おたく
テンプレート:See Wiktionary テンプレート:複数の問題 おたく(オタク、ヲタク)とは、1970年代[1]に日本で誕生したサブカルチャーのファンの総称。独特の行動様式、文化を持つとされる。元来はアニメ・SF・パソコンなどの、なかでも嗜好性の強い趣味や玩具、サブカルチャーのファンの一部のあいだで使われていた術語であったが、バブル景気期に一般的に知られはじめた。その頃は「お宅族」、「オタッキー」、「オタッカー」と呼ばれた。明確な定義があるわけではなく、現在はより広い領域のファンを包括しており、その実態は一様ではない。
何某かの分野に熱中・没頭している人物を指して、その分野を接頭詞として「○○おたく」と呼ぶ・自称する場合がある(後述)。
目次
定義
「おたくとは何か」という定義は、未だに確立していない。その時々により、また論者によりその言葉が意味するものが一定ではないテンプレート:Sfn。俗には、萌えや秋葉系といったキーワードと強く結び付けられることがある。
辞書的には、ある趣味・事物には深い関心を持つ(拘る)が、それ以外の広汎な知識、また社会性・社交性は欠けている人物として説明される[2][3]。おたくという言葉はもともと二人称を意味する言葉であり、1980年代のアニメ・SFファンの一部の間でも使われていた。テンプレート:Sfn
1983年に中森明夫が『漫画ブリッコ』のコラムでコミケに集まる集団を「彼らをおたくと命名する」とおたくを蔑称・名詞として呼ぶと、アニメ・SFファンはおたくを自認するようになった。テンプレート:Sfn辞書の定義にあるような否定的な人物像は、アニメ・SFファンによって自嘲的な自己像として語られていたものである[4]。この言葉はアニメ・SFファンだけに限らず、普通とは見なされない趣味を持つ人、社交性に欠ける人に対しても使われるようになったテンプレート:Sfn。
おたくは広い意味をもつ言葉となったため、おたくとその文化を再定義する試みはたびたび行われてきた。評論家の岡田斗司夫はおたく文化を創作作品の職人芸を楽しむ文化としてとらえていたテンプレート:Sfn。精神科医の斎藤環はセクシュアリティがおたくの本質であり、二次元コンプレックスを持つのがおたくだとした[5]。哲学者の東浩紀はサブカルチャーとの結び付きを重視した[6]。
岡田によれば、1990年代頃からは否定的な意味は薄れ、肯定的に用いられるようにもなったというテンプレート:Sfnテンプレート:Sfn。なにかの趣味に強いこだわりをもつ人物という意味でも使われる。この意味では、こだわりの対象に対して、所得や余暇時間のほとんどを費やす「消費性オタク」と、「自分の趣味を周りに広めたい」「創造活動をしたい」と考える「心理性オタク」とに分類される[7]。
類語・類型
古くは伊達者や酔狂者ともいい、「伊達や酔狂ではない」といった慣用句は、本来は生業と趣味の違いをさしたものである。いわゆる生業としての糧を得るために物事に没頭や陶酔するのと、趣味で没頭や陶酔することを分け隔てて考えていた。その他に好事家や物狂いなどがあり、現在では、愛好家とされるが、物狂いや酔狂からの転用で、「~狂」や「~きちがい」など乱暴な言い回しがある。
マニア・知識人・学者との違い
強い興味や関心を持つという点でおたくはマニア・知識人・学者とあまりかわらないテンプレート:Sfn。社会通念上、あるいは評価者が個人的に許容しにくい趣味、外見的な容貌や行動様式の場合、偏見をこめ否定的におたくと呼ばれ、好意的に表現する際にはマニアと呼ばれるという意見も見られるテンプレート:Sfn。
違いに関する意見
- 評論家
- 岡田斗司夫は、それが民族といえるかどうか、すなわち独自文化を作り上げるかどうか、がオタクとマニアの違いであるとしている。マニアは出来ないが、オタクは「オタクっぽい服や口調」のように独自の文化を作り上げることができる、とオタクをポジティブに評価しているテンプレート:Sfn。
- 社会学者
- 宮台真司は、マニア・学者とオタクの違いとして、前者は(例えばマニアであれば切手収集、学者であれば恐竜の研究等)その趣味を好むこと自体には他者にとっても理解可能であるが、後者は(漫画・アニメの少女に欲情する等)他者には理解不可能であるという違いを挙げている[8]。また別の説明として、マニアの没入対象には性の自意識が関係していないが、オタクの場合はそれが関係しているという点[注 1]を挙げることもできるという[10]。宮台の整理によると、1977年頃から若者の間で「オタク系とナンパ系の分岐」が発生しており、(魅力的ではなくなった現実を乗り切るために)現実を記号的に装飾し性愛に積極的にコミットするという方法(現実の虚構化)を選択したのが「ナンパ系」であり、逆に性愛から退却し虚構を駆使して現実から遠ざかる方法(虚構の現実化)を選択したのが「オタク系」となる[11]。
- 大澤真幸は、おたくと専門家・趣味人の区別として「意味の重さと情報の密度の不均衡」を挙げている。すなわち、通常であれば意味がある情報だからこそ集積されるという比例関係にあるのに対し、オタクの場合は意味の繋がりを持つことなく情報の集積それ自体が目的化しているのだという[12]。
- 樫村愛子は、1970年代には(単なるマニアではなく)コミュニケーション能力や時代への適応能力の欠如といったネガティブな面がオタク(文化)の重要な特徴となっていたが、近年ではマニアを含めた広い意味で用いられる傾向があるとしている[13]。
語史
「御宅」という呼びかけ
用語としては私的な場面で用いられる二人称敬称(「お宅様」=あなたさま)であり、もともと山の手言葉としては一般的であった [注 2]。いわゆるオタク趣味者が互いを指して「二人称敬称として」使っている例は、1980年頃の彼らを描いた作品中に既に見られる[16]。
おたく族
1983年、『漫画ブリッコ』に中森が連載した『「おたく」の研究』において、アニメや漫画の愛好者が二人称として「御宅」という語を使う異質性から、その人間類型をおたくと呼称することが提案された。中森はオタクを非常に否定的な文脈で記述しており、『機動戦士ガンダム』や『宇宙戦艦ヤマト』といったアニメのマニア・漫画のマニアの幼児性を論うような蔑視的な記事であったため読者の反発を買い、編集者であった大塚英志との間で論争となった。
この件の背景については、ホーテンス・S・エンドウ(遠藤諭)の『近代プログラマの夕』単行本 p.52 によれば、『最近では、(略)求人広告にまで使われているこの言葉は、もとはといえば、私の仲間らで、かれこれ7年ほども前に使い始めたものなのだ(この間の事情は当時某誌に連載された「おたくの研究」に詳しい)』とあり(雑誌掲載が89年10月号、単行本が91年刊なので、文中の「7年ほども前」は83年頃のことである)、中森や遠藤らによる『東京おとなクラブ』関係者の内輪の用語から発したものとの説をとる。1989年の『おたくの本』では中森が「僕が『おたく』の名付け親になった事情」というタイトルで寄稿しており、「おたくの名付け親」は中森による自称でもある。
なお、「おたく」がマスメディアに取り上げられ始めた頃には、「太陽族」や「竹の子族」に準じて、「おたく族」と呼称された(ラジオ番組「ヤングパラダイス」より『おたく族の実態』など)。また、初期のコミックマーケットが開催された大田区産業会館「PIO」が語源なのではないかという俗説があるが、駄洒落でしかない。
「おたく」と「オタク」
大塚英志は「おたく」と「オタク」の違いについて、著書で以下のように述べている。 テンプレート:Quotation
転用
「おたく」の語はそのイメージが在る種の曖昧性を含むこともあり、軍事・兵器オタク(ミリオタ)・パソコンオタク・鉄道オタク(鉄ちゃん、鉄子・鉄)、アイドルオタク(ハロー!プロジェクトヲタ、AKB48ヲタ、ジャニーズ(ジャニ)ヲタ)その他○○オタク・○○オタという風に。特定の対象・分野の愛好者、ファンを指す語として使われる。
秋葉原とオタクの関係
消費者層としてのオタク
野村総合研究所の調べでは、マニア消費者層(いわゆる「オタク層」)の2004年の市場規模は主要12分野で延べ172万人、金額にして約4,110億円に上り、オタクに共通する行動特性を抽出したところ「共感欲求」「収集欲求」「顕示欲求」「自律欲求」「創作欲求」「帰属欲求」の6つの欲求にまとめられるという[17]。
近年では「萌えおこし」等、地域振興に役立てる例も各地で見られる。またそれに便乗した異業種からの参入も見受けられる。それらには消費者層としてのおたくの購買意欲を刺激するものから、安易な便乗商法まで玉石混淆である。
おたく/オタクの変遷
時代的遷移
オタクは「時代」に合わせて変遷してきたテンプレート:Sfn。
- 前史
- オタクという語が成立する以前にも趣味に生活より多くの時間と金銭をつぎ込むものはおり、古くは趣味人や数奇者(和歌や茶道に熱心な者)と呼ばれたテンプレート:Sfn。たとえば戦国時代の武将古田織部などは「オタクの大先輩」と言われることもあるテンプレート:Sfn。また近世では海外の文物を受容する傾向はマニア、フリーク、あるいはディレッタント[注 3]と呼称されることが多かった。海外文化の受容については表面的な模倣を重視する層をスノッブ、キッチュと蔑視し、あるいはその軽薄で表層的な受容態度を逆に珍重してみずからをそう呼称することもあった。コレクターは古くからおり、ウルトラマンやバービー人形、ドールハウスなどの玩具コレクターは大人の趣味として一定の評価があり、隠然として存在した。映画スターや歌手を熱狂的に応援するアイドル嗜好はマスメディアの発展と軌を一にし、原点は江戸時代の歌舞伎絵にまで遡れるかもしれない。
- また、1950年代中盤から末にかけてのSFファンダムが後のオタクの母体となったという指摘もあり、子ども向けと考えられていたものの中に大人でも楽しめるものが存在し、また、作品から派生する二次創作、サークルやイベントでの交流など、オタクの特徴とかさなる部分があるテンプレート:Sfn。
- 昭和50年代のアニメブーム(1970年代後半~1980年代中期)テンプレート:Sfn
- この頃のアニメーション作品の中には、従来の児童向けに混じって、中高生等の青少年層を対象とした、比較的ドラマ性の高い物が増えたことも、アニメーションブームを加速させた要因に挙げられる。この現象において『宇宙戦艦ヤマト』『銀河鉄道999』『ルパン三世』といった、一連のテレビ放送・劇場公開作品の大ヒットが、アニメ産業の急速な成長を促した。この頃は侮蔑や否定的な意味合いが比較的少ないアニメファンと言う言葉で呼ばれていた。やや遅れて、当初は子供向けとして企画された『機動戦士ガンダム』が登場。中高生のアニメファンに人気を博し、「ガンダムシリーズ」と呼ばれる一連の作品群と固有ファン層を派生させた。
- そのような流れの中で、1978年のアニメージュをはじめとするアニメ雑誌の相次ぐ創刊、社会現象となったガンプラブーム、1980年のアニメショップ・ペロや1983年のアニメイト等の専門店の創業などにより児童向けでないアニメ市場の存在が認知され始める一方で、そのころ既にオタク的な人種がアニメファンに存在していたことから、主として一定の文化的価値を認められつつあった旧来の漫画・SFマニアから、新興のアニメ、及びそのようなアニメファンに対するネガティブな態度を反映して、過度なアニメファンが「おたく」という蔑称で呼ばれ始める。
- バブル景気時代(1980年代末期~1990年代初期)
- バブル景気の頃からプロダクション制導入に伴う大量生産期となり潤沢な資金力・労働力を背景に表現力が高度化したアニメーションに対し、尋常ならざる興味を抱く人が増加した。また同時期、バブル景気に伴う余暇時間と可分所得の増大からテレビやビデオデッキ・高価なオーディオセットを個人用に購入するケースが増え、それらに耽溺する人が増えたことも、おたく増加の要因として挙げられる。この頃、「おたく」という人間類型の呼称が確立し一部では社会現象として着目され始めたと言われる。1985年にはスーパーマリオブラザーズが爆発的にヒットしファミコンおたく・ゲームおたくが登場し、ゲームに没頭し学業を疎かにする児童・学生が次第と社会問題となる。従来はサブカルチャー趣味を持つ者の間で使われる隠語に過ぎなかった「オタク」であったが、1988年から1989年にかけて起きた東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件の犯人がオタクという一面も持っていたことから世間一般にも知られるようになり、事件の異様さも相まっておたく差別が起きるようになる。
- エヴァンゲリオンとテレビゲーム(1990年代後半)
- 哲学的な問いを視聴者に対して想起させる『新世紀エヴァンゲリオン』の登場は、学歴偏重社会の崩壊や景気鈍化傾向にあって漠然とした不安を抱える青少年層に強い影響を与え、関連事象(セカイ系)は社会現象とまで言われた。一方、テレビゲームやパソコンゲームの高度化と普及に伴い、ゲーム市場が広がったことは、ゲーム関連企業にとっては大きな福音となり、多数のゲーム制作会社が勃興を繰り返した。1995年にWindows 95が発売され家庭へのパソコン普及が進んだことで恋愛ゲームおたく・エロゲおたくなどが一般化した。またときめきメモリアルシリーズなどがキラーコンテンツとなり家庭用ゲーム機の世代交代が進んだ。
- エヴァ放映直後の1996年5月に岡田斗司夫は自著『オタク学入門』その最終章で、「オタクは日本文化の正統継承者である」と主張している。
- 一般市場化と氾濫(2000年代)
- 数多くの作品が登場する一方、DVDの普及により、かつての「ビデオテープ・ソフト一本1万円弱」などという傾向がなくなり、3千円〜5千円で安価に販売される映像ソフトの販売が一般化した。コンビニエンスストア店頭でも数多くの映画・ドラマ・アニメのDVDが販売されるようになると、「ビデオソフトを買って見る」という、かつてはコアなマニアやおたくに限定されたことを一般の消費者がするようになり、一般の社会でも普通に売られ普通に買われていくようになる。このためヤンキー文化、渋谷系などの、かつてはおたくと縁遠いと見られていた要素とおたく文化の結合も観察されるようになっている(痛車の要素を取り入れたVIPカー、渋谷系を取り込んだアニメソング「アキシブ系」など)
- またパソコンやゲーム機の普及は、かつての専門家やマニア主導ではなく、娯楽家電の一種として家電製品並に普及したこともあり、裾野の広い市場を形成している。その一方でおたく向け商品の市場も拡大し、電気街として知られた秋葉原の様相を、漫画・アニメ・ゲームの街として激変させるに至っている。
- 2005年には株式会社ビブロスにより第一回全国統一オタク検定試験が実施され、またこれがTV、雑誌、ネット、日本以外の国の通信社からも大々的に取り上げられるという事象も発生した(その後、ビブロスが2006年に倒産したため2回目が実施された時点で消滅、終了。この結果は発表されていない)。
- こうした状況は経済界も注目している。たとえば、野村総合研究所の調査ではオタク市場(自作パソコン、アニメ、ゲーム、アイドル、コミック市場の合計)の市場規模は2900億円である。また、経済産業省は、日本のコンテンツ産業の国際展開の促進という観点から注目している。
- しかしコアなおたく向け商品が一般市場から見て特殊な商品群(ニッチ市場)であることには余り変化はない。メディアワークスの『電撃G'sマガジン』編集長である高野希義は2004年9月7日の「CEDEC 2004」において、おたく市場向けのいわゆる「萌えゲーム」がキャラクターの特徴のみを先鋭化させた、マニアにしか判らない世界と成りつつあり、衰退してしまうおそれがあるとする談話を述べた。高野は談話において双恋を紹介する際、テレビを広告塔として使いつつ王道に戻って10歳代の開拓を目指すと語った。
- 2010年代
- 1990年代から2000年代にかけておたくシーンを牽引してきたアダルトゲーム(エロゲー)がソフトの高価格やコンテンツの多様化などの様々な理由で衰退傾向に歯止めがかからなくなっている。代わって、アニメやライトノベル、美少女キャラを起用したブラウザゲームなどがおたくシーンで主要な位置を占めるようになっている。また、アキバ系アイドルやアイドル声優を好む層など、おたくは多種多様化している。
- アニメショップ、同人ショップの進出が進み、利便性が高まった。
- おたくの低年齢化、カジュアル化の傾向が進んでいる。
世代的遷移
時代の変化に合わせておたくも変化してきた。1960年代生まれを第1世代とし、70年代生まれを第2世代、80年代生まれを第3世代とする、東浩紀の行った分類が現在の議論で広く用いられている[18][19]。ここでは個人の違いは捨象し、世代ごとの傾向を概観する。
- プレおたく世代(1950年代生まれ)[20]
- 基本的にSFファンで、劇画の登場により漫画は大人も読むものとして認められつつあったが、「アニメは子どものもの」という風潮の中で育った。「しらけ世代」と言われた世代にあって、成人後も趣味的に漫画を描いたり、漫画・アニメ・SFを特に好み玄人はだしの評論を行う一群が現れ、彼らはマニアと呼ばれた。彼らが開催したSF大会や日本漫画大会などは、その後の同人誌即売会に繋がる文化の先駆けとなった。
- オタク第一世代(昭和三十年代/1960年代生まれ)テンプレート:Sfn
- 『宇宙戦艦ヤマト』に始まるアニメブームを起こし、コミックマーケットなど現在に至るイベントの基礎を築いた。「新人類」と言われた世代であり、幼少期には『ウルトラマン』『仮面ライダー』『マジンガーZ』といった怪獣・変身ブームの洗礼を受け、しばしば特撮への嗜好を持つ。
- 少年期に世界的なSFブームを迎え、『スター・ウォーズ』や『指輪物語』に代表される海外のSF・ファンタジー作品は日本のおたく文化にも大きな示唆を与えた。彼らが好んだ漫画やアニメ、SFは、学生運動を主導した焼け跡世代や団塊世代の抱いていた社会変革思想の対抗物として意識されていたため、彼らのオタク趣味全般に韜晦や理論化・体系化への指向が強い場合が多く、オタクコミュニティ内のジャーゴンとしてキーワード化を行っていた。
- オタク第二世代(昭和四十年代/1970年代生まれ)テンプレート:Sfn
- 幼少期に『機動戦士ガンダム』に代表されるアニメブームの洗礼を受け、広くアニメなどが趣味の範疇に受け入れられた。これらの作品がSFを基底として、架空の技術体系を構築する手法をとったため、提供される側はその架空の技術体系を網羅したがる方向性も見られる。「ガノタ」(ガンダムオタク。ガン―オタが綴りから“ガノタ”と変形)に代表されるシリーズ作品内の知識体系のみに耽溺し、現実の知識体系とのすり合せを行わない傾向も派生させた。
- 末期新人類(バブル世代)と団塊ジュニア、1970年代後半生まれ(つながり世代)に相当し、 1980年代のテレビゲーム・パソコン趣味の担い手となり(ファミコン世代)、『少年ジャンプ』に代表される日本の漫画の隆盛期を担った。またこの時期にはライトノベルが成立し、この世代以降海外作品とおたく文化の繋がりは希薄になる。ロボットアニメ最盛期に育った世代でもあり、プラモデルもこれらの作品に関連した製品が登場して一大市場を築き、その受け手(消費者)となった。
- なおこの世代の親(1940年前後生まれ)は、『仮面ライダー』の石ノ森章太郎や『機動戦士ガンダム』の富野由悠季など、特撮の大作家が多い世代である。
- オタク第三世代(昭和五十年代/1980年代生まれ)テンプレート:Sfn
- 1990年代後半に『新世紀エヴァンゲリオン』の洗礼を受け、セカイ系と言われるムーブメントの担い手となったテンプレート:Sfn。この時期にはアニメやコンピュータゲームが趣味の一つとして市民権を得るようになり、メインカルチャーとサブカルチャーの差が薄れた時代に育った。そのため、オタク趣味に後めたさや韜晦意識を持たず、単に多様な趣味の一つとして、アニメやゲームを楽しむ者も増えた。
- 1980年代後半に生まれた世代(ネット娯楽世代)は、高校時代までにインターネットが普及し始めた世代であり、インターネットをテレビや雑誌などと同質の情報媒体として利用していることが窺える。これは、1970年代後半に生まれた世代(つながり世代)が、インターネットを独立した一つのメディアとして捉えたのとは対照的である。
- 第三世代以降の世代ではオタク趣味が一般的なものとなり、おたくコミュニティの拡散化と嗜好の分裂化・多様化がかなり進んでいる。
- オタク第四世代(1990年代生まれ)テンプレート:Sfn
- インターネット利用が一般的な環境の中に育ち、従来の世代が遊び場や友達・仲間を広場や公園・路地裏に求めたのと同質の感覚で、コンピュータネットワーク上のネットコミュニティにも求めていった世代であるテンプレート:Sfn。インターネットなどを通じて知った海外のアニメ・コミック作品に傾倒したり、復刻ブームから1960年代~1970年代のアニメや漫画や玩具が容易に手に入るようになったことから、親(オタク第一世代)の少年時代に流行した作品に熱中するおたくも相当数生まれている。
- 第三世代と第四世代は世代文化に大きな違いがなく、嗜好や文化のかなりの部分が重なる。第三世代以降のおたくは、おたく趣味を楽しむことに対する恥や韜晦の意識があまりないことが、従来の内輪で楽しんでいた第二世代以前のおたくからは違和感を持たれることがある。かつておたくの対極と見られていたヤンキーでありながらおたく趣味を好む者も現れ、いわゆる痛車やレディース(女性暴走族)によるコスプレ[21]などに見られる暴走族文化との融合という現象も発生している(→暴走族#暴走族と社会)。
おたくと地域性
日本
おたくの在り様に関しては、日本でも地方都市などでは関連媒体の流通量やコミュニティの有無などにもよって、若干の地域性が見出せる。この中には21世紀に入って急速に地方都市などにもおたく向け専門のチェーン店が進出するなど一様化も進むが、それでもコミックマーケットなど大都市圏に集中しがちな大規模な催しもの(イベント)もあり、2000年代では依然として「おたくの地域格差」も見られる。後述するように、特定の地域にそれら文化発信拠点が集中して発展する様子も見られる。
- 一般的に、北海道地方や東北地方はおたくにとって厳しい環境だと言われていた。しかし北海道・東北地方の中心都市である札幌市・仙台市等の政令指定都市では、各種ショップの出店が進んでいる[22]。ただし仙台市がある宮城県にはおたく文化の発信源の一つであるテレビ東京系列局がないという事情はあるが、近年の多チャンネル化により環境は以前より好転しており、2011年以降テレビ東京系列局が開局する計画もあり今後が期待される。また、東北地方に関しては保守的な地域と思われがちだが大都市圏以外の地方と比較して特に保守的であるという根拠はなく、文化的素養としてはむしろ多くの漫画家やクリエイターを輩出している。
- 同じ「地方」でも、瀬戸内の広島・岡山・松山と北陸の金沢・新潟は地方都市でありながら大手ショップなどがある程度進出しており、また地場資本のショップも多いなど、おたくにとって比較的暮らしやすい地域であると言われている。
- ケーブルテレビやCS放送の普及、またYouTubeの登場やネット通販の浸透などによって地域格差は解消されつつある一方で、大都市圏から外れた地域(特に宮城県以外の東北地方、テレビ北海道送信エリア外(道東方面)の北海道地方、石川県.新潟県以外の北陸地方、瀬戸内以外の中国・四国地方、福岡県以外の九州・沖縄の各県{特に長崎県、大分県、宮崎県、鹿児島県、沖縄県})はネットやCS環境が整っている現代においても、オタク文化が育たないとされている。しかし、そうした地域においてもオタク文化が盛んになって来ているところがある。宮崎県は宮崎市中心市街地にある一番街にメイド喫茶が、南宮崎駅前のビルにはアニメグッズを取り扱うカフェもオープンしたりオタク系DJイベントが開催されたりしている。しかしオタク文化が育たないとされている地域は元々それらが盛り上がる土台がないので、オタク系イベントをしていても地元出身アニメーターの原画展のような小規模の物のみである。県外からの集客を期待出来る大規模なオタク系イベントを開こうと企画出来る人物に乏しい上、県の関係機関も協力に消極的である可能性も示唆出来る事から開催出来ない。実際、同人誌即売会もコミケットの関わらない小規模の物しか行われていない。更にアニメイト以外の大手アニメショップが進出する気配が全くないのでオタク街が出来る程にはならない等オタク文化が育つ可能性はゼロに近い。大都市の衛星都市以外の町村部や離島地域では、ネットは今も最高でISDN接続が関の山で、さらにはダイヤルアップ接続だけの地域もあり、ネット配信ができにくい環境も一因である(もちろんYouTubeも容易には見られない)。
- 近年はだいぶ社会に受け入れられてきたものの、おたくは古くより迫害の対象となってきた。事実、地方には未だ伝統を重んじオタク文化に関して不寛容な、いわゆる「教育県」も多く(特に福島県・長野県・山口県・高知県・鹿児島県)、テレビ局の放送内容に教育行政がローカル局(特に県が経営に参加することが多い第三セクター局)に注文をつけるケースも多いという。山口放送に至っては初代社長・野村幸祐が教育界出身(佐賀青年師範学校校長)で、山口県教育委員会教育長を兼ねていた時期があった。山口県のテレビでの状況については、山口県#テレビ・ラジオ放送を参照。
オタク文化の海外での受容傾向とその変化
海外では1990年代中後半より、一種の尊敬の意味を込めてオタク (Otaku) が使われていた。アニメ (Anime) を始めとする日本発のポピュラーカルチャー愛好者を指す名称であり、好んで自らを Otaku と称するものも存在した。
中華人民共和国でもおたく(御宅族)は日本と同様にゲームやインターネットなどといった屋内で遊べる娯楽に没頭、あるいはサブカルチャーなど特定の分野に詳しい人を指す言葉として定着している。そのイメージから、一般的な人々と比べると外出頻度の少ない人を指すこともある。現代では日本のコスプレ文化やアニメ・漫画に触れることが容易になっており、若年層を中心にサブカルチャーに興味を持つ人が増え、中国独自の文化も育ってきている。
中華民国(台湾)では映画「電車男」の上映以来、「オタク」の中国語表記として「阿宅」や「宅人」、「宅男」などの言葉が見られるようになった。メディアによって誇張されたそのイメージから本来の意味とは別に「外出頻度の少ない人」の意味として使用されることもある。
なお、日本のポップカルチャー全般を熱心に愛好する「日本おたく」は哈日族と呼ばれる。
オタク文化に対する日本と他の国における認識・受容の違い
オタク文化に対する受け止め方は、日本以外の国においては日本とはいくつかの点で異なる。その一つが欧米で古くから盛んに行われているファン大会 (Convention) という活動で、その年齢層も幅広い。
アニメコンベンションにおいては、Fan-cos や Reenactment (史的事実再現)と呼ばれるコスプレが行われる。SFやファンタジー映画の公開に観客がコスプレをしてくることが一般的であるように、ファン大会会期中、会場外でもコスプレを行うことが許されており、会場となる地域の市民もそれをイベント的なものとして受け止めている。コスプレ自体は日本でもファン活動として一般的だが、日本では会場外でコスプレ衣装のまま行動するのは「禁忌」という暗黙のルールが存在する。軍装や警察官のスタイルをする者もおり、これが軽犯罪法(第1条第15項)に抵触するためである。
但し、日本以外の国において Fan-art (二次創作のイラストやマンガ)や Fan-fic (二次創作の小説)、 Fan-sub (マンガ・アニメ作品の翻訳)といった形でオタク的な活動が行われることはあるが、日本のコミケのように商業的な行為との結び付きは殆ど見受けられない(寄付を求めることはある)。むしろ、採算を度外視して純粋に活動を楽しみ、ファン大会では交遊や情報交換を楽しむといった傾向が強い。
英語における「おたく」の類似語
英語(米語)では、日本でのオタクに近い意味を表すためにはNerd(ナード)という言葉で表現され、パソコンオタクや電子工作オタクを指す場では geek(ギーク)が用られる。また(wizard)ウィザードの略語である(wiz)ウィズを単語の後に付けコンピューターウィズ等と使う表現もある。しかしこれは魔法使いと言う意味も含むため宗教的問題から、近年は余り用いられることはない。また、日本の成年向け美少女ゲームを由来として、オタクのことを(日本語の意味を知らずに)"hentai"と呼ぶアメリカ人もいる。
- アメリカのナードに付いて歌われた曲White & Nerdy参照。
- geek
- 日本では技術フェチとも訳され、機械類にフェティッシュな感情を示しかねない類型だともされるものの、日本のオタク文化における消費者としてのフェティシズムではなく、朝から晩までそればかりを考えていて、挙句の果てには終生の仕事としてしまうなどの「身も心も捧げる信奉者」という意味で使われる。
- nerd
- ナードを参照。
- dork, dweeb, goon, and doofus
- テンプレート:Sectstub
- Anorak
- 主としてイギリスの鉄道マニアに対する蔑称。アノラックを着る者が多いことから。
Weeaboo, Wapanese, Weeb:三つとも欧米人に対して欧米人が使用する、「日本かぶれ」という意味の単語。
おたくに関係する地域・地域関連事象
テンプレート:See also おたくの文化・消費行動に特化した業態が集中する地域や、またはその地域に関連して発生した事象など。
- 札幌駅前〜狸小路 - 駅前には大手電化製品量販店、狸小路までの街道にはいくつかのオタク向け店舗がある。
- 秋葉原 - 電器店で売られるパソコンや家庭用ゲーム機とそれらのゲームソフト、各種映像・音楽ソフト等からオタクの街へとし発展していった。男性向けの最新作品を扱う店が多い。
- 神田神保町 - 過去に1980年代から1990年代初期にかけて、同人誌やアイドル関係のグッズを扱う店が集積するオタクの街として知られていた。
- 池袋 - 「乙女ロード」(または「オタク通り」)と呼ばれる地区があり、男性中心の秋葉原に対し、女性のオタクの人気を集めている。
- 中野ブロードウェイ - 「オタクビル」の異名を持ち、まんだらけを筆頭に様々な書籍やアニメ、ゲーム、模型、フィギュアなどを取り扱う店が多数入居している。中古品を扱う店が多い。
- 立川 - コトブキヤ本社があるほか、フロム中武や閉店した第一デパートに数多くのオタク向け店舗が入居していた。[23]
- [24]
- 大宮駅周辺(さいたま市大宮区) - 大宮駅西口にアニメショップなどが集中している。なおとらのあなは東口にある。
- 曲師町(宇都宮市) - 宇都宮Festaにオタク系ショップが密集するほか、近隣にはコスプレ喫茶がある。また、中核市では唯一まんだらけがある。2012年にはらしんばんが出店し、同人ショップの激戦区となりつつある。
- 大須・名駅(名古屋市) - 大須は電気街、オタク街でもあるがアメリカ村のような古着の街でもあり、巣鴨のような老人の街でもある。なお、全国に出店している大手アニメショップは名駅周辺に多い。
- 放送会館(福井市)- 福井放送旧館。模型屋や同人誌の店が集中している。近隣にはアニメイトも。
- 日本橋(大阪市) - 秋葉原、大須と並んで日本三大電気街の一つ。秋葉原のようにオタクの街でもあり、「オタロード」を中心に多くのオタク向け店舗が軒を連ねる。「東のアキバ、西のポンバシ」と呼ばれる存在である。
- 寺町通・京都駅周辺(京都市) - 密集度は低いものの、アニメ・ゲーム・ホビー関連の店が数多く立地している。また、四条寺町以南はパソコンショップが目立つ。京都駅周辺には大手電気店が多く立地し激戦区となっている。
- センタープラザ(神戸市) - 西館の2階、3階にアニメショップやホビーショップなどが特に密集している。
- 岡山表町商店街 - 中四国随一のメイド喫茶街でもあった。
- 紙屋町(広島市) -「大手町通り」より西側を中心に家電量販店、パソコンショップやおたく関連の店舗が並んでおり、さながら広島の秋葉原といわれている。
- 千舟町(松山市)- 地方都市としては珍しくオタク向け店舗が集まっている地区。
- 徳島駅前ポッポ街周辺 - 南北2棟の2階建てで構成される屋根付き商店街。2Fにはサブカル系出版物・キャラクター商品が多数販売されている南海ブックス1・2号店(井上書房が運営)がテナント入居。うち南海ブックス2号店は成人向けのゲームタイトル・商品・出版物を中心に販売している。かつてはメイド喫茶やコスプレ用品の専門店が存在したが閉店、アニメイト徳島(こちらも井上書房が運営)は東新町商店街に移転し、オタクの街としての機能は分散した。ufotable主導により毎年数回開催されている大型サブカル系イベントマチ★アソビの主要会場の1つである。
- 北天神(福岡市) - 北天神地区におたく関連のグッズを取り扱う店舗が増えている。
- あるあるCity(北九州市) - アニメ、漫画、ゲーム、ホビー、アイドル、お笑いなどサブカルチャーに特化した新しい商業施設となっている。
脚注
注釈
出典
参考文献
関連文献
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- オタク文化の経済価値に関する経営学的考察
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関連項目
Category:おたくも参照
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