リヨン

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テンプレート:Communefra リヨン (Lyon) は、フランスの南東部に位置する都市で、ローヌ=アルプ地域圏の首府、ローヌ県県庁所在地である。

概要

リヨンの近郊にはリヨン市の人口を含め、164万8216人が住み(1999年)、都市圏としてはフランス第二の規模を持つ。

フランスにおける金融センターのひとつであり、多くのフランスの銀行の本店が置かれる。永井荷風横浜正金銀行の社員として滞在したこともある。

ローマ帝国ガリア属州の植民市ルグドゥヌムとして古代から栄えた物資の集散地であり、中世には市の立つ町としてヨーロッパでも有数の交易地として栄えた。また、織物の産地としても知られる。旧市街はユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されている。

地理

ファイル:Three sights Lyon.JPG
フルヴィエールの丘とサン・ジャン大教会

北東から流れ込むローヌ川と、北から流れ込むソーヌ川がリヨンの南部で合流する。ソーヌ川の西側は石畳の街並みの残る旧市街で、リヨンの象徴サン・ジャン大教会の建つフルヴィエールの丘がある。

ローヌ川の東側はクレディリヨネタワーを筆頭に近代的な建物が並ぶ地域である。そのさらに東には、新興の住宅地域が広がっている。

リヨン歴史地区も参照。

気候

リヨンは西岸海洋性気候温暖湿潤気候ケッペンの気候区分ではCfb/Cfa)との境界線に分類される。内陸部にあるためフランスの他都市より冬の気温が低いが、全体として寒くはなく、1月の平均気温は3.2℃である。夏は非常に温暖で、7月の平均気温は21.3℃である。降水量は年間通じて十分な量が降るが、冬季が最も乾燥する。

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歴史

紀元前43年に、ローマの植民市ルグドゥヌムとして建設され、2世紀には皇帝属州ガリア・ルグドゥネンシスの中心都市としてさかえた。カロリング朝のもとに司教座がおかれ、後の何世紀もの間、大司教に支配され続けた。1245年第1リヨン公会議1274年には第2リヨン公会議がひらかれた。14世紀初めフランス王国に併合され、このころから絹織物の交易の一大中心地として発展した。フランス革命が始まると、反革命派が反乱を起こし、それを鎮圧した共和国軍がリヨンの大虐殺を引き起こした。工業化がはじまった19世紀前半にヨーロッパ最大の絹織物・繊維工業都市となった。第二次世界大戦中は、ドイツ軍に対するレジスタンス運動の拠点のひとつだった。戦後は北アフリカの旧フランス植民地から多くの移民をむかえた。

日本との関わり

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1855年スペインで発生したの病気がヨーロッパ全土に広まり、リヨンの絹織物産業に大打撃を与え、失業者が増大した際、日本の蚕が病いに強いこと、日本でも上質の絹が生産されていることが伝えられ、リヨンから横浜へ生糸と蚕を買い付けに来る人が殺到した。そのため生糸価格は暴騰、粗悪品が出回り、日本の生糸の評判が落ちた。需要拡大のため明治政府はリヨン近郊出身のフランス人技術者ポール・ブリュナーを招き、1872年富岡製糸場が造られた。[1]

政治

リヨンでは、1996年サミットが行われた。また、1989年以降は国際刑事警察機構(インターポール、ICPO)の本部が置かれている。

交通

鉄道

フランス国鉄TGV(Train à Grande Vitesse:テ・ジェ・ヴェ)が、最初に開通した街の一つであり、1981年パリとリヨンとを結び開業した。TGVはリヨン市内ではペラーシュ駅パールデュー駅 (Part-Dieu) の2つの駅に停車する。

航空

郊外にリヨン・サン=テグジュペリ国際空港(LYS)がある。この空港にもフランス国鉄の鉄道駅があり、TGVが停車する。この空港はかつて、リヨン・サトラス空港と呼ばれていたが、2000年にリヨン生まれのサン=テグジュペリ生誕100年を記念して改名された。

公共交通

市内の交通として、バス地下鉄ケーブルカー路面電車がある。

SYTRAL(Syndicat Mixte des Transports pour le Rhone et l'Agglomération Lyonnaise、ローヌ・リヨン都市圏輸送混合組合)が経営し、Keolis LyonSNCFグループに属する民間企業)がTCL(Transports en Commun Lyonnais、リヨン公共交通)の名称で運行管理を行っている。ヴィルールバンヌサン・プリーストヴェニシューといった近隣自治体まで延びている路線もある。

信用乗車方式を採用しており、乗車券は定額で、一定時間内であればすべての交通機関(地下鉄、バス、トラム、ケーブルカー)で乗り換えは自由。乗客は地下鉄入り口あるいは車内にある刻印機で乗車券に時刻を刻印する。乗車券を持っていても刻印がないと検札時に高額の罰金を請求される。定期券IC式を採用し、刻印機のセンサーに接触させることで乗車を記録させる。地下鉄の入口には改札機が無かったが、2005年ごろから一部の駅を皮切りに順次自動改札機が導入されている。パーク・アンド・ライドが整備されているのも特徴。

バス

一部の路線は電化されており、トロリーポール(2本)を載せたトロリーバス連接型を含む)が運行されている。現在の車両は走行用バッテリーまたは補助エンジンを搭載したハイブリッドカーで、車庫への帰路等では、架線がない場所を走ることがある。また、主要な路線の中には、夜中まで運転しているものもある。

地下鉄

メトロ (リヨン)も参照。

  • A線 - 街の南西にある国鉄リヨン・ペラーシュ駅からリヨン市庁舎(オテル・ドゥ・ヴィル)、大学の集まるラ・ドゥワに近いシャルペンヌ駅を経由し、リヨン東郊ヴォ・オン・ブランのラ・ソワ(T3に接続)に至る路線。3両編成、片側3扉の鉄輪併用ゴムタイヤ式車両で、車内は全席クロスシート。全線複線
  • B線 - シャルペンヌ駅から南へ、国鉄パールデュー駅を経由し、サッカー・フランスワールドカップの会場となったジェルランスタジアムに至る路線(ただし、1998年のワールドカップ開催当時はスタジアムへの路線はできておらず、2000年の完成)。車両はA線と同じ。全線複線。
  • C線 - リヨン市庁舎(オテル・ドゥ・ヴィル)から北西方面、クロワ・ルッスを経由してキュイール駅(カリュイール=エ=キュイール)にいたる路線。途中、クロワ・ルッス駅までの2駅間は17.5%(日本流の表記では175)にもなる急勾配のため、世界でも珍しいラック式地下鉄となっている。車体はA線、B線用とほぼ同一(車内は全席クロスシート)であるが、ラック式のため、鉄輪のみ(ゴムタイヤはない)である。オテル・ドゥ・ヴィル - クロワ・ルッス間のトンネル内急勾配ばかりではなく、平坦露地や橋梁上を走る区間も長いため、故障凍結その他の原因による車輪の空転滑走を抑える砂撒き装置を先頭車の(運転台)床下に備えている。全線複線だがキュイール駅付近のみ単線
  • D線 - リヨン市内を北西から南東へ横断。国鉄駅ガール・ドゥ・ヴェーズから、ヴィウ・リヨン、ベルクールを経由し、国鉄ガール・ドゥ・ヴェニシュー駅へ至る路線。車両は2両編成無人運転(車体はA線、B線とほぼ同じ)のため、前面展望が楽しめる。

ケーブルカー

フルヴィエールの丘へ登るケーブルカーで、フルヴィエール・ノートルダム大聖堂への路線と、ローマ劇場への2路線がある。

路面電車

2000年に、超低床、低騒音の最新車両となって復活した。

  • T1号線 - モンロシェ駅を始発とし、ペラーシュ駅パールデュー駅を経由してラ・ドゥワに至る。モンロシェから更に南へ、コンフリュオン博物館(建設中)まで1駅区間の延長が予定されている。
  • T2号線 - ペラーシュ駅を始発とし、ジャン・マセ、グランジュ・ブランシュを経てリヨン東郊のサン・プリエスト・ベル・エールへ至る。
  • T3号線 - 旧リヨン東鉄道(LEA)の線路跡を利用したパール・デュー駅東口 - メイジュー産業地区間が2006年12月に開業。
  • T4号線 - ジェット・ドォー・プラス・ピエール・マンデス・フランス ‐ マンゲット間が2009年4月に開業。

文化

フルヴィエールの夜

毎年夏の夜、フルヴィエールの丘にあるローマ劇場で、「フルヴィエールの夜」 (la Nuit de Fourvière) というイベントが行われる。連日のように、著名なアーティストのコンサートや演劇が催される。

光の祭典

毎年12月8日から11日にかけて「光の祭典」 (Fête des Lumières) が行われる。これは、ペストがアルプス以北の欧州で1348年から1353年に流行した際、リヨンのひとびとがフルヴィエールの丘にあるノートルダム聖堂のマリア像に祈りを捧げたところ、流行が治まったことに由来するという。この日の夜はリヨン市内の家々の窓際(感謝の捧げ物としてのロウソクなので、本来はフルヴィエールの丘に面した窓のみ。現在はそれにこだわらない)はろうそくの灯りで彩られ、建物や道路はイルミネーションで飾られる(時間を決めて、各家庭と街の不急の照明を消灯する。ライトアップされたノートルダム聖堂と、窓々のロウソクの明かりが幻想的である)。

2011年平成23年)の祭典には、この年の3月に日本で起きた東日本大震災からの復興を目指す日本より光の祭りを招くこととなり、富山県南砺市福野町福野夜高祭の夜高行燈を招き、期間中3基の大・中行燈と2基の小行燈がリヨン市街地約3.5kmを「よいやさ、よいやさ」の威勢の良い声とともに夜高行燈を練り廻した。 [2][3][4]

食文化

食材

生産者が朝市に直接やって来て出店したり、市内の食料品店に常連として出品・販売したりする範囲をその都市の食文化経済圏と呼ぶことにすれば、ブレスの鶏肉、ナンチュアのエクルビス等、リヨン食文化経済圏は世界に名を知られる美味な農作物でも知られている。秋の狩猟期にはジビエ(野生の鳥や獣)も豊富で、朝市で家庭の主婦があれこれ品定めする姿が目に付く。

料理と飲み物

フランスがまだヨーロッパの片田舎であった頃、文化の中心地イタリアのメディチ家仕込みの宮廷料理をリヨンは我が物とした。一方で、郷土色豊かな家庭料理にも見るべき物が多い。

リヨン食文化経済圏内にある、ワインの名産地も数え切れない。とりわけ「リヨンを流れる3番目の河」とおどけられるボジョレのワインは、リヨンの大量消費が育て上げたものである。

レストラン

「食通の街リヨン」、場末のブラッスリーに至るまで、他都市のそれと較べて食の質は高い。レストランガイドとして有名なギド・ミシュラン Guide Michelin の三つ星がリヨン市内にひとつもないことを、リヨンっ子はとても不満に思っている(同誌の採点基準には、客室の雰囲気・豪華さやトイレの設備・広さ等も入っている)。味だけならば、他都市の三つ星レストランを凌駕する店は複数ある(そのためもあってリヨンっ子はギド・ミシュラン不信で、ゴ・ミヨー Guide Gault Millau の方を高く評価している)。

市内ばかりでなく、リヨンから日帰りできる距離に有名料理店「ポール・ボキューズ」・「アラン・シャペル」・「ピラミッド」・「トロワグロ」等々があり、日本からも食べ歩きに訪れる食通が後を絶たない。

製菓ワールドカップ

2年に一度、奇数年の1月にSIRHA(シラ)国際外食産業見本市が開かれ、この中で製菓ワールドカップ (la Coupe du Monde de la Patisserie) が開催される。各国代表として一流のパティシエ達が3人1チームで参加し、飴細工、チョコレート、氷彫刻の3種目で世界一を競う。

スポーツ

リヨンを舞台にした作品

姉妹都市

街並み

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関連項目

脚注

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外部リンク

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公式
日本政府
観光
教育機関
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  1. 幕末・明治期の日本で活躍したフランス人(3) (ポール・ブリュナー)神戸大学経営研究所ニュースレター 2013年1月号
  2. 「福野夜高リヨンに輝く 光の祭典スタート」北日本新聞 2011年12月10日1面
  3. 「行燈晴れ姿天に届け」北日本新聞 2011年12月10日32面
  4. 「福野夜高観衆と一体 リヨン光の祭典閉幕」北日本新聞 2011年12月13日1面
  5. 注釈『ふらんす物語』 : 遊歩者荷風のリヨン加太宏邦 法政大学紀要
  6. 『ふらんす物語』試論 : リヨンのトラブールを背景とした物語の成立について 赤瀬雅子 桃山学院大学