錦野旦

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テンプレート:存命人物の出典明記 テンプレート:Infobox Musician 錦野 旦(にしきの あきら、本名:錦野 明1948年12月14日 - )は、大分県大分市出身の歌手、タレント。A型。旧称:にしきのあきら、父・母・弟・妹の5人家族。

概要

アイドル歌手として1970年代初めから半ばにかけ、その精悍な風貌と抜群の歌唱力を武器に10代から30代の女性に人気を博す。芸能人大運動会(水泳大会含め)では野村真樹(現:野村将希)と共に抜群の運動神経を披露していた。1970年代後半は東映映画やドラマ等で活躍した。

1990年代以降はバラエティ番組で知られ、特に『ぷっ』すまでは、常人には全く食べられないハチャメチャな料理をいとも簡単に平らげてしまう事から「鉄の胃袋の持ち主」の異名を得ている。デビュー当時はレコード会社と所属事務所の方針により昭和26年(1951年)生まれとされていた。

経歴

大分県立芸術短期大学附属別府緑ヶ丘高等学校在学中は体操オリンピック選手を夢見て血の滲む様な練習に励んでいたが体格が体操に相応しくないことを悟り、1967年春の卒業と同時に社交ダンスの先生である父に紹介された別府ナイトクラブ『ナポリ』でトランペット第三奏を吹いたり、コンボ編成のベースを奏いたり、時折唄っていた、そんなある日、森進一を発掘した鹿児島市天文館の『キャバレー・エンパイア』の吉井社長がたまたま『ナポリ』へ遊びに来ており、『柳ヶ瀬ブルース』を唄い終わった明に『うちへ来て歌わないかね?』と持ちかける、『エンパイア』の専属になって3ヶ月後には浜口庫之助を紹介され上京、赤坂にあった浜口の自宅マンションで住み込みの運転手をしながら猛レッスンを積み、やがて浜口の事務所であるミュージック・ショップに籍を置き、1970年5月1日芸名「にしきのあきら」としてCBSソニーより「もう恋なのか」でデビュー[1]。デビュー後は世田谷区駒沢の今村マネージャー宅の4畳半で下宿生活を始める[2]。ちなみにキャッチフレーズ「ソニー演歌の騎士(ナイト)」であった[3]、同曲は第12回日本レコード大賞最優秀新人賞を受賞。同年、NHK紅白歌合戦に初出場。ブロマイド年間売上実績で第1位を獲得。翌年に「空に太陽がある限り」がオリコン3位の大ヒット。

以後も高いアイドル人気を保持しヒット曲を放つものの、1976年にそれまで連続出場していた紅白歌合戦に落選。 翌1977年10月15日、ポルノ女優から大麻を譲り受けた疑いによって大麻取締法違反で逮捕された[4]。さらにマネージャーが勝手ににしきの名義で多額の借金を作り失踪した。

1990年代になって、ドラマ「雪の蛍」(東海テレビ)に出演し、俳優としても開花する。それを皮切りにアニメ『ちびまる子ちゃん』や『ビートたけしのお笑いウルトラクイズ』で意外な注目を集め、その後『とんねるずの生でダラダラいかせて!!』では、福澤朗から裏スターとして弄られ(その際の本当のスターは神田正輝)、これを契機に「スターにしきの」のキャラクターで再び脚光を浴びるようになってゆく[5]

めちゃ×2イケてるッ!」の企画「イケてる!日本(世界)新記録」でも体を張ったチャレンジを見せ、「ミラクル」と呼ばれた数々の珍プレーを続出、共演者たちに「さすがスター」と言わしめた。2003年5月17日放送の単位上等!爆走数取団では、相撲の際に爆竹を使用し、関取団を怒らせたことがある。

50歳だった1999年には、『24時間テレビ 「愛は地球を救う」』(日本テレビ系)で、同番組の目玉企画「チャリティーマラソン」に当時の史上最高齢ランナーとして挑戦し、見事に完走。翌年以降もランナーであった縁から同番組に多く出演しており、後輩のランナーに完走のコツを伝授している。

2000年、芸名を「錦野旦」と改め、テレビ番組映画舞台で活躍。

結婚を二度経験。1980年に女優武原英子と結婚、二人の女児を授かるが武原は1996年12月18日乳癌により他界(享年50)。その後2000年3月3日客室乗務員勤務歴のある錦野の個人事務所の専務をしていた力丸ヒロ子(通称:力丸専務(りきまる・せんむ))と入籍・再婚(公表は8月)。

近年は妻・力丸専務ともどもロトナンバーズの高額当選(特に力丸専務)を続出させたことが話題となり、宝くじ必勝対策の月刊誌ロト・ナンバーズ「超」的中法に連載のレギュラーを持ち、多くの読者の支持を得ている。

2007年放送の「田舎に泊まろう」において、漁師の家庭に宿泊させてもらいながら「漁師は魚を捕るだけだから楽、自分はお客さんを相手にしているから大変」と非常識な発言をし、批判された。

2007年9月20日放送の『上沼恵美子のおしゃべりクッキング』(ABC)出演中に中華料理の先生(宮崎耕一)に対して「(先生の)子供は日本人名で?」と発言し上沼恵美子に「何言ってはりますの、先生は日本人ですよ」と呆れられる。

2007年11月29日放送の『モクスペ「世界のすんごい1位とすんごいビリを全部見せちゃいます!スペシャル」』(日本テレビ)では、『ねがい』をフルコーラス(演奏時間は11時間39分22秒)で熱唱した。フルコーラスを歌いきった錦野は新たに詞を作り、その詞は1023番目として追加された。

2009年4月5日放送の『DOORS 2009春』(TBS)では、各アトラクションに果敢にチャレンジし、とても60歳とは思えない俊敏な動きを見せ、共演者を驚かせた。また、2008年・2009年には『24時間テレビ』で津軽海峡をリレーで泳ぎ渡るチャレンジを行っている。

韓国系日本人

1961年、家族と共に朝鮮籍から日本に帰化[6]。アイドルとして人気絶頂にあった1972年、自身が帰化した韓国系日本人であることを週刊誌で公表している。「全アジアはひとつだと思っているし、秀吉の侵略以来自分たちは被害者なのだから、なぜ隠すのかよくわからない、隠す必要もないしわざわざ言うこともない、普通にとってくれればいい」と言う。「過去、文化的に優位にあった朝鮮半島の出自であることに優越感を感じる」とも言っている。一方で1970年山村政明(帰化した早稲田大学学生)の焼身自殺は、直後に起きた三島由紀夫の死よりも衝撃だったと言う。錦野自身は帰化について、その国で生まれ、仕事をし、その国で死んでいくつもりなら、当然すべきことであると考えている[7]

主な作品

シングル

  1. もう恋なのか (1970.05.01)→デビュー曲。
  2. 愛があるなら年の差なんて (1970.09.21)
  3. 空に太陽がある限り (1971.03.01)→代表曲、90年代には再録もされた。
  4. 熱い涙 (1971.06.01)
  5. 心に火をつけて (1971.09.21)
  6. 愛をありがとう (1972.01.21)
  7. マミー・ブルー (1972.04.21)
  8. 嵐の夜 (1972.05.01)
  9. 夢ならさめて (1972.08.21)
  10. 城ヶ島慕情 (1972.11.21)
  11. 僕はおまえが好きなんだ (1973.03.21)
  12. ピポピポ旅行 (1973.04.13)→『走れ!ケー100』主題歌
  13. 僕はもう泣かない (1973.07.01)
  14. はじめは片想い (1973.09.01)
  15. 太陽への挑戦 (1973.12.05)
  16. 青春の条件 (1974.03.01)
  17. 花の唄 (1974.07.01)
  18. 愛のぬけがら〈花に別れを〉(1974.11.01)
  19. 罪の色 (1975.05.01)
  20. 赤い恋のバラード(1975.09.21)
  21. 悪人志願 (1976.01.21)
  22. 風の街 (1976.06.21)
  23. 遠い灯り (1976.10.21)
  24. がんばれ元気 (1977.05.21)
  25. 黄昏みたいに暗い朝 (1977.10.21)
  26. 想いでのブルー・レイン (1981.05.21)
  27. ビギン・ザ・ビギン (1982.06.21)
  28. Viva Korea Dreaming 88 (1985.04.21)→チョン・スラの代表曲「ああ、大韓民国」の日本語カバー、チョン・スラとのデュエット
  29. ヨコハマ・ワルツ (1994.03.21)
  30. 熱い炎-スターライト・サンバ- (1998.06.26)
  31. 月の庭 (1999.03.26)
  32. Latin Lover (2002.06.26)
  33. 情熱のスタア・ディスコ/ガラスの部屋 (2009.12.16)

映画

テレビドラマ

NHK紅白歌合戦出場歴

年度/放送回 曲目 対戦相手 備考
1970年(昭和45年)/第21回 もう恋なのか 西田佐知子
1971年(昭和46年)/第22回 2 空に太陽がある限り ピンキーとキラーズ
1972年(昭和47年)/第23回 3 嵐の夜 渚ゆう子
1973年(昭和48年)/第24回 4 はじめは片想い 天地真理
1974年(昭和49年)/第25回 5 花の唄 あべ静江
1975年(昭和50年)/第26回 6 赤い恋のバラード 森昌子

その他の番組

他多数

CM

その他

脚注

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関連項目

  • 高橋徹郎 - 福岡で活躍するローカルタレント。彼も「スター」と呼ばれており、実際に共演もしている。彼の妻は錦野の親戚にあたる。
  • 安永航一郎 - 単行本『県立地球防衛軍』の作者ページによると、錦野は中学の先輩らしい。

外部リンク

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  1. 以上は近代映画 近代映画社 1970年9月号 80-81頁。
  2. 近代映画 近代映画社 1970年12月号 36-37頁。
  3. 近代映画 近代映画社 1970年7月号 132頁。
  4. 村野薫『明治・大正・昭和・平成事件犯罪大辞典』、東京法経学院出版、2002年、217頁。
  5. この番組では数々のドッキリにハメられ、レギュラー出演者であった勝俣州和曰く「全力で仕事をやるため、ドッキリだと疑うことが全く無かった」「ドッキリ直後は怒るが、自分の曲が流れると熱唱して、怒っていたことも忘れていた」。この事について錦野は「仕事を頂ける事に感謝をしているのでドッキリだと疑うことはしない」とコメントしている。
  6. 官報第10355号 昭和36年6月28日
  7. 野村進『コリアン世界の旅』第一章