長崎自動車
長崎自動車(ながさきじどうしゃ)は長崎県長崎市に本社を置く路線バス事業者である。営業エリアの広さの割に保有車両数が多く、約600台(子会社保有車両を除く)を保有する。本社所在地は長崎市新地町3番17号(長崎新地ターミナル内)。通称は長崎バス、または長バス。
西海市は一部を除き子会社のさいかい交通が、貸切バスについては、子会社の長崎バス観光が運行している。
目次
沿革
大正末期から昭和初期にかけて多数の個人事業者が弱小資本で路線バス事業者を乱立する流れがあり、1933年(昭和8年)時点で全国のバス事業者数4311社、1業者あたりの平均営業キロ数30.1キロ、平均保有台数5台という状況であったテンプレート:Sfn。長崎自動車もこの乱立された事業者を源流とする。1936年(昭和11年)、雲仙地区で雲仙小浜自動車を運営していた鹿児島出身の豪商上野喜左衛門は長崎市のバス事業に目を付け、長崎市内で競合していた崎陽(きよう)自動車商会、金子自動車商会を買収・合併して茂木乗合自動車を設立したテンプレート:Sfn。その後、上野のバス会社は長崎自動車と名を変え、乱立された長崎県西部 - 南部の小規模事業者を10年ほどかけて次々に買収・統合して規模を拡大した。第二次世界大戦末期までに主な事業者の統合が終わり、終戦の頃には長崎市から長崎半島と西彼杵半島に渡る路線権を持つ、規模の大きな事業者となっていたテンプレート:Sfn。なお、長崎自動車の買収・合併と同時期となる1944年(昭和19年)に政府鉄道省より「バス事業の統合による総力の集結を求める通達」が出され、長崎県内では他にもバス事業者の統合が行われているテンプレート:Sfn。
年譜
- 1936年(昭和11年)
- 4月28日 - 上野喜左衛門の出資により長崎・茂木乗合自動車株式会社が設立されるテンプレート:Sfn。
- 本坊豊吉ら7名が発起し、崎陽自動車商会と金子自動車商会を買収して創立。(資本金3万円)テンプレート:Sfn
- 8月15日 - タクシー部を設立することに伴い社名を長崎自動車株式会社(現在名)に改称テンプレート:Sfn。(資本金7万5,000円テンプレート:Sfn)
- 運行当初の路線は、鍛冶屋町から茂木町本郷までの8.1kmテンプレート:Sfn。
- 車両は1629年式フォードほろ型6人乗り乗用車6台を使用。従業員数は20名テンプレート:Sfnテンプレート:Sfn。
- 10月 - タクシー部を創設。(タクシー20台)テンプレート:Sfn
- 4月28日 - 上野喜左衛門の出資により長崎・茂木乗合自動車株式会社が設立されるテンプレート:Sfn。
- 1938年(昭和13年)1月26日 - 本社(鍛冶屋町)とタクシー部(大浦八坂町)を、元船町(後の大波止営業所)に移転テンプレート:Sfnテンプレート:Sfn。
- 1941年(昭和16年)1月 - タクシー部を、新設の日の丸自動車株式会社に譲渡し、バス事業一本で新発足テンプレート:Sfnテンプレート:Sfn。
- 前年1940年(昭和15年)末頃、長崎市内にタクシー業者が乱立したため、経営が苦しくなり、戦時統合の行政指導に従ったものテンプレート:Sfn。
- 1945年(昭和20年)
- 8月9日 - 長崎市に原爆が投下され、大きな被害を受けるテンプレート:Sfnテンプレート:Sfn。
- 10月 - 焼失車両の中から6両の代燃車を復旧整備して営業を再開テンプレート:Sfnテンプレート:Sfn。
- 1947年(昭和22年)
- 9月1日
- 時津村(現・時津町)にて、エンジンが停止し、ブレーキも効かなくなった木炭バスが崖から転落しそうになったため、車掌であった鬼塚道夫が自らバスの下敷きとなり、運転手・乗客全員を救ったが、鬼塚はわずか21歳の若さで殉職した。現在は「打坂の地蔵」として祀られているテンプレート:Sfn[1]。
- 12月 代燃車18台体制となり、認可路線の運行状態が平常に近い状態まで回復するテンプレート:Sfn。
- 9月1日
- 1950年(昭和25年)
- 1月16日 - 県営バスとの間で稲佐橋〜大橋間の相互乗り入れ協定を締結テンプレート:Sfn。
- 9月25日 - 松が枝から岩川町へ整備工場を移転するテンプレート:Sfn。
- 1955年(昭和30年)10月5日 - 茂里町整備工場(面積4,800m²)が完成し、岩川町から移転テンプレート:Sfn。
- 1957年(昭和32年)
- 4月20日 - 福田子供遊園地の開園式を挙行テンプレート:Sfn。
- 9月 - 日本で二例目となる自動ドア(引戸式自動扉)バスを20台導入テンプレート:Sfn。
- 1958年(昭和33年)9月1日 - 油木線の一部と立神線への乗り入れを開始。
- 1959年(昭和34年)6月29日 - 九州で初めて完全冷房バスを導入テンプレート:Sfn。
- 1960年(昭和35年)8月1日 - 長崎・長与間の新路線が開通。
- 1961年(昭和36年)5月4日 - 福田遊園地前発大波止行き路線バスが飽の浦付近で大雨による転落事故。死者2名。負傷者41名テンプレート:Sfn。
- 1961年(昭和36年)10月1日 - 夜間観光バスの運行を開始テンプレート:Sfn。
- 1962年(昭和37年)10月1日 - 茂里町の本社構内に茂里町営業所を新設テンプレート:Sfn。野母半島方面行き路線が発着する長崎市初のバスターミナルとなるテンプレート:Sfnテンプレート:Sfn。
- 1966年(昭和41年)10月22日 - 本社を茂里町から新地町に移転テンプレート:Sfn。
- 1968年(昭和43年) - バスのワンマン化が行われるテンプレート:Sfn。
- 1971年(昭和46年)3月1日 長崎電気軌道のバス部門(電鉄バス)を譲受テンプレート:Sfn。
- 1982年(昭和57年)
- 7月 - 全国で最も早く、全車の冷房化を完了するテンプレート:Sfn。
- 7月22日 - 長崎市大水害で大きな被害を受ける。死者なし、負傷者4名テンプレート:Sfn。
- 1987年(昭和62年)10月1日 子会社として大崎自動車を新設し、大島出張所のバス事業を同社に譲渡。対象は大島町・崎戸町内(いずれも現・西海市)の各路線テンプレート:Sfn。
- 1990年(平成2年) 自動読み取り式運賃箱を順次各営業所へ採用テンプレート:Sfn。翌年1月末までに全車取り付け完了テンプレート:Sfn。
- 1998年(平成10年)1月22日 - 長崎市福田本町にてバスジャック事件発生。乗客2名と運転手が人質となったが2時間後に犯人は確保され、人質も救出されたテンプレート:Sfn。
- 1998年(平成10年) - 初の女性運転士が登場テンプレート:Sfn。
- 2002年(平成14年)1月21日 - 神の島営業所で新しいタイプの運賃箱と共に長崎スマートカード導入・運用開始。(その後3年かけて全営業所で導入・運用開始)
- 2003年(平成15年)10月1日 - 子会社さいかい交通を新設し、瀬戸営業所のバス事業を同社に譲渡。対象は大瀬戸町・西彼町・西海町内(いずれも現・西海市)の各路線テンプレート:Sfnテンプレート:Sfn。
- 2004年(平成16年)
- 7月2日 - 子会社として長崎バス観光を新設し、貸切バス事業を同社へ譲渡テンプレート:Sfn。
- 10月1日 - さいかい交通が大崎自動車を吸収合併テンプレート:Sfn。
- 2005年(平成17年) - 社章がリニューアルされる。
- 2006年(平成18年) - 女性運転士の制服をリニューアルテンプレート:Sfn。また8月に営業所を再編、稲佐橋営業所・茂里町営業所を廃止して柳営業所・ダイヤランド営業所を新設。
- 2007年(平成19年) - 原油価格の高騰に伴い、燃料節約を目的にデジタルタコグラフが導入されるテンプレート:Sfn。
- 2008年(平成20年)10月1日 - バスターミナル併設型大型商業施設「みらい長崎ココウォーク」を廃止した茂里町営業所の跡地に新設テンプレート:Sfn。
- 2014年(平成26年)4月1日 - 東長崎営業所を開設し、東長崎地区に本格参入[2]。
一般路線バス
長崎市内を中心に長崎半島・西彼杵半島一帯を主な営業エリアとして事業を展開しているほか、長崎市内から長崎空港への空港連絡バスも運行している(長崎県営バスと共同運行)。
民間バス事業者としては日本一の運賃の安さ(1キロ当たり21円50銭 全国平均は39円台)で知られている。しかしながら、長崎市中心部で競合する路面電車が全区間一律120円(2009年9月30日までは全区間一律100円)という、これまた日本一の安さのため、長崎市民の間には割高感をもたれている[注釈 1]。
市内でのイベント時には路線バス車両を利用したシャトルバスの運行を担当することが多い。
営業所所在地
長崎バス
- 桜の里営業所
- 長崎市さくらの里3丁目382番3号
- 松ヶ枝営業所
- 長崎市松が枝町6番6号
- 大橋営業所
- 長崎市油木町2番9号
- 神の島営業所
- 長崎市神ノ島町1丁目331番65号
- 時津営業所
- 柳営業所
- 長崎市小ヶ倉町3丁目76番48号
- ダイヤランド営業所
- 長崎市ダイヤランド4丁目10番276号
- 東長崎営業所
- 長崎市平間町373番2号
廃止された営業所
- 常盤町営業所
- 田上営業所
- 瀬戸営業所
- 西海市大瀬戸町瀬戸板浦郷920番10号 2003年(平成15年)9月30日廃止。さいかい交通株式会社として分社化。
- 茂里町営業所
- 長崎市茂里町1番59号 2006年(平成18年)8月31日廃止。跡地はみらい長崎ココウォーク。
- 稲佐橋営業所
- 長崎市光町1番5号 2006年(平成18年)8月31日廃止。
営業所の歴史
戦後復興期の頃は茂木線を茂木営業所、時津線を時津営業所、その他を大波止営業所の管轄としていたが、路線拡大に伴い運行管理が煩雑化したため、市内や郊外の各地に設置した営業所に機能を分散した。1956年(昭和31年)に飽の浦と戸町と瀬戸、1956年(昭和32年)には田上と崎戸と、2年で5営業所が開設されているテンプレート:Sfn。以後、複数の営業所を設けた運行体制となり、各営業所は長年に渡る中で新設や移転、統廃合を繰り返し現在に至る。
自動読取式運賃箱
先端技術の積極的な導入を行なっており、運賃箱は1990年より全国に先駆けて自動読み取り式の運賃箱を採用しているテンプレート:Sfn。バーコード式整理券を運賃箱に投入すると運賃が表示され、硬貨や共通回数券(2004年9月30日で発売中止・2005年3月31日で利用停止)を運賃箱に挿入すると、投入額が表示される。運賃と投入額が合わなければ警告音が鳴り、不正防止に役立っている(運賃と投入額が合えば精算完了音が鳴る)。
自動読取式運賃箱は、1990年 - 1991年から2002年 - 2004年まで使われていた旧型と、2002年 - 2004年にかけて導入された新型がある。
旧型
1989年頃から1990年頃にかけて、小田原機器のRX-FA2型運賃箱が全営業所へ導入された。運賃と投入額の表示は上向きに設置されていた。
この代では、当時実用化が開始された磁気式バスカードに対応しておりテンプレート:Sfn、運輸省からより「昭和63年度バス交通活性化補助」が交付されていたテンプレート:Sfnが、バスカード導入で補助対象になったのは日本で初めてであるテンプレート:Sfn[注釈 2]。整理券にはバーコードが印刷され、運賃精算の際にはバーコードで運賃を読み取り、読み取られた運賃をカードから差し引く方法であったテンプレート:Sfn。営業所や車内での販売は行われなかった。カードは1,000円券(利用額1,100円)・2,000円券(同2,200円)・3,000円券(同3,300円)・5,000円券(同5,500円)の4種類が存在したテンプレート:Sfn。カードに整理券を代用する機能はない。
2002年に長崎県内の事業者共通で使用できるICカード式の長崎スマートカードが導入されることになったため、ICカードに対応した新型運賃箱(後述)に置き換えられることになり、磁気式バスカードは2002年12月31日で発売中止となり、旧型運賃箱も空港線以外は2004年3月までに、空港線も2005年頃までに撤去された。
新型
小田原機器RX-FANの長崎バス仕様。ステップ側に「FAN-長崎」と言う記載がある。2002年頃から2004年頃にかけて、全営業所へ導入された。
長崎スマートカードと同時に導入されたタイプで、カードリーダーを直接運賃箱に組み込み、運賃と投入額の表示が斜め横向きになり、運転者・乗客双方が同じ画面で確認できるようになった。旧型で対応していた磁気式バスカードは使用できない。
車両の特徴
長崎バスの車両は、草創期を除いて基本的にいすゞ・日野・三菱ふそうを採用している。かつて長崎いすゞ自動車(現在いすゞ自動車九州に統合)をグループに持っていた関係上、路線用ではいすゞが中心に導入され、高速・貸切用は日野・三菱が中心である[注釈 3]。例外として1984年(昭和59年)に導入された佐世保線用の二階建車両(現在は廃車)のみドイツドレクメーラー製が採用されているテンプレート:Sfnテンプレート:Sfn。運行に使用する車両は大型車(車体長10~11m級)でほぼ統一され、狭隘路線でも基本的には大型車で運行される。
ボディは各メーカーの純正車体が主流であり、九州の事業者では採用例の多い西日本車体工業も一部の採用にとどまっているテンプレート:Sfn。また、UDトラックス製の車両・富士重工業ボディの車両はこれまで在籍していないテンプレート:Sfn。
ワンステップバスは1999年から導入開始テンプレート:Sfnテンプレート:Sfn(2001年からスロープ板を装備した車椅子対応型を導入し、これと同時に行先表示器もLED標準装備となったテンプレート:Sfnテンプレート:Sfn)、2005年12月からはノンステップバスも導入テンプレート:Sfn(2006年12月より全営業所で運行開始テンプレート:Sfn)。ノンステップバスは2005年導入の1台のみ国土交通省標準仕様ノンステップバスであるが、2006年以降の導入車は坂が多い道路事情を考慮して、床高さが標準仕様より200mm高い特別仕様での導入となっている。このため国土交通省標準仕様ノンステップバスの規格から外れてしまうため、標準仕様を示すステッカーが貼付されていない。
一般路線バス車両の外見的特徴として、1990年より大型車両は行先表示の分割された車両を導入している点を特徴とする。左側に終着地を掲げ、右側に経由地を列挙するテンプレート:Sfnテンプレート:Sfn[注釈 4]。またセーフティウインドを装備した車両も多く、車種によっては事実上長崎バス向けのみの仕様の場合もある[注釈 5]。また特殊装備として左側路肩に向けたコーナリングランプが標準装備されておりテンプレート:Sfn、必要に応じて点灯させている。
現役車両のうち新車は2001年からLED表示の大型行先表示器を標準装備テンプレート:Sfn、それ以前の導入車も行先表示を方向幕からLEDに交換する改造が行われ、現在は中型車の一部を除く全車両の交換改造が終了している。LED交換改造後も引き続き左右分割式の行き先表示が採用された。LED標準装備の車両は当初非分割の表示を採用していたが、現在は全車分割式の表示を採用している。[注釈 6][注釈 7]
一般路線バスにおいての冷房化は早期に実施されており、冷房は1973年導入分から標準装備され、1982年7月から全車が冷房車となっている(一般路線バス事業者では全車冷房化達成第1号)テンプレート:Sfn。ワンステップバスの導入以前は前後扉を基本としており、九州の事業者で採用例の多い中扉4枚折戸はワンステップバスの導入まで採用されなかったテンプレート:Sfn。高速・貸切車両は1997年導入分よりスイングドアが採用された。
かつては塗装を使って車両に広告を施していたが、2005年よりラッピングバスを採用。車体に収まらない写真は車窓にまで広げて貼ってあるテンプレート:Sfn。
カラー
テンプレート:Double image aside ツーステップバスは銀バスとも呼ばれている。戦前は深緑に赤帯、戦後初期は深緑に薄緑帯のデザインであったが、戦後復興期に創業者上野喜左衛門によって明るいイメージというコンセプトで銀地に朱と紺のデザインが考案された。新デザインは全車両に適用され、新車は全て銀バス、既存車は車検の際に塗り直しが行われたテンプレート:Sfn。この頃より車両側面には「長崎バス」と「NAGASAKI BUS」の文字が書かれているテンプレート:Sfn。1984年導入のいすゞキュービック以降新車の塗り分けが変更され、それまで紺色だった車体下部の色が青・朱だった帯がディープピンクに近い赤となり、全体に直線的なカラーリングで明るめのデザインとなった(写真参照)。前面・側面方向幕も大型化し、色もこの代より青地に白文字となったテンプレート:Sfnテンプレート:Sfn。
現在ワンステップバスおよびノンステップバスで採用されているカラーは白をベースに朱と紺のトリコロールで車体側面にNの字があしらわれたもので、1999年に導入されたワンステップバスより採用された。テンプレート:Sfn。2001年以降は交通バリアフリー法により新車導入がワンステップバスおよびノンステップバスのみに限定されたため、事実上の標準色となっている。
なお、かつては急行用車両として銀バスとは別のデザインの車両が導入されたこともあるテンプレート:Sfn。白を基調とした赤帯と青帯のトリコロールカラーで、1980年代に導入された旧デザイン(車両中央で帯が√を描くように曲がっている)と2000年に佐世保急行線用として導入された現存車両(写真参照)の新デザインがあるテンプレート:Sfn。しかし急行路線はその後全て廃止され、現在は急行用車両は一般車両と全く同じ運用に就いている。
観光バスや高速バスなどの車両も、原則としてトリコロールを採用しているテンプレート:Sfn。貸切バスは1979年(昭和54年)導入車両より一般路線バスカラー(当時)のマイナーチェンジ版を採用。現在まで使用されているテンプレート:Sfn。高速バスは現行と異なるデザインや、貸切兼用車両を使用した時期もあるが、1989年(平成元年)導入車より現行デザインが採用されているテンプレート:Sfn。空港バスのみ当初は紺色をベースカラーとしたデザインを採用していたが、2011年(平成23年)導入車より白をベースとしたデザインとなり、既存車も新デザインに変更されたテンプレート:Sfn。
ミニバスは運行開始当初、路線ごとに異なるデザインを採用していたが、ココウォークがオープンした2008年の8月以降、みかんバス(滑石・長与・時津方面)を除く殆どの路線でデザインをココウォークカラーに統一しているテンプレート:Sfn。
車両番号について
長崎自動車の車両はナンバープレートに依存しない形で車両を管理するため、子会社であるさいかい交通、長崎バス観光所属分の車両も含めて1963年より4桁の車両番号が付与されている。その意味は以下のとおりであるテンプレート:Sfn。
- 1桁目…シャーシメーカー(1・2いすゞ、3・4日野、5・6三菱、偶数奇数の割り当ては西暦十位に従う)
- 2桁目…導入年(下1桁)
- 3・4桁目…通し番号
- 小型車は1桁目9、2桁目メーカー、3桁目導入年、4桁目通し番号と言う形になる。
例として、2006年の1番目に導入されたいすゞ製車両は「2601」となる。ただし番号は20年で一巡するため、1966年・1986年・2006年…の1番目に導入されたいすゞの車両も「2601」となる[注釈 8]。なお、番号振りには例外を生じるケースも存在する。
基本的に通し番号には欠番などのルールがなく、一部事業者で忌み番号とされる「XX42」や「XX49」の番号を持つ車両も在籍している。用途別およびコーチビルダー別の区分ルールなどもないテンプレート:Sfn。このため路線バスと高速バス、あるいは純正車と西工架装車が連番になることや、番号が一巡した際に同じ番号が別用途・別ボディの車両に割り振られることもある。
運行している市町村
高速バス・さいかい交通のみ運行の市町村を除く。
主な路線
長崎市は東西を山に囲まれ、中心部の西には浦上川も流れているため、幹線道路が南北をほぼ一直線に走りその周囲に市街地が展開する構造となっている。このため路線は基本的に北部方面が宝町交差点、南部方面が中央橋交差点から枝分かれして南部・東部へ展開する形になっており、中央橋発着の東長崎線以外は殆どが宝町・長崎駅・中央橋を経由する形になる。そのため宝町 - 中央橋間は日中でもバスの本数が極めて多い。長崎駅から中央橋の間は経路が二分され、中央橋方面へ向かう全ての路線が大波止経由か市役所経由のどちらかで運行される。大波止経由は船着場や商業施設夢彩都の側を通り、市役所経由は市役所を初めとしたオフィスビルの建ち並ぶ地区を通る。また、郊外では大型車のすれ違いが難しい道路を通る路線が多いが、中型以下のバスで運行される路線は少なく、狭い道でも大型の車体が通行可能な道路は大型バスで運行される。
1973年(昭和48年)より系統番号を設定しておりテンプレート:Sfn、経由番号は中心部を基準点にどこへ行くかを大まかに示している。行き先の表示が同じでも経由番号が異なれば経路は大きく変わり、所要時間・運賃なども異なる場合がある。中心部を通らない路線や経由番号で示す経路に該当しない路線は経由番号が付与されず、経由地のみの掲示で運行される。行き先表示に方向幕を使用していた頃は大波止経由を青や黒、市役所経由を赤の経由番号で示しており、大波止と市役所の表示を省略することもあったが、LEDの行き先表示では色分けが出来ないため、大波止と市役所は必ず経由地に明記される。LED移行後の色分け表示はバスターミナル内の案内表示など、ごく一部でのみ継続して使用されている。
北部・西部方面 | ||
---|---|---|
系統 | 方面 | 主な目的地 |
1番 | 住吉 | 時津・満永・畝刈・滑石方面等多数 |
2番 | 西町 | 虹が丘 |
3番 | 城栄町 | 下大橋・小江原(こえばる)ニュータウン・相川(あいがわ)等 |
4番 | 西城山 | 下大橋 |
5番 | 稲佐 | 悟真寺前・稲佐山・シンフォニー稲佐の森等 |
6番 | 飽の浦(あくのうら) | 立神・神の島・福田・小江小浦等(旭大橋経由を含む) |
7番 | 長崎駅 | 南部・東部から長崎駅前・長崎駅前南口行き |
8番 | 医学部前 | 江平中・下大橋 |
9番 | 純心校前 | 長与ニュータウン・三川町・恵の丘等 |
100番 | ココウォーク茂里町 | 南部・東部・西部からココウォーク茂里町行き |
200番 | 中央橋 | 日見・矢上方面から中央橋行き |
南部・東部方面 | ||
系統 | 方面 | 主な目的地 |
10番 | 弥生ヶ丘 | 田上・三景台団地・茂木等 |
20番 | 中央橋・新地 | 北部・西部から長崎新地ターミナル(市民病院前行きを含む)・中央橋行き |
30番 | 小ヶ倉 | 樺島・川原・香焼恵里 ・伊王島方面等 |
40番 | ダイヤランド | ダイヤランド車庫・二本松口経由柳営業所入口 |
50番 | 白木 | 風頭山・早坂・飯香の浦(いかのうら) |
60番 | 大浦 | 大平橋・田上・南町経由ダイヤランド車庫 |
70番 | 矢の平 | 風頭山・田上 |
80番 | 網場 | 潮見町 |
90番 | 矢上 | 新田頭・現川駅前・年の神・矢上 |
テンプレート:Double image aside テンプレート:- 番号なし
- 長崎新地ターミナル - 春木町 - 小江原ニュータウン・相川
- 1時間2本程度運行される路線で、春木町経由新地行きには20番が付与されるが、新地発春木町経由は該当する経由番号なしとされる。
- 北部方面 - ココウォーク茂里町・長崎駅前
- 北部方面の路線でココウォーク発着の便はターミナルに乗り入れず、ココウォーク以南を発着する路線と同様に道路上のバス停を使用する。
- 琴海ニュータウン・時津方面⇔長与駅・長与ニュータウン方面
- 時津 - 琴海ニュータウン - 長浦 - 小口港
- 一部区間が長崎市コミュニティバスとして扱われる。
- 中央橋 - 市役所 - 緑町 - 立山(中型バス路線)
- 県営バスと共同運行。
- 住吉 - 泉町 - 西崎団地(中型バス路線)
- 寺川内 - (式見ハイツ - )向町 - 式見・荒毛公園前(中型バス路線)
- 矢上 - 飯香の浦 - 太田尾 - 茂木・田上(中型バス路線)
- ジャスコ前 - 宮郷 - 鶴の尾団地 - つつじヶ丘
時間帯限定の路線
- 長崎バイパス経由線(平日のみ運行)
- 長崎新地⇔時津・溝川方面(長崎市役所・長崎バイパス・川平有料道路経由)
- 長崎新地⇔南陽台・満永方面(長崎市役所・長崎バイパス・川平有料道路経由)
- 長崎新地⇔桜の里・石原方面(長崎市役所・長崎バイパス・川平有料道路経由)
- 三菱重工業長崎造船所通勤用路線
- 長与・時津・桜の里・大橋・西町・相川・浦上駅・福田・ダイヤランド⇔立神・神の島方面
- 長崎市内⇔香焼地区北部
- 各小中高用通学用路線
ミニバス担当路線
名称・愛称 | 区間 | 備考 |
---|---|---|
ゆりちゃん | 江平中学校 - 本原 - 住吉 - 百合野病院 | |
元気くん | ココウォーク茂里町 - 浦上駅前 - 長崎大学病院 - 大橋 - 浦上駅前 - ココウォーク茂里町 | 平日のみの運行。 |
ココウォーク茂里町 - 長崎大学病院 - 本原 - 住吉 | 長崎大学病院への乗り入れは平日のみ。 | |
うみかぜ | ココウォーク茂里町 - 元船町 - 長崎新地ターミナル - 浪の平 - 上戸町 - 二本松団地 | |
ニッキー | 錦三丁目 - 大橋 - 住吉 - 住吉台 | |
みかんバス | 長与ニュータウン(長与NT) - 溝川 - 西時津 - 左底 - 上横尾 | 平日のみミスターマックス時津店へ一部乗り入れ |
長与ニュータウン(長与NT)- サニータウン - 北陽台高下 - 道の尾 - 寺川内 | ||
けやき台線 | 住吉 - 昭和町 - 三川橋 - けやき台 | 2012年(平成24年)4月6日運行開始。平日のみの運行。 |
廃止路線
- 長崎市コミュニティバス 都市部循環バス 「らんらん」
- 長崎駅前 - 大波止 - 長崎新地ターミナル - 崇福寺前 - 長崎歴史文化博物館 - 長崎駅前
- 2010年4月1日より一部ルートを変更し、停留所を増加させることにより、利便性を高め、利用客数の増加を試みたが、利用客数は思ったようには伸びず、2011年3月31日の運行をもって廃止された。詳しくは長崎市コミュニティバスを参照。
- 長崎駅前 - 大波止 - 長崎新地ターミナル - 崇福寺前 - 長崎歴史文化博物館 - 長崎駅前
- ココウォーク茂里町 - 長崎大学病院 - 原爆資料館前 - ココウォーク茂里町(元気くん)
- 2010年4月1日より北部循環線を長崎大学病院まで延長し元気くんに統合。その後2011年4月6日の改正でルートが変更となり廃止。
高速バス
以下の路線がある。〈〉内は共同運行会社。
担当営業所は、県外向け路線(グラバー号・オランダ号・サンライト号)が松ヶ枝営業所(共同運行会社車両の車庫管理なども担当)、空港リムジンが大橋営業所。
夜行便
- 名古屋行き「グラバー号」〈名鉄バス〉
- 大阪・京都行き「オランダ号」〈近鉄バス〉
- 九州の高速バス予約システム「@バスで(ハイウェイバスドットコム 旧:楽バス)」に参加していないため、@バスででの予約ができない。発車オ〜ライネットで予約が可能。
昼行便
- 大分・別府行き「サンライト号」〈長崎県交通局・大分交通・大分バス・亀の井バス・日田バス〉
- 長崎バスはスーパーノンストップ便の一部のみを担当する。夜行便と違い、@バスででの予約自体は可能であるが、長崎バスはサンライト号の窓口業務を行っていない。長崎側の発券業務は長崎県交通局が担当。
空港リムジンバス
- 長崎市内 - 長崎空港線「エアポートライナー」
- ココウォーク茂里町 - 長崎駅前ターミナル - 大波止 - 中央橋 - 長崎新地ターミナル前 - (ながさき出島道路経由) - 長崎空港 〈長崎県交通局〉
- (長崎駅前(構内) - )ココウォーク茂里町 - 浦上駅前 - 大橋 - 住吉 - 道の尾 - 井手園 - (川平有料道路経由) - 長崎空港
- 長崎バスの単独運行。2012年11月1日より[3]。
- 県営バスが同日より運行する住吉経由便とは異なり、昭和町を経由せず道の尾を経由する。長崎駅前からの乗車はできず、長崎大学前や試験場前には停車しない。
- 2013年5月1日より、長崎空港発便のみ長崎駅前まで延長運行。出島道路経由便や県営バス単独運行の昭和町経由便とは異なり、長崎駅前ターミナルではなく構内が降車場である。
廃止路線
- 高速バス「ウィンドミル号」 - 福岡市と長崎オランダ村を結んでいた路線(西鉄バスと共同運行テンプレート:Sfn)
- 特急バス シルクロード - 国道206号・西海橋経由 佐世保線(ドレクメーラー・メテオール(2階建車両)で運行されたテンプレート:Sfn)
- 特急バス シルクロードII - 国道206号・西海橋経由 ハウステンボス行き(西肥自動車と共同運行、日野・グランビューの2階建て車両を導入して運行されたテンプレート:Sfnテンプレート:Sfn)
- 夜行高速「エトランゼ号」 - 長崎~姫路・神戸間を結んでいた路線。利用者減少のため、平成23年6月1日(水)より運行休止
貸切バス
長崎市滑石4丁目6番33号に本社を置く、子会社の長崎バス観光が運営を行なっている。かつては貸切営業所として運営されていたが、2004年に子会社化された。車両は主に50人強が乗れるハイデッカーと25人乗り小型バスが使い分けられるが、シャトルバス専用に路線バスから転用されたものも少数ある。
定期観光バス
1953年(昭和28年)運行開始。1955年(昭和30年)頃には通りかかった観光名所にちなんだ曲を流すミュージックバスを運行していた。また、観光客出迎えの際に女子吹奏楽団が活躍した時期もあったが、競走過熱となったため九州地区バス事業者間で申し合わせが行われ、1965年(昭和40年)に廃止されたテンプレート:Sfn。
現在は長崎市内を巡るコースと、期間限定ながら外海方面の教会などを巡るコースの2種類がある。
このほか、長崎市内から雲仙・島原を観光しながら熊本フェリーにバスごと乗船して熊本県熊本市とを結ぶ「雲仙・長崎オーシャン観光バス」を九州産交観光と共同運行においておこなっている(完全予約制)。
バスツアー
長崎市内や雲仙温泉へのツアーを中心に、九州各地へのバスツアーを運営している。また、長崎バスやさいかい交通の一般路線バスに便乗して移動し、長崎市周辺の観光地への日帰り旅行を行うツアーも企画されている。
その他の事業
コミュニティバス
長崎市が運行する長崎市コミュニティバスの伊王島線、三和線、香焼三和線、野母崎線を担当している。 なお、都市循環線として運営されていたコミュニティバス(愛称 「らんらん」)は2011年(平成23年)3月31日の運行を最後に廃止された。
自動車整備
1992年(平成4年)10月より自動車の車検サービスを請け負っている。当初は普通乗用車と軽自動車のみを受注の対象としていたが、現在は大型車や特殊車の整備も行っているテンプレート:Sfn。業務は神の島営業所近くの整備工場で行われる。
主なターミナル
- 長崎新地ターミナル(本社)
- 北部方面の一部路線と夜行バスが発着する。5面のホームを持つターミナルで、長崎スマートカード・定期券の発売窓口があるほか、ダイエー長崎店やキャンドゥなどがテナントとして入店している。かつては「(長崎・)本社前」という行先表示となっていたテンプレート:Sfn。
- ココウォーク茂里町(ココウォークバスセンター みらい長崎ココウォーク内)
- 南部方面の主要路線はここから発着。敷地内に専用ホーム(乗車用4面・降車用2面)が設けてある他、バスの待機所としても機能する。2006年8月までは営業所兼車庫のバス発着所として、2008年9月22日以降は車庫機能を備えたバスターミナルとして運用されているテンプレート:Sfn。
- 長崎バスが運行している、名古屋、大阪・京都行きの夜行バスや長崎空港(ながさき出島道路経由、県営バスと共同)も同ターミナルに停車している。
- 桜の里ターミナル(桜の里営業所)
- 長崎市西北の交通の要衝。南方滑石・時津・畝刈などの経由便や北方大瀬戸方面の路線を利用可能。
- 本社(長崎新地ターミナル) - 瀬戸線はさいかい交通担当の直通便を除いて全てここで乗換えとなる。
- 1階は営業所の窓口の他に待合室・自販機コーナー・トイレが設けられ、接続待ち・始発待ちの際は乗客がここで休憩できるようになっている。1階の営業所の建屋以外の場所、および2階から上は立体駐車場によるバスの車庫となっている。
関連会社
- さいかい交通
- 長崎バス観光
- 長崎バスターミナルホテル
- みらい長崎ココウォーク(株式会社みらい長崎)
- 長崎バス商事
- ホテル日航ハウステンボス
- 国民宿舎青雲荘
- 五島自動車 ※持分法適用会社
脚注
注釈
出典
参考文献
- テンプレート:Cite book
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関連項目
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外部リンク
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