるところに見うけられる。

他ジャンルへの影響

ファンクはジャズ・シーンに大きく影響を与えており、マイルス・デイヴィスハービー・ハンコックジミー・スミスオーネット・コールマンなどがアルバムで、ファンクを取り入れた楽曲を演奏している。この音楽はジャズ・ファンクとも形容され、アシッド・ジャズ(踊れるジャズを元に発展した音楽)やレア・グルーヴ(1960年代後半〜1970年代ごろの有名ではないファンク・ナンバー)に影響を与えている。

ディスコブームの発展にもファンクは大きく関わった。多くのファンク・レコードがディスコでプレイされ、また多くのファンク・バンドがディスコ向けの曲やディスコ向けのアレンジ(一曲を引き伸ばした曲、リミックスされた曲)などをリリースした。また、ジョージ・クリントンらPファンク一派は、デトロイト・テクノにも、そのベースラインとSF志向(アフロ・フューチャリズム)において大きな影響を及ぼした。Pファンク一派のド派手なデザインやユニークなサウンドは、NYで活動したディー・ライト(Deee-Lite)に多大な影響を与え、そのメンバー一員であったテイ・トウワ(towa tei)によってテクノミュージックとの融合を果たし、今日のクラブ・ミュージックにも引き継がれている。

一方、ファンクは1960年代半ばからアフリカへも紹介され、ファンクにアフリカのリズムも融合したアフロビートへ繋がり、フェラ・クティらにより大きく発展していった。

主なファンクミュージシャン

海外(アルファベット順)

日本 (五十音順)

脚注

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関連項目

  • 1.0 1.1 研究社 「新英和中辞典」 第5版 1985年
  • ピーター・バラカン 「魂(ソウル)のゆくえ」 ARTES 2008年