リヨン歴史地区

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テンプレート:Infobox リヨン歴史地区―れきしちく)は、フランス南東部、リヨン市内西部に位置する。ソーヌ川沿いにある、石畳の街並みの残る旧市街(Vieux Lyon)からクロワ・ルースにかけての地区で、1998年12月、ユネスコ世界遺産文化遺産)に登録された。

主な名所

ベルクール広場

ベルクール広場 (La place Bellecour) はローヌ川とソーヌ川にはさまれた市の中心部にある。ヨーロッパでもっとも大きな広場のひとつで、東西 300m、南北 200m の長方形。1715年以来、周囲をマロニエ並木と道路で縁取られている。さまざまなイベントの会場にもなる。地下は駐車場になっている。

中央にはルイ14世像が立ち、南東隅にはリヨン市の旅行者向けインフォメーションセンターが、それと対象位置の南西隅には同型の建物(平屋作り)があり、絵やポスターの展覧会等の催し物が不定期に開催される。また、日曜日には広場の南西隅に小さな切手市が立ち、ペット市や子犬の里親捜しが共催されることもある。

広場の南西隅、道路を挟んで西側には星の王子さまと作者のサン=テグジュペリの像が立っており、そこから遠くないところに、サン=テグジュペリが生まれたアパルトマンがある。

広場東辺は地下鉄A線(入り口は広場北東隅)が、南辺はD線(入り口は広場南東隅から道路を渡って東側)が走っており、両線の乗換駅である。D線入り口の南側には、中央郵便局があり、その向かい側がアントワーヌ・ポンセ広場である。

リヨン旧市街

サン・ジャン大聖堂

サン・ジャン大聖堂 (Primatiale Saint-Jean) はフルヴィエールの丘のふもとにある司教座聖堂1180年から1480年にかけて建設された。1600年、フランス王アンリ4世マリー・ド・メディシスと結婚式を挙げたとされている。

フルヴィエールの丘

市中のほとんどの場所から見ることが出来るフルヴィエールの丘。頂上にはノートルダム大聖堂(各地にあるノートルダム聖堂・寺院と区別するため、「ノートルダム・ド・フルヴィエール」と呼ばれる)が聳え立ち、近くにはフランス国内最大級の古代ローマ劇場遺跡がある。

  • フルヴィエール大聖堂
    フルヴィエール大聖堂 (Basilique de Fourvière) はフルヴィエールの丘の上に建ち、市内のどこからでも見ることができるリヨンの象徴的建物。1872年から1896年にかけて建設されたバシリカ教会堂である。
  • フルヴィエール・古代ローマ劇場
    フルヴィエール・古代ローマ劇場 (Théâtres Romains de Fourvière) はフルヴィエール大聖堂から南西へやや下った位置にある古代ローマ時代の劇場。紀元前43年に建設された。現在でも夏季に行われるイベント「フルヴィエールの夜」で、コンサートや演劇の上演に利用される。

ロゼール庭園

ロゼール庭園(Jardins du Rosaire)は旧市街とフルヴィエール大聖堂の間に位置する25,000m²の庭園。

テロー広場

テロー広場 (La place des Terreaux) は市庁舎横にある広場で、フレデリク・バルトルディ作の噴水がある。夜には、たくさんの噴水がイルミネーションで飾られる。

通りを隔てた反対側にはリヨン美術館(Musée des Beaux Arts)がある。

サン・ニジエ教会

サン・ニジエ教会(Église Saint-Nizier)は14世紀から15世紀にかけて建設された。

クロワ・ルース

クロワ・ルース(Croix-Rousse)は古くから絹織物の盛んな地区で、織機向けの高い天井を持った建物が立ち並ぶ。トラブール(Traboule)と呼ばれる小さな通路がそこかしこに見られるが、絹織物を運ぶ途中でデザインを盗用されないよう、人目を避けるために作られたとされる。また、迷路のようなトラブールを持つこの地区は、第二次世界大戦中、レジスタンスの活動の場としても使われた。

登録基準

この世界遺産は世界遺産登録基準における以下の基準を満たしたと見なされ、登録がなされた(以下の基準は世界遺産センター公表の登録基準からの翻訳、引用である)。テンプレート:世界遺産基準/coreテンプレート:世界遺産基準/core

関連項目

外部リンク

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