大英博物館

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大英博物館(だいえいはくぶつかん、British Museum)は、イギリスロンドンにある博物館である。

概要

世界最大の博物館のひとつで、古今東西の美術品書籍や略奪品など約800万点が収蔵されている(うち常設展示されているのは約15万点)。収蔵品は美術品や書籍のほかに、考古学的な遺物標本硬貨オルゴールなどの工芸品、世界各地の民族誌資料など多岐に渡る。イギリス自身のものも所蔵・展示されている。余りに多岐にわたることから、常設展示だけでも一日で全てを見ることはほぼ不可能である。

世界中の博物館との連携による巡回展計画や途上国の博物館への技術協力なども進められている。教育計画も充実しており、学校との連携した教育計画、家族向け教育計画、成人向け教育計画、障害者移民・亡命希望者など社会的弱者のための教育計画などがある。また、「アジア美術修了証書」という大学院修士課程水準の教育過程も博物館教育計画の一環として提供されている。

来館者の約56%が外国人観光客といわれている。このため各国語版の案内書も充実しており、入り口脇や屋根中庭(グレート・コート)にある販売店では公式案内書が販売されているが、この中には日本語版(£6)も見られる。

特色

大英博物館の収蔵品は多くが個人の収集家の寄贈によるものである。また創設以来、1970年代の3か月間を除き、入場料は無料である[1]。ただし寄付は受け付けており、館内には来館者向けに方々に募金箱が見られ、世界各国何処の通貨でも構わない旨が各国語で記載されている。施設維持費は寄付、グッズ販売から得られている。

大英博物館は国家機関に準じてはいるが、1963年の大英博物館法(British Museum Act of 1963) 、また1992年の博物館・美術館法(Museums and Galleries Act of 1992)により規律されている。

大英博物館は、25人の理事(トラスティ〈Trustee〉と呼ばれる)からなる理事会によって運営されている[2]

大英博物館長(Director of the British Museum)と、出納官(accounting officer)は、理事会によって任命される。

沿革

大英博物館の起源は、古美術収集家の医師ハンス・スローン卿の収集品にさかのぼる。

医師であり、個人としては当時最大の博物学的収集品を持つ収集家であったハンスは遺言で彼の死後、収集した美術品や稀覯書8万点の収蔵品を総合的に一括管理し一般人の利用に供することを指示した。管財人達はイギリス議会に働きかけ、議会はすでに国に所有されていたコットン蔵書と売りに出されていたハーレー蔵書を合わせて収容する博物館を設立することを決定した。博物館の設立には宝くじ売り上げがあてられることになり、1753年に博物館法によって設立され、一般向けには1759年1月15日に開館した。初代館長は著名な医師で発明家でもあったゴーウィン・ナイト(Gowin Knight)。

当初はモンタギューハウスで開設していたが展示品が増えるにつれて手狭になり、1823年ジョージ4世が父親から相続した蔵書を寄贈したことが契機となってキングズライブラリーが増設された。1857年には6代目館長(主任司書アントニオ・パニッツィのもとで、現在も大英博物館を象徴する建造物となっている円形閲覧室が中庭の中央部に建設された。

しかし収蔵品の増加に追いつかないため、1881年自然史関係の収集物を独立させた自然史博物館がサウス・ケンジントンに分館として設立された。

図書館機能

1973年には図書部門がロンドン国立中央図書館等と機能的に統合されて大英図書館となり、1997年に書庫と図書館機能は完全に独立しセント・パンクラスの大英図書館新館に移った。旧大英博物館図書館は書庫を取り払って円形閲覧室のみを残し、現在は博物館の各室を繋ぐ自由通路でありミュージアムショップや料理店を附設する屋根付きの中庭(グレート・コート:ノーマン・フォスター設計)とされている。

また、館に収蔵されている美術品や書籍などのうち展示されていないものも事前予約をすれば実際に見ることができる、スチューデント・ルームと呼ばれる部屋が館内に数か所ある。

遺物の破壊行為

古代ギリシアの遺物の多くは白色であるが、かつては鮮やかな彩色が施されていた[3][4]。劣化による脱色はもちろんだが、それ以上に1930年頃に行われた博物館職員の手による色の剥ぎ取りや博物館のスポンサーの初代デュヴィーン男爵ジョゼフ・デュヴィーン(美術収集家・画商)の指示により表面は削られ、色も剥ぎ取られてしまった物が多かった。近年になり、このことが公表され調査によって一部の遺物から色素の痕跡が判明しCGなどで再現する試みも行われている。

エルギン・マーブルを参照。

備考

収蔵品には大英帝国時代の植民地から持ち込まれたものも多く、独立国家が多くなった現在では文化財保護の観点や宗教的理由から国外持ち出しが到底許可されないような貴重な遺物も少なくない。『パルテノン・スキャンダル—大英博物館の「略奪美術品」—』(ISBN 978-4-10-603540-1)などにも示されているが、しばしば収蔵品の返還運動もおこされている(文化財返還問題を参照のこと)。

このような事情にも絡み、イギリス人自身にも「泥棒博物館」や「強盗博物館」などとも揶揄されるが、反面、大英博物館に一堂に会したことで研究が進むこともある。またたとえばパルテノン神殿の彫刻については、13世紀に神殿がキリスト教の教会に改装された時点ですでに散逸が始まっており、その後も継続的に手厚く保護されてきたわけではない。ギリシャ政府にとっての文化財保護の観点は比較的最近提起されたものであり、大英博物館による収集がそれまでの散逸に一定の歯止めをかけたともいえる。

来館情報

脚注

  1. NHK 大英博物館 1 (1990) 、121頁
  2. NHK 大英博物館 1 (1990) 、124-125頁
  3. NHKスペシャル『知られざる大英博物館』「古代ギリシア」の回
  4. NHKスペシャル『知られざる大英博物館』古代ギリシアの回

参考文献

関連項目

外部リンク

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