仙台車両センター宮城野派出所

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テンプレート:車両基地

ファイル:宮城野派出所2.jpg
洗浄中の仙石線車両

仙台車両センター宮城野派出所(せんだいしゃりょうセンターみやぎのはしゅつじょ)は、宮城県仙台市宮城野区にある東日本旅客鉄道(JR東日本)の車両基地である。同社仙台支社の管轄。運転士車掌職場である宮城野運輸区が併設されている。

陸前原ノ町駅構内にあった陸前原ノ町電車区が前身で、仙石線仙台駅 - 苦竹駅間の地下化工事に合わせて現在地に移転、名称が変更されたものである。派出所内の線路は宮城野信号場を介して仙石線と接続している。

車両の入出庫

車両の入出庫は宮城野信号場を介して行う。なお、仙石線全体の信号制御を行う仙石指令・CTCセンターは宮城野運輸区内にある。石巻駅側(石巻駅、高城町駅東塩釜駅多賀城駅)の出入庫は回送列車にて行われるが、あおば通駅側の出入庫は大半があおば通駅 - 小鶴新田駅間は営業列車として客扱いを行い、小鶴新田駅 - 宮城野信号場間を回送扱いとしている。小鶴新田駅開業前は苦竹駅までの営業運転であった。

毎年8月に開催される松島灯籠流し花火大会で運転される臨時列車「流灯号」の下り列車には福田町駅始発も設定されており、同駅始発列車は宮城野信号場 - 福田町駅は回送扱いとして運転される。また異常時などに上り列車を福田町駅終着 - 宮城野信号場経由で入庫させることも可能で、仙石線電車の行き先表示には「福田町」の表示も準備されている。なお、逆に上り列車を福田町駅始発、下り列車を福田町駅終着での運行は信号システム上ではできない。

歴史

  • 1956年昭和31年):仙台鉄道管理局 仙石線管理事務所(仙石線管理所)設立。略号は「仙セン」。
  • 1971年(昭和46年)4月1日:仙石線管理所廃止、乗務員・検修部門の陸前原ノ町電車区発足。略称が「仙リハ」に変更。
  • 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により東日本旅客鉄道に移管。
  • 1991年平成3年):仙石線仙台駅 - 苦竹駅間の地下化工事に伴い福田町駅付近に移転し、宮城野電車区と改称。同時に略号を「仙ミノ」に改称。
  • 2003年(平成15年):運転士と検修を分割し、検修部門を仙台電車区宮城野派出所に改称。同時に運転士部門と車掌部門(仙台車掌区の一部)を統合し「宮城野運輸区」発足、略号を「仙セン」に改称。
  • 2004年(平成16年):仙台電車区の仙台車両センターへの改称に伴い、現在の名称に変更。

配置車両の車体に記される略号

仙セン」…仙台支社を意味する「仙」と、仙台を意味する「セン」で構成される。 テンプレート:-

配置車両

仙石線の普通列車快速列車に運用されている車両が配置されている。2014年4月1日現在の配置車両は以下のとおり[1]

電車 合計
72両 72両

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  • 205系電車(72両)
    • 3100番台4両編成(M1 - M8、M10 - M19編成)18本が配置されている。
    • M1編成 - M18編成は山手線E231系500番台が投入された際に余剰となった車両を2002年 - 2004年にかけて改造(郡山総合車両センター秋田総合車両センターで実施)・転入(一部は川越車両センターから転入)したものである。M19編成は多賀城駅高架化工事に伴う予備車増加で運用に復帰していた103系RT-235編成の置き換え用として2009年に南武線中原電車区)の205系1200番台1本を4両編成に短縮し、3100番台化した上で仙石線に転入したものである。
    • ドアに手動スイッチ式半自動機能やドアチャイムが付加されるなど、寒冷地向けの改造が施されたほか、本来の先頭車が別の地区(中原電車区:南武線)に転用されたことから、先頭車は中間付随車(もと山手電車区:山手線、川越電車区埼京線)が改造されたものとなった。またドアスイッチはこれまでの半自動対応車両とは異なり、押ボタンが使用できる場合はボタン周囲の発光ダイオード (LED) ランプが点灯するよう新しく開発されたもの[2]になっている。
    • 沿線住民からの要望を受け、車椅子対応トイレが石巻方先頭車に設置された。さらに、架線に付着する霜を落とすためにM12・14・16・18・19編成はパンタグラフを2基搭載している。
    • 2011年3月11日東北地方太平洋沖地震による津波で仙石線野蒜駅 - 東名駅間を走行していたM9編成[3]が流され脱線、報道写真により確認されている[4]。同年5月1日にかけ現地にて解体作業が行われた[5]。当該編成は同年3月12日付で廃車された[3]。また、石巻駅では到着後のM7編成が冠水して被災した。2012年9月5日から7日総合車両製作所入場補修[6]。 野蒜 - 陸前小野間では石巻行き快速電車(M16編成)編成が孤立したが高台に停車したため奇跡的に津波被害を免れた。2011年12月に搬出補修され、年末に無事運用復帰した。被災前のM16編成は上記写真で紹介されている編成である。

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ファイル:205-3100 m2.JPG
M2編成「マンガッタンライナーII」
    • M2 - M5・M8編成の石巻側先頭車は、「2wayシート」と呼ばれるクロスシートロングシートの双方に転換が可能な座席を装備している(近畿日本鉄道の「L/Cカー」と同じもの)。
    • 「2wayシート」は通常クロスシートの状態で運転されるが、東北楽天ゴールデンイーグルスの本拠地である宮城球場プロ野球の試合が開催される日など特に混雑が見込まれる場合には、ロングシートに変更の上で運用されている。この座席の導入当初は快速列車のみクロスシート状態とし、普通列車ではロングシート状態とするという厳密な使分けが行われていたが、その後まもなく常時クロスシート状態で運行されるようになり、2009年ごろからは片側クロス・片側ロングの状態で運用されている。なおクロス・ロングのシート転換は乗務員室設置のスイッチ操作でのみ可能で、乗客が任意に変更することはできない。またクロスシート状態での座席方向転換は任意で可能なほか、自動で一斉に変更することもできる。「2wayシート」の設置にあわせて、ドアエンジンが701系と類似したもの(直動空気式)に変更されており、ドアの開閉動作が他の車両と異なっている。
    • 「2wayシート」設置編成のうちM3 - 5編成は、1両毎に沿線都市をイメージした異なる色の帯を巻いており、石巻駅方から、「石巻」(石巻市の市花ツツジから赤の濃淡、「松島」(松島町紅葉からオレンジの濃淡)、「塩竈」(漁港でもある塩竈市マグロから紫の濃淡)、「仙台」(仙台市の市木ケヤキから緑の濃淡)となっている。
    • のちにM2編成は2008年10月から開催される仙台・宮城デスティネーションキャンペーンに合わせ、石ノ森章太郎の作品のキャラクターがラッピングされることになった。愛称は「マンガッタンライナーII」。
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M8編成「マンガッタンライナー」
    • M8編成は漫画キャラが各部に配された「マンガッタンライナー」である。この編成は当初青帯の通常編成として落成する予定だったが、急遽計画が変更され「マンガッタンライナー」となった。『がんばれ!!ロボコン』や『サイボーグ009』、『仮面ライダー』に『秘密戦隊ゴレンジャー』といった石ノ森章太郎の作品のキャラクターのラッピングが外部に施され、内装もキャラクターの図柄が装飾の中心となっている。土曜・休日は時刻表で「マンガッタンライナー」と表記されている列車に限定運用される。この運用時は車掌による車内放送ではなくロボコンの声(声優山本圭子が担当)による自動放送となる。平日は他の編成と共通に運用される。
    • このほかにも、仙台地区でのSuica使用開始を宣伝した広告電車(M1編成など)や、小鶴新田駅開業記念、グッドウィルmobaito.com」(M18編成)や安田生命(→明治安田生命、M16編成)、モバイルSuicaのサービス開始を宣伝した広告電車(M15編成)などの広告電車が運行されたことがある。
    • 2005年から郡山総合車両センターでの全般検査入場時に台車・床下機器をグレー塗装としている。また、工場への入場の際、パンタグラフが経由する石巻線の陸橋の高さ制限に掛かるために、検査入出場の際はパンタグラフをシングルアーム式に一時的に取替えて使用されていたが、2005年12月までに全編成が菱形のPS21形からシングルアーム式に変更された。なお、交換前は霜取用のみシングルアーム式を搭載し、通常用のPS21形パンタグラフと混在して使用されていた編成も存在した。
    • 保安装置は導入当初はATS-Psのみであったが、同路線で導入されるATACSに対応するために、順次関連機器の搭載・改造が行われた。なおATACSは2011年3月に本使用を開始する予定であったが、震災の影響で同年9月に延期となった。
    • 103系と同様に車内にゴミ箱が設置されていたが、テロ防止対策としてのちに撤去された。

過去の配置車両

  • 30系31系33系50系電車
    • 宮城電気鉄道からの引継ぎ車を置き換える目的で投入された、首都圏で余剰となった車体長17m級国電。72系などの20m車の投入により置き換えられた。前面非貫通の30系、31系の一部に、貫通扉を増設したものがある。また、荷物室やトイレを設置した車両もあった。
  • クモハ54形モハ70形電車
    • 17m車から20m車の置換えの際に、一時的に使用されたセミクロスシート車。72系への統一により、他線区へ転出(一部は廃車)した。一部の車両(72系電車も含む)にはクハニ19形の配置消滅後に荷物輸送に使用するため客室仕切用のカーテンを設置していた。
  • 72系電車
    • 仙石線に在籍していた17m級車両を置き換える目的で投入され、1969年からベンチレーターを押込形にするなどの耐寒工事がなされた車両が中心となった。そのほか、後述の103系電車と同様の理由で運転台直後の窓に金網が張られていた点が目立っていた。
    • 末期になると、老朽化対策として1974年に、車体のみ103系後期車と同等のものに載せ替えた編成(アコモ改良車)が5本配置され、1979年に通常車が置換えられた後も1985年まで残存していた。これらはのちに機器類も103系のものに交換した上で正式に103系3000番台となり、川越線などに転用されている。
    • 塗装は朱色4号とクリーム4号の「気動車色」から1967年よりウグイス色(黄緑6号)となり、1978年に「黄緑は田園の緑と同化してしまう」という理由から警戒色を入れることになり、白・赤・黄色を比較した結果黄色(黄1号)が採用されて同年中に全先頭車に塗装された。一般車淘汰後も残ったアコモ改良車は、103系電車に合わせてスカイブルー(青22号)1色へと再度変更された。
    • 編成はMcTMTcの4両編成、もしくはMcTcの2両編成が基本だが、M車(電動車)をT車(付随車)扱いとして運転したり、運用に応じて車両交換がされていたので、編成は決まっていない。
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(左)クハ103-235に設置されたトイレと車椅子スペース (右)座席が交換された車内 (モハ103-343)
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営業運転最終日。最後の5日間はヘッドマークを装着して運転された。
  • 103系電車(4両)
    • 2009年4月の時点で4両編成(RT-235編成)1本が配置されており、この編成はJR東日本に残る最後の営業用103系電車であった。
    • もともと72・73系電車の置換えを目的として、McM'TTcの4両×16本が1979年から投入され、編成番号はR+Mc車(制御電動車)であるクモハ103形の車号で付与されていた(クモハ103-80以下4連ならばR-80編成)。その後、McM'TTcの4両編成×9本・TcMM'Tcの4両編成×9本が1989年から投入された。首都圏への205系電車投入によって余剰となっていたものを、仙石線向けの改造・更新工事を施工した上で入線している。
    • 1993年までに1979年から投入したグループを淘汰した。2002年に205系が入線してからは老朽化が進むMcM'TTcの編成から廃車を開始し、2004年7月までに17編成が運用を終了し、廃車・解体されている。ただし、RT-235編成のみは多賀城駅付近の連続立体交差化工事の際に車両不足が想定されることから予備車として残存し、2年間の留置期間を経て郡山総合車両センターに入場、その後2007年3月19日より正式に営業運転に復帰している。平日朝のラッシュ時のみの運用となっていたが、2009年10月21日、あおば通駅8時25分発871S列車を最後に営業運転を終了し、同年10月26日に郡山総合車両センターへ廃車回送された。これをもってJR東日本の103系電車は全廃となった[7]
    • 入場の際に、台車を郡山仕様のグレー塗装化(床下機器は従来のまま)、トイレ設置(出場時は準備工事。営業運転前に設置が完了した)、パンタグラフを従来の菱形からシングルアーム式に変更などの改造が施された(シングルアーム式はJR東日本の103系としては初の搭載)。またATSは、以前搭載していたATS-SNからATS-Ps形に変更されている。営業運転復帰を前に、種別表示器の部分が「仙石線」と表示されたものに交換されたほか、座席モケットも205系と同じ色に変更された。
    • 当該編成は2010年1月中旬に郡山総合車両センターで解体された。
  • 105系電車
    • McTc×2本、計4両が配置されていた。
    • 1987年に輸送量自体は低いものの都市化が進み始め区間利用者が見込める石巻駅 - 矢本駅間の区間列車運転を主目的として投入された車両で、通常最低でも3両でしか走行できない103系電車を、1M方式(72系電車と同様)で走行できるように改造したものである。種車は当時2本あった冷房車編成のうちの1本で、車両はクモハ103形+クハ103形およびモハ102形+サハ103形が用意され、モハ102形とサハ103形に対して先頭車化改造(モハ102形にはさらにパンタ設置、サハ103形は方転)を行い、2両編成での走行を可能にした。これらは103系電車高運転台編成投入まで使用されている。
    • 改造にあたっては、当時南武線で使われていた101系電車の部品などを一部流用している(この101系電車は同時に廃車)が、運転台形状は通常の103系電車と統一された。また使用区間は他の103系電車と共通のため、2両編成のまま仙台圏でも使用され、時には2編成を連結して運用についたこともあった。また、国鉄マヤ34形客車を用いる検査(通称:マヤ検)も105系電車を使用して実施された場合がある。
    • 塗装は当初は白を基調に赤と紺のラインをまとった塗装だったが、その後103系と同じスカイブルーの単一塗装となり、さらに、103系との識別のため、2か月ほどで前面に細い白線が2本追加された。この105系電車は他の103系電車より原型に近く鉄道ファンにも人気のある車両であった。なお在籍していた2編成は京浜東北線・根岸線から捻出された高運転台車編成投入との入替で1998年に書類上は廃車されたが、2両編成という利便性から、八王子支社および横浜支社管内の訓練センターで訓練編成として転用され、2008年に京浜東北線根岸線で使用されていた209系の改造車にそれぞれ置換えられるまで使用された。
    • これらの廃車により、JR東日本から105系電車が消滅した。
  • クモヤ145形電車(1両)
    • 救援車・入換車として使用されていた。1983年に、それまで使用されてきたクモヤ90形に代わって導入された。以前はマヤ検(マヤ34形客車を使用した軌道関係の各種検測)の牽引車にも使用されていたが、キヤE193系気動車が入線するようになってからは、その運行形態は廃止されているため、本線走行の機会は検査入場時以外にはほとんどなかった。
    • おもに車両センター内で検査を行う車両の入れ換え作業に使用されていたが、新型入換動車の導入により、2009年6月5日に郡山総合車両センターに回送された後、除籍・廃車となった。

その他の車両

  • 上記の車両以外にも72系電車投入以前には宮城電気鉄道からの買収車両が在籍していた。宮城電気鉄道時代からの買収国電は、運転上混結出来ない状態で、運用も分けていた(宮城電気鉄道発注車両は、HL制御(非自動加速制御)のまま存置されていた)撤退後に日立電鉄高松琴平電気鉄道新潟交通に売却されたものもあり、琴電67号車など一部の車両は2000年代後半まで運用されていた。
  • 72系電車時代もクモハ54形やクハ68形電車、70系電車(モハ70形のみ)が通風器改造の上で在籍していたこともある。また、31系電車を起源とするクモハ11・12形やクハニ19形、クモニ13形といった17m級車両も在籍していた。それらの撤退後も1980年代後半までは事業用車両のクモヤ90055が残存していたが、上記のクモヤ145形の投入により廃車されている。なおクモヤ90055号車は下記の101系電車と同時期に塩釜線塩釜埠頭駅で解体されたが、車体は売却され「いこいの森」という広場で売店として設置されたが、のちに資材置場の倉庫として使用されている。
  • また、1986年度冬季には車内へのゴミ箱・自動販売機設置や105系化改造が重なり、車両不足が発生したため101系電車が豊田電車区(現・豊田車両センター)からの借用で入線している。101系は電動機の熱容量性能上MT比半々での運転は無理であり4両編成では4Mの全電動車編成にしなければならず、当初から72系電車の置換えにはMT比半々で運転可能な103系電車が投入されていたため、101系電車の入線は後にも先にもこれが唯一である。当然、電気消費量も多くなる。客用ドアが全自動のままだったこともあり、運用上は予備車の予備車クラスの扱いで、走行実績は在籍期間の割合としては少ない。101系電車の塗装は最後までオレンジのまま国鉄末期の1987年春に廃車されている。のちに先頭車は鉄道総合技術研究所に搬入(のちに解体)されたが、中間車の車体は民間に売却され、上記のクモヤ90055と同じ「いこいの森」に売却され、カラオケボックスとして使用されたが、場所が山中で利用客が少なかったため、すぐ撤去された。そして1両(モハ100形)の車体は倉庫として再利用され、仙台港付近に存在していたが、東日本大震災の津波で流されたことが週刊誌の掲載写真などで確認されている。もう1両(モハ101形)は千葉県野田市の運送会社で事務所として使用されたというが、2011年時点の所在は不明。

103系の動向

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末期の103系更新車(RM-155編成)

テンプレート:Side box テンプレート:Side box 103系が1979年に仙石線に投入された当時は、仙石線内にタブレット使用区間があったため、乗務員室直後にあった戸袋窓はタブレットがぶつかることによる窓の破損を防止するために閉塞されていたが、自動信号化後の1984年に転入したクモハ103-1・2・144・149、クハ103-74・81・92・503の8両は戸袋窓の閉塞は行わなかった。また、これらの編成は扉の半自動化(戸閉装置は従来のままで半自動化したので取手は大型のものを取付けている)、暖房強化、二人乗務用に運転室助士側に腰掛とワイパーを増設、前面窓ガラスにデフロスタ取付(のちに熱線入ガラスと交換されたため撤去)、ATS-S形車上装置の搭載などが施工されている。国鉄末期の1986年にクハ103-10・42・74の3両に対し、車内に清涼飲料水の自動販売機とゴミ箱が設置された(いずれものちに撤去)ことで話題となった。これらの編成は1993年中ごろまで在籍しており、1本を除き全編成が非冷房編成であった(これ以外に冷房編成がもう1本在籍していたが、1987年に105系電車に改造された)。全車スカイブルー塗装で入線している。なおこの中にはクモハ103形のトップナンバー車も在籍していた。

その後、McM'TTcの4両編成×9本・TcMM'Tcの4両編成×9本が1989年から投入されたが、これらは首都圏への205系電車投入によって余剰となっていたもので、仙石線向けの改造・更新工事を行った上で入線している。ただし一部は冷房化率100%を早期に達成するため、未更新のまま入線した車両もある(その後、改めて改造を施工して再入線している)。乗務員室直後の戸袋窓はすでに自動信号化されていて閉塞する必要がなくなったためにそのままとなっている。1979年投入分がおもに初期車が選ばれたのに対し、このグループは窓がユニット型で中期型新製冷房車(モーター形式もISOネジ使用MT55Aが搭載されたグループ)など状態の良い車両も多数選出されており、両端がクハ(こちらも中期型新製冷房車で窓もユニット型である)の編成も存在した。その関係で編成名はR+石巻方の車種(クモハ・M クハ・T)+車番となった(クハ103-123以下4連ならばRT-123)。なおこの中にはクモハ103形やクハ103形500番台のラストナンバー車のほか、AU712形集約分散式冷房装置の装備車も若干在籍していた。

更新内容は前面窓2枚化・側窓を上段下降・下段固定のユニットサッシ化・側窓、戸袋窓ガラスの着色ガラス化・バケットシート化・袖仕切設置・半自動ドア化(前期グループと異なりボタン式)・ドアブザーの設置・種別幕設置(運行表示窓を改造)・内壁張替などで、先頭車にはゴミ箱(のちに撤去)も設置されていた。のちにRT-105・107・131・235編成ではモハ103形のパンタグラフを2基に増設するダブルパンタ化工事が行われた。これは冬季の架線に付着する霜を落とす役割を果たし、11月から4月ごろまでパンタグラフを2基上げて走行するもので、この改造を受けた4編成は2003年12月まで廃車されることなく運用されていた。その後、RT107・RT131・RT105の順に廃車された。

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ベンチレーター撤去後の屋根の状況(サハ103-234)

2000年にはJR東日本の103系電車で唯一、屋根のベンチレーターを撤去する工事が施工された。西日本旅客鉄道(JR西日本)で同様の工事が施工された車両と異なり、撤去後に円形のカバーがかぶせられていた(JR西日本車は完全に埋込んでいる)。

1994年投入のRM-155編成および1998年投入のRT-299・371編成(京浜東北線・根岸線から捻出されたATC仕様車)は、すでに首都圏仕様の更新が行われていたためにドアや窓の更新を省略するなど、若干簡略化された形態で登場した。特にRT-299・371編成は高運転台先頭車+非ユニット窓中間車という異色の編成で、内装を交換せず、ドアの配線も剥き出しで投入された。これら1998年投入分は、仙石線内はカーブが多い都合から高運転台車では運転に支障が出るということや、転入してから最初の定期検査を受ける前に置換えが開始されたこともあって早めに処分されたため、JR東日本では唯一高運転台車よりも低運転台車の方が遅くまで残った線区となっている。前期車と同じくゴミ箱が設置されていたが、テロ防止対策として撤去された。

塗装は登場時より上からアイボリー・青(太線)・スカイブルーという独自の3色塗装(側扉はアイボリー単色)だったが、1998年投入の高運転台車編成より白にコバルトブルーを配した「SENSEKI LINE色」に変更され、各所に同線のロゴも入れられた。のちに従来車もこれに合わせて変更された。なお、工場への入出場時には機関車牽引により回送されるため、その際には前部連結器が自動式に取替えられた。

1993年までに前期投入グループを淘汰し、冷房化率100%を達成させた。その後も2003年まで全編成が在籍していた103系電車だが、205系電車の配置に伴い、老朽化が進むMcM'TTcの編成から廃車され始め、2004年7月までに17編成が運用を終了し、郡山総合車両センターで廃車・解体されている。ただし、RT-235編成のみは多賀城駅付近の立体交差化工事の際に車両不足が想定される事から予備車として残存したが、約2年間の留置期間を経て郡山総合車両センターに入場し、2006年11月17日に郡山総合車両センター内において構内試運転が実施された。11月21日に電気機関車ED75形759号機牽引で郡山から小牛田駅へ、DE10形ディーゼル機関車牽引で小牛田駅から石巻駅へ、石巻駅から宮城野派出所内までは自力でそれぞれ回送された。

仙石線では水害で電車が浸水することが何度かあったほか、車庫内で電車が接触する事故も発生した。これらの車両が修理中の間に、一時的に他地区から借用された103系電車が仙石線を走った。その際には仙石線でオレンジ色、カナリア色、ウグイス色の103系が見られた。また2000年に仙台駅付近地下化のための訓練運転用として運び込まれた車両は試作冷房車(クハ103-178, 179)であった。これらの車両は借用先の電車区で廃車前提の車両だったものか、仙石線への転出が決定した車両であり、転出予定の車両はそのまま転入し郡山工場で改造され改めて入線している。一時的な借用の車両は、書類上のみ元の車両基地に返却され、車両はそのまま郡山工場へ送られて廃車されている。

脚注

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関連項目

外部リンク

仙石線車両編成表

テンプレート:リダイレクトの所属カテゴリ
  1. 交通新聞社『JR電車編成表 2014夏』
  2. E721系E233系にも類似したものを設置。LEDランプは転配直後は押すと黄色く点灯する仕様だったが、故障が相次いだために一時期点灯しなくなった。その後2004年初頭になって黄色点灯のみを廃止して点灯が再開された。
  3. 3.0 3.1 交通新聞社『JR電車編成表 2011夏』
  4. テンプレート:Cite news
  5. テンプレート:Cite news
  6. http://railf.jp/news/2012/09/08/205700.html
  7. 103系RT-235編成が郡山へ - 交友社『鉄道ファン』railf.jp 鉄道ニュース 2009年10月27日