エストニア
- エストニア共和国
- Eesti Vabariik
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エストニアの国旗 エストニアの国章 (国旗) 国章 - 国の標語:なし
- 国歌:我が故国、我が誇りと喜び
- エストニアの位置
公用語 エストニア語 首都 タリン 最大の都市 タリン - 政府
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大統領 トーマス・イルヴェス 首相 タービ・ロイバス - 面積
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総計 45,226km2(129位) 水面積率 4.5% - 人口
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総計(2008年) 1,340,000人(149位) 人口密度 30人/km2 - GDP(自国通貨表示)
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合計(2009年) 138億6080万[1]ユーロ (€) - GDP(MER)
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合計(2008年) 232億[2]ドル(93位) - GDP(PPP)
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合計(2008年) 272億[2]ドル(103位) 1人あたり 20,259[2]ドル <tr> <th>独立
- 宣言
- 承認
- 宣言
- 承認<td>ロシアより
ロシア・ソビエト連邦から
1918年2月24日
1920年2月2日
ソビエト連邦から
1991年8月20日
1991年9月6日 </tr>
通貨 ユーロ (€)(EUR) 時間帯 UTC +2(DST:+3) ISO 3166-1 EE / EST ccTLD .ee 国際電話番号 372 </dd> </dl> エストニア共和国(エストニアきょうわこく)、通称エストニア(テンプレート:Lang-en en-us-Estonia.ogg 発音 </span> IPA:[ɛˈstoʊniə]、テンプレート:Lang-et)は、ヨーロッパ北東部の共和制国家。EUそしてNATOの加盟国、通貨はユーロ、人口134万人、首都はタリン。
フィンランド、ロシアと共に、フィンランド湾に面する3つの国の一つである。また、いわゆるバルト三国の一つでもある。
国土は、北はフィンランド湾、西はバルト海に面する。南はラトビア、東はロシアと国境を接する。首都のタリンは、フィンランドの首都ヘルシンキ、ロシアのサンクトペテルブルクと同じく、フィンランド湾に面する主要都市の一つである。
公用語はエストニア語。第一次世界大戦後、1918年、ロシア帝国より独立。第二次世界大戦中、1940年、ソビエト連邦に占領されたが、1991年、同連邦より独立を回復した。
目次
国名
正式名称はエストニア語で、Eesti Vabariik。略称Eesti。
公式の英語表記は、Republic of Estonia。略称Estonia。
日本語表記は、エストニア共和国。通称エストニア。漢字表記は愛沙尼亜(愛沙尼亞)。
歴史
エストニアは13世紀以来デンマーク人、ドイツ系騎士団、スウェーデン、ロシア帝国と外国勢力に支配されてきた。
1917年のロシア革命でロシア帝国が崩壊したのち自治獲得の動きが高まり、まもなく独立運動へと転じた。1918年2月24日に独立を宣言、その後はソビエト連邦やドイツの軍事介入を撃退して独立を確定させた。1921年には国際連盟にも参加したが、1940年にソビエト連邦に占領され、1941年から1944年まではナチス・ドイツに占領されたが、第二次世界大戦末期の1944年にはソ連軍に再占領され、ソ連に併合された。ソ連崩壊直前の1991年に独立回復を宣言し、同年には国際連合にも加盟した。
1994年8月31日にロシア軍が完全撤退した後、西欧諸国との経済的、政治的な結びつきを強固にしていった。2004年3月29日、北大西洋条約機構 (NATO) 加盟。さらに、2004年5月1日には欧州連合 (EU) に加盟した。ロシア連邦との間に国境問題が存在するが、EU加盟で棚上げになっている。
2007年4月27日、テンプレート:仮リンク撤去事件を機に「テンプレート:仮リンク」と呼ばれるロシア系住民による暴動がタリンで起こり、ロシアとの関係が悪化した。同時にロシアから大規模なサイバー攻撃(DDoS攻撃)が行われ、国内全体で通常時の数百倍のトラフィックが氾濫し、国内のネット機能が麻痺した。 テンプレート:Seealso
ソビエト連邦とナチスドイツによる占領と抑圧を受けた経緯から、「鎌と槌」と「鉤十字」の使用と掲揚は、2007年施行の法律で禁止されている。
2014年2月18日、ロシアのラブロフ外相とエストニアのパエト外相は、旧ソ連時代の国境線に従って両国国境を画定する条約に調印した。領土について一切譲歩しないという姿勢のロシアと、早期の国境画定を促すEUやNATOに押され、エストニアはペツェリ地区への主張を放棄することになった[3]。 テンプレート:Clearleft
政治
政体は共和制。議会(リーギコグ、Riigikogu)は一院制で、任期は4年である。大統領は議会によって選ばれ、任期は5年である。2007年2月26日から28日に世界で初めて議会選挙に関してインターネットを利用した電子投票を行った。[4]
フランスと同じく、エストニアは欧州連合(EU)加盟国中で朝鮮民主主義人民共和国と国交を結んでいない国の一国である。
軍事
テンプレート:Main 陸海空の三軍のほか、郷土防衛部隊としてのKaitseliitを有する。NATOに加盟し西側諸国と同盟関係にある。国勢貢献として、アフガニスタンやイラクにも人員を派遣した。また徴兵制度により18から28才の男性は8から11ヶ月の兵役をつとめる。
エストニア軍は、第一次世界大戦後の独立に際して創設されたが、第二次世界大戦以降はソ連への併合による赤軍の駐留やドイツの占領に伴う反共義勇兵の供出などが行われていた。現在のエストニア軍は1991年の再独立にともなって再創設された。
地方行政区分
15の県 (maakond) に分かれる。なお、括弧内はある程度流通していると思われる日本語の慣用読みである。
- ハリュ県(ハリウ県) テンプレート:Interlang
- イダ゠ヴィル県 テンプレート:Interlang
- レーネ゠ヴィル県(ラーネ゠ヴィル県) テンプレート:Interlang
- ラプラ県 テンプレート:Interlang
- ヒーウ県 テンプレート:Interlang
- イェルヴァ県 テンプレート:Interlang
- レーネ県(ラーネ県) テンプレート:Interlang
- ヨゲヴァ県 テンプレート:Interlang
- ペルヌ県(パルヌ県) テンプレート:Interlang
- ヴィリャンディ県 テンプレート:Interlang
- サーレ県 テンプレート:Interlang
- タルトゥ県 テンプレート:Interlang
- ポルヴァ県 テンプレート:Interlang
- ヴァルガ県 テンプレート:Interlang
- ヴォル県 テンプレート:Interlang
地理
国土の最高標高318m、スールムナマギ(大きな卵の丘)。国土の50.5%が森林。
首都タリンから、フィンランド湾の北の対岸フィンランドの首都ヘルシンキまで85km、同じく湾の東奥ロシアのサンクトペテルブルクまで350kmである。[1]
地形
- サーレマー島(エーゼル) テンプレート:Interlang / Ösel
- ヒーウマー島(ダーグエー) テンプレート:Interlang / Dagö
都市
- クレッサーレ(アレンスブルク) テンプレート:Interlang / Arensburg
- タリン(レーファル) Tallinn / Reval
- ペルヌ(ペルナウ) テンプレート:Interlang / Pernau
- タルトゥ(ドルパット) Tartu / Dorpat, Derpt
- ナルヴァ テンプレート:Interlang / Narwa
- ヴァルガ(ヴァルク) テンプレート:Interlang / Walk
- コフトラ・ヤルヴェ(コホテル゠テュルプザール) テンプレート:Interlang / Kochtel-Türpsal
- ヴィリャンディ(フェリーン) テンプレート:Interlang / Fellin
- クンダ テンプレート:Interlang
- ムーガ(ミュンケンホーフ) テンプレート:Interlang / Münkenhof
- パルディスキ(ローガーヴィーク) テンプレート:Interlang / Rogervik
- ハープサル(ハプザール) テンプレート:Interlang / Hapsal
- サク テンプレート:Interlang
リヴォニア帯剣騎士団・ドイツ騎士団・スウェーデン・ロシアの支配を経験したため、市町村に複数の名称がある[5]。
自然
国立公園
- カルラ国立公園 テンプレート:Interlang
- ラヘマー国立公園 テンプレート:Interlang
- マッツァル国立公園 テンプレート:Interlang
- ソーマー国立公園 テンプレート:Interlang
- ヴィルサンディ国立公園 テンプレート:Interlang
経済
エストニアはバルト3国中で最も経済状況は良好である。フィンランドから高速船で1時間半という立地と、世界遺産に登録されたタリン歴史地区を背景に、近年は観光産業が発達している。1年間の観光客数は500万人を超えるともいわれる。その他にもIT産業が堅調で最近では、eストニアと呼ばれている[6]。ヨーロッパのIT市場においてオフショア開発の拠点となっており[7]、IT技術者が多い。ヨーロッパではハンガリーに次いでハッカー(クラッカーとは別の意なので注意)が多いとも言われる。
また、アメリカの大手シンクタンク・ヘリテージ財団による経済自由度指標[8]では、世界第13位(2009年現在)にランク付けされており、政府による経済統制は殆どないとされる。即ち、エストニアの経済構造は、近隣の北欧諸国のような市場調整型ではなく、アングロ・サクソン諸国(アメリカやイギリス)のような市場放任寄りである。このような構造で好調な経済成長を遂げている小国の例に、アイルランドやシンガポールがある。
通貨は、2010年までクローンを用いていたが、1度の延期(2007年)を経て2011年1月1日にユーロへの移行が完了した。1999年のユーロ導入以来17カ国目で、旧ソ連圏から初めてユーロ圏の一員となった。 2010年には、イスラエル、スロベニアとともにOECD加盟国となった。 テンプレート:Clearleft
国民・言語
住民は、フィン・ウゴル系のエストニア人テンプレート:Enlinkが69.7%、ロシア人が25.2%、ウクライナ人が1.7%、ベラルーシ人が1.0%、フィンランド人が0.6%、その他3.8%である(2011年)。1989年のソ連時代はエストニア人61.5%、ロシア人30.3%であった。
テンプレート:Seealso ソ連からの独立後、国内に残った残留ロシア人の問題を抱え、全人口の7.03%がロシア国籍、7.26%が無国籍者(大多数はロシア人)である。
国語・公用語であるエストニア語は国民の83.4%の母語であり、フィンランド語と同じく、ウラル語族の言語である。ロシア語を母語とする人は15.3%を占める。
その他、フィンランド語、ドイツ語、英語、スウェーデン語が比較的よく通じる。[2]
宗教は、福音ルター派、正教会など。キリスト教圏だが、歴史的な問題により国民の信仰は比較的薄い。
文化
食文化
世界遺産
テンプレート:Main エストニア国内には、ユネスコの世界遺産リストに登録された文化遺産が2件存在する。
- Tallinna vanalinn.jpg
タリン歴史地区 - (1997年、文化遺産)
- Hammerfest Meridianstein.jpg
シュトルーヴェの測地弧 - (2005年、文化遺産)
祝祭日
日付 日本語表記 エストニア語表記 備考 テンプレート:0[[1月1日|1月テンプレート:01日]] 元日 Uusaasta テンプレート:02月24日 独立記念日 Iseseisvuspäev 復活祭の前々日 聖金曜日 Suur reede 移動祝日(日曜日) 復活祭 1.ülestõusmispüha 復活祭の翌日 復活祭月曜日 2.ülestõusmispüha テンプレート:0[[5月1日|5月テンプレート:01日]] メーデー Kevadpüha 復活祭後の第7日曜日 聖霊降臨祭 テンプレート:06月14日 記念祭の全国日 Leinapäev 1941年のこの日にエストニア人の巨大追放が行われた。 テンプレート:06月23日 戦勝記念日 Võidupüha ドイツ軍をエストニア解放戦争で破ったことを記念 テンプレート:06月24日 夏至祭・聖ヨハネ祭 Jaanipäev テンプレート:08月20日 独立回復記念日 Taasiseseisvumispäev 12月24日 クリスマスイブ Jõululaupäev 12月25日 クリスマス 1. jõulupüha 12月26日 ボクシング・デー 2. jõulupüha 著名な出身者
脚注
関連項目
テンプレート:Commons&cat テンプレート:Sister
外部リンク
テンプレート:Link GA- ↑ Eurostat, data as of 21-12-2010
- ↑ 2.0 2.1 2.2 IMF Data and Statistics 2009年7月18日閲覧([3])
- ↑ ロシアとエストニアが国境確定 NHKニュース 2014年2月19日 5時38分
- ↑ http://news.bbc.co.uk/2/hi/europe/6407269.stm
- ↑ 以下のリンクなどを参照。 [4] , [5], [6], Liste der Städte in Estland, [7]
- ↑ 講談社>現代メディア「またの名を「eストニア」バルトの小国はEU期待の星」
- ↑ Skypeが開発されたのもタリン
- ↑ http://www.heritage.org/index/Ranking.aspx