巣鴨中学校・高等学校

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巣鴨学園 校章

巣鴨中学校・高等学校(すがもちゅうがっこう・こうとうがっこう)は、東京都豊島区(旧東京府北豊島郡西巣鴨町)に所在し、中高一貫教育を提供する私立男子中学校高等学校。高等学校では、中学校から入学した内部進学生徒と高等学校から入学した外部進学生徒との間では、3年間別クラスになる併設型中高一貫校[1]

概要

社会学者であり教育者である遠藤隆吉が私財を投じて1910年(明治43年)5月、私塾「巣園学舎」を設立。「硬教育」[2][3]による英才教育を唱え、文武の鍛錬と人格陶冶を実践する場とした。1922年(大正11年)4月、旧制巣鴨中学校設立。硬教育による品性の陶冶、学問労働の一致、長幼の序を以て校是とする。2013年に解体されるまで本学園を物語る学園本館はこのとき建設された。

堀内政三が長きにわたり第4代校長を務め(1956年6月 - 2007年3月)、学園の基礎を築いた。現在の校長は堀内不二夫(第5代校長。2007年4月 -)である。

教育理念は「心身ともに努力主義」である。少年期に学問、体育に励み、精神面、肉体面で優れた「真のエリート」の養成を教育方針としている。特徴として「全教科必修主義」、「全校有段者主義」を掲げ、卒業までに柔道または剣道で初段の実力を培うことを目標にしている。中学校は剣道、高校は柔道または剣道を正規の必修授業科目としている。

心身鍛錬を目指した学校行事も行われている。5月に大菩薩峠越え強歩大会、7月に館山巣園流水泳学校と蓼科学校勉強合宿、11月の国営武蔵丘陵森林公園マラソン大会、1月の寒稽古等、季節に応じた様々な行事がある。

2012年度から2016年度まで新校舎の建設が予定されており、その間、中学生は2012年9月から2014年8月まで約2年間浮間仮校舎(旧・北区立西浮間小学校跡地。埼京線浮間舟渡駅から徒歩1分)に移転していた。

所在地は東京都豊島区巣鴨ではなく、豊島区上池袋(旧東京府北豊島郡巣鴨村)。

校風

学校が温かく生徒を育てる校風である。数々の行事も乗り越える力とともに、仲間と協力し合って人間を磨くことに効果を上げている。

特徴

  • 全校有段者主義の下、卒業式では、有段者や成績優秀者、行事皆勤賞等様々な視点から殆どの生徒を表彰し生徒に巣園メダルを与えている。
  • PTA は無いが、学校の様子は豊富な資料や先輩の作文、巣園新聞等を見ることで生き生きと知ることができる。
  • 2時間目と3時間目の間(業間休み)に業間体操『巣園体操』を実施している。

制服

硬教育の校風に則り、「制服礼服」をモットーとしている。制服は緩みのない型のものが制定されている。ホックを襟元まで常に全部きちんと留めて着る、カラーを付けるなど、制服の規律正しい着こなしが指導される。冬服が正装であるが,5月中旬から10月上旬までは夏服の着用も認められている。前述の通り冬服が正装なので,夏季期間の夏服着用は「許可」という扱い(冬服の着用もOK)だが,夏服期間外の冬服着用は義務であり,夏服着用は特例を除き認められていない。

冬の上着は、紺色、前ホック留め(前の打ち合わせに6個、襟に2個)、左右にベンツ、襟・打ち合わせ・裾・袖口・胸ポケットなどに黒い蛇腹の縁取りが入った、いわゆる「海軍型」の詰襟学生服。丈は着丈58cm程度とかなり短く、他校で違反とされることが多い「短ラン」を公式に採用しているのは、全国でも珍しい。胸にポケットがあるが、両脇にポケットはない。胴回り並びに襟のサイズが一般よりきつく仕立てられ、身体にぶかぶかな制服の購入は禁じられている。

左右の襟には同じ形の金色校章バッジを合計2個付け、襟の内側には、広幅の学校制定白カラーを装着する(首が痛くなるので、市販の幅の狭いカラーに取り替える生徒もいる)。校則が厳しいわりには、学年・組章がなく、中・高別すら制服を見ただけでは分からない。上着の下には、白のワイシャツを、襟の第一ボタンまできちんと留めて着用する。

ズボンは脇ポケットが極端に小さく、ポケットに手が入れられないようにしてある。裾はシングル。

夏季は、上着がなく、両胸ポケットで胸ポケットの蓋に校章がプリントされた、開襟シャツとなる。

黒い革靴が制靴として決まっている。

制鞄もあり、大型で茶色の革製の、往診の医者が持つような学生鞄で、重い。

制帽があったが、1997年に着用が自由化された。

学校行事

大菩薩峠越え強歩大会

5月に行われる。深夜2時から、東京の奥多摩山梨塩山との間に位置する大菩薩峠を越える。全校生徒が参加するが、中学1年生にとっては入学以来初めて経験する行事である。日中に歩く場合に比べて多くの危険が伴うため、先生や卒業生がコースの至る所で生徒の安全を見守っている。天候の良い年には富士山が一望でき、その雄大さを実感することができる。また大菩薩峠には、同名小説を書き残した小説家・中里介山に因んだ「介山荘」がある。

毎年出発地点が交換される。学年ごとに踏破する距離が異なり、2005年に実施された大会では、中学1年生:20.9km、中学2年生/3年生:26.0km、高校1年生:27.0km、高校2年生:33.9km、高校3年生:34.5kmのコースであった。2000年頃までは、小河内ダム駐車場~塩山北中学校の42.3kmが高校生のコースであったが、小河内ダム駐車場が利用できなくなったことにより、高校生のコースが短縮された。

巣園流 館山水泳学校

毎年夏休み中に行われる。現在は中学1年生のみ必修となっており、中学2年生以上は自由参加である。

古くから日本に伝わる伝統的な日本泳法(そのうちの水府流太田派)を学ぶ場として現在に受け継がれている。一重伸し、二重伸し、両輪伸しなどの基本泳法から始め、上級班では各種の抜き手も習い、合宿の最後には遠泳が行われる。遠泳では「遠洋、泳洋」の掛け声で館山湾を横切る。遠泳では両輪伸しで泳ぐことが推奨される。これは、両手は波面のすぐ下を撫でるように水平に円を描いて浮力を得、両足は大きくゆったりと前後に開いてから勢いを付けて閉じる「挟み足」から推進力を得る泳法である。両手両足をシンクロさせて一かきするが、一掻きするごとに数秒間全身を一直線にして「伸し」を取る。両輪伸しでは手は水を掻かないので疲れにくく、また「伸し」を取るたびに体を休めることになるので遠泳向きの泳法である。なお巣園流では他の日本泳法各派同様、ほとんどの泳法で頭を水上に出して泳ぐ。

日本泳法の他西洋泳法も学ぶ。

泳法指導のほか最終日の朝に行われる宿舎対抗の歌合戦の指導にも熱が入る。歌合戦は、声量と迫力に重きが置かれるため、毎夜の歌の指導は荒々しい。

泳力に応じて級分けがあり,上級班になるとヨット和船の操船も習う。

蓼科学校勉強合宿

毎年夏休み中に行われる。長野県蓼科高原にある蓼科学校にて、団体生活を学びながら、普段の授業では触れることのできない分野などを学習する。中学生と新高入生1年が勉強合宿を行う。

創立記念森林公園マラソン大会

創立記念日である11月25日に、毎年国営武蔵丘陵森林公園埼玉県比企郡滑川町)で10km走を行う。全校生必修となっているが、学年によって3分ずつの時間差スタートとしている(制限時間は、中学1年生は90分であるが、高校3年生は75分)。

寒稽古

3学期の授業開始後、ほどなく行われる。剣道・柔道・駆け足(高校生のみ)の3種目からなり、早朝、始業前から稽古が始まる。

全校生徒の参加が推奨され、中1から高2までの参加率は90%以上、高3も2割の生徒が参加する。生徒の通学域の拡大や実質全校参加である事情を鑑み、実施期間はかつてより負担が軽くなり、現在、期間は6日間。最終日には納会が行われ、豚汁が配られる。

球技大会

クラス対抗で中学生はドッジボールハンドボール卓球バレーボールバスケットボールを、高校生はハンドボール、バスケットボール、 バレーボール、卓球、テニスを戦う。最後に各種目の学年優勝クラス同士で学年を超えた決戦を行い、中学優勝、高校優勝を決定する。

スキー教室

2学期が終わると志賀高原のスキー場でスキー教室を開く。スキーはもちろん、温水プールやピザを作ったりして楽しむ。

百人一首大会

校内百人一首歌留多大会は中学・高校別にトーナメント戦で行われる。 百人一首を暗記することが中学1年生の冬休みの宿題として出される。

サマースクール

イートン・カレッジ サマースクール

イートン・カレッジ (Eton College) は1440年に創立され、以後560年間、イギリスの歴史に大きな役割を果たしてきた。王室・貴族階級の子弟が学び、歴代の多くの首相を輩出。中学3年から高校2年の間の夏休みに、希望者はイートン校での勉強と寮生活を堪能できる[4]。毎年約20名が参加できる。日々の英語の授業に加え、大英博物館を訪れたりして文化歴史も学ぶ。応募として、英検2級以上を取っていることと、学内の実力テストで希望者の上から20番以内に入ることが条件。

オーストラリア中学高校体験入学

オーストラリアホームステイしながら現地の中学・高校に体験入学をする。民間旅行会社の行事であるため,学校は申し込みの受付以外には特に関わっていない。(学校を通さず,個人での申し込みも可)

班活動

巣鴨学園では一般の学校で言うところの部活動のことを班活動と言う。

体育部

基本的に中学と高校は別々に活動する。

  • 中学スキー班
  • 高校スキー班
  • 中学山岳班
  • 高校山岳班
  • 中学蹴球班
  • 高校蹴球班
  • 中学卓球班
  • 高校卓球班
  • 高校排球班
  • 合気道班
  • 中学籠球班
  • 高校籠球班
  • 中学軟式庭球班
  • 高校軟式庭球班
  • 中学野球班
  • 高校野球班
  • 中学剣道班
  • 高校剣道班
  • 中学柔道班
  • 高校柔道班
  • 中学陸上競技班
  • 高校陸上競技班
  • 中学水泳班
  • 高校水泳班
  • 中学バドミントン班
  • 高校バドミントン班
  • 中学硬式テニス班
  • 高校硬式テニス班
  • 中学ハンドボール班
  • 高校ハンドボール班
  • 中学体操班
  • 高校体操班

文化部

中学と高校は一緒に活動する。

  • 書道班
  • 美術班
  • 生物班
  • 科学技術班
  • 写真班
  • 英語班
  • 化学班
  • 吹奏楽班
  • 地学班
  • 合唱班
  • 歌留多班
  • 新聞班

同好会

  • 鉄道研究同好会
  • JRC同好会

研究会

  • 物理研究会
  • 数学研究会
  • 囲碁・将棋研究会

アクセス

地図

周辺地図

沿革

創立 - 戦前

  • 1910(明治43)年 - 遠藤隆吉(1874(明治7)~1946(昭和21)年、東京帝国大学哲学科卒業、社会学者、文学博士)、私塾「巣園学舎」を創立。遠藤隆吉著『硬教育』(富山房)公刊。
  • 1922(大正11)年 - 旧制巣鴨中学校創立 (所在地:東京府北豊島郡巣鴨村宮仲 →現在の豊島区上池袋1丁目 巣鴨学園所在地に同じ)
  • 1924(大正13)年 - 旧制巣鴨商業学校を併置
  • 1928(昭和 3)年 - 旧制巣鴨高等商業学校(戦後分離の上、学制改革千葉商科大学に)を併置
  • 1941(昭和16)年 - 『生々示修養教本』[5](生々主義倫理学)巣園学舎出版部刊行。
  • 1945(昭和20)年 - 東京大空襲により校舎全焼。復旧に着手、授業継続。

戦後 - 現在

  • 1947(昭和22)年 - 学制改革により、新制巣鴨中学校開校
  • 1948(昭和23)年 - 校地拡張(現在の運動場)  学制改革により、巣鴨高等学校(普通科、商業科)開校
  • 1953(昭和28)年 - 巣鴨高等学校商業科を独立させ巣鴨商業高等学校を開校
  • 1956(昭和31)年 - 堀内政三校長就任(第4代)(東京文理科大学(現在の筑波大学)卒業、前職は一橋大学助教授)
  • 1957(昭和32)年 - 柔剣道寒稽古復活
  • 1958(昭和33)年 - 巣園流水泳学校復活
  • 1959(昭和34)年 - 駆け足寒稽古開始、第1回多摩湖1周マラソン大会開催
  • 1960(昭和35)年 - ホック式制服に変更(以前は金ボタン)
  • 1963(昭和38)年 - 南校舎増築、第1回秩父競歩大会開催
  • 1965(昭和40)年 - 第1回大菩薩峠越え競歩大会開催
  • 1974(昭和49)年 - 巣園ギムナシオン全工事完成、創立記念生々塔を建立
  • 1978(昭和53)年 - 北校舎増築
  • 1980(昭和55)年 - 南校舎増築
  • 1981(昭和56)年 - 巣鴨学園蓼科学校竣工(勉強合宿用)
  • 1984(昭和59)年 - 遠藤隆吉著『硬教育』(復刻版)刊行、第1回武蔵丘陵森林公園マラソン大会開催
  • 1987(昭和62)年 - 東校舎(半地下柔剣道場を含む本部棟)竣工
  • 1990(平成 2)年 - 剣道部創立65年記念誌『巣鴨の剣道 -一つの巣鴨学園史-』刊行
  • 1991(平成 3)年 - 水彩画集『巣園風物』刊行。これは、1945年の空襲により廃墟と化した校舎やその周辺を、復興の兆しが微かに見え始めた時期に、当時在職していた丸野豊(美術科教諭。同郷の青木繁とは画友であった)が、授業の合間にスケッチしたものをまとめたもの。
  • 1992(平成 4)年 - 創立記念事業として遠藤隆吉著『生々主義哲学綱要』を復刻
  • 1997(平成 9)年 - 制帽着用が自由化される
  • 1999(平成11)年 - 校地(テニスコート2面)拡張、巣鴨商業高等学校生徒募集停止、全校舎全教室に冷暖房空調設備完成
  • 2000(平成12)年 - 巣鴨商業高等学校の生徒の募集を停止(2002年3月休校)。全校舎冷暖房化。
  • 2002(平成14)年 - 旧制巣鴨中学校創立来80周年。学園史『文武一貫』刊行。
  • 2003(平成15)年 - 「学園祭」を「巣園祭」と改称実施
  • 2007(平成19)年 - 堀内政三学園長就任。後任の校長職には堀内不二夫が就任(前職は副校長)。
  • 2013(平成25)年 - 平成の大改築 新校舎落成(〜2015年予定)

歴代校長

  1. 遠藤隆吉1910年5月 - 1937年6月)
  2. 遠藤健吉(1937年6月 - 1955年9月)
  3. 清水虎雄(1955年9月 - 1956年6月)
  4. 堀内政三(1956年6月 - 2007年3月)
  5. 堀内不二夫(2007年4月 -)

主な出身者

学界

官僚

法曹

政治 

経済 

芸能

芸術

マスメディア

スポーツ

その他

関連書籍

  • 『男子校という選択』 おおたとしまさ  日本経済新聞出版社
  • 『名門中学の子どもたちは学校で何を学んでいるのか』 おおたとしまさ ダイヤモンド社

関連項目

引用

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  1. 巣鴨高校の学校情報(高校受験パスナビ)旺文社)の「ワンポイント情報」の冒頭に「●内部進学生とは3年間別クラス。」と掲載されている。
  2. 硬教育』遠藤隆吉著
  3. 硬教育―巣鴨学園の教育精神』 蝦名 賢造著 1992年西田書店 ISBN:4888662800 9784888662802
  4. English Language and Cultural Course for Japanese Students
  5. 生々示修養教本 遠藤隆吉(著)

外部リンク