連想ゲーム

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連想ゲーム』(れんそうゲーム)は、1969年昭和44年)4月から1991年平成3年)3月までNHK総合テレビで放送されていたクイズ番組である。

概要

1968年4月8日に始まった番組『みんなの招待席』の1コーナーから始まり、1969年4月5日に独立した番組として放送され、1991年3月20日まで22年続いた(MBSアップダウンクイズ』とタイ記録)。この番組は、最初の『みんなの招待席』の時代からカラー放送である。

放送時間は1969年4月9日から1969年12月までは毎週水曜20:00 - 20:30、1970年1月から1978年3月25日までは毎週土曜19:30 - 20:00、1978年4月5日からは毎週水曜19:30 - 20:00。なお、この放送時刻にあわせ、オープニングでは得点板の白組の一の桁に「7」赤組の百・十の桁に「30」と表示された(日中、BSの再放送でも同様)。ちなみに2003年3月27日の復刻版でBS2ではオープニングは無く、19:20での放送だったので「7」「20」と表示、その後の総合テレビではオープニングがあり、20:00での放送だったので「8」「00」と表示されていた(番組の内容は同じ)。『WALKING EYES アルクメデス』内の本家のパロディー版である「ほうれんそうゲーム」でもオープニングが流れ、そのときには現在の時刻である「0」「23」(2010年7月16日未明の初回放送時)と表示されていた。

男女が赤・白の2チームに分かれて競い合う形式は、紅白歌合戦と同形式である。

オープニングテーマ終了後の司会者の挨拶は『こんばんは。水曜夜7時半、今夜も連想ゲームでお楽しみください』と言っていたが、徳田章アナウンサーではそのあとに『連想は十人十色と申します。今夜はどんなに楽しい、そしてユニークな連想が飛び出してくるのでしょうか』も追加して言っていた。これは、2003年の復刻版でも同様だった。

番組のオープニングとエンディング曲は放送開始から終了まで同じ曲(小森昭宏作曲)が使われていたが、1988年4月6日放送分からステレオ放送になったのと同時にキーを半音下げるなどアレンジしたものを使用していた。ただし、復刻版と『WALKING EYES アルクメデス』内の本家のパロディー版である「ほうれんそうゲーム」ではアレンジ前の曲が使用されていた。

ルール

  • 紅組(女性チーム)と白組(男性チーム)の対抗戦。各組は出題キャプテンと5人のメンバー(レギュラー3人+ゲスト2人、解答者の座席はレギュラーとゲストが交互に入るようになっていて、奇数枠=1・3・5枠がレギュラー陣、偶数枠=2・4枠はゲスト陣となっていた)で構成された。クイズ開始前、各チームのキャプテンに、アシスタントから答えが書かれたメモが渡され、キャプテンはメモを見ながらヒントを出す。
  • 司会は「○○さん、××さん、○○さん!」または「○○さんと××さんで、○○さん!」[1]と指名する。指名された解答者のチームのキャプテンが一語のヒントを出し、解答者は5秒以内に口答で答える。なお、キャプテンはヒントを1回につき1個しか出せず、うっかり正解を言ってしまうと、その問題はノーカウントとなる。更に、解答者は解答を1個しか言えず、不正解の直後に正解を言い直しても、正解とは認められず相手チームに解答権が移る。。
  • 5秒を超えたり、不正解の場合は「ピンポン」と2音のチャイムが鳴って相手チームに解答権が移り、同じ要領でキャプテンが解答者ににヒントを出す。これを正解が出るか、最終ヒントが出るまで繰り返し、終了後に次の問題に移る。なお、10個目のヒントを出す際、司会が「最後のヒント」と言う。
  • 得点は10点から始まり、解答権が移る度に1点減っていく。正解すると司会が「そうです」などと言った後に観客から拍手が起き、その時の得点がチームに加算される。また、チャイムの音と同時に正解を言うと、司会が「ピンポン同時、認めます」または「ピンポン同時、結構です」と言って正解扱いとなるが、完全にチャイムの鳴った後に正解を言っても、正解とは認められずに相手チームに解答権が移る。また、答えが略語で、解答の正式名称を答えると、司会が「○○と××、どちらでも結構です」言って正解になる場合があり[2]、逆に余計な言葉を付ける、言葉足らずで不正解になる場合がある[3]。なお、観客には正解が教えられており、正解に近い解答が出ると、チャイムの後に観客から拍手が起き、やや惜しい解答で小さな拍手、非常に惜しい解答で大きな拍手が起こり、解答者にとって大きなヒントとなる。
  • キャプテンが一語でないヒント、答えの漢字と1字でも重なるヒント、正解と同じ意味の言葉でのヒントを出して正解が出た場合は違反ヒントとなり、司会の裁量で獲得得点が半分に減らされる(得点が奇数の場合、端数は切り上げあるいは切り捨てとなり、1点の場合は0点となる)。名詞以外の言葉(動詞、形容詞や、助詞のついた言葉など)も違反ヒントとなり、例えば「机」が正解で、解答者が「デスク」と答えて不正解となった場合、相手チームのキャプテンが「日本語」というヒントを出すのは違反ではないが「日本語」と出すと違反となる。加藤芳郎は正解が出ずに煮詰まった際、意図的に違反ヒントを言い(「手塩」のヒントで「足砂糖」、「逆立ち」のヒントで「足上頭下」など)、観客を笑わせて会場を盛り上げるのがお約束だった。
  • 本来の解答の同音異義語(またはそれに近い言葉)を連想させるようなヒントは違反ヒントにはならない。実例を挙げると、ワンワンコーナーで「かちかち」が解答の時のヒントが「負け」(対義語の「勝ち」を連想させるヒント)であったことや、一般問題で「快刀乱麻」が解答の時のヒントが「問題用紙」(「解答欄」を連想させるヒント)であったこともある。
  • 出題時にがテロップ表示されるが、「ワンワンコーナー」終了後の後半戦は、司会者が「ここからは画面に字幕を出しません。テレビをご覧の皆様もご一緒にお楽しみください」と言い、正解のテロップの代わりに四角枠に「?」と表示される(後にスリーヒントコーナーも同様となる)。

クイズの内容

  1. オープニング・司会、解答者、アシスタント紹介
  2. 一般問題(15問出題)
  3. 3ヒントコーナー(男女1問ずつ、計2問出題)
  4. 勝ち抜きゲーム(男女対抗戦、5人抜きで勝ち)
  5. ワンワンコーナー(5問出題)
  6. 一般問題(時間まで、TVの前に答えの字幕が出されない)
  7. 1分ゲーム(男女1ゲームずつ、計2ゲーム出題)
  8. 総合得点を発表・エンディング

一般問題だけでなくさまざまなコーナーがあった。なお、4の「勝ち抜きゲーム」は放送初期の頃は無く、途中から追加された。逆に3の3ヒントコーナーは放送終了の半年前に終了となった。

3ヒントコーナー
男性軍・女性軍に1問ずつ問題が出される。キャプテンが3つのヒントを出し、チーム全員で相談して連想される言葉を当てる。通常の問題と異なり、ことわざ・四字熟語・俳句・歌のワンフレーズが出題される。正解で10点、不正解で相手チームに解答権が移り、キャプテンが新たな3ヒントを出題、正解で5点、さらに不正解は両者0点となる。
勝ち抜きゲーム
男性軍と女性軍の1対1の対抗戦。問題の言葉にある共通点がある「隠しテーマ」と呼ばれる物があり、男性軍は夏みかん、女性軍はりんごの置き物を持ち、負けるとみかん・りんごをテーブルに置く。最初の解答者はキャプテンが1・3・5枠のレギュラーのいずれかを指名、解答者の交代は1・3枠の場合は席の並び順、5枠は4枠から逆に交代する。1回勝負がつくごとに、次回からは負けたチーム(放送では「挑戦者」と表現)が先攻になる。両チーム正解が出なかった場合、解答者はそのままで次の問題の先攻権が入れ替わる。先に5人勝ち抜いた方が勝ちとなる。得点は勝ち負けに関わらず、夏みかん・りんごの置き物×10点で、違反ヒントがあれば1問につき5点減点、ただしそれによって勝敗が覆ることはない。また1990年9月12日放送分から違反ヒントなしで連続3人勝ち抜くと、メロン賞で30点加算されるルールも追加された。なお、解答者以外(順番待ちをしているメンバー)は隠しテーマを考える相談は可能である。坪内ミキ子水島裕山形由美江守徹等がパーフェクト(相手チームを5人ストレートで勝ち抜け)を達成したことがあり、白組4連敗で最後の解答者だったなかにし礼が1人で5連勝する大逆転劇をしたことがある。
ワンワンコーナー
答えが「ワンワン」「ニャンニャン」のように繰り返しの言葉をとなり、一般問題と同じ要領で当てる。それから派生したクイズで「めちゃくちゃ」「のらりくらり」など、一字違いの繰り返し言葉を当てる「ワンニャンコーナー」というコーナーもあった。
1分ゲーム
後半戦の問題終了後にピンポン音が連続で鳴ると、司会者がタイマーを出し(末期はタイマー盤面に赤い発光ダイオードが付き、タイマーの針の動きと連動し点灯していた。復刻版でも同じ仕様だった)、スタートの合図でタイマーを作動させゲームがスタートした。0.5秒刻みでトントンと音が鳴り、1分経つとジリジリとベルが鳴る仕組みになっている。
テーマに沿った言葉を16問(末期は13問)出題する[4]。制限時間1分の間にリレーでどれだけ多く正解できるかを競う。逆転を賭けた番組のラストコーナーだった。
得点の多いチームが先攻、同点の場合は、キャプテンのじゃんけんで勝った方が後攻となり、後攻は先攻の問題を見て問題の傾向を予測していた[5]
それぞれのチームのアシスタントが、解答者の後ろで答えの書かれたフィリップを紙芝居の様に掲げ、キャプテンはそれを見ながらヒントを出す。正解すると1枚ずつ捲っていき、次の解答者の後ろに移動していた。5枠から1枠へは走って移動していた。
正解すると、解答者がだるまパネルを1個置く[6]。得点は、正解のだるま1個につき10点、違反ヒントが出ると1問につき5点減点される。キャプテンがうっかり答えを言ってしまった場合や、その問題を本来答える人でなく、他の人が答えてしまった場合は0点となる。答えが分からなければパスもでき、キャプテン、解答者どちらでも可となる。全問正解、かつ違反ヒントなしの場合はボーナス50点が加算される。キャプテンが間髪を入れずにヒントをどんどん出さなければならないため、他のコーナーより違反ヒントが出やすかった。終了後、司会者が解答及び違反ヒントの有無を確認。その後、違反ヒントが無い場合に司会者から発せられる「違反ヒントはありません!」は番組を代表する決め台詞となった。
時間内に全部答えが出た場合、タイマーの刻む音は消えるが秒針は1分経つまで回り続ける。画面は縦2分割になっており、半分は答えている解答者、もう半分はキャプテンを映している。残り15秒位になると、キャプテンの映像が残り時間を示すタイマーに切り替わる。

歴代司会者

司会はNHKアナウンサーが担当した。

  • 初代:青木一雄…1968年4月 - 1969年3月 (『みんなの招待席』のコーナー時代)
  • 2代目:野村泰治…1969年4月 - 1970年3月
  • 3代目:井上昌巳…1970年4月 - 1972年3月
  • 3代目:中江陽三…1972年4月 - 1974年3月
  • 4代目:加治章…1974年4月 - 1978年3月
  • 5代目:川野一宇…1978年4月 - 1981年3月
  • 6代目:松平定知…1981年4月 - 1984年3月 (1分ゲームを始めるとき「よーい、ダーン!」という言い方だったのが、当時のNHK局アナとしては珍しかった)
  • 7代目:吉川精一…1984年4月 - 1987年3月
  • 8代目:佐藤充宏…1987年4月 - 1989年3月
  • 9代目:徳田章…1989年4月 - 1991年3月

2003年3月27日放送の『連想ゲーム スペシャル』では、徳田が司会を担当した。また、2005年5月16日放送の『きよしとこの夜』の1コーナーの中でも復活し、徳田は司会とキャプテン(その日のゲストガッツ石松への出題)を兼任した(もう一方のキャプテンはグッチ裕三だった)。

出演者

スタート当初は紅白ともにキャプテン席+4枠ずつの設定で、レギュラー出演者も両軍のキャプテンのみであったが、1970年以降、紅組は小山明子中村メイコロミ山田うつみ宮土理ほか、白組は牟田悌三小沢昭一長門勇桂米丸山田吾一杉良太郎らが準レギュラー格として出演するようになり、徐々に各枠の出演者が固定されるようになり、1972年4月に1枠増員されたのを機に、キャプテン席+レギュラー4枠+ゲスト1枠(1973年4月からはキャプテン席+レギュラー3枠+ゲスト2枠)の形式が定着した。

歴代キャプテン

紅組キャプテン

白組キャプテン

  • 初代:加藤芳郎 - 「みんなの招待席」の1コーナーとしてスタートした当時にキャプテンを担当。その後、一旦降板するも、1970年4月から再度登板。以降、番組終了まで約20年にわたり出演を続け、同番組の「顔」と言える存在であった。自身が出演した養命酒山一證券のCMでも、この番組を連想させるようなストーリーで制作されたものもあった。
  • 2代:小沢昭一 - 1969年4月〜1970年3月(スケジュール上の都合で不在の際には三遊亭小圓遊が代理キャプテンを担当)
  • 3代:加藤芳郎 (病気等で不在の時は当時1枠解答者だった三橋達也渡辺文雄が代理を務めた)
  • 復刻版:春風亭小朝

その他のレギュラー解答者

初期(レギュラー不在時代)の主な準レギュラー出演者

紅組レギュラー

  • 小山明子-1枠。1972年4月〜1973年3月出演(不在時は内海好江らが代行)。
  • 安達曈子(華道家)-1枠(小山の後任)。1973年4月〜1975年4月出演(安達降板→ロミ・坪内起用までの1枠は原則として3枠の檀ふみ・5枠の水沢アキが代行、空白になった3枠(または5枠)は一時的にゲスト枠となった)。
  • ロミ山田-1枠(安達の後任)。うつみ宮土理・和田アキ子の代役を経て、1975年11月〜1978年3月出演(坪内ミキ子と原則隔週交代で出演。尚、1977年1月〜3月までは出演せず、坪内が毎週出演)。
  • 坪内ミキ子 - 1枠(安達の後任)。1975年11月〜1988年3月出演。(当初はロミ山田と原則隔週交代で出演→1978年4月より毎週出演)。
  • 市毛良枝 - 1枠(坪内の後任)。1988年4月〜1991年3月出演。
  • 高田恭子-4枠。1972年4月〜1973年3月出演(不在時はちあきなおみが代行)。
  • 菊容子-3枠。1972年4月〜1973年3月出演(不在時は松坂慶子らが代行)。
  • 和田アキ子-5枠(うつみの後任)。1973年10月〜1974年8月出演(和田降板〜木原起用までの間は木の実ナナ・木原光知子らが数組のタレントが週替りで出演)。
  • うつみ宮土理-5枠。1972年4月〜1973年9月出演(不在時は土田早苗・ロミ山田らが代行)。
  • 檀ふみ - 3枠(菊の後任)。1973年4月〜1988年3月出演(1985年1月〜3月までは出演せず。その間は和田アキ子浅茅陽子など週替わりゲストが3枠解答者として出演)
  • 木原光知子-5枠(和田の後任)。1974年11月〜1975年10月出演(正式にレギュラーとして昇格したのは1974年11月〜)。
  • 水沢アキ -5枠(木原の後任)→キャプテン。1975年11月〜1979年3月出演。
  • 岡江久美子 - 5枠(水沢の後任)。1978年4月〜1983年3月出演。この番組がきっかけで大和田獏と結婚した。
  • 中井貴恵 - 5枠(岡江の後任)。1983年4月〜1987年9月出演(中井降板〜田中起用までの間は大地真央鳥居かほり新井春美手塚理美が原則1ヶ月交代で5枠解答者として出演)。
  • 大地真央-5枠。1987年10月〜11月出演(中井の代理)。
  • 鳥居かほり-5枠。1987年11月〜12月出演(中井の代理)。
  • 新井春美-5枠。1987年12月〜1988年1月出演(中井の代理)。
  • 手塚理美-5枠。1988年1月・3月に出演(中井の代理)。
  • 山形由美(フルート奏者) - 3枠(檀の後任)。1988年4月〜1991年3月出演。
  • 田中理佐(現・石原伸晃夫人) - 5枠(中井の後任)。1988年4月〜1989年10月出演(田中降板〜中村起用までの間は山口智子若村麻由美川上麻衣子らゲスト解答者が5枠解答者として出演)。
  • 中村あずさ - 5枠(田中の後任)。1990年1月〜1991年3月出演。

白組レギュラー

  • 田崎潤 - 1枠→3枠(1973年4月より三橋と枠交換)。いつも非常に大きな声で解答するため、田崎の解答者席にはマイクを置いていなかった。1972年4月〜1979年3月出演(1975年1月〜3月までは三橋と原則隔週出演)。
  • 三橋達也 -1枠(田崎と枠交換)。1973年4月〜1979年3月出演(1975年1月〜3月までは田崎と原則隔週出演)。前述のとおり、加藤キャプテン不在時は代理でキャプテンを務めた。
  • 渡辺文雄 - 1枠(三橋の後任)。1979年4月〜1988年3月出演。三橋と同様に、加藤キャプテン不在時は代理でキャプテンを務めた。
  • 江守徹 - 1枠(渡辺の後任)。1988年4月〜1991年3月出演。大袈裟なフリで考えるだけ考えて答えが出ない姿が印象的で、週刊少年ジャンプの読者投稿ページ『ジャンプ放送局』でもネタにされていた。2006年12月30日にBS2で放送された『週刊お宝TVスペシャル』でゲスト出演した際、この番組が再現され、この時はキャプテンを務めた。
  • 山田吾一-3枠。1972年4月〜1973年3月出演。
  • 杉良太郎-5枠。1972年4月〜1973年3月出演(不在時は渡辺篤史らが代行)。
  • 内田喜郎-4枠。1972年4月〜1973年3月出演(その後も坂本九の代役としても不定期出演)。
  • 坂本九-5枠(杉の後任)。1973年4月〜1975年10月出演(1974年8月〜9月は出演せず。その間は田中星児・内田喜郎らが代役として出演)
  • 沖雅也-5枠(坂本の後任)。1975年11月〜1976年4月出演。
  • 大和田獏 - 5枠→3枠(田崎潤の後任)。1976年4月〜1988年3月出演。加藤から「バクちゃん」と呼ばれていた。
  • 蟇目良 - 5枠。1979年4月〜1981年1月出演(3枠に移った大和田の後任)。
  • 田山雅充 ‐ 5枠。1981年1月〜3月出演(蟇目降板〜水島起用までの繋ぎで出演)。
  • 水島裕 - 5枠。1981年4月〜1988年3月出演(蟇目の後任)。いつも自信を持って解答し、それでいて間違えることも多かったので「自信を持って間違える」と最初の紹介で言われていたこともあった。またメンバー紹介における大きな高い声の「こんばんは!」という挨拶も特徴。
  • 辰巳琢郎 - 3枠(大和田の後任)。1988年4月〜1991年3月出演。(不在時は宅麻伸が代行)
  • 宍戸開 - 5枠(水島の後任)。1988年4月〜1991年3月出演(不在時は林家こぶ平が代行)

その他

  • 得点板は、各チーム3桁の6×9の電球で表示され、白組が青、紅組がピンクで表示される。各チームの得点板の周りには、10から1の数字のランプがあり、解答権のあるチームが獲得できる得点を表示していたが、番組終了直前の後期では、司会者席の下に獲得得点板を装備、得点板の周りに解答権のあるチームカラーのランプが点灯され、紅組はピンク、白組は水色のランプが点灯する。また、得点板の周りに豆電球がフラッシュする電飾があり、オープニングとエンディングで点滅しているが、後期の司会者席の獲得得点板になって、得点板の周りの10から1のランプが無くなると、電飾の数が増やされた。
  • 白いロングブーツを着用した女性のアシスタントが2人いて、前述の1分ゲームで正解を書いたパネルを掲げるほか、勝ち抜きゲームの小道具を用意したりなどしていた(ただし、椅子は5枠レギュラーの解答者が出していた)。松平の頃から、出演者紹介の後でアシスタントも名前を紹介されるようになった。
  • 佐藤の頃から司会者・キャプテン・解答者のネームプレートが置かれる様になる。
  • 得点は、1度獲得点数を表示させてから合計得点が表示される(電卓のような表示方法。3ヒントコーナー、勝ち抜きゲーム、1分ゲームは番組最後までこの表示方法)。後に獲得点数が司会者のテーブル表示になってからはダイレクトに合計得点が表示される(それと同時に獲得点数の表示も消える。転送のような感じである)。
  • 勝ち抜きゲームは全体で1問とされる為、コーナー終わり後のワンワンコーナーの最初は「第19問」とされる。つまり一般問題15問、3ヒントコーナーは男女別2問で16問目・17問目、勝ち抜きゲームは全体で18問目となる。
  • キャプテン・レギュラー解答者ともに、レギュラー出演中は番組から「他のクイズ番組に出演しないように」と通達を受けていた。
  • 視聴者から「(1分ゲームの)タイマーの針がずれている」の意見があり、それ以来ゲームに入る前は司会者がタイマーの針を直すようになる。
  • 1分ゲームの加藤の似顔絵パネルが青だった時期があった。藤田弓子HPプロフィール内の主な出演作品欄に連想ゲームの写真があり、そこで確認できる。
  • 1分ゲームで時間切れになったときの問題にちょうど「降参(こうさん)」と書かれたパネルがあり、加藤の要望でそのパネルを持っているアシスタントから渡され、加藤が自ら「降参」のパネル持って敗北宣言する一幕があった。この日の放送は女性チームが勝ったためまさに文字通りの結果となった。
  • 漫画家柴門ふみは、この番組に出演して誤答をしたことを、夫の弘兼憲史や子どもからも「あの解答はない」と詰められ、初期のエッセイではよく「もうテレビには出たくない。漫画家はテレビに出ない方がいい」と語っていた。

番組終了後

  • 2003年3月27日に、NHKテレビ放送開始50年を記念して復活版『連想ゲーム スペシャル』が放送された。「1分ゲーム」(問題は最末期と同様13問)で1問正解出た場合は、キャプテンの似顔絵が描かれただるまパネルではなく、両チームともどーもくんのぬいぐるみが置かれ、このときは男性チームの勝利だった(結果は367対307)。なお、放送時間は45分間だった。問題は前半戦では本放送時の15問から25問に、3ヒントコーナーが本放送時の2問から4問に、ワンワンコーナーが本放送時の5問から10問にそれぞれ増やして行われた。
    • なお、BS2でも2003年3月に『今夜復活 連想ゲーム 私の秘密』の中でも放送されている(内容は地上波と同様)。
  • 2003年4月13日から1年間、BS2で『アーカイブス・連想ゲーム』(字幕放送あり)として過去の放送分からピックアップして放送された(放送時間は毎週日曜21:20 - 21:50。ただし、月2本のペースでの放送だったため、特番などで放送されない週もあった)。全20回の放送で初回のみ1986年分だったが、2回目以降は1989 - 1990年収録分からの再放送だった。
  • 2005年5月16日には、バラエティ番組『きよしとこの夜』の1コーナーとして復活した。
  • 2006年11月5日、BS2で放送された『ザ少年倶楽部』で「ひらめけ言葉当てゲーム」として本家・連想ゲームの「勝ち抜きゲーム」を基にしたクイズが行われた。内容は基本的に勝ち抜きゲームと同じである。相違点は、負けた場合に置く「りんご」と「みかん」の飾り物が「どーもくん」と「ななみちゃん」の人形になっていた点である。
  • 2009年8月6日(8月5日未明)、特番として放送された『アルクメデス』で、パロディー版「ほうれんそうゲーム」なるものが放送された。これは緑黄色野菜根菜に分かれてのもので、司会の「ホウレンソウアナウンサー」の声は本家でも司会をした徳田が務めた。2010年7月 - 9月のレギュラー放送でもこのコーナーが放送された。ピンポン音は本家のものよりも音程が低めになっている他、得点版は電光表示板ではなく、デジタル(セグメントディスプレイ)表示になっている(ミニチュアサイズで撮影しているためか本家にあった得点版周りの数字のランプといったものは無かった)。

番組の保管状況

放送開始当時、放送用ビデオテープが高価であったことと当番組の保存価値の按分により、しばらくの間、当番組のビデオテープは放送終了後、消去されて使い回された。そのため、NHKアーカイブスで保存されている当番組の放送用ビデオテープは、1984年5月23日放送分が最古である。以後1986年が3本、1988年が4本、1989年から同年3月まで3本存在。以降、同年4月26日放送分から放送終了まで、およびその後の復活版等は全放送分が保管されている。1986年放送分で残存する内1本の3月12日放送分については、全国にあるNHKアーカイブス公開ライブラリーにて観ることができる。2014年2月現在、現存する放送分は94回分である[7]

このうち、1986年12月3日放送分については元々NHKには残っておらず、2009年10月に新潟県在住の視聴者が録画していたテープから発掘され、その視聴者より寄付されたものである[8]

関連商品

ゲーム
ゲーム独自のルールが多い。ターンする回数に関係無く1問正解につき10点、1回目のヒントで正解すると20点が加算。3ヒントコーナーでは順番に関係なく両チームの早押しクイズとなる。1分ゲームでは全8問ですべて正解すると、80点とボーナス30点が加算される。登場する司会とキャプテンはオリジナルキャラクターである。番組セットデザインは1988年以降の末期のものを再現し、テーマ音楽も1988年4月のステレオ放送開始にあわせたアレンジ版とほぼ同じである。

脚注

テンプレート:Reflist

外部リンク

テンプレート:前後番組
  1. ○○さんは最初の解答者、××さんはその相手側。1問目から5問目まではフルネームで読み上げ。6問目以降も同じ苗字がいる場合はフルネームか下の名前のみ読み上げていた。
  2. 答えが「ファックス」で、解答者が「ファクシミリ」と答えても正解扱いとなる。
  3. 答えが「司会」で、解答者が「司会者」と答えると不正解となる。逆に答えが「舶来品」で、解答者が「舶来」と答えると不正解となる。
  4. 傾向として1.特定の漢字で始まる言葉(例:白組は「若」、赤組は「新」で始まる言葉)、2.特定の1字(もしくは2字)で始まる言葉(例:白組は「マ」、赤組は「ロ」で始まるカタカナ言葉)が大半である。稀に両チームが同じ特定の漢字で始まる、しりとりで繋がっているパターンもあった。
  5. 先攻が特定の漢字で始まる問題なのに、後攻が特定の1字で始まるといった問題の傾向がいきなり変わることはない。
  6. 赤組は赤色、白組は白色であった。解答者の机の下に入っていて、そこから解答者自ら出す。後にキャプテンの似顔絵パネルとなる。
  7. 発掘番組リスト
  8. 2010年初めに印刷されたNHKアーカイブス発行のパンフレット「お宝発掘キャンペーン第2弾」の「これまでの「発掘」例」の項目に掲載されている。