若田部健一
テンプレート:Infobox baseball player 若田部 健一(わかたべ けんいち、1969年8月5日 - )は、神奈川県鎌倉市出身の元プロ野球選手(投手)、野球解説者。愛称は「若様」。
2男1女の父で、妻は福岡でローカルタレントとして活動する若田部佳代(旧姓:徳丸)、長女はHKT48の若田部遥。現在は「オフィス・ミラソール」とマネジメント契約。
来歴・人物
少年時代には横浜大洋ホエールズ友の会に入っていた。鎌倉学園高ではエースとして活躍し、1987年には神奈川県予選ベスト4。
駒澤大学進学後は東都大学リーグで活躍し、1990年秋季には7勝1敗、防御率0.94、71奪三振の活躍で最優秀投手、ベストナイン(投手)。1991年秋季では5勝1敗で優勝に貢献し、最高殊勲選手、最優秀投手、ベストナイン(投手)を獲得し、IBAFインターコンチネンタルカップの日本代表に選出されている。リーグ通算48試合登板し20勝10敗、防御率1.76、223奪三振。大学時代は、日大の落合英二とはライバル関係にあった。また大学時代、のちにダイエーで同僚となる青学大の小久保裕紀からホームランを打ったことがある。
1991年のドラフト会議では福岡ダイエーホークス、読売ジャイアンツ、広島東洋カープ、西武ライオンズと4球団の1位指名が競合した[1]。抽選の結果交渉権はダイエーが獲得[1]。このとき在京のセ・リーグ球団を希望していた若田部が会見の席で用意されていたアイスティーを一気飲みした[2]。ダイエーとの推定契約金は当時の史上最高となる1億3,000万円とも言われた。
1年目から田淵幸一監督の期待に応え先発の軸として活躍し、1992年10月1日、平和台球場の最終試合対近鉄バファローズ戦では野茂英雄との投げ合いを制して1-0の完封勝ちを収めている[3]。新人王は高村祐に譲ったが、片岡篤史とともにパ・リーグ会長特別表彰を受けている[4]。
翌1993年には、同じく近鉄戦で福岡ドームダイエー公式戦初勝利投手にもなった。なお、その前日には野茂が村田勝喜と投げ合い1-0の完封で福岡ドーム公式戦勝利投手第1号となっている。
根本陸夫監督2年目1994年に10勝を挙げたあと数年間の不振に苦しむが、尾花高夫の指導の下1999年には甦り、ダイエー福岡移転後初のリーグ優勝に貢献。翌2000年にも工藤公康FA退団後のダイエーで最多タイの9勝でリーグ2連覇に貢献した。
リーグ連覇を目指していた2000年の8月24日、西武ドームでの西武戦で3タテを阻止する1-0の完封勝利を収め、その後の逆転優勝に繋げている。ヒーローインタビューでは、「みんなの気持ちを球に込めて僕が代表して投げました」とコメントした。2002年には10勝のうち5勝を西武から挙げた。
チームメイトだった藤井将雄とは仲が良く、2000年のリーグ連覇達成時には、藤井の背番号15とネームがプリントされたハリーホーク人形(通称「藤井ハリー」)を持って胴上げに参加し、入院中の藤井に捧げた。藤井本人はこれを見て涙が止まらなかったという。この藤井ハリーは各メディアでも取り上げられた。若田部は祝賀会で「一番ここにいて欲しかったのは藤井さん」と語っており、亡くなった直後には「これからは藤井さんにあまり頼り過ぎないように、藤井さんに心配をかけないように頑張らなきゃいけない」と話している。またこの年の「球団MVP授賞式」では、若田部が藤井ハリーを抱えて藤井の代役を務めた[5]。
2002年は開幕一軍から漏れたが、昇格後には王貞治監督の期待に応え先発の柱として活躍し10勝。同年のオールスターゲームにも初出場した。そのオフにFA宣言し、横浜ベイスターズへ移籍(契約期間は3年)。背番号は同学年で同年オフに引退した野村弘樹の付けていた21。
2004年に佐々木主浩が横浜に復帰し、吉見祐治が背番号を21に変更するのを受け、自身のダイエー時代の背番号である14に変更。2005年、湘南シーレックス(二軍)では14試合に登板し、5勝5敗の成績を収めたものの、この年初めて一軍での登板機会は無かった。同年10月8日に横浜から戦力外通告を受け引退。プロでは一度も「押し出し」が無かった。
2006年からは、J SPORTS・TOKYO MX・TVQ九州放送および日刊スポーツの解説者。また、タレントとしては福岡の芸能事務所であるオフィス・ミラソールに所属し、KBCテレビ「アサデス。九州・山口」月曜コーナー『主婦の鷹』にコメンテーターとして不定期出演。「アサデス。」で共演しているおすぎからは「ホークスイケメン選手の元祖」と言われている。
ダイエー時代に取材を通して知り合った徳丸佳代と結婚、今に至る。自身が引退後にタレント業も始めた影響もあって、長女の遥は2011年、HKT48の結成オーディションに合格し、研修を積んでデビューメンバー入りを勝ち取った。[6]そしてHKT48が注目を集めるようになると、それまで旧姓で活動していた妻・佳代までもが本名である「若田部」姓で活動するようになっている。なおこれに合わせ、健一自身は“本業”の野球解説等に再び軸足を戻している。
テンプレート:Google+では時折若田部家の日常が垣間見えており、遥によって以下のことが明らかにされている。
- ベイスターズ移籍時は単身赴任ではなく一家で引っ越し、現役引退で福岡に戻る(2013年5月3日投稿)
- 佳代はユーモアもある(2013年5月2日投稿)が子どもの教育や躾に関しては厳しい方である(2013年4月30日ほか投稿)
詳細情報
年度別投手成績
テンプレート:By2 | ダイエー | 27 | 27 | 13 | 2 | 1 | 10 | 13 | 0 | -- | .435 | 825 | 193.1 | 190 | 26 | 63 | 3 | 11 | 97 | 5 | 1 | 95 | 86 | 4.00 | 1.31 |
テンプレート:By2 | 23 | 22 | 3 | 0 | 1 | 5 | 10 | 0 | -- | .333 | 558 | 131.0 | 143 | 17 | 36 | 1 | 1 | 49 | 0 | 0 | 81 | 74 | 5.08 | 1.37 | |
テンプレート:By2 | 25 | 24 | 7 | 0 | 2 | 10 | 7 | 0 | -- | .588 | 685 | 160.2 | 173 | 12 | 38 | 3 | 4 | 97 | 2 | 0 | 80 | 72 | 4.03 | 1.31 | |
テンプレート:By2 | 9 | 9 | 2 | 0 | 1 | 1 | 6 | 0 | -- | .143 | 251 | 55.0 | 71 | 6 | 15 | 1 | 3 | 37 | 0 | 0 | 33 | 27 | 4.42 | 1.56 | |
テンプレート:By2 | 23 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | -- | 1.000 | 126 | 29.2 | 39 | 3 | 5 | 0 | 1 | 16 | 0 | 0 | 17 | 17 | 5.16 | 1.48 | |
テンプレート:By2 | 35 | 19 | 3 | 0 | 0 | 7 | 8 | 0 | -- | .467 | 534 | 118.0 | 150 | 12 | 34 | 0 | 6 | 63 | 2 | 0 | 66 | 63 | 4.81 | 1.60 | |
テンプレート:By2 | 7 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 29 | 6.0 | 8 | 1 | 3 | 0 | 1 | 3 | 0 | 0 | 5 | 5 | 7.50 | 1.83 | |
テンプレート:By2 | 26 | 26 | 3 | 1 | 1 | 10 | 6 | 0 | -- | .625 | 661 | 158.2 | 153 | 18 | 42 | 1 | 8 | 114 | 1 | 1 | 66 | 58 | 3.29 | 1.23 | |
テンプレート:By2 | 31 | 25 | 3 | 2 | 0 | 9 | 11 | 0 | -- | .450 | 710 | 168.2 | 165 | 20 | 53 | 3 | 1 | 103 | 5 | 0 | 87 | 83 | 4.43 | 1.29 | |
テンプレート:By2 | 22 | 16 | 2 | 1 | 1 | 6 | 4 | 0 | -- | .600 | 469 | 106.1 | 134 | 20 | 23 | 1 | 1 | 66 | 1 | 0 | 56 | 52 | 4.40 | 1.48 | |
テンプレート:By2 | 26 | 20 | 7 | 1 | 2 | 10 | 8 | 0 | -- | .556 | 617 | 147.2 | 152 | 10 | 36 | 4 | 6 | 96 | 2 | 0 | 59 | 49 | 2.99 | 1.27 | |
テンプレート:By2 | 横浜 | 4 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | -- | .000 | 97 | 21.0 | 27 | 3 | 7 | 0 | 1 | 16 | 0 | 0 | 16 | 13 | 5.57 | 1.62 |
テンプレート:By2 | 13 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | -- | 1.000 | 84 | 19.0 | 22 | 2 | 8 | 0 | 0 | 4 | 2 | 0 | 9 | 8 | 3.79 | 1.58 | |
通算:13年 | 271 | 193 | 43 | 7 | 9 | 71 | 75 | 0 | -- | .486 | 5646 | 1315.0 | 1427 | 150 | 363 | 17 | 44 | 761 | 20 | 2 | 670 | 607 | 4.15 | 1.36 |
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- 各年度の太字はリーグ最高
記録
- 初登板・初先発:1992年4月9日、対千葉ロッテマリーンズ3回戦(千葉マリンスタジアム)
- オールスターゲーム出場:1回(2002年)
背番号
- 14 (1992年 - 2002年、2004年 - 2005年)
- 21 (2003年)
関連情報
出演
- MXスタジアム(東京MXテレビ)
- 日テレプラス プロ野球中継 HAWKS Perfect Live - 2012年から
- J SPORTS STADIUM(J SPORTS)- 2011年まで
- アサデス。(KBCテレビ)- 2012年までに降板
- TVQスーパースタジアム(TVQ九州放送) - 2011年より
関連項目
脚注
- ↑ 1.0 1.1 テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite book
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- ↑ テンプレート:Cite web
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- ↑ テンプレート:Cite news若田部自身も取材を受けコメントを寄せた。