津幡町
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テンプレート:Infobox 津幡町(つばたまち)は、石川県の中央部に位置する町。河北郡に所属する。金沢市への通勤率は42.4%(平成17年国勢調査)。
津幡の地名は、この地域が津幡川と河北潟を行き来する舟(船)の津(停泊地)の端であるのが由来とされる。
目次
地理
隣接している自治体
歴史
古代から北陸道の能登国への分岐点として宿場町が栄えた。倶利伽羅峠で、木曾義仲が「火牛の計」を用いて平家を破ったという伝説が残っている。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い、津幡・清水・加賀爪・庄の各村が合併して津幡町が発足する。
- 1954年(昭和29年)3月31日 - 津幡町、中条村、笠谷村、井上村、英田村が合併して、津幡町(新設合併)が発足する。
- 1954年(昭和29年)5月16日 - 羽咋郡河合谷村を編入する。
- 1954年(昭和29年)10月1日 - 森本町の一部(浅谷)を編入する。
- 1957年(昭和32年)2月1日 - 倶利伽羅村を編入する。
- 1964年(昭和39年)7月17日 - 津幡川の氾濫による水害が発生し、3人が死亡、771戸が浸水する。
- 1983年(昭和58年)5月22日 - 町内で、第34回全国植樹祭が開催される。
- 1990年(平成2年)11月 - 国道8号くりからバイパスの供用を開始する。
- 1994年(平成6年)9月25日 - 町内で、第18回全国育樹祭が開催される。
- 1996年(平成8年)6月1日 - 金沢市との境界の一部を変更する。
人口
行政
町長
代 | 人 | 氏名 | 就任 | 退任 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
1 | 1 | 倉知与 | 1889年(明治22年)5月29日 | 1892年(明治25年)1月5日 | |
2 | 2 | 久世嘉左衛門 | 1892年(明治25年)6月21日 | 1896年(明治29年)2月12日 | |
3 | 3 | 浅川甚太郎 | 1896年(明治29年)11月21日 | 1899年(明治32年)3月27日 | |
4 | 4 | 橋安二郎 | 1899年(明治32年)4月11日 | 1899年(明治32年)7月9日 | |
5 | 5 | 矢田弥作 | 1903年(明治36年)7月9日 | 1907年(明治40年)7月8日 | |
6 | 1907年(明治40年)9月11日 | 1911年(明治44年)9月10日 | |||
7 | 1911年(明治44年)10月7日 | 1915年(大正4年)10月6日 | |||
8 | 6 | 山名作太郎 | 1915年(大正4年)11月4日 | 1919年(大正8年)11月3日 | |
9 | 1919年(大正8年)11月8日 | 1923年(大正12年)11月7日 | |||
10 | 7 | 村覚太郎 | 1923年(大正12年)11月14日 | 1924年(大正13年)11月14日 | |
11 | 8 | 由雄正造 | 1924年(大正13年)11月24日 | 1928年(昭和3年)11月23日 | |
12 | 1928年(昭和3年)11月 | 1932年(昭和7年)11月 | |||
13 | 1932年(昭和7年)11月 | 1936年(昭和11年)11月 | |||
14 | 1936年(昭和11年)11月 | 1937年(昭和12年)1月7日 | |||
15 | 9 | 村弥一 | 1937年(昭和12年)1月8日 | 1941年(昭和16年)1月7日 | |
16 | 1941年(昭和16年)1月 | 1943年(昭和18年)9月29日 | |||
17 | 10 | 岡本良 | 1943年(昭和18年)9月30日 | 1946年(昭和21年)11月11日 | |
18 | 11 | 久世嘉與 | 1947年(昭和22年)4月5日 | 1951年(昭和26年)4月4日 | |
19 | 12 | 村佐一 | 1951年(昭和26年)4月23日 | 1954年(昭和29年)3月30日 |
代 | 人 | 氏名 | 就任 | 退任 | 備考 |
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1 | 村佐一 | 1954年(昭和29年)3月31日 | 1954年(昭和29年)4月24日 | 町長職務執行者 | |
1 | 1954年(昭和29年)4月25日 | 1958年(昭和33年)4月24日 | |||
2 | 1958年(昭和33年)4月25日 | 1962年(昭和37年)4月24日 | |||
3 | 2 | 久世嘉與 | 1962年(昭和37年)4月25日 | 1966年(昭和41年)4月24日 | |
4 | 3 | 酒井長寿 | 1966年(昭和41年)4月25日 | 1970年(昭和45年)4月24日 | |
5 | 4 | 矢田剛 | 1970年(昭和45年)4月25日 | 1974年(昭和49年)4月24日 | |
6 | 1974年(昭和49年)4月25日 | 1978年(昭和53年)4月24日 | |||
7 | 1978年(昭和53年)4月25日 | 1982年(昭和57年)4月24日 | |||
8 | 1982年(昭和57年)4月25日 | 1986年(昭和61年)4月24日 | |||
9 | 1986年(昭和61年)4月25日 | 1990年(平成2年)4月24日 | |||
10 | 1990年(平成2年)4月25日 | 1994年(平成6年)4月24日 | |||
11 | 1994年(平成6年)4月25日 | 1998年(平成10年)4月24日 | |||
12 | 1998年(平成10年)4月25日 | 2002年(平成14年)4月24日 | |||
13 | 5 | 村隆一 | 2002年(平成14年)4月25日 | 2006年(平成18年)4月24日 | |
14 | 2006年(平成18年)4月25日 | 2010年(平成22年)4月24日 | |||
15 | 6 | 矢田富郎 | 2010年(平成22年)4月25日 | 2014年(平成26年)4月24日 | |
16 | 2014年(平成26年)4月25日 | 現職 |
- 町長 - 矢田 富郎(やた・とみろう)
経済
産業の概要
産業別の就業人口は以下のとおり[1]。
- 第一次産業就業人口 : 554人
- 第二次産業就業人口 : 5,880人
- 第三次産業就業人口 : 11,115人
工業
- 主な事業所
商業
- 大規模な商業施設
- その他の特徴的な商業施設
地域
警察
- 津幡警察署
- 津幡南交番
- 倶利伽羅駐在所
- 能瀬駐在所
消防
- 津幡町消防本部
医療
- 河北中央病院
教育
- 高等学校・高等専門学校(高専)
- 中学校
- 津幡町立津幡中学校
- 津幡町立津幡南中学校
- 小学校
- 津幡町立津幡小学校
- 津幡町立中条小学校
- 津幡町立条南小学校
- 津幡町立太白台小学校
- 津幡町立英田小学校
- 津幡町立井上小学校
- 津幡町立笠野小学校
- 津幡町立刈安小学校
- 津幡町立萩野台小学校
交通
鉄道
道路
- 地域高規格道路
- 月浦白尾IC連絡道路
- 町内では全区間、津幡バイパスの名称で供用されている。
- 月浦白尾IC連絡道路
- 一般国道
- 県道
- 道の駅
路線バス
- 子会社のほくてつバスがかつての国道8号や国道159号であったルート(現在の石川県道215号森本津幡線、石川県道59号高松津幡線)およびその旧道を中心に路線バス(津幡線:兼六園下・野町駅 - 本津幡駅)を運行している。
- かつて北陸鉄道や加越能鉄道が運行していた路線を継承したものを中心に、津幡町域全般に路線網を展開している。
- 8路線が運行されており、全ての路線が津幡駅に乗り入れるほか、4路線が中津幡駅および近隣を経由する。また、各路線とも複数の経由ルートが設定されているほか、複数の路線をあわせた「津幡駅循環線」が構成されている。運賃は、区間によって150円から430円の7段階が定められているほか、回数券や定期券が発行されている。
- 路線 : 相窪線、九折線、池ヶ原線、河合谷線、井上線、緑が丘線、潟端線、旭山線
名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
名所・旧跡
神社
出身人物
- 川井梨紗子 - レスリング選手
- 中川了滋 - 弁護士、元最高裁判所判事
- 村田喜一 - 水産学者、水産食品化学の第一人者、元函館大学学長
- 重原佐千子 - フリーキャスター、電卓名人
- 勝崎正夫 - 経営者、勝崎館先代社長
脚注
外部リンク
- ↑ 2000年国勢調査による。
- ↑ テンプレート:PDFlink - 津幡町(2012年2月1日改正、同年5月12日閲覧)
- ↑ テンプレート:PDFlink - 津幡町(2012年2月1日改正、同年5月12日閲覧)