間寛平

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テンプレート:Infobox お笑い芸人 間 寛平(はざま かんぺい、1949年7月20日 - )は、日本お笑いタレント俳優歌手レゲエシンガー活動名義および本名、間 重美(はざま しげみ)。通称、寛平ちゃん寛平兄やん

高知県宿毛市出身。よしもとクリエイティブ・エージェンシー東京所属。星座は蟹座。趣味はマラソンゴルフパチンコ競馬、酒。

来歴・人物

私立柏原高等学校卒業。既婚者。1男1女の父。ミュージシャン間慎太郎長男である。娘は既に結婚し子供(孫)がいる。妻の光代は吉本新喜劇の元座員。

師匠は花紀京。吉本新喜劇のスターとして関西で絶大な人気を得た。「アヘアヘアヘアヘ…」「ア〜メマ!」「かい〜の」などのギャグで有名。

エピソード

  • 柏原高校時代は野球部に所属していた。2011年の夏の高校野球で母校が初出場した時に、野球部OBとして、アルプススタンドで観戦した。
  • 野球は筋金入りの南海ホークス好きで、南海ホークス時代から通じて、福岡ソフトバンクホークスファンでもある。現在でも年に数回福岡Yahoo!JAPANドームまで観戦に足を伸ばす。映画「ファンキー・モンキー・ティーチャー」シリーズで主人公(戸沢康平)の役を演じた時には、毎回福岡ダイエーホークスのウインドブレーカー(黒とオレンジが基調のホーム用)を着て登場していた。
  • 「寛平」の芸名の由来は、カンペをチラ見してしまうことに由来。
  • 新喜劇の舞台で、先輩芸人の由利謙のギャグ「われこ、われこ(「これは、これは」の言い換え)」に付き合いでズッこけたものの、その後「なんや、その“われこ、われこ”ってギャグは?「古いわぁ。なんやねん“われこ、われこ”って…」と客前の本番中に延々とギャグのダメ出しをし、由利謙が徐々に怒り始める様子が『吉本新喜劇ギャグ100連発』で見ることができる。由利は舞台が終わった後も怒りまくっていたという。
  • 無類のビール好き。1回に500mlのビール10缶を飲み干したことがある。
  • 寒さが大の苦手。
  • 母親と顔がそっくりである。
  • 2006年2月24日に長女が初孫を出産。56歳にして名実共に「おじいちゃん」(祖父)となった。「ついにおじいちゃんになりましたが、いくつになっても甘えまくります!」とのコメントを発した。
  • 人柄が良く、芸人仲間や後輩からも信頼される。明石家さんま島田紳助村上ショージダウンタウン雨上がり決死隊も今もって若手の頃に良くしてもらったことを感謝している。特にさんまは当時大忙しだったにもかかわらず、寛平がスパルタスロンマラソンを走る番組で、「兄さんのためなら」と付き添いのために(さんまの付き添いは、プロデューサーが番組制作の条件として出されたものであった)、無理やり10日間スケジュールを開けたことがある。また『マジカル頭脳パワー!!』で共演した所ジョージ千堂あきほなどからも信頼されている。
  • 持ちネタは古いものでは何十年も同じものを使い続けており、ネタをしても滑るのが慣例となっている。
  • 脳内出血に倒れ、今もリハビリを続けているかつての同僚・木村進とその家族へのさまざまな支援を行っている。
  • 近年は、志村けんと同じくコメンテーターとしての活動が多い。これには、チャリティーマラソンなど、彼の素が出ている場面がよくテレビで流れているためという見方もある。
  • 大阪なんば・NGK近辺の食堂から出前を取るときなども、電話で「アヘです〜」と言うだけで通じてしまう。同様に、後輩芸人に電話する際にも「アヘ坊やけど〜」で誰かが分かってしまう。
  • 植木等のモノマネが得意。「新堂本兄弟」で披露した事がある。
  • わらび餅好き。家にいる時は必ず妻が、午後8時半に珈琲と共に出すので食べている。2013年9月25日放送の「ライオンのごきげんよう」で「一年の内300日は食べてます」と語り、さらに「妻が9時からドラマやサスペンスを見ているけど、僕がいたら「こいつが犯人やと思う」とか一々うるさいので9時には寝るように言われていて、わらび餅はもうすぐ寝ろと言う合図」とも語っている。

略年譜

弟子

2005年、この2人をも従えて石田靖山田花子たちと『よしもと大爆笑劇場〜寛平劇団&バラエティー全国巡業中!!』で全国巡業した。

デビュー前から結婚まで

  • 10歳代の頃左官屋の見習いをしていたが、風呂場のタイル貼りを命じられた際、余ったセメントをそのまま排水溝に流してしまい、詰まらせたことが原因で解雇になった。
  • 芸能界へ入る前、ダンプカーの運転手をしていた。中には短時間で産業廃棄物を処理するため人目に付かない池へ不法廃棄したところ池がなくなってしまったという出来事もあった。また、若手の頃は経済的に苦しく、吉本に内緒でトラック運転手のアルバイトをしていた時期もあり、地方でうっかり事故したエピソードなどをときおり披露している。
  • 芸能界入りを目指したきっかけはテレビで見た菅原洋一を見て「こんなブサイク(醜男)がテレビに出れるのなら俺でも」と思ったからであった。芸能人を目指すべくキャバレー店に勤務、ボーイに就くも、ある日芸能界の入り口にすら立っていない事に気づく。後、大阪アメリカ村にある飲食店店員の職で稼ぎを得ていたが、入店した女性客(日限萬里子)から面相を大笑いされ「君、おもしろい顔をしているから吉本に紹介してあげる」と告げられ、言われるままついて行き吉本興業に入所。
  • 元々寛平とその妻・光代は先輩後輩の間柄。光代は萩本欽一の大ファンで萩本の追っかけをしており、萩本とも顔見知りであった。光代曰く、萩本との結婚も本気で考えていた。だが、後に萩本の結婚を知り大ショック。寛平が彼女を慰めたのが付き合いの始まりであった。
  • 光代の実家が大きな家だったことに加え、当時は家がなく、坂田利夫などの家を渡り歩いており、これをきっかけに寛平は光代の実家に少しずつ自分の荷物を置いて行き、いつの間にか寛平が光代の実家に住み着いた。

東京進出

  • 東京で頑張りたいと独立を考えた(本人曰く、仕事先の宿のの目が「東京行け、東京行け」とささやいたからとのこと。また妻にも相談なしでの決断だったが、妻は文句を言わず送り出した)時に、当時、吉本の社員だった木村政雄に懸命に説得され、慰留が決まり、吉本興業東京本社(当時は東京事務所)に所属する事になった。同時に吉本新喜劇を退団する。寛平は東京に吉本の事務所があるのを知らなかったらしい。
  • 東京進出の理由として、アメマバッジの件(後述)も関わっていたとの話もある(『いつみても波瀾万丈』より)。東京では萩本欽一に師事し、干されても3年は頑張ると約束していた。
  • 吉本新喜劇を退団し上京、東京で仕事を探すも、関東での知名度が低いため苦労する。そんな時に妻が萩本の所へ行けと言われ、寛平が萩本の所へ行き助けを求めた。寛平との面識がなかった萩本は最初は驚き困惑したが、萩本が吉本に電話をして「(寛平は吉本に)必要な人だって」と寛平に告げ、その後萩本の仲介で自分の番組に寛平を出すなど、手助けをした。のちに萩本は「妻と一緒に来ていたら断っていた」と語っている(金スマより)。

借金・アメマバッジ関連

  • 生来、お人好しと無知が災いして次々と他人の借金の連帯保証人になってしまう。付いたあだ名は「歩くハンコ屋」。他にアメマバッジの失敗により6000万円(「さんまのまんま」でゲスト出演した時に自身が明かした)の借金を背負うが、妻の光代が必死の借金返済で当時0歳だった長女を連れて、街金の金融業者の前で長女をつねって泣かせて、金融業者を同情させる作戦で、借金の利子を免除してもらったと言う逸話がある(『いつみても波瀾万丈』で光代がゲスト出演した時に明らかになった)。普通の人間なら、利子を免除してもらえないのだが[1]、当時、寛平も売れ出し始めたこともあり、寛平自身が家族を養う事が厳しかった事から、光代が必死に訴えた努力の甲斐が実り、利子を免除することができた(現在は完済)。
  • アメマバッジの件では、バッジを製作した会社から費用の不払いのため訴えられて裁判沙汰となる(通称「アメマ裁判」)。この口頭尋問で、裁判官から「『アメマ』とは何ですか?」と聞かれ「『ア〜メマァ〜…』です」と答えたら、再び「ですから、『アメマ』とは何ですか?」と聞かれたため、再度「『ア〜メマァ〜…』です」と答えた。このやり取りが尋問中何回も繰り返され、法廷内は爆笑の渦に巻き込まれる。なおアメマバッジは、『いつみても平平凡凡』に出演したゲストにプレゼントされ、『痛快!明石家電視台』では会場の観客に[2]、さらに『進め!クリフハンガー冒険隊』では出演した親子全員にプレゼントされていた。
  • 当時は売れなかったアメマバッジであったが、2006年5月の『世界バリバリバリュー』の企画でYahoo!のチャリティーオークションに出品された際には入札が36件あり、2万5,501円で落札された(元の売り値1500円)。これを作った当時は「ICが入っているから高い」と聞かされていた寛平だが、実はICは入っていなかった。
  • 「アメマ〜」とは、本人いわく幼児が母親に対して言う「あ〜ママぁ…」が転じたもの、とのことである。
  • TV進出のきっかけは、当時の出演番組がABCラジオの『ポップ対歌謡曲』(週1本のレギュラー)しかなく、さんまとの会話で「兄さん、そのギャラじゃアメマの借金返せまへんやろー!」と言われたことがきっかけで、さんまが出演しているテレビ番組に共演するようになったことである。
  • アメマバッジの作成や連帯保証人として長年にわたって請け負った全ての負債を完済して安堵したのも束の間の数日後、阪神・淡路大震災が発生し宝塚市に建てたばかりのマイホームを失ってしまう。地震保険にも加入していなかったため家の再建費用などでその後もまた債務を負うことになった。

マラソン・他のスポーツ関連

  • 趣味としてマラソンをしており、3時間8分42秒(1998年)という市民ランナーとしては驚異的な記録を持っている。ギリシャの鉄人マラソン「スパルタスロン」では246kmを3度も完走、『24時間テレビ』の24時間マラソンでも200km(1995年神戸-東京間、約600kmを7日間で完走)を完走するほどの健脚の持ち主でもある。
  • もともと寛平がマラソンを始めた理由は、心臓疾患の治療のためであったが、マラソンを続けているうちに心臓疾患を克服したばかりか、心臓の強さが陸上選手並みになったという。後々、長距離レースへとエスカレートしていった原因は、間の祖母にルーツがある。高齢であっても足腰が強く、幼少だった重美少年が追いつかずに音を上げる程に意気軒昂であったことから「もしかして長命の家系なのでは」と疑い、祖母も頑丈であるのなら、同じ血を引く自分の限界はどこまでなのか知りたくなった事にあるという。マラソンから転じて鉄人レースにも参加するようになり、仕事の行き来も走って練習を積む。しかし運動量の多さから食欲不足に陥り「ビールなら麦から作っているから米と同じだろう」と、自己判断で食事を採らずにビールを飲んでいたという。そのうちに身体がだるくなり、診察を受けたところ栄養不足と診断され、「ビールしか飲まないなんてとんでもない、普通の人間ならとっくに筋肉がずたずたになっているはずだ」と、医者はびっくりしていたという。『オールスター感謝祭』のマラソン競技でも、50歳代半ばにして一般男子以上のハンデがある。しかし近年はミニマラソンの高速化により、ミニマラソンではなく駅伝の方での参加が多くなっている。
  • 2006年2007年の『24時間テレビ』内では十種競技にも挑戦。改めて鉄人振りをまざまざと見せ付けた。
  • 吉本以外の後輩では波田陽区を大変かわいがっている。そのため2006年、2007年の『24時間テレビ』で十種競技に挑戦する寛平を、村上ショージ、シベリア文太、レギュラーらと応援に来ていた。また、自身が地球一周マラソンにでる際には波田陽区のことを島田紳助に頼んでいたことが、2010年1月15日放送のホンネの殿堂!!紳助にはわかるまいっで島田紳助によって語られた。
  • オールスター感謝祭2009春』の赤坂5丁目ミニマラソンでアメリカから衛星中継でスターターを務めたが、その時まぶたに「へ」の字を描いており、島田紳助から「兄さん、その目はどないしたん?」と突っ込まれ「虫にかまれてん〜」とギャグをかまし、スタジオの出演者とスタッフだけではなくマラソンに出場したタレントまでも大爆笑した。しかし紳助は「兄さん、あきれて物言えんわ!」と突っ込みを入れた。

アースマラソン

  • 2007年2月27日に、将来的に芸能活動を3年間休止して世界一周マラソンに挑戦する意向を表明。本人はその理由を「目立ちたいから」だと語っている。
  • 2008年、モロッコ東南部のサハラマラソンに挑戦。食料などが入った重さ14キロのリュックを自ら背負い、総距離245キロメートルのコースを、3月30日 - 4月5日までの7日間をかけて、51時間46分5秒のタイムで完走。
  • 2008年8月19日、1999年から続いていた寛平まつりを2008年10月12日の10回記念公演を以って幕を下ろすことを公表。理由は2007年2月27日に公表した地球一周 アースマラソン(KANPEI EARTH MARATHON)を2008年12月から実行に移すためというのが実情。2008年8月31日にKANPEI EARTH MARATHONの概要について公表された。
  • そして2008年12月17日の正午にスターターを務めた明石家さんまの合図で、大阪のなんばグランド花月をスタート。過酷なアースマラソンの旅が始まった。舞台には西川きよし笑福亭仁鶴コメディNo.1ザ・ぼんち島田紳助村上ショージ山田花子等の大御所や仲間がスタートの瞬間を見守った。
  • 2009年6月2日放送の日本テレビの特番で、顔に鼻毛を描いて登場した寛平に(本人曰く「走っていたら鼻毛が伸びる」らしい)、スタジオの明石家さんまが激怒。さらにサングラスを外すと、まぶたに「へ」の字を描いており、さんまは更に激怒、挙句の果てにカメラにお尻を向けて「パンプキ〜ン」というギャグを多用し過ぎて、怒りが頂点に達したさんまは台本を破り捨ててしまう[3]。この時期日本テレビが「ecoウィーク」期間中であり、番組のセットは火曜サプライズのセットを流用した。
  • 2010年1月4日には、『アースマラソン』の際立ち寄ったトルコにて前立腺がんを発症していることが判明。同13日に公表。今後は、治療を行いながら『アースマラソン』を続けていくことが明らかになった。3ヶ月後にトルクメニスタン到達後、病状が悪化する前に放射線治療を受けるために一時中断してアメリカに引き返したが、6月18日に再スタートした。
  • 2011年1月21日に2年1か月のアースマラソン4万1000kmに及ぶ長い旅を終え、午後7時43分に大阪城音楽堂を第一終着地としてゴールインした。
  • 『アースマラソン』にて太平洋大西洋横断や中国大陸から日本への帰国の手段としてヨットを駆使するなどしたことから、日本セーリング連盟から間寛平に「セーリングの普及、認知度向上に貢献を果たした」として功労賞が贈られることになった[4]
  • 『ダウンタウンDX』にてマラソン中一番辛かった国(場所)は?と聞かれてアメリカのペンシルベニア州と答えている。理由は延々とアップアンドダウンが繰り返されたから。

忌野清志郎との関係

  • 忌野清志郎↑THE HIGH-LOWS↓真島昌利からアルバム『ジャングル野郎』の楽曲提供を受けた関係で2001年6月6日SHIBUYA-AXにて行われた↑THE HIGH-LOWS↓のライブアンコールスペシャルゲストとして登場。短時間で様々なギャグを披露した後、↑THE HIGH-LOWS↓の演奏でヒロトと一緒に「天国野郎ナンバーワン」(↑THE HIGH-LOWS↓と間寛平のバージョンがあるが、「天国野郎」を提供した↑THE HIGH-LOWS↓側がわけあってセルフカバーした際に「天国野郎ナンバーワン」と改題した)を熱唱した。この日のライブでは、普段は入場時に配られるフライヤーが配られず、退場時に「ジャングル野郎」の広告と一緒に配られたことから、寛平の登場はシークレット扱いだったとされる。この模様は、後に日本テレビ系列の深夜番組で放送された。
  • また、「ジャングル野郎」に収められている真島昌利提供の曲は、リリースの際、寛平の所属事務所側に一部歌詞を変更されてしまった。変更前の歌詞は、↑THE HIGH-LOWS↓バージョンを聴くことで知ることができる。また、寛平バージョンは寛平ならではのセリフが入っている。
  • 寛平は『さんまのまんま』に忌野と出演した際、「ハイロウズが曲を提供してくれたんですよ」と、とても嬉しそうに話していた。
  • 忌野の死は寛平にとって相当ショックだったようで、2009年6月2日放送の日本テレビでの特番において、カンザス州をマラソン中に訃報を受けた寛平が大声を上げて泣き崩れたが、忌野のためにも頑張ろうと、涙ながらも再び走り始めていた。

バラエティ番組でのエピソード

  • マジカル頭脳パワー!!』のコーナー「マジカルアート」で、毎回他のメンバーが解答できないほどの絵を描き(動物には鳥の足しか使わないなど)、それが原因で絵の勉強のためにフランスに留学した。しかし復帰第1回でシロクマを指示されたものの、今までの癖は直っていなかった(解答できずパスとなり不正解。答えを見た際千堂あきほが、「分からへんがな!どこがクマや!」と突っ込みを入れた。)。現在も『痛快!明石家電視台』の中の素人参加のクイズコーナーでお絵描き問題が出る時には意味不明の絵を描いて解答者を混乱させ、さんまをあきれさせている。
  • クイズ!ヘキサゴンII』にてエコマークのイラストを出題され(抱きかかえているデザインから)「スイカ泥棒」と答え周囲を大爆笑させる。司会の島田紳助はそれ以来エコマークがスイカ泥棒にしか見えなくなったという。
  • 過去にB&Bのメンバーとして島田洋七に数度コンビを組まないかと誘われ、「洋・寛」という漫才コンビを結成したりするも長続きしなかった。ただ池乃めだかとは何度かコンビを組んで舞台に上がった事がある。その後、東京進出の際には、洋七の親友であるビートたけしの弟子軍団である『たけし軍団』入りも検討し、たけしからもOKをもらったが、断念した。
  • ハゲ頭のカツラを被ったおじいちゃん役(通称:最強ジジイ)での出演が非常に多く、吉本新喜劇での名物キャラの一人であった。ヒザをカクカクさせながら杖を振り回し、最後に「がんばっとるか〜」と言う姿は多くの観客の笑いを誘ったが、調子に乗ってあまりにも膝をカクカクさせすぎて、本当にヒザを痛めたことがある。また、多額の借金を抱えていたとき、その姿を見た妻から「アンタは杖の先にハンコつけて(判をつきながら)歩き回っているのか!」と言われたことがある。なお大日本住友製薬が老人用の薬の宣材にこのキャラクターを起用した。
  • 笑っていいとも!』に出演の際には、タモリと必ずサルのケンカのマネを行い、そのやり取りで1コーナー(テレフォンのゲスト出演においては、トークすることなく)が終わってしまうことがよくある。

主な持ちネタ・ギャグ

  • 「がんばっとるか〜?」(舞台に現れるときに使用、またVHSの『吉本新喜劇ギャグ100連発2〜野望編〜』のパッケージにもなっている)
  • 「おっさ〜ん、おっさんアホか、アホかおっさん、おっさん、アホかぁ。」
  • 「こら、犬どけ! コン キャンキャンキャン…」 舞台からハケるときに使用される
  • 「誰が付けたかインベーダー ビッビビッビ」
  • 「パパパパッ、パ〜ンプキ〜ン」(アースマラソンで北米大陸を横断中に開発したと言う)
  • かい〜の」(大道具の角・自分の持っている杖などに尻の割れ目をこすりつけて上下運動)
  • アヘアヘアヘアヘ…」「アヘアヘウヒハアヘウヒハ…」(アへ語)マネージャーの妻から5000円で購入
  • 「なめなめくじくじなめくじくじ」(なめくじ運動で地面を這う)→「塩かけないでね、粗塩はいやよ」と付け加える。
  • ア〜〜〜〜メマ!!」(困ったとき・追いつめられたときにとっさに放つ一言)※『明日があるさ』で稲森いずみが8回連続NGを出したときにこのギャグを放ってハマりのループから救った。
  • 「血ぃ吸うたろか!」
    • 息子(間慎太郎)が中学生の頃寝ている時、なぜか自分の首ばかりをめがけて刺してくる蚊に憤慨して言い放った一言を、横で寝ていた寛平に伝えたところ、翌日にはそこそこいい感じのフリまで付けてテレビで使っていた(2013/11/10放送分 関西テレビお笑いワイドショー マルコポロリ!』より)
  • 「止まると死ぬんじゃ」(おじいちゃん役の時)
  • 「だ〜れ〜が〜じゃ」「ど〜〜してじゃ」「な〜ぜじゃ」(おじいちゃん役のとき)
  • 「お礼のプ〜」(「俺のプ〜」のバージョンあり)
  • (掴み合いになって、すぐにフラフラと倒れる)(共演者)「おっさん、骨ないんか!?」(寛平)「カルシウム足らんねん」その後、相手の股間を「ピッ、ピッ」とつつく。
  • 「いくつになっても、甘えん坊〜」
  • 「脳みそパ〜ン!」(アメリカでは「ブレインパ〜ン!」として使用した)
  • 「じゅとじゅでにじゅ、あとじゅでさんじゅ」(10と10で20、あと10で30)
  • のマネをしながら、池乃めだかの形態模写との掛け合い。めだか猫と一緒にボールにじゃれついたりするが、そのうちにらみ合い、大喧嘩を始める。しかしいつの間にか寛平猿がめだか猫を押さえ込み、交尾を始めてしまう。
    • 暴れているうちにめだか猫と向き合う形となり、2人ともビックリして腰を抜かすパターンもある。
    • 二人のモノマネがエスカレートし、特にめだかの猫マネが最高潮に達してるにも関わらず寛平の方は素に戻ってしまい、一人梯子を外された形になっためだかが恥ずかしさの余り突っ込むというパターンも存在する。
  • 池乃めだかとの掛け合いで、果てしなく池乃めだかの言動を真似し、そのまま以下のやりとりに流れ込むパターンがある。
  • (めだか)「ちょっと話がある」(寛平)「誰が放し飼いやねん!」
  • (めだか)「重大な話やねん」(寛平)「誰が10代じゃ!わしゃ60代じゃ!」
  • (めだか)「えもんかけハンガー)取って」(寛平)「誰が猿公(エテコウ)やねん!」(orモンキー)
  • (めだか)「本気で言うてるんですか?」(寛平)「誰がモンキーやねん!」
  • (めだか)「またそんな得手勝手言うて…」(寛平)「誰が猿公(エテコウ)飼ってるねん!」
  • (めだか)「折り入って相談がありまして…」(寛平)「誰が檻に入って相談せなあかんねん!」
  • (めだか)「本当はええとこの子なんですやろ?」(寛平)「誰が猿公(エテコウ)の子やねん!」
  • (めだか)「ええとこ連れて行ったる言うねん」(寛平)「誰がエテ公やねん!」
  • (めだか)「ほんま、品のない顔して。」(寛平)「誰の顔にフンがついとるんじゃ!」
  • (めだか)「もっと情け深い人やと思うとったで!」(寛平)「誰が毛深いんじゃ!お前、わしの見たんか!」
  • (めだか)「わけわからへんがな!!」(寛平)「誰がワカメスープじゃ!」
  • (めだか)「キリがないやろ!!」(寛平)「誰がキリンじゃ!」
  • (めだか)「いいかげんにせえ!!」(寛平)「誰が胃が痛いねん!!」
  • 「月は雲間に隠れたし、雨戸も閉めたしガキも寝た」→「おまいさん今夜もかい?」→「あったぼうよ!」(以上、一人芝居)※本人曰く、中学生の頃に考えたネタ。
  • 「かかかか堪忍な〜」
  • 「チャッチャマンボ チャチャマンボ ヘイ パキューン・パキューン・パキュンパキュンパキュン」(パキューンに合わせて腰を前後運動)(『ファンキーモンキー寛平先生がゆく!』での定番ギャグ)
  • 「しっかりできたらぼさっとするかいな!」(後輩芸人などから「しっかりして下さいよ〜」と言われた時)
    • 井上竜夫も「しっかりできたらうっかりせんわい!」というギャグを使う。
  • アメママン(アメマバッジのモデル)通常バージョンとロックバージョンがある。
  • 先っちょマン
  • ホレホレレンジャー「ホーレホレ掘れ」「おったまげったんよー」
  • 引きずり女
    • 十二単姿、白塗りで額に「引」の文字、髪の毛にいろんな物をヒモで結びつけて引きずっている姫。「引きずり女は福を呼ぶ」と書かれた扇子を常に持っている。娘の結婚式の余興で、娘の友人(素人)が引きずり女をやろうと用意していたのだが、寛平は本家本元の引きずり女をお色直し後の新郎新婦入場時に娘の友人より先にやってしまい、娘の友人の演し物は台無しに。本人曰く、「娘に頼まれた」とのことだが、真相は不明。
  • 「まいど〜!」(鼻声で)
  • 「フェー」(鼻声)
  • 「ふひは!」(鼻声)
  • 「ちょっとしたミスさ」
  • (突然怒り出した後に)「きつく言ってごめんね」
  • 「○○って言った」「○○って言った、言った」→「結構言うのね」
  • 「じいさん、ばあさん、山のぼろ〜」
    • オレたちひょうきん族」の「ひょうきんベストテン」に近藤真彦として主演した際、これを叫びながら脚立を登り、足を踏み外して股間を強打したことがある。
  • 「うんばらばー」
  • 「イカルスピークサンシン」(呪文のように唐突に唱える。一瞬で空気を変える力を持つ、不思議なギャグ。大阪ほんわかテレビで登場)
  • (ギャグではないが、『痛快!明石家電視台』での発言より)「私は今、耳クソが不足している」「うめだ花月から宝塚の自宅まで車で帰ったが、その間ブレーキを一度も踏まなかった」「私は県庁所在地について語れる」、など。いずれの発言もさんまからツッコミが入り(特に耳クソでは大説教された)、エンディングコーナーの投げ手・すくい手に採用された。
  • (両乳首を両手で引っ張って)「乳離れしたくなーい」
  • (両手を肘から前に出し、機関車のように前後して)「ぐぐかか、ぐぐかか、ぽっぽ〜」
  • セリフはないが、右手を頭の上に持ち上げた状態で手先だけを前に倒し、手に不規則な動きを加える。
    • 本人曰く、アルバイトでパワーショベルを操縦していたことがあり、その動きからヒントを得たとのこと(『痛快!明石家電視台』での発言より)。
    • アレンジとして、ダチョウのような動きになることもある。
  • (手のひらを下にし、顎に当てがって開いたり閉じたりしながら)「ワオ、ワオ!」

山本正之作詞作曲(この曲を元にしたロマンポルノ映画も制作された)。大ヒットして、2000年には「間寛平withアメマーズ」として、フジロックフェスティバルに出演している。『痛快!明石家電視台』ではアドリブで作詞作曲した歌を歌い出すこともしばしばある。
  • ヘビおんな物語(「ひらけ!チューリップ」のB面) ※寛平のコント中のネタとしても良く使われる曲。
  • アタレ!宝くじ(歌手表記名は「間寛平とボーイフレンド」。山本正之作詞作曲。)
  • ゲイボーイ ブルース(「アタレ!宝くじ」のB面)
  • わたしは宇宙人(山本正之作詞作曲。)
  • からから節(「わたしは宇宙人」のB面)
  • Jijy(c/w:カルマは急に止まれない)(山本正之作詞作曲。)
  • あなただけをあおい輝彦のヒット曲のカヴァー。葉月コーラとのユニット「かんコーラ」名義)
  • 大阪で生まれた男(BOROの同名曲とは異曲)
  • なめくじ君(寛平作詞、河島英五作曲、コーラスに萬田久子が参加している)
  • Go!Go!たまご丼
  • えっ!さよなら(島田紳助が作詞・作曲)
  • ジャングルジム
  • 天国野郎
  • やどもり
  • 月光バスボーイ
  • コスモス
  • TALKIN' BLUES
  • RUN RUN RUN(「ファンキー・モンキー・ティーチャー」挿入歌)
  • チャチャマンボ島(信太真妃とのユニット「まきたんとかんぺいたん」名義)

出演

レギュラー番組

以下の番組には、アースマラソンへの出発前から出演。マラソン期間中にも、滞在先から不定期で登場した。

以下の番組には、2012年からレギュラー(または準レギュラー)として出演。

映画

テレビドラマ

過去の出演

レギュラー

ゲスト・単発

※アースマラソン中に現地で日本や現地のテレビ出演などをしていた。

ほか多数

ゲーム

コマーシャル

脚注

テンプレート:Reflist

外部リンク

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  1. 但し、任意整理個人再生の場合でも借入履歴の状況次第で利子が免除される事もある。
  2. 最初は観客全員にもらえたが、後に抽選で観客全員にもらえる方式に変わった。
  3. 無論、本気で怒ったわけではなく寛平とさんまの深い信頼関係ゆえの、さんまにできる限りの渾身のツッコミである。寛平の横にいた福留功男から「さんまさんが怒ってしまうよ〜」となだめられた。
  4. 間寛平さんに功労賞 日本セーリング連盟 産経新聞 2011年3月2日閲覧