劇画

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テンプレート:独自研究 テンプレート:Sidebar with collapsible lists 劇画(げきが)は、絵とセリフでストーリーを描く表現技法で、日本の漫画の一分野である。現在、一般的にはデフォルメされた作画の漫画に対して、写実的な作画で青年向けのシリアスなストーリーを描くものを指して劇画と呼ぶことが多い。

歴史

現在は漫画の一分野であるものの、そもそも劇画は子供向けの作品と混同されないために作られた漫画のジャンルである。雑誌の作品として発表される「漫画」に対して、劇画は貸本屋で貸し出される作品を指していた。貸本時代の「漫画」は子供向けでストーリーよりも笑いを重視した他愛のないものであり、読者対象を明確に(子供には刺激が強すぎた為)する必要から、ストーリー「」を画にしたものを劇画と呼ぶようになる。よって本来画風自体は劇画の条件では無い(後述)。

「劇画」という名称は辰巳ヨシヒロの考案によるものであり(さいとう・たかをによれば、他には「説画」などの候補があったと言う)[1]1957年末に貸本漫画雑誌『街』に辰巳が描いた作品「幽霊タクシー」にて、その作品表紙に「劇画」という表記が初めて使用された(なお、この頃、同じように既成の漫画とは異なる表現を追求していた松本正彦は、自身の漫画を「駒画」と呼んでいた。他には「説画」などの名称があった[1])。 1959年には、日の丸文庫出身の若手作家たちが「劇画工房」を結成(メンバーは辰巳、石川フミヤスK・元美津桜井昌一山森ススム佐藤まさあきさいとう・たかを松本正彦)。彼等の活躍により、「劇画」という言葉は完全に定着した。

貸本という連載作品のような形で締め切りに追われることのないメディアで展開されたため、劇画は時間をかけて執筆された作品が多く、息の長い長編作品も生まれ、1960年代 - 1970年代にかけて劇画はブームを巻き起こした。 しかしその後、「漫画」も画力・ストーリーとも急成長したことで、写実的な作画もシリアスなストーリーも「漫画」の守備範囲に含まれるものになっていった。加えて、貸本屋が衰退したことで劇画の掲載メディアも雑誌が中心になり、現在では元々の意味での漫画と劇画の境界は存在しない。従って、現在ではセックスや暴力描写をタブーとしない青年向け作品を中心に、作家や出版社あるいは読み手の任意で劇画という呼称を用いている。

いずれにせよ劇画のほとんどはシリアスなストーリー作品だが、ギャグ主体の漫画やアニメの一部に劇画調の画を取り入れる手法もしばしば用いられる。古くは赤塚不二夫藤子不二雄みなもと太郎などに見られる。また全編通して劇画調の絵による漫画やアニメ、4コマ漫画(例えば泉昌之田中圭一の初期作品や野中英次新井理恵の作品など)も見られる。

描画

ファイル:Gekiga.JPG
漫画的な絵(左)と劇画的な絵(右)(古典的な表現)

テンプレート:節stub さいとう・たかをによれば、本来、画風は劇画の条件には含まれていない。丸っこい絵、少年・少女向けの絵でも構わないものであった。ところが劇画黎明期を支えた面々が仕事をしなくなってしまい、さいとうのみが残ってしまったため、さいとう調の絵が「劇画」だと世間が誤解し、定着してしまったという[1]

劇画作家

出典

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関連項目

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