リヴァプールFC

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リヴァプールFC (Liverpool Football Club) は、イングランドリヴァプールに本拠を置くサッカークラブチーム。愛称はレッズ(Reds)

概要

イングランドマージーサイド州リヴァプール市、アンフィールドをホームとするクラブ。ホームスタジアムであるアンフィールドとライバルクラブのエヴァートンの関係から1892年に創設された。プレミアリーグ(当時はFAプレミアリーグ)発足に参加した22クラブのひとつ。

1960年代半ばから1980年代にかけて、3連覇(1978-79・1979-80・1981-82)達成を含むリーグ優勝13回、4度のUEFAチャンピオンズカップなど、40以上のタイトルを獲得したイングランドの古豪。特に、イングランドだけでなく欧州の舞台でも活躍した、1970年代以降の約20年については『黄金期』と称される一方、『ヘイゼルの悲劇』、『ヒルズボロの悲劇』という2つの悲劇を経験した、暗い過去を持つ(後述)。

2005年には通算5度目となるUEFAチャンピオンズリーグ(UEFAチャンピオンズカップを含む制覇を果たし、ビッグ・イヤーの永久保持が認められた。

フットボールリーグ・ディビジョン1において、最多18度の優勝を誇る[1]。イングランドのトップリーグにおける最多優勝回数記録を長年にわたり保持していたが、2010-11のリーグ戦を制したマンチェスター・ユナイテッドFCに抜かれ、現在はそれに次ぐ優勝回数となっている[1]。なお、国内タイトルでは唯一、プレミアリーグ優勝の経験が未だない。

2012年には創設120周年を迎えた。クラブ史上、監督を務めたのは17人[2]。現在の監督は2012年6月に就任したブレンダン・ロジャースである[2]

サポーターソング「You’ll never walk alone」を最初に合唱したサッカークラブである。

歴史

創立期

1891年アンフィールドのオーナーであったジョン・ホールディングは、当時アンフィールドを本拠地として使用していたエヴァートンに対して使用料の値上げを要求したが、これを拒否したエヴァートンは現在のグディソン・パークへ移転した[3]。ホールディングはアンフィールドに新たなサッカークラブを設立することを決め[4]1892年3月15日にリヴァプールFCが創立された。そして1892年9月1日に行われたロザラム・タウンFCとの親善試合が初めての試合となった[5]

1936年6月には、ジョージ・ケイが前任者ジョージ・パターソンに代わり、監督に就任した。サウサンプトンからの就任であった。就任後の12試合では3勝4分という成績であった。そして最初の1936-37シーズンは18位で終えた。次シーズン開幕戦の相手本拠スタンフォード・ブリッジでのチェルシー戦では1-6で敗れた。そして1937-38シーズンは11位で終えた。

1938-39シーズン前に、ケイはボブ・ペイズリーBishop Auckland F.C.から移籍金をかけずに獲得。また、ビリー・リッデルも獲得する。しかし、第二次世界大戦へと突入し、活動を停止せざるを得なくなる。

第二次世界大戦後

第二次世界大戦後、アメリカ合衆国カナダへの遠征を計画する。この計画はケイの、気候などが全く異なる北米でプレーすることは選手に有益であるという考えに沿ったものである。そして、1946-47シーズンに10試合の北米遠征が行われた。

1949-50シーズンにはFAカップで決勝に進出したが、アーセナルに敗れ[6]、初のFAカップ制覇を逃した。また1951年にはジョージ・ケイが引退し、ドン・ウェルシュに引き継がれた。

黄金期と2つの悲劇

ファイル:Bill Shankly statue.jpg
アンフィールド前に建つビル・シャンクリーの像

クラブが大きな変革の時を迎えたのは1950年代に入ってからになる。フィル・テイラーに率いられ、1959年には下部ディビジョンに低迷していたが、ビル・シャンクリーが監督として就任する[7]。シャンクリーが基盤を作り、シャンクリーの右腕ボブ・ペイズリーへ受け継がれたクラブは1970年代から1980年代にかけて黄金期を迎え、ヨーロッパサッカー界を席捲する。この二人が監督を務めた間に国内タイトル、国際タイトル合わせて19個のタイトルを獲得した。

しかし、80年代には2つの悲劇に見舞われている。1985年にはチャンピオンズカップの決勝ユヴェントス戦で『ヘイゼルの悲劇[8](1985年) が起きる。『ヒルズボロの悲劇[9] (1989年) もリヴァプールの試合中に起きた。特に前者の影響は深刻で、イングランドのクラブは国際試合から無期限に締め出され(後にリヴァプールは7年、他クラブは5年となる)、リーグの力の相対的な地盤沈下をもたらした。

90年代に入るとやや低迷した。処分が解けた後も国際タイトルには手が届かず、リーグでは依然として上位の常連であり続けたが、優勝から遠ざかった。現在に至るまで1989-90シーズンのディヴィジョン1制覇が最後のリーグ制覇であり、プレミアリーグ移行後は優勝経験がない。

21世紀〜国際舞台での復活と遠いリーグ優勝

新世紀以降は、国際試合での活躍が目立ち、「ヘイゼルの悲劇」の後遺症は完全に過去のものとなった。しかし、依然としてプレミアリーグでは優勝していない。

2000-01シーズンにはFAカップリーグカップUEFAカップを制して3冠を達成した[10]。なお、1983-84シーズンにもリーグリーグカップUEFAチャンピオンズカップの組み合わせで3冠を達成している。

ファイル:Amicizia.jpg
コップスタンド

2004-05シーズンはシーズン開幕前にラファエル・ベニテスが監督に就任すると、ルイス・ガルシアシャビ・アロンソなどリーガ・エスパニョーラの選手を獲得し、積極的に登用し始める。一方、エースのマイケル・オーウェンレアル・マドリードへ放出した[11]チャンピオンズリーグではユヴェントス、チェルシーらの強豪を破り、決勝進出を果たす。決勝のACミラン戦において、前半終了時0-3のビハインドから、後半の6分間にジェラードスミチェルアロンソが立て続けに得点し、同点に持ち込んだ。そして、PK戦でACミランを下し、21年ぶりの欧州一の称号を手にした[12][注 1]。この試合はイスタンブールの奇跡と呼ばれるようになる。また、UEFAチャンピオンズカップとUEFAチャンピオンズリーグの合計優勝回数が5回となり、5チーム目となる優勝カップの永久保持が認められたクラブとなった。

2005-06シーズンの夏、前シーズンがプレミアリーグ5位であったため[注 2]チャンピオンズリーグの出場権は逃していたが、タイトル防衛の機会が与えられるべきという意見から特例で予備予選1回戦からの出場が認められた[注 3]。そして、2006-07シーズン以降は、前大会優勝チームはグループリーグにシード出場できるというルールが設けられた。

2005年12月、新設されたFIFAクラブ世界選手権2005出場のため来日。12月15日に行われた準決勝で北中米・カリブ海王者デポルティーボ・サプリサに3-0で勝利し決勝戦進出。12月18日の決勝戦では、南米王者サンパウロFCと戦い、接戦の末0-1で敗れ準優勝[13]

2006年のFAカップ決勝戦では、ウェストハムと対戦。三度先攻を許すも、後半終了間際のジェラードのミドルシュートが決まるなど、三度追いついた。その後の延長戦でも決着がつかず、PK戦の末、同大会で5年ぶりの優勝を決めた[14]

2006-07シーズンはチャンピオンズリーグで決勝進出を果たした。対戦相手は2004-05シーズンと同じACミランであったが、試合では1-2で敗れ、ACミランに2年前の雪辱を許す形になった[15]

2007-08シーズンは夏期移籍期間にフェルナンド・トーレスを獲得[16]。シーズン開幕前には懐疑的な意見も聞かれたが、ルート・ファン・ニステルローイが保持していたプレミアリーグ初年度の得点記録を塗り替えた。チャンピオンズリーグはここ数シーズンと同様に、準決勝まで進出した。準決勝でチェルシーに2戦合計3-4で敗れ、敗退した[17]

2008-09シーズンの夏期移籍期間にはトッテナムから2030万ポンド (約41億円) でロビー・キーンを獲得[18]。また、在籍年数の長かったヨン・アルネ・リーセスティーヴ・フィナンピーター・クラウチハリー・キューウェルなどを放出し[19][20][21][22]、チームの顔ぶれを刷新した。

2008-09年シーズンは夏の移籍市場でチームを改革したのが功を奏したのか、マンチェスター・ユナイテッドと熾烈な優勝争いを演じた。

2009年夏の市場では、中心選手であったシャビ・アロンソ、アルベロアを放出した。 今まで、中盤で攻撃を組み立てていたシャビ・アロンソを放出したため、中盤の展開力不足、ジェラード、フェルナンド・トーレスへの依存度が更に高まり、攻撃が成り立たず、また攻撃が成り立たないことから守備も不安定となり、2009-10シーズンは開幕から不振にあえぎ、最終的に7位で終了し、辛うじてEL出場権を獲得することができたが、この結果BIG4時代が終焉した。 2009-10シーズン終了後、成績不振を理由に双方の合意の元、ベニテス監督との契約を解除した。後任は前年フラムUEFAヨーロッパリーグ準優勝に導いたロイ・ホジソンとなった。イングランド人監督が就任したことやプレミアリーグの規定変更などもあり、チームはイングランド化が進んだ。

ジョン・ヘンリーによる新時代の幕開け

2010年4月16日(現地日時)、共にアメリカ人で共同オーナーを務めるジョージ・ジレットトム・ヒックスは、新会長の就任発表と同時に、クラブを売りに出したことを発表した。ジレットとヒックスは2007年にクラブを買収したが、経営に失敗し資金繰りが悪化、英メディアによれば負債は売却発表時点で2億3700ポンド(発表時点で約335億円)に上る。これまでも中東の富豪との売却交渉などが報じられていたが、売却に向けての初めての正式発表となった。発表によれば、新会長マーティン・ブロートンブリティッシュ・エアウェイズ会長)がバークレイズ・キャピタルの支援を受け、売却交渉を主導する。[23] なかなか売却交渉に進展がなかったが、10月15日の負債返済期限を前にして、10月初旬から売却交渉は動きだし、ヒックス、ジレットの両人による反発に遭い裁判にもつれながらも、NESV(ニューイングランド・スポーツ・ベンチャーズ)によって約3億£で買収された。 11月にはフロント改革の一環として、トッテナム元SDのダミアン・コモリをFD(フットボールディレクター)として招聘した。

2010-11シーズンは、資金不足により開幕前の移籍市場において満足な補強ができず、ロイ・ホジソンの下、一時は降格圏にまで転落し、あらゆるクラブワースト記録を更新するシーズンを過ごしていた。買収後もチームは下位に低迷、ヘンリーはホジソン解任に踏み切った。 後任には暫定監督として、クラブのレジェンド、ケニー・ダルグリッシュが就任。チームの絶対的エース、フェルナンド・トーレスをチェルシーに英国史上最高額、推定5000万£で放出。しかし、アンディ・キャロルをトーレスの移籍金に次ぐ3500万£、ルイス・スアレスを2280万£で獲得するなどチームを立て直し、2010-11シーズンは最終的に6位で終えた。

2011年夏の移籍市場では、オーナー、ジョン・ヘンリーの方針により、積極的な投資が行われ、ジョーダン・ヘンダーソンチャーリー・アダムスチュワート・ダウニングドニホセ・エンリケセバスティアン・コアテスを獲得し、総額5500万£を投じたといわれている。

2011-12シーズンはカーリングカップは制覇したものの、リーグ戦では8位と大規模投資にあった結果とは言えず、シーズン終了後にケニー・ダルグリッシュは契約解消という形で解任された。2012年6月、スウォンジー監督のブレンダン・ロジャースの就任を発表[2]

2012-13シーズンはカップ戦で無冠、前年のリーグカップ優勝によって出場したヨーロッパリーグもベスト32で早々に姿を消し、リーグ戦では7位に終わった。

2013-14シーズンもカップ戦で無冠、リーグ戦では得点ランキングでワンツーフィニッシュを果たしたルイス・スアレスダニエル・スタリッジの2トップの活躍もあり、2014年4月13日のマンCをホームで破った試合も含めて11連勝を飾った。だが、4月27日のチェルシー戦で0-2で敗れると、5月6日のクリスタル・パレス戦では3-0とリードしながら79分から9分間で3点を失い引き分けるなど、最後の3試合は勝ち点4しか稼げず2位となった。一方で、2009-10シーズン以来4シーズンぶりにチャンピオンズリーグ出場権を獲得したが、テンプレート:要出典範囲

ダービーマッチ

同じリヴァプールに本拠を置くエヴァートンFCとはライバル関係にある。両クラブの試合は『マージーサイド・ダービー』と呼ばれ、マンチェスター・ダービーノース・ロンドン・ダービータイン・ウェア・ダービーなどと並びイングランドでも最も盛り上がるダービーマッチの一つである。

また、マンチェスター・ユナイテッドFCとは昔からライバル関係にあり、ノースウェスト・ダービーやイングランド・ダービーと呼ばれる「伝統の一戦」として毎回白熱した試合を繰り広げる。 イングランドサッカーを引っ張るチーム同士の対戦なので、サポーターは試合前から相手チームを罵る歌を歌い、士気を高めている。 選手同士もこの試合に関してはとても熱く、過去にはリオ・ファーディナンドピーター・クラウチの乱闘寸前劇や、ガリー・ネヴィルのリヴァプールファンへの挑発などが見られた。また、リヴァプール出身でライバルのエヴァートンからマンチェスター・ユナイテッドへ移籍したウェイン・ルーニーへのブーイングなども見られ、毎回好ゲームが多い。

2004年にラファエル・ベニテスが監督に就任してのち、リーグ戦でマンチェスター・ユナイテッドに勝利を挙げたことがなかったが[24]、2008-2009シーズン第4節ではホームで逆転勝利を挙げ[25]アウェイでも快勝した。

エンブレム

ファイル:Royal Liver Building above Dale Street - Liverpool - 2005-06-27.jpg
ロイヤル・リヴァー・ビルディング時計台

リヴァプールFCのエンブレム[26]には、アンフィールドのシャンクリー・ゲートの門飾りや、サポーターのアンセムともなっている"You'll never walk alone"の文字、リヴァプール市の象徴ともなっている鳥「ライヴァー・バード」(Liver Bird)などが用いられている。

ライヴァー・バードの左右にある炎は、サッカー史に残る惨事と言われる[27]ヘイゼルの悲劇』と『ヒルズボロの悲劇』への追悼の意を表している。また、ライヴァー・バードはリヴァプール市内のピア・ヘッドに位置するロイヤル・リヴァー・ビルディングの二つの時計台上部にある鳥をモチーフにしている。このライヴァー・バードはリヴァプールの船乗り達の守り神である。

スタジアム

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リヴァプールFCはアンフィールドというホームスタジアムを持つ。前述の通り、元々はエヴァートンFCのホームスタジアムであった。

アンフィールドは、アーチボルド・リーチ(Archibald Leitch)という建築技師によって設計された[28]

リヴァプールウエスト・ダービーと呼ばれる地区に建つメルウッドは、リヴァプールFCのトレーニンググラウンドである[29]。同じリヴァプールカービーに建つリヴァプールFCアカデミーとは異なる。メルウッドは1950年代からウエスト・ダービーに建つ。

サポーター

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シャンクリー・ゲート

テンプレート:Main リヴァプールFCは多くのサポーターを持つ。サポーターはアンフィールドの"Kop"と呼ばれるスタンドで応援し、自身をKopitesと呼ぶ。

サポーターは、試合開始前や試合終了直前に「You'll Never Walk Alone」という曲を歌う。この曲は元々リチャード・ロジャースオスカー・ハマースタイン2世がミュージカル『回転木馬』の為に書いた曲であるが、1960年代初頭に「マージービート」と呼ばれた一連のポップ音楽の系譜に連なるバンド・ジェリー&ザ・ペースメーカーズが録音し、イギリス・ヒットチャートの1位を獲得することになった。その直後からこの曲はリヴァプールサポーターの愛唱曲となり、現在に至っている。その後この曲はセルティックアイルランド代表イプスウィッチ・タウンラピド・ウィーンフェイエノールトアヤックスベンフィカFC東京などのサポーターにも歌われるようになった。また、2011年3月11日に発生した東日本大震災直後に行われたリヴァプールの試合では、被災地である日本に向けて、「You'll Never Walk Alone」とスローガンを掲げて歌いメッセージを送った。

著名人のサポーターには、ビートルズのメンバーのうち、ジョン・レノンジョージ・ハリスンリンゴ・スターの3人(なお、ポール・マッカートニーはエヴァートンファンである)や、ダニエル・クレイグ(映画俳優、6代目ジェームス・ボンド役など)がいるテンプレート:要出典

スポンサー

メインスポンサー
企業名 本社所在地 使用開始シーズン 使用終了シーズン
日立 テンプレート:Flagicon 東京 1972-1973 1981-1982
Crown Paints テンプレート:Flagicon ランカシャー州ダーウェン 1982-1983 1987-1988
Candy テンプレート:Flagicon ブルゲーリオ 1988-1989 1991-1992
Carlsberg テンプレート:Flagicon コペンハーゲン 1992-1993 2009-2010
Standard Chartered Bank テンプレート:Flagicon ロンドン 2010-2011

タイトル

国内タイトル

  • リーグ : 18回
    1900-1901, 1905-1906, 1921-1922, 1922-1923, 1946-1947, 1963-1964, 1965-1966, 1972-1973, 1975-1976, 1976-1977, 1978-1979, 1979-1980, 1981-1982, 1982-1983, 1983-1984, 1985-1986, 1987-1988, 1989-1990
  • FAカップ : 7回
    1964-1965, 1973-1974, 1985-1986, 1988-1989, 1991-1992, 2000-2001, 2005-2006
  • リーグカップ : 8回
    1980-1981, 1981-1982, 1982-1983, 1983-1984, 1994-1995, 2000-2001, 2002-2003, 2011-2012
  • コミュニティーシールド : 15回
    1964年*、1965年*、1966年、1974年、1976年、1977年*、1979年、1980年、1982年、1986年*、1988年、1989年、1990年*、2001年、2006年 (*印はタイトル共有)
  • スーパーカップ : 1回
    1986

国際タイトル

2008年10月5日現在[30]

過去の成績

シーズン カテゴリ 順位 勝点 得点 失点 FAカップ リーグカップ UEFAチャンピオンズリーグ UEFAヨーロッパリーグ
1991-1992 ディビジョン1 6位 42 64 16 16 10 47 40        
1992-1993 FAプレミアリーグ 6位 42 59 16 11 15 62 55        
1993-1994 FAプレミアリーグ 8位 42 60 17 9 16 59 55        
1994-1995 FAプレミアリーグ 4位 42 74 21 11 10 65 37   優勝    
1995-1996 FAプレミアリーグ 3位 38 71 20 11 7 70 34 準優勝      
1996-1997 FAプレミアリーグ 4位 38 68 19 11 8 62 37        
1997-1998 FAプレミアリーグ 3位 38 65 18 11 9 68 42        
1998-1999 FAプレミアリーグ 7位 38 54 15 9 14 68 49        
1999-2000 FAプレミアリーグ 4位 38 67 19 10 9 51 30        
2000-2001 FAプレミアリーグ 3位 38 69 20 9 9 71 39 優勝 優勝   優勝
2001-2002 FAプレミアリーグ 2位 38 80 24 8 6 67 30     ベスト8  
2002-2003 FAプレミアリーグ 5位 38 64 18 10 10 61 41   優勝 グループリーグ  
2003-2004 FAプレミアリーグ 4位 38 60 16 12 10 55 37        
2004-2005 FAプレミアリーグ 5位 38 58 17 7 14 52 41   準優勝 優勝  
2005-2006 FAプレミアリーグ 3位 38 82 25 7 6 57 25 優勝   ベスト16  
2006-2007 FAプレミアリーグ 3位 38 68 20 8 10 57 27     準優勝  
2007-2008 プレミアリーグ 4位 38 76 21 13 4 67 28     ベスト4  
2008-2009 プレミアリーグ 2位 38 86 25 11 2 77 27     ベスト8  
2009-2010 プレミアリーグ 7位 38 63 18 9 11 61 35     グループリーグ敗退 ベスト4
2010-2011 プレミアリーグ 6位 38 58 17 7 14 59 45        
2011-2012 プレミアリーグ 8位 38 52 14 10 14 47 40 準優勝 優勝    
2012-2013 プレミアリーグ 7位 38 61 16 13 9 71 43     ベスト32
2013-2014 プレミアリーグ 2位 38 84 26 6 6 101 50    

現所属選手

基本フォーメーション

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2014年8月26日現在[31]

テンプレート:サッカークラブチーム選手一覧 開始 テンプレート:サッカークラブチーム選手一覧 選手 テンプレート:サッカークラブチーム選手一覧 選手 テンプレート:サッカークラブチーム選手一覧 選手 テンプレート:サッカークラブチーム選手一覧 選手 テンプレート:サッカークラブチーム選手一覧 選手(副主将) テンプレート:サッカークラブチーム選手一覧 選手 テンプレート:サッカークラブチーム選手一覧 選手 テンプレート:サッカークラブチーム選手一覧 選手 テンプレート:サッカークラブチーム選手一覧 選手 テンプレート:サッカークラブチーム選手一覧 選手 テンプレート:サッカークラブチーム選手一覧 選手 テンプレート:サッカークラブチーム選手一覧 選手 テンプレート:サッカークラブチーム選手一覧 選手 テンプレート:サッカークラブチーム選手一覧 選手 テンプレート:サッカークラブチーム選手一覧 選手 テンプレート:サッカークラブチーム選手一覧 選手 テンプレート:サッカークラブチーム選手一覧 選手 テンプレート:サッカークラブチーム選手一覧 選手 テンプレート:サッカークラブチーム選手一覧 選手 テンプレート:サッカークラブチーム選手一覧 選手 テンプレート:サッカークラブチーム選手一覧 中央 テンプレート:サッカークラブチーム選手一覧 選手 テンプレート:サッカークラブチーム選手一覧 選手 テンプレート:サッカークラブチーム選手一覧 選手 テンプレート:サッカークラブチーム選手一覧 選手 テンプレート:サッカークラブチーム選手一覧 選手 テンプレート:サッカークラブチーム選手一覧 選手 テンプレート:サッカークラブチーム選手一覧 選手 テンプレート:サッカークラブチーム選手一覧 選手 テンプレート:サッカークラブチーム選手一覧 選手 テンプレート:サッカークラブチーム選手一覧 選手 テンプレート:サッカークラブチーム選手一覧 選手 テンプレート:サッカークラブチーム選手一覧 選手 テンプレート:サッカークラブチーム選手一覧 選手 テンプレート:サッカークラブチーム選手一覧 選手 テンプレート:サッカークラブチーム選手一覧 選手 テンプレート:サッカークラブチーム選手一覧 選手 テンプレート:サッカークラブチーム選手一覧 選手 テンプレート:サッカークラブチーム選手一覧 選手 テンプレート:サッカークラブチーム選手一覧 選手 テンプレート:サッカークラブチーム選手一覧 終了


監督:テンプレート:Flagicon ブレンダン・ロジャース

ローン移籍

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歴代監督

ファイル:Rafa Benitez.JPG
2004年から2010年まで指揮を取ったラファエル・ベニテス

2013年7月1日 現在[32]

氏名 国籍 在任期間
ブレンダン・ロジャーズ テンプレート:Flagicon 北アイルランド 2012.06.01 -
ケニー・ダルグリッシュ テンプレート:Flagicon スコットランド 2011.01.09 - 2012.05.16
ロイ・ホジソン テンプレート:Flagicon イングランド 2010.07.01 - 2011.01.07
ラファエル・ベニテス テンプレート:Flagicon スペイン 2004.05.24 - 2010.06.03
ジェラール・ウリエ テンプレート:Flagicon フランス 2002.03.17 - 2004.05.24
フィル・トンプソン テンプレート:Flagicon イングランド 2001.10.14 - 2002.03.16
ジェラール・ウリエ テンプレート:Flagicon フランス 1998.11.12 - 2001.10.14
ロイ・エヴァンス & ジェラール・ウリエ テンプレート:Flagicon イングランド
テンプレート:Flagicon フランス
1998.07.01 - 1998.11.12
ロイ・エヴァンス テンプレート:Flagicon イングランド 1994.01.28 - 1998.11.12
グレアム・スーネス テンプレート:Flagicon スコットランド 1991.04.16 - 1994.01.28
ロニー・モラン テンプレート:Flagicon イングランド 1991.02.22 - 1991.04.16
ケニー・ダルグリッシュ テンプレート:Flagicon スコットランド 1985.05.30 - 1991.02.22
ジョー・フェイガン テンプレート:Flagicon イングランド 1983.05.23 - 1985.05.30
ボブ・ペイズリー テンプレート:Flagicon イングランド 1974.07.26 - 1983.05.23
ビル・シャンクリー テンプレート:Flagicon イングランド 1959.12.01 - 1974.07.12
フィル・テイラー テンプレート:Flagicon イングランド 1956.05.01 - 1959.11.30
ドン・ウェルシュ テンプレート:Flagicon イングランド 1951.03.01 - 1956.05.01
ジョージ・ケイ テンプレート:Flagicon イングランド 1936.05.01 - 1951.02.28
ジョージ・パターソン テンプレート:Flagicon イングランド 1928.02.01 - 1936.05.01
マット・マックイーン テンプレート:Flagicon イングランド 1923.02.01 - 1928.02.01
デビッド・アシュワース テンプレート:Flagicon イングランド 1920.12.01 - 1922.02.01
(在任コーチ無し) 1915.05.31 - 1920.12.01
トム・ワトソン テンプレート:Flagicon イングランド 1896.08.01 - 1915.05.31
ジョン・マッケンナ & ウィリアム・バークレー テンプレート:Flagicon イングランド 1892.08.01 - 1896.08.01

歴代記録

出場試合数

公式戦に限る[33] [34]

# 名前 期間 リーグ[注 5] FAカップ リーグカップ その他[注 6] 合計
1 テンプレート:Flagicon イアン・キャラハン 1960–1978 640 (4) 79 (2) 42 (7) 96 (1) 857   (14)
2 テンプレート:Flagicon ジェイミー・キャラガー 1996–2013 508 (24) 40 (1) 35 (7) 152 (3) 737   (35)
3 テンプレート:Flagicon スティーブン・ジェラード 1998– 472 (34) 39 (5) 27 (5) 124 (14) 666   (58)
4= テンプレート:Flagicon レイ・クレメンス 1967–1981 470 (0) 54 (0) 55 (0) 86 (0) 665   (0)
4= テンプレート:Flagicon エムリン・ヒューズ 1967–1979 474 (0) 62 (0) 46 (0) 83 (0) 665   (0)
6 テンプレート:Flagicon イアン・ラッシュ 1980–1987
1988–1996
469 (22) 61 (5) 78 (0) 45 (3) 660   (30)
7 テンプレート:Flagicon フィル・ニール 1974–1985 455 (2) 45 (0) 66 (0) 81 (0) 650   (2)
8 テンプレート:Flagicon トミー・スミス 1962–1978 467 (0) 52 (0) 30 (0) 89 (1) 638   (1)
9 テンプレート:Flagicon ブルース・グロベラー 1980–1994 440 (0) 62 (0) 70 (0) 46 (0) 628   (0)
10 テンプレート:Flagicon アラン・ハンセン 1977–1991 434 (0) 58 (1) 68 (0) 53 (1) 620   (2)

得点

公式戦に限る[33][35]

# 名前 期間 リーグ[注 5] FAカップ リーグカップ その他[注 6] 合計
1 テンプレート:Flagicon イアン・ラッシュ 1980–1987
1988–1996
229 (469) 39 (61) 48 (78) 23 (45) 346 (660)
2 テンプレート:Flagicon ロジャー・ハント 1958–1969 245 (404) 18 (44) 05 (10) 18 (34) 286 (492)
3 テンプレート:Flagicon ゴードン・ホジソン 1925–1936 233 (358) 08 (19) 0 (0) 0 (0) 241 (377)
4 テンプレート:Flagicon ビリー・リッデル 1938–1961 215 (492) 13 (42) 0 (0) 0 (0) 228 (534)
5 テンプレート:Flagicon ロビー・ファウラー 1993–2001
2006–2007
128 (266) 12 (24) 29 (35) 14 (44) 183 (369)
6 テンプレート:Flagicon ケニー・ダルグリッシュ 1977–1990 118 (355) 13 (37) 27 (59) 12 (58) 172 (515)
7 テンプレート:Flagicon マイケル・オーウェン 1996–2004 118 (216) 08 (15) 09 (14) 23 (52) 158 (297)
8 テンプレート:Flagicon ハリー・キャンバース 1915–1928 135 (315) 16 (28) 0 (0) 0 (1) 151 (339)
9 テンプレート:Flagicon ジャック・パーキンソン 1903–1914 125 (200) 05 (19) 0 (0) 0 (1) 130 (220)
10 テンプレート:Flagicon サム・レイボード 1900–1907 119 (211) 09 (14) 0 (0) 0 (1) 128 (226)

歴代所属選手

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GK

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DF

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MF

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FW

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脚注

注釈

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出典

テンプレート:脚注ヘルプ テンプレート:Reflist

参考文献

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  • Simon Inglis著 「Engineering Archie」 English Heritage、2005年3月21日発行、ISBN 978-1-85074-918-9

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外部リンク

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公式
ニュース
その他

テンプレート:リヴァプールFCのメンバー テンプレート:Navbox テンプレート:オリジナルプレミアリーグクラブ

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  1. 1.0 1.1 テンプレート:Cite web
  2. 2.0 2.1 2.2
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