タリン

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タリンTallinn)は、バルト海東部のフィンランド湾に面するエストニア共和国首都。旧称はレバルドイツ語デンマーク語: テンプレート:De)、ロシア帝国時代の名はレーヴェリテンプレート:Ru)、ソビエト連邦時代の名はタリンテンプレート:Ru)である。人口約42万。市街が世界遺産『タリン歴史地区』に指定されている。

タリンは、フィンランドの首都ヘルシンキロシアサンクトペテルブルクと同じく、フィンランド湾に面する主要都市の一つであり、2011年欧州文化首都である。

フィンランド湾南岸のタリンから、同湾北岸のヘルシンキまでは85km、同湾東奥のサンクトペテルブルクまでは350kmの距離である。[1]

市名

1154年イドリースィーの手によるムラービト朝の世界地図では「クルワン」 (Qlwn) として記されている。また東スラブの年代記では「コリヴァン」(Kolyvan) とも表記されているが、これらはエストニアの神話に出てくる英雄「カレフ」(Kalev) に由来する。13世紀まではリヴォニアスカンディナヴィアの人々は、「リンダニサ」(Lindanisa) と呼んでいた。これはエストニアの国民的叙事詩であり、その英雄であるカレビポエクの母の名に因んでいる。彼女は亡き夫の墓を作るために岩を積み上げ、それがトームペアとなった、とされる。

1291年デンマークに占領されると、エストニアの地方名の古名から「レバル」(Reval) となった。

1918年にエストニアが独立すると「タリン」となった。エストニア語で「デンマーク人の城」という意味である。

歴史

1050年に、今日トームペアと呼ばれる中心部の丘に最初の要塞が建設される。トームペアとはドイツ語で「聖堂の立つ丘」の意味である。13世紀初頭には、ドイツ騎士団デンマーク王らによる北方十字軍により、ロシアスカンジナビア結ぶ軍事戦略地点として大いに着目される。またノヴゴロドと西欧を結ぶ中継貿易で繁栄を築く。

1219年、デンマーク王バルデマー2世十字軍を率いて侵攻し、ここにトームペア城を築いた(これが「タリン」の名の由来となった)。1285年にはハンザ同盟に加わった。ハンザ同盟都市としては最北に位置する。1346年デンマークはバルト海東海岸地域の植民地銀貨1万3000マルクでドイツ騎士団に売却し引き上げた。これ以降、20世紀になるまでドイツ人の影響が残る。しかし1561年、ドイツ騎士団は解体し、1583年、エストニア(エストラント)はスウェーデンに割譲され、その後、現エストニアのリヴォニア北部も支配下に入る。その後1710年大北方戦争によりロシア帝国の支配下に入った。

1918年にエストニアが独立するとその首都となった。しかしその後ドイツ帝国の軍事占領を受ける。ソ連との戦争を経て、1920年タルトゥ条約で、独立が承認される。第二次世界大戦初期の1940年、ソ連の軍事占領を受け、1941年から1944年の間は、ナチス・ドイツの占領下にあった。ナチス・ドイツの撤収後は、ソ連が再侵攻し、ソ連領とされる。

1980年代後半、ソ連の崩壊の兆しとともに独立の気運が高まり、1988年、タリン近郊の「歌の原」に約30万人(当時エストニア全土の人口は約150万人)が集い、ソ連により禁止されていたエストニアの民謡などを歌う事件があった。これによりますます独立の気運は高まり、1989年にはタリン、リガヴィリニュスバルト三国の3都市を「人間の鎖」で結ぶ運動に100万人が参加した。1991年に独立を達成。このことからエストニアの独立は「歌による革命」とも言われることがある。

気候

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人口構成・言語

テンプレート:Bar box テンプレート:Bar box タリンの人口は43万772人(2014年)であり、2013年の住民の民族構成はエストニア全体の統計と比べると、ロシア人の割合が高い。在住のロシア人やウクライナ人の多くはエストニア国籍を保持しておらず、EU内では最もEU以外の国籍を持つ住民が多い都市となっており、2009年統計によると全体の22%がEU以外の国籍住民者である。また、言語も公用語であるエストニア語と公用語になってないロシア語の割合が拮抗している。

経済

資本主義社会への移行、EU加盟などを機にして、タリンの経済は大きく変貌を遂げた。第一に、西側資本の流入が挙げられる。とりわけ、隣国フィンランド企業のタリンへの進出が盛んで、百貨店ストックマンがショッピングモールを開業させた。また、北欧資本のホテルの開業も相次いでいる。情報技術(IT)産業が盛んで、「バルト海のシリコンバレー」とも呼ばれ、実際に、タリンはカリフォルニア州シリコンバレーの都市ロス・ガトスと姉妹都市になっている。Skypeスカイプが開発されたのもタリンである。

タリン旧市街

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旧市街は、下町のローワータウン(Lower Town)と山の手のトームペアから成る。

ローワータウンは、城壁など欧州でも最も保存状態の良い旧市街地の1つである。

  • ラエコヤ広場
  • 旧市庁舎
  • 市議会薬局
  • 聖ニコラス教会
  • 聖霊教会
  • グレートギルド会館
  • 聖オラフ教会
  • 太っちょマルガレータの塔
  • 三人姉妹の家
  • 聖ミカエル修道院

山の手のトームペアは、石灰岩でできた丘で、トームペア城を中心に歴史的建造物が多い。1219年6月15日、この地の攻防戦の際にデンマーク国旗は誕生した。トームペアを中心にタリン歴史地区は、1997年ユネスコ世界遺産に登録された。

  • トームペア城
  • アレクサンドル・ネフスキー聖堂
  • トームキリク
  • キーク・イン・デ・キョク

交通

海路

フィンランド湾を隔てて向かい合うヘルシンキとはわずか80キロしか離れておらず、フェリーで3時間程度、高速船なら1時間半程度の距離である。フィンランドよりも物価(特に酒類)が安いため、タリン市内へ多くの買い物客が訪れる。オーランド諸島ストックホルムやドイツのロストックなどにもフェリーの定期便がある。欧州でも最大規模の船会社であるエストニアのタリンクのハブ港である。

道路

ヘルシンキからタリン・リガワルシャワを通ってプラハに到る高速道路「Via Baltica」(en)の北側の基点にあたり、北欧と中欧を結んでいる。

鉄道

サンクトペテルブルクリガなどには鉄道が通じていたが、エストニア国鉄の路線運行見直しにより直通列車は運行していない。GO Railの運行によりモスクワレニングラーツキー駅への便だけが運行されている。

ローカル線も廃止された区間が多く、利用価値があまりない。その反面、長距離バスは充実している。ユーロラインズを初め各社が、国内、サンクトペテルブルクや、バルト三国の諸都市、ドイツイギリスポーランド等への路線を運行している。ラトビアの首都リガからは、バスで約5~6時間、サンクトペテルブルクからも6~7時間である。

航空路

市内から4km、ウレミステ湖の東岸にあるタリン空港(ウレミステ空港)には、エストニア航空の国際線のほか、ヨーロッパの主要エアラインが乗り入れる。空港の拡張近代化工事は2008年に完了した。ヘルシンキとの間にはヘリコプターによるコミューター便もある。

市内交通

バス、市電およびトロリーバスがある。なお、タリン市民は発行されるカードを使うことで、無料でこれら交通機関を利用できる。

姉妹都市

脚注

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関連項目

外部リンク

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