リオ・ファーディナンド

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

テンプレート:サッカー選手 リオ・ギャヴィン・ファーディナンド(Rio Gavin Ferdinand, 1978年11月7日 - )はイングランドロンドン出身の同国代表サッカー選手。母はイングランドアイルランドの血を引く白人で、父方からセントルシアの血を引く[1][2]

経歴

プロ入りまで

1978年11月7日、ロンドン南東部に位置するペッカムという街で、テーラーの父と保育士の母の間に生まれる。大家族であり、両親は共働きで家族を支えていた。両親は結婚しておらず、リオが14歳の時に別れてしまった。しかし、父は母と別れた後も近くに住んでおり、子供たちを連れて公園でサッカートレーニングをしてくれたという。幼稚園では騒がしい子供で、当時はディエゴ・マラドーナマイク・タイソンがヒーローであった[3]。リオ自身は両親にまっすぐ教育された幸せな子供であったけれども、出生地のペッカムはロンドンでも特に荒んだ、貧しい人々が住む地域として知られ、贅沢をせずに生きる事を学んだという[4]。また暴力事件が頻繁に起きる地域であり、両親に近所のその様な人間とは絶対に関わってはいけないと教えられたという[5]。小学校では算数が得意で、 演劇も大好きであった。学校劇の「ダウンタウン物語」に出演。

プロ入り後

1995年に17歳でウェストハム・ユナイテッド とプロ契約を結び、この時U-17イングランド代表にも選出される。プレミアリーグ1995-96シーズン、5月5日のシェフィールド・ウェンズデイ戦で控えとして試合に初登録を果たし、1996-97シーズンの1月に初先発で出場すると以後レギュラーを獲得。期待の新鋭として注目を集め、1997年11月15日にはA代表デビューも果たす。

2000年11月25日にリーズ・ユナイテッドに移籍金1,800万ポンド、当時の日本円にして約28億4,400万円で移籍。

2002年、日韓W杯に出場。リーズでは大黒柱として大活躍していたが、多大な負債を抱えていたリーズは主力を放出しなければならなくなり、大会期間中の7月22日に以前から取り沙汰されていたマンチェスター・ユナイテッドFCへの移籍が決まる。同年の5月頃に移籍金は2,910万ポンド、当時の日本円にして約55億円と報道されたが、最終的には7月12日に3,000万ポンド、64億2,500万円と積み上がり合意に至った。[6]

2004年、ドーピング検査に出頭しなかった件で8ヶ月の重い出場停止処分を受ける。出場停止期間が明けてチームに復帰すると、再び不動のディフェンスリーダーとして活躍。2007-08シーズンの二冠を含む数々のタイトル制覇に大きく貢献している。

2010年2月、代表主将であるジョン・テリーの不祥事(不倫疑惑)が発覚したため、テリーに代わって副将から主将に昇格。同年5月には2010 FIFAワールドカップイングランド代表に選出され主将に任命されたものの、大会直前の6月4日の練習で左膝の靭帯を損傷し離脱した[7]

最近では、背中、腰、ふぐらはぎと相次ぐ怪我に悩まされている。怪我が響き、2009-10シーズンの前半戦は公式戦6試合の出場に留まり、本来のパフォーマンスが取り戻せずにいる。

そのため、タブロイド紙等を中心に「クラブ側は放出要員として考えており、本人も移籍を検討。獲得を目指しているのはレアル・マドリードらしい」等の根拠のない報道や噂がたびたび流された。しかし本人は、マンUのオフィシャルマガジン『インサイド・ユナイテッド』の独占インタビューで、「このチームで現役を終えたい。マンチェスター・ユナイテッドでキャリアを終えることはオレの夢だ。クラブの黄金期を築いた選手として、ファンの記憶に残りたい」と断言している。[8]

2013年5月15日に代表引退を表明[9]

2014年5月13日に2013-14シーズン限りでのマンチェスター・ユナイテッド退団を発表。7月17日にクイーンズ・パーク・レンジャーズFCに加入した[10]

ファイル:Ferdinand Fabregas.jpg
2008–09シーズンのUEFAチャンピオンズリーグにてキャプテンを務めた

エピソード

  • 現在ブルサスポルに所属しているDFアントン・ファーディナンドは実弟、元イングランド代表FWレス・ファーディナンドは従兄弟である。
  • マンチェスター・ユナイテッドではムードメーカーであるとされるテンプレート:要出典
  • ウエストハム時代のチームメイトであるフランク・ランパードとは親友。
  • 子役俳優として舞台に出演したという経験があり、現在でも演技に強い興味を持つ(英国・ITVの特集より)。
  • ディエゴ・マラドーナの熱心な信奉者である。
  • ピーター・クラウチなどイングランド人選手に対してドッキリ企画を仕掛けていることでも有名[11]
  • 本人は少年時代アンチ・マンユナイテッドで、マンUなんて大嫌いだと公言していた。だがリーズ・ユナイテッドからマンチェスター・ユナイテッドに移籍して以降、あの発言は間違いだったと改めている。ちなみに嫌いだった理由は強すぎたからとしている。逆に発言を否定した理由はマンUの素晴らしさを知らなさすぎたから、と釈明した。移籍後初の古巣との対戦では「リオって誰だ?」というフラッグがリーズ・ユナイテッドファンから掲げられ、試合後の握手ではハリー・キューウェルが彼との握手を拒否した。
  • 2001年に来日した際、直前に起きた大阪教育大学附属池田小学校での児童殺傷事件の事を耳にし、京都観光の予定を変更して一緒に来日したアラン・スミス(リーズ、マンUでのチームメイト)、自身の母と共に現場である同校を訪れ、校門前に献花をした。この話は、Numberに掲載され多くの人の知るところとなった。2002年W杯で来日した際と2008年12月FIFAクラブワールドカップ出場のために来日した際にも同校に哀悼の意をささげ花束を贈っている。花束には「悲しく痛ましい事件を思い起こし、哀悼の意をささげ、献花したい。この花を飾ってください」という本人のメッセージが添えられていた。

所属クラブ

獲得タイトル

クラブ

テンプレート:Flagicon マンチェスター・ユナイテッド

脚注

  1. テンプレート:Cite web
  2. テンプレート:Cite web
  3. テンプレート:Cite news
  4. テンプレート:Cite web
  5. テンプレート:Cite news
  6. 金子義仁『2005~2006ワールドサッカーすごいヤツ全集』フットワーク出版社〈フットワーク出版株式会社〉、2004年、271-273頁を参考。
  7. FAがファーディナンドの離脱を発表 Goal.com 2010年6月5日
  8. マンチェスター・ユナイテッド公式ホームページ 独占インタビュー インタビュー:リオ(前編)
  9. ファーディナンドがイングランド代表を引退 Goal.com 2013年5月15日
  10. ファーディナンドのQPR加入が正式決定 Goal 2013年7月18日
  11. Rio's_World_Cup_Wind-Ups

外部リンク

テンプレート:Sister


テンプレート:クイーンズ・パーク・レンジャーズFCのメンバー テンプレート:Navboxes