小林千登勢

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小林 千登勢こばやし ちとせ1937年2月13日 - 2003年11月26日)は、女優タレント。本名は山本 千登勢(やまもと ちとせ)。夫は俳優山本耕一。愛称は「おっかさん」である。

人物・経歴

朝鮮京畿道京城府(現:大韓民国ソウル特別市)生まれ。戦後福岡県八幡市(現:北九州市八幡東区)に引き揚げ、後に東京に移る。

共立女子高等学校卒業。

高校卒業後、文学座の研究生となり、1958年にNHKと専属契約を結ぶ。以後、『輪唱』『伊豆の踊り子』『廃市』など、多くのテレビドラマに出演。清純さの中にどこか哀愁を漂わせた美貌で人気を集め、馬渕晴子冨士眞奈美とともに「NHK三人娘」としてテレビ草創期のスターとなった。

1965年に、山本耕一と結婚し、「おしどり夫婦」としても有名であった。1972年に長女(女優の山本麻利央)を出産。フリーとなってからもテレビを中心に活躍し、1974年のNHK『鳩子の海』、1981年のTBSわが子よ』、1983年のNHK『おしん』などに女優として出演する。その一方で、75年にスタートした「おはようワイド・土曜の朝に」(朝日放送)では14年間司会を務め、またクイズ番組『象印クイズ ヒントでピント』(テレビ朝日系列)では約12年半の間レギュラー解答者を長く担当し、その飾らない人柄から「おっかさん」の愛称でも親しまれていた。また、引き揚げ体験を題材にしたエッセーや童話も発表するなど、マルチな才能を発揮した。

2003年11月26日午前0時27分、多発性骨髄腫のため、東京都内の病院で死去。テンプレート:没年齢

おもな出演作品

テレビドラマ

バラエティ

小林は前期~末期にかけて長期間出演し、多彩な博識ぶりを見せた。また司会の土居まさるからは「おっかさん」と呼ばれ、女性軍且つ番組内最大のムードメーカーでもあった。

映画

  • 人も歩けば(1960年)
  • 珍品堂主人(1960年)
  • 金づくり無法時代(1961年)
  • 江戸っ子繁昌記(1961年)
  • 寛美の我こそは一等社員(1962年)
  • 無頼無法の徒 さぶ(1964年)
  • 赤い手裏剣(1965年)
  • 孤独の賭け(1965年)
  • 拳銃は俺のパスポート(1967年)
  • 花札渡世(1967年)
  • 無頼 人斬り五郎(1968年)
  • 喜劇ソレが男の生きる道(1970年)

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著書