浦上駅

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テンプレート:Mboxテンプレート:Mboxテンプレート:駅情報 浦上駅(うらかみえき)は、長崎県長崎市川口町にある、九州旅客鉄道(JR九州)・長崎電気軌道(長崎電鉄)のである。 長崎電気軌道は「駅前」も正式停留場名に入り浦上駅前停留場(うらかみえきまえていりゅうじょう)となる。

概要

長崎本線の新・旧線の分岐駅であり、全旅客列車が停車する。2008年3月14日までは寝台特急あかつき」1往復のみが当駅を通過していたが、廃止されたため、当駅を通過する列車は無くなった。2005年2月28日までは「あかつき」の他に寝台特急「さくら」も当駅を通過していた。

特急かもめ」や快速シーサイドライナー」も当駅に停車するため、諫早・佐世保・鳥栖・佐賀・福岡方面から長崎市北部・時津町・長与町などへ向かう玄関口となっている(バスまたは路面電車に乗り換え)。

また、終点の長崎駅まで行かなくても長与方面と市布方面との乗り換えが出来るため、特急や快速と長与方面の気動車との乗り換えをする客も見られる(運賃は最短距離では計算されないため、喜々津乗り換えの場合とは運賃が異なるが、選択乗車制度があるので最短距離で計算できる。ただし、券面表示区間以外は途中下車できない)。但し、当駅発着の2枚きっぷ・4枚きっぷは発売されておらず、これらは長崎駅発着のものを購入することになる。

歴史

1897年(明治30年)7月22日の開業当時、この駅は長崎駅という名であった。今の長崎駅が出来るまでの8年間は終着駅であり、長崎市の表玄関の駅でもあった。現在でも駅前広場の一角に「長崎駅址」の石碑が建てられている。

1945年(昭和20年)8月9日、この駅は長崎への原子爆弾の投下により被爆した。爆心地にかなり近かった為辺りは相当な被害となったが、諫早駅等との間で被災者をピストン輸送する拠点として機能し続けた。被爆後の駅舎は原爆により焼失しバラック建てによる仮復旧の後、1953年(昭和28年)に建てられたものである。

駅舎の南側には、国鉄労働組合により建立された「国鉄原爆死没者慰霊之碑」がある。

年表

  • 1897年(明治30年)
    • 7月22日 - 九州鉄道長崎線の終着駅、「長崎駅」(ながさきえき)として開業。
      • 長与駅との間の区間が開通(長与駅も同日開業)。なお長与駅より先の区間は未開通で、長与駅と早岐駅(同年7月10日開通)は汽船で連絡していた。
      • 当時、現在の長崎・浦上駅間一帯は海で、市中に乗り入れができなかったため、長崎駅は浦上山里村字外開(現・浦上駅所在地)に設置された。
      • 開通初日の長崎駅乗客数は494名、その料金収入は58円30銭5厘であった。
    • 10月 - 長崎港湾埋立工事が始まる。
  • 1898年(明治31年)11月27日 - 長与・大村間の路線が開通し、長崎駅から門司駅までの全線が開通。
  • 1904年(明治37年)11月 - 長崎港湾埋立工事が完成し、埋立地に台場町等の24町が新設される。
  • 1905年(明治38年)
    • 2月 - 浦上から台場町までの1マイルの臨港路線が延長され、仮駅舎が設置される。
      • 埋立工事が完成し、日露戦争勃発によって軍事物資の輸送等の必要性が出てきたため。
    • 4月5日 - 路線延伸により台場町の仮駅舎を「長崎駅」、従来の長崎駅を「浦上駅」(うらかみえき)に改称。
  • 1907年(明治40年)7月1日 - 九州鉄道の国有化に伴い官設鉄道(九州帝国鉄道)の駅となる。
  • 1909年(明治42年)10月12日 - 国有鉄道の線路名称制定により長崎本線の駅となる。
  • 1915年(大正4年)11月16日 - 長崎電気軌道本線(路面電車)の病院下(現大学病院前) - 築町間開通に伴い開業。当初は現在の場所よりやや南にあった。
  • 1945年(昭和20年)
    • 8月9日 - 原子爆弾により被災。爆心地に近く駅舎は全壊。駅員20名が死亡。線路も大橋鉄橋から長崎駅の間は不通となる。
    • 8月10日 - 大橋鉄橋付近・浦上駅・長崎駅間の復旧工事作業が開始。
    • 8月11日 - 午後10時15分長崎駅発の終列車から運行を再開。
  • 1946年(昭和21年)2月 - 長崎電気軌道、長崎駅前・浦上駅前間の路線を復旧。
  • 1947年(昭和22年)5月16日 - 長崎電気軌道、大橋まで一部路線変更の上復旧。
  • 1953年(昭和28年)8月26日 - 旧駅舎が落成[1]し、被爆後8年間のバラック駅舎での営業を終了。
  • 1954年(昭和29年)2月 - 長崎電気軌道の電停が現在の場所に移設。
  • 1972年(昭和47年)10月2日 - 喜々津駅から市布駅を経て当駅に至る長崎本線の新線が開業し、分岐駅となる。
  • 1982年(昭和57年)
  • 1986年(昭和61年)12月19日 - 浦上歩道橋線歩行者専用道路が開通。
  • 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により九州旅客鉄道が承継。
  • 2008年(平成20年)3月15日 - 前日限りで当駅を通過していた寝台特急「あかつき」が廃止されたため、全列車が停車となる。
  • 2012年平成24年)12月1日 - 同駅を含む長崎地区19駅にSUGOCAを導入。
  • 2013年(平成25年)6月 - 長崎本線連続立体交差化事業により、高架化工事のため、駅舎取り壊し開始。
  • 2013年(平成25年)11月末 - 浦上駅仮駅舎完成。
  • 2013年(平成25年)12月14日 - 浦上駅仮駅舎供用開始。

駅構造

JR九州

テンプレート:駅情報 ホームは相対式ホーム2面2線を有する。直営駅みどりの窓口が設置されている。なお、23時台まで博多方面からの特急の到着があることから終日駅員は配置されているが、21:30以降は博多方面への特急が発車しなくなることからみどりの窓口は閉鎖され、この時間帯は自動券売機でのみ乗車券を購入できる。自動券売機が2台設置されている。みらい長崎ココウォークの開業に伴い利用者が増えたため1台増やされた。自動改札機は無いが、SUGOCAの簡易カードリーダーが2台設置されている。駅には改札部分に諫早方面のみ表示するLED式発車案内表示があり、左が市布経由、右が長与経由で、それぞれ2段表示がなされている。また、長与駅止まりの列車は隣の長崎駅と同様「長与まで」と表示される。時刻表は諫早方面は長与経由と市布経由が分けて書かれている。一方、長崎方面はまとめて書かれているほか、始発駅も書かれている。

駅自動放送は周辺の西浦上駅長与駅などと同じ「まもなく、列車がまいります。危ないですから、黄色い線の内側へお下がり下さい。」とだけ流れる、簡易なものが使われている。列車の案内は駅員によって行われる。1・2番ホームとも列車接近案内装置が設置されている。

駅高架化への動き

テンプレート:節スタブ 現在、JR長崎本線連続立体交差化事業により当駅も高架区間に入るため、平屋建ての旧駅舎は一部取り壊され、11月末に仮駅舎が完成し12月14日より供用開始した。それに伴い、2013年5月6日から一時閉店していたファミリーマート[2]トランドールも12月14日より仮駅舎での営業再開した[3][4]。仮駅舎完成までは改札口とみどりの窓口・自動券売機・待合所は旧ファミリーマート跡地に設置していた。仮駅舎はロータリーを狭める形で建設され、現1番ホームを島式1面2線に改造し、現2番ホーム、跨線橋を撤去し、高架化工事を開始する。仮線路は、仮下り線が現在のトイレ(2013年12月撤去予定)付近から現在立体駐車場一階部分、仮上り線が現在の下り線付近に設置される。尚、仮1番ホームは現在の改札口付近に、仮2番ホームは現在の1番ホーム付近に設置する。そのため、仮駅舎とホームの移動は新たに設置する跨線橋での移動となる。高架化完成後は島式1面2線の高架駅となる[5]

のりば

相対式ホーム2面2線を有する地上駅。駅舎側が1番のりば、奥が2番のりばである。1番のりばと2番のりばは跨線橋(屋根あり)で結ばれる。エレベーター、エスカレーターはない。かつては中線があったため、1番のりばと2番のりばの間は広く空いている。

1 テンプレート:Color長崎本線(下り) 長崎行き
2 テンプレート:Color長崎本線(上り) 長与・諫早佐世保佐賀博多方面

その他

浦上駅から諫早方面に200 -300m程進むと、踏切の手前にクロスポイントがあり、これが新線と旧線との分岐点となっている。直進すると旧線、ポイントを曲がると新線である。このクロスポイントの後の踏切から次の長崎トンネルまでの約1.5kmは、長崎本線の新旧線が並走する単線並列区間となっている。現在単線並列区間の踏切は上記の他にもう1箇所あり、長崎電気軌道の専用軌道(複線)とも並走する区間は高架化されている。旧線は電化されておらず、直進する列車は全て気動車である。一方新線は電化されており、気動車電車で運転されている。

長崎電気軌道

テンプレート:駅情報 JR浦上駅前の国道206号上にある相対式ホーム2面2線の併用軌道の停留場である。南側は横断歩道で、北側は歩道橋で繋がっている。以前は国道の横断手段は歩道橋しかなかったが、近年電停の改築に合わせて横断歩道が追加された。なお、この歩道橋はJRの線路を越えて西の浦上川・長崎西高校方面まで繋がっている。かつて戦後の復旧の際に当電停から浜口町電停までは長崎大学医学部・歯学部附属病院の直下を通る路線に一時迂回していた。後に現在の路線に戻っている。なお、迂回していた間、ここには長崎電気軌道で唯一、色灯式の踏切があった。

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利用状況

  • JR九州 - 1日平均乗車人員 2,379人(2010年度)
  • 長崎電気軌道 - 1日平均乗車人員 3,578人(2000年度)

市布経由の列車を利用するために、松山町・住吉方面から路面電車やバスでここまで来てJRに乗り換える利用者も多い。

JR乗車人員推移
年度 1日平均人数
2000 2,095
2001 2,033
2002 1,955
2003 1,888
2004 1,887
2005 1,903
2006 1,908
2007
2008
2009
2010 2,379

駅周辺

文教施設

医療

文化施設

  • 長崎市平和会館
  • 長崎市立歴史民俗資料館
  • 長崎ブリックホール
  • 長崎県総合福祉センター
  • 長崎県障害者職業センター

マスコミ

バス路線

最寄りは国道沿いにある浦上駅前バス停。他にもココウォーク茂里町バス停などの停留所が徒歩圏内にある。

長崎自動車長崎県交通局「浦上駅前」バス停
  • 大橋・住吉・昭和町・西町方面 - 浦上駅前 - 長崎駅前・長崎新地・浜の町・茂木方面
    • 長崎大学病院行きミニバス「元気くん」と浦上駅前始発立神行きは駅前広場から発車する。
    • 長崎空港行きリムジンバス(昭和町経由・道の尾経由)も利用可能。

その他

  • 浦上駅前交番
  • まるなか蒲鉾総本店
  • みらい長崎ココウォーク - 2008年10月1日に浦上駅近くの長崎自動車茂里町営業所の再開発事業計画によって建設された。観覧車をランドマークとする大型商業施設となっている。

隣の駅

九州旅客鉄道
長崎本線(新線、市布経由)
テンプレート:Color快速「シーサイドライナー」(下記以外の列車)
喜々津駅 - (一部現川駅) - 浦上駅 - 長崎駅
テンプレート:Color快速「シーサイドライナー」(諫早 - 長崎間各駅停車)
現川駅 - (肥前三川信号場) - 浦上駅 - 長崎駅
テンプレート:Color普通
現川駅 - (肥前三川信号場) - 浦上駅 - 長崎駅
長崎本線(旧線、長与経由)
テンプレート:Color普通
西浦上駅 - 浦上駅 - 長崎駅
長崎電気軌道
テンプレート:Colorテンプレート:Colorテンプレート:Color本線
大学病院前停留場 - 浦上駅前停留場 - 茂里町停留場

関連項目

脚注

  1. 長崎の原爆遺構を記録する会編『新版 原爆遺構 長崎の記憶』海鳥社, 2005年 154頁
  2. 旧:生活列車am/pm
  3. http://www.jrkyushu.co.jp/nagasaki/news/2013/05_14_urakami.pdf#search='JR%E4%B9%9D%E5%B7%9E+%E6%B5%A6%E4%B8%8A%E9%A7%85+%E5%B7%A5%E4%BA%8B' 浦上駅工事のお知らせ 2013年8月2日閲覧
  4. http://www.traindor.com/shop.shtml トランドール 店舗案内 2013年8月1日閲覧
  5. http://www.doboku.pref.nagasaki.jp/~renritu/kouji/siryou/urakami-poster.pdf JR長崎本線の連続立体交差事業(高架工事)に伴い浦上駅仮駅舎・仮線路を設置します 2013年8月2日閲覧

外部リンク

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