ザ・ワイド

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テンプレート:複数の問題 テンプレート:基礎情報 テレビ番組ザ・ワイド』(英称:THE WIDE)は、日本テレビ系列で、1993年4月5日から2007年9月28日(3650回)(後述)まで放送されたワイドショー番組日本テレビ読売テレビの共同制作番組。生放送ハイビジョン制作(地上デジタル放送のみ)。

番組開始当初からロゴやテロップなどでのタイトルの表記は「THE ワイド」、スタジオのセットの中の司会者席の後方にあるタイトルの表記は「THE WIDE」、番組表のタイトル表記は「ザ・ワイド」となっている。

概要

放送形態

放送時間は - 金曜日の13:55[1](番組本編は13:57スタート) - 15:50(JST)で、港区東新橋(汐留)にある日本テレビ社屋「日テレタワー」のS4スタジオから放送していた[2]。また、前座番組『午後は○○おもいッきりテレビ』終了後の13:53.45から15秒間の生放送予告(ジャンクション)を行っていた。

また、1996年から2000年9月まではCS★日テレでも放送され、地上波での非ネット地域でも視聴可能だった(CS★日テレでは芸能ニュースなど一部コーナーを権利の問題などでフィラーに差し替えられていた)。

年内の放送は通常12月28日仕事納めの頃で終了していた。また、新年は通常1月4日に12:00からの4時間に拡大した新春スペシャルを放送していたが、2007年の同日は『おもいッきりテレビ』が(録画だが)通常放送されたため通常の13:55からの放送となった。その後、5日8日全国高等学校サッカー選手権大会の中継で休止していた(それ以前にも1月上旬に同番組のため休止となった時期があった)。

出来事

  • 番組開始当初は、統一教会を巡る霊感商法など一連の社会問題で、新体操選手として活躍していた山崎浩子がテッシー(一般人)と呼ばれた統一協会信者との合同結婚式参加でのXデー報道が各局で連日報道される中、かつて自身も信者であり脱会した当時女性司会者の飯星景子との独占インタビューを放送した。揺れ動いていた山崎は飯星の説得によりその後統一協会を脱会し、テッシーとの婚約破棄に至った。
  • 開始当初の約1年は、日テレ(当時は麹町)と読売テレビのスタジオを2元中継で結ぶという体裁をとっていた。このうち、読売テレビからのパートは、「2時のワイドショー」「Beアップル2時!」を源流とする「サロントーク型ワイドショー」を系譜する内容になっていたが、後述の重大事件が相次いだことから、芸能・ジャーナリズム路線が主の日テレ系のコーナーに時間が割かれるようになり、次第に自然消滅した(ただしその後も全国ネット終了後の10分間程度、この流れを生かしたYTV独自のコーナーはあった)。
  • 番組開始からしばらくの間はエンディングで視聴者プレゼントのコーナーがあった。中でも、放送開始2回目から1年少し程度の期間は終了間際に前日の視聴率を報告すると共に当日の視聴率を当てるクイズを放送(「おばあちゃんのひなたぼっこ」)し、それが終了すると次は番組中の内容から出題されるクイズ(「クイズ撮って出し」)に切り替えていた。
  • 1994年に発生したオウム真理教による松本サリン事件では、第一発見者が無実である事に早い段階で気付き、アメリカから生物化学兵器の権威で軍事兵器の専門家 カイル・オルソンを呼んで立証した。
  • 1996年10月に右下に表示される3行の固定テロップのそれまでの手書き調が初めて廃止され、CGテロップになった。なお、この頃はその他のワイドショー番組でもちょうど手書き調からCGテロップに順次移行している過渡期の頃でもあった。この最初の変更以後でも、字体の変更を何度も行っていた。
  • 1997年4月、オープニングテーマが最初に変更。
  • 1999年には、浅香光代野村沙知代の確執に端を発したいわゆる「ミッチー・サッチー騒動」で、番組では野村の数々の横暴ぶりを徹底取材し、スタンスもサッチー(野村)批判に徹していた。そしてサッチー騒動が最も過熱していた時期には冒頭から1時間以上もの時間を割いて連日この件を取り上げていた。また、野村自身へのリポーターの突撃取材に対して、野村は凄まじい勢いで激怒し、リポーターに罵声を浴びせた。
  • その年の4月にはオープニングテーマも変更された。
  • 2001年4月3日事件。本項、謝罪などのエピソードを参照。
  • 2002年に女性デュオのあみん岡村孝子・加藤晴子)が、加藤がコーラスで参加した岡村のニューアルバムのプロモーションのために番組に出演し、彼女たちの大ヒット曲である『待つわ』をワンコーラス披露した。なお、これが縁かどうかは不明だが、後に岡村の『真実の泉[3]エンディングテーマに起用されている。
  • 2004年4月1日より、日本テレビと読売テレビの共同制作であった体制を、読売テレビが中心となった制作体制に移行したため、エンドロールのクレジットタイトルで読売テレビが上位にクレジットされるようになった(ただし、従来と同様に番組の進行とネットワーク配信並びに全国スポンサーのセールスは日本テレビから行われた)。
  • 2005年1月に番組開約11年9ヶ月目にして初めてタイトルロゴを変更すると共に、オープニングテーマも変更された。
  • 2006年3月21日は前の時間に生中継していた『2006 ワールド・ベースボール・クラシック 日本 - キューバ』の放送時間を延長したため、15:15からの放送となり、全編に渡って内容を変更し、同大会の試合の模様を伝えた(この日の放送時間は15:15〜16:30の75分間)。番組中には大会MVPに選ばれた松坂大輔(当時西武ライオンズ)へのインタビューの生中継(聞き手は高校時代に松坂と夏の甲子園準々決勝で投げ合った日本テレビアナウンサー上重聡)も挿入された。ちなみに、この日は『WBC』からの流れにより、関東地区28.7%関西地区29.9%と、両地区ともに番組最高視聴率をマークした。
  • 2006年7月17日海の日)には、放送時間の大半を秋田児童連続殺害事件被疑者による実娘の殺害嫌疑の報道に費やし、番組の最後に同被疑者が秋田児童連続殺害事件について起訴され、被告人となったことを報じた。また、同じ海の日である翌2007年7月16日には新潟県中越沖地震の最新情報を中心に放送した。
  • 2006年9月12日には『15:30から間もなく、6日前の9月6日秋篠宮文仁親王秋篠宮妃紀子の間に生まれた親王の命名の儀が行われる』と報じたが、待っても待っても宮内庁から命名発表が届かず、出演者が本気で焦り始めるが、ついに発表なきままその日の番組報道が終了し、その数秒後に他局のNHK総合テレビが「名は親王悠仁、皇族の方々が自分の名前の代わりに身の回りの品々につける文字や図案であるお印(しるし)はコウヤマキ」と速報で発表した。その頃、日本テレビではCMの真っ最中という最悪のタイミングであったが、数秒間のエンディングの所で無理矢理テロップ文字で親王の名とお印をねじ込んだ。
  • 2006年11月23日には、不倫交際報道が報じられた杉田かおるが事実誤認を理由にスタジオに乱入するという事件が発生した。杉田はたまたま別番組の収録のために日本テレビの楽屋で番組を観ており、「草野をぶん殴る」と息巻いていたと報道された。
  • 2007年5月7日頃から1週間程、地上デジタル放送では4:3での映像放送時に左右サイドバー部分にリポーターの駒井千佳子がコラムを執筆している日テレの携帯サイト(日テレ★エンタ)の宣伝テロップが常時表示された。
  • 2007年5月30日には、藤原紀香&陣内智則結婚披露宴直前スペシャルとして、披露宴会場近くの神戸メリケンパークオリエンタルホテルに特設スタジオを設置して全編生中継した(草野もこの披露宴に出席した関係から)。技術は読売テレビの本社技術スタッフが担当した。なお、披露宴の模様は19時から単発特別番組扱いで放送された。
  • 2007年9月12日は番組開始の約1時間前に当時内閣総理大臣であった安倍晋三(後に安部は内閣総理大臣に再登板)の辞任表明のニュースが飛び込んだため、急遽全編をこの内容に変更した。なお、本来は午前中に秋田地方裁判所で行われた「秋田児童連続殺害事件初公判」を放送する予定だった。
  • 2007年9月28日、最終回を迎えた。番組ラストで草野から視聴者に感謝の言葉が述べられた。なお、歴代の女性司会者であった飯星(初代)、勝恵子(二代目)は登場しなかった。

謝罪などのエピソード

  • 2001年4月3日事件。「森喜朗総理大臣(当時)が辞任しないのは、任期を延ばすことで退職金を多くもらうためだ」という週刊誌記事を番組で紹介し、記事を書いた税理士にインタビューを入れた映像を放送した。この時、「総理大臣の退職金は1年以上務めないと支給されないから、総理就任1年目にあたる4月5日まで辞めないのではないか」と報じたが、実際は退職金は在職6ヶ月以上でも支給されるので、退職金算定の仕組みについても誤認があった。番組は自民党内部などから強い抗議を受け、翌日の放送で謝罪した。
  • 2004年12月奈良県内で発生した少女誘拐事件の犯人に対して、市川が「犯人に言いたいのは今度やったら絶対捕まるぞ、と。捕まりたくなかったら絶対にやるな」という発言をし、1時間程してから謝罪が入った。草野が「先程誤解を与えるような表現がありまして…」と言い、市川は「もちろん犯人が捕まって欲しいのは当たり前ですが、もう2度と罪を犯して欲しくないと思い、あんな表現をしてしまいました」と釈明した。この件で視聴者からは市川の行動を称える声もあった反面、元々犯罪被害者やその遺族を逆撫でする発言も多々あったので「市川の売名行為」という批判もあった。

生中継

重要なことでない限り、ほとんどがIP回線によるIP中継方式を取っている。これはワイドショー番組ということから画質性よりも情報の多様性が問われるためである。ただし、これは関東広域圏内からの中継に限ったことである。

地方局が中継する際にハイビジョン中継車で行っている場合はハイビジョンで中継することもあるが、画質は高精細のままである。ただし、晩年期はハイビジョン中継でも4:3の標準画質にカットされる場合もある。

だが、2007年春に行われた当時宮崎県知事東国原英夫とのインタビュー中継では、クロスネットの都合で本番組を放送していなかったテレビ宮崎裏送りで行ったことがある。東国原は当時テレビ宮崎の社屋の中で草野と対談した。

番組の終了

本番組は『おもいッきりテレビ』とともに2007年9月28日を以って終了した。番組開始から14年半、全3655回の放送だった。当該時間帯の視聴率1位こそ守っていたが、読売テレビが本番組の制作から完全撤退することを日本テレビ側に伝えたため、同局単独で制作費を賄うことが困難になることが最大の理由だという。

出演者

司会・ニュースコーナー・コーナー担当

「ザ・ワイド」歴代キャスター
期間 司会 ニュース コーナー担当
男性 女性
1993.4 1995年頃 草野仁 飯星景子 久能靖 (不在)
1995年頃 1997.3 後藤俊哉今井伊佐男
1997.4 1998年頃 勝恵子
1998年頃 1999.3 藤井恒久古市幸子山王丸和恵
河本香織延友陽子
1999.4 2003.12 森富美
2004.1 2004.5 藤井恒久 延友陽子 右松健太 延友陽子
2004.6 2004.12 真山勇一
2005.1 2006.3 (不在)
2006.4 2007.9 金子茂 藤井恒久 菅谷大介
備考
  • 「ニュース」は「NEWS撮って出し」を表す。同コーナーキャスターは全員、前時間帯の番組『午後は○○おもいッきりテレビ』のニュースコーナー「情報特急便」を兼務。また、金子のみ『NNNニュースダッシュ』も兼務。
  • 草野はフリー(元NHK)アナウンサー。
  • 森富美とコーナー担当者全員は日本テレビアナウンサー(後藤、今井、山王丸、河本は当時)。 
  • 久能は元日本テレビアナウンサー、報道記者。
  • 真山は当時、日本テレビ報道記者。
  • 金子は日本テレビ報道記者、元アナウンサー。
  • コーナー担当者が担当したコーナーの名称は以下の通り。
    • 1995年頃 - 1998年頃:「噂の特ダネファイル」
    • 1998年頃 - 2003年12月:「特ダネファイル」(全員、担当曜日不明)
    • 2004年1月 - 2004年12月:「もぎたてデリ」
    • 2006年4月 - 2007年9月:「ワイドニュース特捜部」→「ワイドニューストクソウ部」

リポーター・インタビュアー

コメンテーター

(曜日)は出演日

ナレーション

読売テレビ制作コーナー

司会

コメンテーター

など

コーナー

NEWS撮って出し(1993年4月 - 2007年9月)
開始当初からある唯一のコーナーで、ニュースコーナー。「撮って出し」とは本来テレビ番組報道情報番組のリポートにおいて、編集をする時間がないような速報ものの素材を撮った状態そのまま(無編集)で放送すること。つまり、「撮って出し」には“速報”や“撮りたてほやほや”という意味も入っている。
私は見た!人生の交差点
かつてザ!情報ツウで放送していた「プロは見た!感動!劇場」を継続した企画。
わが人生に歌あり
芸能人が思い出の曲について語る。
噂の特ダネファイル(1995年頃 - 1998年頃)
夕刊紙から気になる新聞記事を伝えていた。
特ダネファイル(1998年頃 - 2003年12月)
「噂の特ダネファイル」のリニューアル。コーナー開始初期は新聞記事で伝えていたが、後にVTRで伝える方式へ変更された。
もぎたてデリ(2004年1月 - 12月)
「特ダネファイル」をリニューアル。キャスターはコーナー専用のスーツを着用していた。
ニュース人物ワイド(2005年1月 - 2006年3月)
  • 「今日は誕生日わたしはだ〜れ?」 - 放送日当日が誕生日の有名人を紹介していた。
  • 「金曜ランキング」(2005年頃〜番組末期頃、ナレーション:野沢雅子) - 「好きな芸能人ベスト10」など、10位→1位のランキングを紹介していた。
ワイドニュース特捜部(2006年4月 - 2006年9月)
ワイドニューストクソウ部(2006年10月 - 2007年9月)

タイムテーブル

  • 13:55 ニュース・芸能情報(2本)
  • 14:45 特集
  • 15:13 ワイドニューストクソウ部
  • 15:30 金子キャスターのNEWS撮って出し
  • 15:45 エンディング

※13:53.45に15秒間の生放送予告(ジャンクション)(一部地域を除く)

主題歌

これらの曲はすべてエンディングテーマで流れた。 テンプレート:節stub

ネットしていた局

放送対象地域 放送局 系列 備考
関東広域圏 日本テレビ(NTV) 日本テレビ系列 『ザ・ワイド』制作局、キー局
近畿広域圏 読売テレビ(ytv) 『ザ・ワイド』制作局[4]
北海道 札幌テレビ(STV) 1993年10月から
青森県 青森放送(RAB)
岩手県 テレビ岩手(TVI) [5]
宮城県 ミヤギテレビ(MMT)
秋田県 秋田放送(ABS)
山形県 山形放送(YBC)
福島県 福島中央テレビ(FCT)
山梨県 山梨放送(YBS) 1993年10月から
新潟県 テレビ新潟(TeNY)
長野県 テレビ信州(TSB)
静岡県 静岡第一テレビ(SDT)
富山県 北日本放送(KNB) 1994年4月から
石川県 テレビ金沢(KTK)
福井県 福井放送(FBC) 日本テレビ系列/テレビ朝日系列
中京広域圏 中京テレビ(CTV) 日本テレビ系列
鳥取県島根県 日本海テレビ(NKT)
広島県 広島テレビ(HTV)
山口県 山口放送(KRY)
徳島県 四国放送(JRT) 2000年4月から
香川県・岡山県 西日本放送(RNC)
愛媛県 南海放送(RNB)
高知県 高知放送(RKC) 1998年10月から
福岡県 福岡放送(FBS)
長崎県 長崎国際テレビ(NIB)
熊本県 熊本県民テレビ(KKT)
鹿児島県 鹿児島読売テレビ(KYT) 1994年4月開局から[6]

スタッフ

終了時点

歴代のスタッフ

  • チーフプロデューサー:斎藤三朗→森岡正彦→林隆一郎高橋正弘(復帰)→後藤東(いずれも日本テレビ)
  • プロデューサー:松井守(読売テレビ)・政橋雅人・田中裕樹・染井将吾(日本テレビ報道局→2007年情報番組CP)、菱田義和、結城豊弘(読売テレビ)
  • ディレクター:鈴江秀樹、脇山浩一、関健一、小川和芳
  • TM:坂本親保→吾妻光良

関連項目

脚注

テンプレート:脚注ヘルプ テンプレート:Reflist

外部リンク

テンプレート:前後番組

テンプレート:前後番組

テンプレート:平日午後のワイドショー

テンプレート:草野仁
  1. いわゆるフライングスタート
  2. 「日テレタワー」のS4スタジオから放送は新社屋移転後から。
  3. なお、岡村孝子は、以前にフジテレビ「TIME3」のエンディングテーマを手掛けていた。
  4. 15:49終了と他のネット局よりも1分早い終了時刻となっているのは、『サスペンス傑作劇場』(火〜木)時代からの名残りで、『情報ライブ ミヤネ屋』と変更されて以降もステブレレスで直後の番組が開始されていたからである。
  5. 年に数回県議会中継のためネットを休止する場合があった。
  6. 1994年3月までの鹿児島県における日本テレビ系列局である鹿児島テレビ(フジテレビ系とのクロスネット局)では、ローカル枠(自社制作番組)とフジテレビ系列のワイドショーの放送していたため未放送だった。