大菩薩峠

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テンプレート:統合文字 テンプレート:Infobox 峠 大菩薩峠(だいぼさつとうげ)は、山梨県甲州市塩山上萩原(旧塩山市)と北都留郡小菅村鞍部の境にある標高1,897m。

この峠から稜線を北へ辿れば大菩薩嶺がある。国中方面からは、萩原越や大菩薩越、青梅通とも称された。『甲斐国志』に拠れば「大菩薩」の由来は複数あり、源義光(新羅三郎)が峠越えの際に八幡大菩薩に祈念したとする説、あるいは上萩原の神部神社に由来するとする説が紹介されている。

中里介山の未完の大河小説大菩薩峠』で広く知名度があり、1954年昭和29年)には記念碑が立てられ、介山祭も開かれている。大菩薩峠の中には、濃霧()が発生する場所があると言われ、そこに迷い込むと脱出が困難になると言われている。

歴史

江戸時代までは武蔵国甲斐国を結ぶ甲州道中の裏街道であった青梅街道の重要な峠として利用され、青梅街道の最大の難所でもあった。峠を越えると街道北都留郡丹波山村を通過する丹波山通と小菅村を通過する小菅道に分かれ、武州川野村(現在の東京都西多摩郡奥多摩町)で再び合流した。峠より以西では、両村からの木材など物資の輸送にも利用された。現在の峠は近年に認定されたものであり、江戸時代からの街道としての旧峠は賽の河原という地名で残っている。

1878年明治11年)、青梅街道は県令藤村紫朗の主導した道路改修により柳沢峠を開削した新ルートに変更され、現在は柳沢峠にその役目を譲っている。近年は景勝地として、山小屋などが整備されている。また1969年(昭和44年)に発生した共産主義者同盟赤軍派(赤軍派)による大菩薩峠事件(「革命蜂起」のための大規模な軍事訓練を行っていたところを摘発された)でも有名である。

登り方

登るルートは甲州市側の上日川峠と小菅村側の橋立集落からそれぞれある。他には大菩薩連嶺を縦走する方法もある。利用者が一番多いのは甲州市側の上日川峠からのコースで、最短ルートである。車両での通行は上日川峠から山小屋福ちゃん荘までは通行可能であるがタクシー及び福ちゃん荘利用者のみ利用可能である。

巣鴨学園大菩薩峠越え強歩大会

巣鴨中学校・高等学校では、心身修養のため、毎年5月に全校生徒を対象に大菩薩峠越え強歩大会を実施している。深夜2時から出発し、日中に歩く場合に比べて多くの危険が伴うため、先生や卒業生がコースの至る所で生徒の安全を見守っている。 テンプレート:Main

大菩薩峠からの眺望

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関連項目

外部リンク