パラリンピック
テンプレート:スポーツ大会シリーズ パラリンピック(テンプレート:Lang-en)は、国際パラリンピック委員会(テンプレート:Lang-en、略称:IPC)が主催する主に肢体不自由の身体障害者(視覚障害を含む)を対象とした競技大会の中で世界最高峰の障害者スポーツ大会。オリンピックと同じ年に同じ場所で開催される。2004年のアテネ大会から夏季オリンピックと共同の開催組織委員会が運営する。
目次
歴史
20世紀初頭から、散発的な障害者スポーツの大会は記録されているが、当大会の起源とされているのは、1948年7月28日、ロンドンオリンピック開会式と同日に、イギリスのストーク・マンデビル病院で行われたストーク・マンデビル競技大会とされる。これは、戦争で負傷した兵士たちのリハビリテーションとして「手術よりスポーツを」の理念で始められたものである。
ストーク・マンデビル病院には、第二次世界大戦で脊髄を損傷した軍人のリハビリのための科が専門にあり、ドイツから亡命したユダヤ系医師ルートヴィヒ・グットマンの提唱により、この日、車椅子の入院患者男子14人、女子2人によるアーチェリー競技会が行われた。この競技会は当初、純然たる入院患者のみの競技大会であったが、毎年開催され続け、1952年には国際大会となり、第1回国際ストーク・マンデビル競技大会が開催された(参加国はイギリスとオランダの2カ国)。
1960年には、グットマンを会長とした国際ストーク・マンデビル大会委員会が組織され、この年のオリンピックが開催されたローマで、国際ストーク・マンデビル競技大会が開催された。この大会は現在、第1回パラリンピックと呼ばれている。
第2回大会は、1964年にこの年の夏季オリンピックが開催された東京で、国際ストーク・マンデビル競技大会との2部構成で行われた。1部が国際ストーク・マンデビル競技大会として、第2部は全ての身体障害を対象にした日本人選手だけの国内大会として行われた。現在これらの大会を合わせてパラリンピック東京大会と呼ばれている。
当大会をオリンピック開催都市と同一都市で行う方式は、東京大会後は定着せずいったん中断することとなり[1]、1972年のハイデルベルク大会で復活する。
1976年、国際ストーク・マンデビル競技連盟と国際身体障害者スポーツ機構との初の共催でトロント大会が開催され、同年、第1回冬季大会、エーンシェルドスピーク大会も開催された。
1984年のニューヨーク・アイレスベリー大会は当初アメリカの2都市での開催予定であったが諸事情により2国開催となった。
1988年、ソウル大会より正式名称が「パラリンピック」となった。また、IOCが当大会に直接関わる初めての大会ともなり、この大会からは再び夏季オリンピックと夏季パラリンピックの同一開催地が復活した。なお、冬季大会が冬季オリンピックと同一都市で開催されるようになるのは1992年のアルベールビル冬季大会からである。
1989年には国際パラリンピック委員会(IPC)が設立され、これ以後、継続した大会運営が行われるようになった。IPC本部は、ドイツのボンに置かれている。
2000年のシドニーオリンピック時にIOCとIPCとの間で正式に協定が結ばれ、オリンピックに続いてパラリンピックを行うことと、IPCからのIOC委員を選出すること。これらのことが両者間で約束され、オリンピック開催都市でのパラリンピック開催は正式に義務化された。
2001年にはIPCとIOCは、スイスのローザンヌで合意文書に調印し、パラリンピックとオリンピックの連携を強化した。2008年夏季大会、2010年冬季大会からIOCはパラリンピックについて運営・経済両面においてIPCを支援。また、パラリンピックの構成や保護を強化するとともに、パラリンピック競技大会の組織委員会はオリンピックの組織委員会に統合されることになった。
なお、パラリンピックはオリンピックの直後に同じ場所で開催するというIPC(国際パラリンピック委員会)の戦略が奏功し、格段にマスコミに取り上げられる率が高く、数ある「障害者スポーツ大会」の中で、現在、最も知名度が高くなり商業的にも成功をおさめつつある。しかし障害者スポーツの競技大会は、聴覚障害者のためのデフリンピックや、知的障害者のためのスペシャルオリンピックスなど各障害ごとに別々の理念と大会と歴史が存在している。またパラリンピックは開始当初から車椅子使用者のために実施されてきた大会であり、障害者スポーツの全てではないことには注意が必要である。 テンプレート:Main
日本では、ながらく厚生労働省所管となっていたが文部科学省に移管され、オリンピックとの一元化が図られることとなった(「福祉」から「スポーツ」へ節参照)。
名称
「パラ」+「リンピック」=「パラリンピック」という語呂合わせは日本人の発案で(個人名は不詳)、1964年の第13回国際ストーク・マンデビル車いす競技大会を東京で開催した際の「愛称」として初めて使用したものである[2][3]。これは、パラプレジア(Paraplegia、脊髄損傷等による下半身麻痺者)+オリンピック(Olympic Games)の造語であった。
1985年、IOCは、パラリンピックという呼称を用いることを正式に認めるとともに、半身不随者以外も参加するようになったことから、パラレル(Parallel、平行)+オリンピック(Olympic Games)で、「もう一つのオリンピック」として再解釈することとした。
1988年、ソウル大会からIOCが直接関わることとなり、「パラリンピック」が正式名称となった(従来は愛称の扱いであった)[4]。
なお、「パラリンピック」は、国際パラリンピック委員会の登録商標である。各国にパラリンピック委員会を設け、商標の保全を義務付けている。日本においては、元厚生労働省所管であった公益財団法人日本障害者スポーツ協会の下に日本パラリンピック委員会が設立され、商標保護に務めるとともに、日本選手団の派遣事業を行っている。日本国内において「パラリンピック」という文言を使用するためには、日本障害者スポーツ協会の承認を必要とし、オフィシャルサポーターと呼ばれるスポンサー契約を結ぶ必要がある。なお、パラリンピックを見出しにおいて文字数の関係で『パラ』と省略したり[5]、『パラ五輪』と記載するメディアも存在する[6]。
シンボル
パラリンピックの象徴であるマーク(パラリンピックシンボル)は、人間の最も大切な3つの構成要素「心(スピリット)・肉体(ボディ)・魂(マインド)」を赤・青・緑の三色で表している。詳細はこちらへ。
1988年のソウル大会で初めてこの旗が使われたときには、青・赤・黒・緑・黄の5色であったが、オリンピック旗と区別するために、1994年のリレハンメル大会から3色の旗に変更された。そして、2004年のアテネ大会から3代目となるロゴに変更され、現在に至っている。ちなみに、2008年の北京大会では、シンボルの形・色は同じであるが、3色の意味を中国式に赤を天、青を地、緑を人としていた[7]。
- シンボルの変遷
- Paralympics logo 1988-94.svg
1988年 − 1994年
- IPC logo (1994-2004).svg
1994年 − 2004年
- IPC logo (2004).svg
2004年以降
開催地一覧
夏季大会
第1回大会から第10回大会までの参加国数及び参加人数は、厚生労働省の発表による数値[8](日本障害者スポーツ協会の発表数値とは異なる)、第11回大会以降は日本障害者スポーツ協会の発表による数値[9]。
冬季大会
第1回大会から第7回大会までの参加国数及び参加人数は、厚生労働省の発表による数値[10](日本障害者スポーツ協会の発表数値とは異なる)、第8回大会以降は日本障害者スポーツ協会の発表による数値[11]。
回 | 開催年 | 開催都市 | 開催国 | 参加国数 | 参加人数 |
---|---|---|---|---|---|
テンプレート:Center | 1976年 | エーンシェルドスピーク | テンプレート:Flagicon2スウェーデン | 21カ国 | 400人 |
テンプレート:Center | 1980年 | ヤイロ | テンプレート:Flagicon2ノルウェー | 15カ国 | 369人 |
テンプレート:Center | 1984年 | インスブルック | テンプレート:Flagicon2オーストリア | 22カ国 | 1,000人 |
テンプレート:Center | 1988年 | 800人 | |||
テンプレート:Center | 1992年 | アルベールヴィル | テンプレート:Flagicon2フランス | 24カ国 | 900人 |
テンプレート:Center | 1994年 | リレハンメル | テンプレート:Flagicon2ノルウェー | 31カ国 | 1,013人 |
テンプレート:Center | 1998年 | 長野 | テンプレート:Flagicon2日本 | 32カ国 | 1,146人 |
テンプレート:Center | 2002年 | ソルトレイクシティ | テンプレート:Flagicon2アメリカ | 36カ国 | 416人 |
テンプレート:Center | 2006年 | トリノ | テンプレート:Flagicon2イタリア | 39カ国 | 477人 |
テンプレート:Center | 2010年 | バンクーバー | テンプレート:Flagicon2カナダ | 44カ国 | 502人 |
テンプレート:Center | 2014年 | ソチ | テンプレート:Flagicon2ロシア | 45カ国 | 547人 |
テンプレート:Center | 2018年 | 平昌 | テンプレート:Flagicon2韓国 |
実施競技一覧
夏季公式競技
競技名 | 第1回 | 第2回 | 第3回 | 第4回 | 第5回 | 第6回 | 第7回 | 第8回 | 第9回 | 第10回 | 第11回 | 第12回 | 第13回 | 第14回 |
第15回 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1960年 | 1964年 | 1968年 | 1972年 | 1976年 | 1980年 | 1984年 | 1988年 | 1992年 | 1996年 | 2000年 | 2004年 | 2008年 | 2012年 | 2016年 | |
20px アーチェリー | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ |
20px ウィルチェアーラグビー | 公開 | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | |||||||||
20px 車いすフェンシング | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ |
20px 車いすテニス | 公開 | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | |||||||
20px 車いすバスケットボール | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ |
20px ゴールボール | 公開 | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | |||
20px 視覚障害者5人制サッカー | ○ | ○ | ○ | ||||||||||||
20px 脳性麻痺7人制サッカー | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | |||||||
20px シッティングバレーボール | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | |||||
20px 自転車競技 | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ||||||
20px 柔道 | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | |||||||
20px 水泳 | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ |
20px セーリング | 公開 | ○ | ○ | ○ | ○ | ||||||||||
20px 卓球 | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ |
20px 射撃 | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ||||
20px 馬術 | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ||||||||
20px パワーリフティング | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | |
20px ボート | ○ | ○ | |||||||||||||
20px ボッチャ | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ||||||
20px 陸上競技 | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ |
電動車椅子サッカー | 公開 |
冬季公式競技
競技名 | 第1回 | 第2回 | 第3回 | 第4回 | 第5回 | 第6回 | 第7回 | 第8回 | 第9回 | 第10回 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1976年 | 1980年 | 1984年 | 1988年 | 1992年 | 1994年 | 1998年 | 2002年 | 2006年 | 2010年 | |
20px アイススレッジホッケー | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | |||||
20px アルペンスキー | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ |
20px 車いすカーリング | ○ | ○ | ||||||||
20px クロスカントリースキー | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ |
20px バイアスロン | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | |||
20px アイススレッジスピードレース | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ |
クラス分け
パラリンピックの各競技種目は、同一レベルの選手同士で競い合えるようにするため、障害の種類、部位、程度によってクラス分けが行われている。クラス分けは競技種目によって異なるが、陸上競技であれば視覚障害、肢体不自由、知的障害などに大別され、肢体不自由でも原因が脳性麻痺であるか手足の切断であるかなどで区分され、さらに障害の軽重により種目ごとに及ぼす影響で階級化される。
たとえば、肢体不自由などの障害の場合は「LW」等の競技ごと・障害の種類ごとの記号+度合いを数字で表す。障害種は「運動機能障害」「脳性麻痺」「切断など」「視覚障害」「車いす」などがある。現在は聴覚障害者・精神障害者の出場は不可であり、知的障害者に関しては参加可能となっている[12]。
ロンドンパラリンピックにおいては、陸上競技トラック種目(T)の階級は、T11〜T13は視覚障害、T32〜T38は脳原性麻痺、T42〜T46は切断・機能障害、T51〜T54は脳原性麻痺以外の車いす使用者となっていた。さらに、T11及びT12の選手は伴走車(ガイドランナー)と競技を行うことができるなど細かいルールが定められている。一方、視覚障害者のみによる競技である柔道は障害によるクラス分けはなく、オリンピックと同様に体重別クラス分けのみとなっている。
スキーのアルペンスキーとノルディックスキーは障害の部位・程度によるクラス分けを採用、クラスの数だけ金メダルが与えられたが、トリノパラリンピック以降、立位(立って滑る)、座位(座って滑る)、視覚障害の3カテゴリー制となり金メダルもカテゴリーごとに与えられ、金メダルの価値を上げ競技性を高めた[13]。
- クラス分け
- パラリンピックでは、障害の度合いに応じて階級を分ける。障害のクラス分けがあるために、100メートル競走の金メダルは男女合わせて10個以上にもなる。このため、メダルの価値が1個のみと比べて低くなってしまうという見方がある。
- そこでメダルを少なくするために、近い障害部位の間で階級を統廃合するという動きがある。しかし、階級を統廃合すると障害部位で有利不利が出来てしまう(例:水泳においては、両足麻痺者と両足切断者が競ったら、両足切断者は両足が無い分だけ水の抵抗が軽減されたり体重が軽くなって有利になってしまう)。「競技の公平」と「メダルの価値」、パラリンピックは難しい選択を突き付けられているとも言える。2006年のトリノ大会では、メダルの数を減らすため、障害の度合いによってポイントが加算された選手が競い、総合得点で競うルールが採用された。
「福祉」から「スポーツ」へ
テンプレート:国際化 第二次世界大戦による傷痍軍人の社会復帰を進める目的で発生したため、福祉的側面から捉えられることが多かったが、近年は「競技性」が高まり、日本においても陸上競技[14]や車いすテニス[15]等でプロ選手が誕生し、「障害者アスリート」という言葉も使われるようになり、競技スポーツとしての側面がクローズアップされてきている。また競技性が高まるに従い、福祉ではなく「スポーツ文化」としての理解と支援を求める声が強まっている。なお、日本では日本オリンピック委員会(JOC)は文部科学省が所管し、日本パラリンピック委員会(JPC)は厚生労働省の所管とされてきたが、2014年4月より、文部科学省へ移管され一元化されることが厚生労働省社会・援護局障害福祉部企画課自立支援振興室により発表された[16]。
- 障害者スポーツ政策
- 競技志向が高まり、アトランタパラリンピックで日本のメダル獲得順位は10位だったが、ロンドン大会では24位に落ちた。ロンドン大会で、国家予算を障害者エリート選手に掛ける中華人民共和国のメダル獲得順位は1位、ロシアは2位、ウクライナは4位になっていて、今のままの日本の障害者スポーツの厚生労働省管轄のリハビリテーションスポーツでは、日本の国別メダル獲得数順位は下降していく。スポーツ庁はスポーツ基本法の検討課題として附則に規定されるにとどまっている[17]。しかし2020年の東京オリンピック・パラリンピック開催決定を受け、2014年度中に厚生労働省の障害者スポーツ部局を移管し、2015年度に文部科学省の外局としてスポーツ庁を設置する予定[18]。
報道・メディアでの扱い
テンプレート:国際化 日本では、長らく、障害者スポーツは一般になじみがなく、社会参加やリハビリテーションの観点からしか捉えられていなかったため、取り上げられたとしても、新聞では社会面に掲載され、スポーツ欄に掲載されることはなかった。
パラリンピックも1990年代半ばまでは一般になじみがなく、ほとんどメディアに取り上げられなかった。1996年のアトランタパラリンピックでは、車いすマラソンにおいて男女とも日本人が銀メダルという快挙もあったが、民放テレビや一般紙ではほとんど報道されなかった。
大きく流れが変わったのは、1998年の長野パラリンピックの開催である。この大会では開会式をはじめとして、いくつかの競技がNHKのBS放送で中継され、ほとんどの日本人がほぼ「初めて」パラリンピックを知ることとなった。教育テレビでは、普段「福祉の時間」や「障害者の時間」としている時間帯に、ヘッドラインやダイジェスト的に取り上げられ、少しづつではあるが報道の量は増え、クラス分けなど独特のルールなどが放送されたことにより、障害者スポーツの多様さにも触れることとなった。「信濃毎日新聞」では、きめ細かい取材をしており、今でも五輪、パラリンピックともに沢山の記事をWeb上で見ることができる[19]。またアイススレッジスピードレースに出場した土田和歌子ら、スター選手も現れるようになった。
2000年以降、車いすテニスのプロ選手である国枝慎吾が、年間の四大大会全てで優勝するグランドスラムを成し遂げたり、ボストンマラソンや、ベルリンマラソンなど、海外主要マラソンの車いすの部での日本人の優勝などが一般紙においても「スポーツの結果」として大きく報道されるようになった。
2008年以降、NHKは、パラリンピック報道にもオリンピック報道と同じテーマ曲を使用している。2012年のロンドンパラリンピックにおいては、yahooをはじめとしたインターネットのサイトにおいてもスポーツとしての特設サイトが設置され、リアルタイムで結果が掲載された。
2013年9月に、東京オリンピック・パラリンピックの開催が決定したことで、「パラリンピック」という言葉が完全に市民権を得た。また、この招致活動においてブエノスアイレスで行われたIOC(国際オリンピック委員会)総会の最終プレゼンテーションでスピーチを行った義足のスプリンター佐藤真海にも注目が集まり、彼女が2014年のソチパラリンピックの聖火リレー走者を務めたことが大きく報じられた。
2014年のソチパラリンピックでは、NHKが初めて地上波で開会式を中継することが発表された[20][21][22]。Youtube(配信元はParalympicSportTV)でも開会式をライブ配信を行った。
パラリンピック切手
パラリンピックの切手は、これまで多くの国々から発行され、障害者スポーツへの社会の理解と認識を深めとともにパラリンピックの周知が図られている。最初のパラリンピック切手は、1964年にアルゼンチンから発行された東京パラリンピックの記念切手である[23]。
日本から発行された最初のパラリンピック切手は、1998年2月に発行された長野パラリンピックの記念切手で、アイススレッジホッケーが描かれている[24]。ちなみに、2002年8月には世界車椅子バスケットボール選手権大会の記念切手が発行されている[25]。2012年のロンドンパラリンピックでは、イギリスは自国のパラリンピックチームが金メダル獲得すると、24時間以内に記念切手を発行するという企画を実施した[26]。
パラリンピック運営上の問題点
テンプレート:独自研究 ソウル大会より、オリンピックと同一の開催地になってからパラリンピックへの注目が増し、障害者スポーツの認知度が向上したことにより、問題も発生し始めた。その主な原因は、オリンピックと同様に、パラリンピックもメダルを取れるかどうかで注目度が全く違うため、いわゆる勝利至上主義的な見方がされるようになったことである。
以下に代表的な問題点をいくつか挙げる。
- ドーピング
- ドーピング検査はソウル大会から実施され、オリンピックと同様厳格に実施されているが、選手が常用する医薬品に禁止物質が含まれている場合、禁止物質を含まない医薬品を処方してもらうか、治療目的使用に係る除外措置(TUE)[27]を国際競技連盟に申請する等の対応が必要となる。
- 機具
- パラリンピックでは、車椅子や義足などの機具を使う競技がある。最先端の機具はスポーツ医学や人間工学、機械工学、材料工学などを駆使してオーダーメード製作がなされていて、軽く、扱いやすく、体にフィットするようになっている。このため、これらの機具は高額になってしまうが、このような機具を買えるのは経済的に豊かな選手のみであり、結果的に途上国よりも先進国の選手が有利になってしまいがちである。日本でも、生活用義足は医療保険適用だが、スポーツ用は100万円超で選手の自己負担なので、金銭的理由でパラリンピック出場を諦める選手も出ている[17]。
- 障害偽装
- 2000年のシドニー大会男子バスケットボール知的障害クラス金メダルのスペインチームに障害者を装った健常者がいた事が発覚し、2002年のソルトレイク大会から知的障害者クラス[30]を実施しないことになった。これは、IPC加盟団体である、INAS-FID国際知的障害者スポーツ連盟が障害の選手資格の基準を再度明らかにし、各国の国内パラリンピック委員会(NPC)とも調整を行わなければ、パラリンピックへの復帰は難しいという状況を明らかにした。これから先の大会で実施するかどうかは、その都度、各国NPCの競技運営のモラル次第という厳しい結果となった。しかし、2012年開催のロンドン大会は、知的障害者クラスは障害認定の厳格化等の条件を満たしたとIPCから承認を受けたいくつかの競技・種目が再び実施された。IPCは、ロンドン大会では、医師の証明書や実技試験を課す国際基準を作成したが、実効性には疑問の声がある[17]。
- 商業化
- 観客が増え、ロンドン大会では史上最多270万枚のチケットが売れ約4500万ポンド(約56億円)の売上を記録。南アフリカ共和国のオスカー・ピストリウス選手は数多くのCMで巨万の富を得ている、反面、障害者が競技する事はおろか生きる事が難しい国も有る[17]。
- 報奨金
- 各国が報奨金で障害者スポーツ振興をしているが、日本でも日本障害者スポーツ協会が実施し、2008年北京パラリンピック以降の金メダリストに100万円、銀メダリストに70万円、銅メダリストに50万円が贈られた。のちに増額され、2014年ソチパラリンピック以降の金メダリストに150万円、銀メダリストに100万円、銅メダリストに70万円となった。将来的には日本オリンピック委員会の報奨金と同額(金メダリスト300万円、銀メダリスト200万円、銅メダリスト100万円)とすることを目標にしているが、財源確保のための協賛企業の確保をいかにしておこなうか、そのためにはパラリンピックのブランド価値を高めるという課題が残る[31]。
出典・脚注
- ↑ この大会で実現した「全ての身体障害者の大会」も定着せず、この後も国際大会は車椅子競技者のための国際ストーク・マンデビル競技大会のみが行われた。
- ↑ [1]
- ↑ [2]
- ↑ IOCやオリンピックとは全く無関係な当大会にオリンピック類似の名称を使うことに対し難色を示していたため、それぞれの大会における「パラリンピック」という名称は、どれも愛称で正式名称ではなかった。
- ↑ 20年夏季五輪:五輪・パラ開催都市、8日決定 「あの感動を日本で」 県内選手、熱い思いと期待 /岡山 - 毎日新聞、2013年9月6日、2013年9月13日閲覧
- ↑ 65歳大井さん「東京で金」 2020年パラ五輪へ意欲 - 岩手日報、2013年9月10日、2013年9月13日閲覧
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ 1996年開催のアトランタパラリンピックから参加が認められたが、2000年のシドニーパラリンピックにおいて健常者が知的障害者だと偽って出場したことが発覚したことを契機に、2012年のロンドンパラリンピック開催まで知的障害者選手がパラリンピックに参加することはできなくなっていた。
- ↑ 2014年2月16日 中日新聞朝刊 サンデー版 世界と日本大図解シリーズNO1134
- ↑ [3]
- ↑ [4]
- ↑ 朝日新聞デジタル:パラリンピック選手強化、五輪と一元化 競技性高まり - スポーツ
- ↑ 17.0 17.1 17.2 17.3 17.4 小学館発行 週刊ポスト 2013年11月8,15日号パラリンピックの「知られざる真実」
- ↑ スポーツ庁 文科省外局に 15年度発足目指す
- ↑ 信濃毎日新聞 - 信毎web - 長野パラリンピック フロント
- ↑ 全力応援!NHKソチパラリンピック2014
- ↑ 冬季パラリンピック開会式、NHKが生中継へ - YOMIURI ONLINE
- ↑ 夏季大会では2004年のアテネパラリンピックから開会式を生中継している
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ 公益財団法人日本アンチドーピング機構 TUE
- ↑ (重度の脊髄損傷障害者に見られる症状で、急激に発症する高血圧と頭痛などが特徴)
- ↑ 日本身体障害者陸上競技連盟HP内 日本パラリンピック委員会 ブースティングについての考え方
- ↑ 知的障害者の競技は、IPC加盟団体である、INAS-FID国際知的障害者スポーツ連盟によるワールドカップが競技ごとに開催されているほか、日本国内の大会では、知的障害のクラスも一緒に大会が行われている。この他、INAS-FIDとは別に、知的発達障害の競技大会としてスペシャルオリンピックスが実施されている。
- ↑ 2014年5月21日中日新聞朝刊
関連項目
外部リンク
- 公益財団法人日本障害者スポーツ協会
- 国際パラリンピック委員会(公式、英語)
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