Hi-STANDARD
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テンプレート:Infobox Musician Hi-STANDARD(ハイ・スタンダード)は、日本のパンク・ロックバンド。PIZZA OF DEATH RECORDS所属。ハイスタの略称で親しまれている。
目次
メンバー
- 難波章浩(なんば あきひろ・ボーカル、ベース)
TYÜNK、なんばあきひろ&宇宙船地球号、ULTRA BRAiN、難波章浩-AKIHIRO NAMBA-、NAMBA69 - 横山健(よこやま けん・ギター、ボーカル)
BBQ CHICKENS、Ken Yokoyama - 恒岡章(つねおか あきら・ドラムス)
CUBISMO GRAFICO FIVE、LOW IQ & THE BEAT BREAKER、磯部正文BAND等
概要
- 1991年、難波章浩、横山健、恒岡章を中心に結成。初ライブを高円寺20000Vで、God's Guts、Scamp、bloodthirsty butchers、BEYONDSと行う。
- 結成時は別にボーカリスト松本敦彦がおり、4人で活動していたが脱退。脱退後は、SLIME FISHERと言うバンドに加入。いくつかのバンドを渡り歩き、現在も精力的に活動中。
- 1994年、ミニ・アルバム『LAST OF SUNNY DAY』をリリース。
- 1995年、アルバム「GROWING UP」をリリース。海外盤を含めると、70万枚を超えるセールス。
- 1997年、アルバム「ANGRY FIST」をリリース。オリコン初登場4位を記録。
- 1999年、PIZZA OF DEATH RECORDSをトイズファクトリーから独立化し、アルバム「MAKING THE ROAD」をリリース。インディーズとしては異例の日本と海外を含め、ミリオン・ヒットした。
- 2000年4月、シングル「Love Is A Battlefield」をリリース。オリコンチャート初登場2位を記録。8月、千葉マリンスタジアムで行われたロック・フェスティバル『AIR JAM 2000』を最後に活動休止。
- 2003年、横山がPIZZA OF DEATH RECORDS Webページ内の『横山健の別に危なくないコラム vol.19』にて、バンド活動停止は、難波の脱退であることを公表。各方面、メディア、ブログ等への発信をまとめると、いわゆる「すれ違い」によるところの脱退である。
- 恒岡は、S.P.L.、CUBISMO GRAFICO FIVEをはじめ、LOW IQ &THE BEAT BREAKERや佐藤タイジバンドなど多方面で活動。Coccoのサポートドラマーとして「ミュージックステーション」に出演。ハイスタ休止後に横山が結成したBBQ CHICKENSでは初期(正式ではない)メンバーとして参加していた。
- 2004年2月、横山が「Ken Yokoyama」としてソロ活動を開始。
12月11日、スペースシャワーTVにて『祝15祭 スペシャプレミアムライブ15連発!Hi-STANDARD LIVE from AIR JAM 2000』が放送。4年ぶりに3人が顔を揃えてライヴを見た感想VTRが流れた。 - 2005年、難波は音楽雑誌「ROCKIN'ON JAPAN」のインタビューで、Hi-STANDARDの活動再開を示唆するも、8月に「TYÜNK」、「なんばあきひろ&宇宙船地球号」名義で2枚のソロ作品を発表し、翌年には「ULTRA BRAiN」を結成している。
- 2007年5月、難波のブログ「TYUNBLOG」にてPIZZA OF DEATH RECORDSへの警告文が記載。「Hi-STANDARDの原盤権を3等分しないなら、『MAKING THE ROAD』は廃盤にすべきだ。これは金の話ではなく、作品にこめた魂の話だ。」という内容であった。最終的は訴訟にならずに話し合いにより原版権やグッズ販売の分配が行われている。
- 2008年、難波と恒岡はwomb、翌年の大阪STUDIO PARTITAにてライブを行っている。
- 2009年、横山が難波の新作のレコーディングにギターで参加。
- 2010年、「FUJI ROCK FESTIVAL2010」に「Ken Yokoyama」と「難波章浩」が出演、それぞれのステージにて「STAY GOLD」を演奏する。
- 2011年3月、難波がライヴにて9月に横浜スタジアムでのフェス開催を発表した。
4月26日、難波、横山、恒岡の3人がそれぞれのツイッターでほぼ同時に『9.18 ハイ・スタンダード AIR JAM。届け!!!』と、つぶやき、3人揃った写真を掲載。- 以降、難波は、「AIR JAM2011」「自家発電の電源車での爆音保障」「ハイスタのコピーの練習しなきゃ」と発言、それに対する横山もツイッターで返信している。
- 2011年5月13日、AIR JAM 2011が2011年9月18日(日)に横浜スタジアムにて開催されることが正式に発表
- 2011年9月18日、AIR JAM2011開催。11年振りに活動再開した。
- 2012年2月22日Live at AIR JAM 2011をリリース。またバンドオフィシャルサイトもオープンした。
- 2012年12月23日 NHK EテレでHI-STANDARD特集届け!を放送
作品
シングル
- GROWING UP (1996/1・PR277) - GREEN DAY初来日のライブで配布された。タイトル曲のみ1曲収録。
- THE KIDS ARE ALRIGHT(1996/9/1・TFCC-88082)
- Love Is A Battlefield(2000/4/5・PZCA-2)
アルバム
- LAST OF SUNNY DAY(1994/6/30・POD-001)
- GROWING UP(1995/11/1・TFCC-88067)
- ANGRY FIST(1997/5/14・TFCC-888096)
- MAKING THE ROAD(1999/6/30・PZCA-1)
Video/DVD
- ATTACK FROM THE FAR EAST(VHS:1996年8月1日, DVD:2002年5月22日)
- ATTACK FROM THE FAR EAST 2(VHS:1997年11月1日, DVD:2002年5月22日)
- Live at AIR JAM 2011(2012年2月22日)
- Live at TOHOKU AIR JAM 2012(2013年9月11日)
EP
- IN THE BRIGHTLY MOONLIGHT (1994年)
- I'M WALKIN'
- TELL ME SOMETHING,HAPPY NEWS
- IN THE BRIGHTLY MOONLIGHT
- GROOVY CREW
- Hi-STANDARD / LEGITIME DIFONCE SPLIT(1995年)
- CALIFORNIA DREAMIN'
- SATURDAY NIGHT
- 1995 SPECIAL EP...THIS IS NOT FOR SALE (1995年)非売品
- KISS ME AGAIN
- WAIT FOR THE SUN
- CALIFORNIA DREAMIN' (1995年)輸入盤のみ
- CALIFORNIA DREAMIN'
- LONELY
- WAIT FOR THE SUN
- THE KIDS ARE ALRIGHT (1996年)
- I DON'T NEED TROUBLE BECAUSE OF...MONEY (1997年)
- MONEY CHANGES EVERYTHING
- THE SOUND OF SECRET MINDS
- War Is Over w/WIZO (en:WIZO) とのSPLIT (1997年)ドイツではCDもリリース
- HAPPY X'MAS(WAR IS OVER)
- LIFT ME UP,BRING ME DOWN
- Love Is A Battlefield (2000年)
IN THE BRIGHTLY MOONLIGHT ~ 1995 SPECIAL EPまでの楽曲はアルバムとは別のテイク。
オムニバス
- SHAKE A MOVE(1992年)
- SELFISH GIRL(4人編成時のテイク)
- BQ JAP (1993年)
- SELFISH GIRL(live)
- MAXIMUM OVERDRIVE(live)
- PULL UP FROM THE UNDER GROUND 80% HEAVY 底引重圧八割(1994年)
- IN THE BRIGHTLY MOONLIGHT(live)
- TELL ME SOMETHING,HAPPY NEWS(live)
- SOMEHOW IT DON'T BOTHER ME-A TRIBUTE TO SNUFF II (1995年)
- NOW YOU DON'T REMEMBER
- SNUFFY SMILE 限定非売品CD(disk union特典)(1995年)
- GROOVY CREW(short ver.)
- SHORT MUSIC FOR SHORT PEOPLE (1999年)
- ASIAN PRIDE
- WE LOVE BUTCHERS (1999年)
- CROWS CAW LOUDLY
- HUNGRY FOR CARNAGE (2003年)
- WHO'LL BE THE NEXT
SHAKE A MOVE 〜 SNUFFY SMILE 限定非売品CDまでの楽曲でアルバム『GROWING UP』収録曲は別のテイク
その他
- LIVE OPENING SE
- [GO FOR IT]STIFF LITTLE FINGERS
- 1st DEMO TAPE (全日本語詞)
- MAXIMUM OVERDRIVE
- HEAD OVER HEELS
- FACE TO FACE
- HEART & SOUL
- NO WAY
- FIND ME OUT
- FEEL SO GOOD
- SMILE
カバーした曲
- SINCE YOU BEEN GONE(ヘッド・イースト、レインボー、作詞・作曲はRuss Ballard)
- SATURDAY NIGHT(ベイ・シティ・ローラーズ)
- CALIFORNIA DREAMIN'(ママス&パパス)
- HAVE YOU EVER SEEN THE RAIN(クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル)
- GOTTA PULL MYSELF TOGETHER(ノーランズ)
- THE KIDS ARE ALRIGHT(ザ・フー)
- MONEY CHANGES EVERYTHING(シンディ・ローパー)
- HAPPY X'MAS (WAR IS OVER)(ジョン・レノン&オノ・ヨーコ)
- GREEN ACRES(アメリカのテレビ番組のテーマ曲)
- CHANGES(ブラック・サバス)
- CROWS COW LOUDLY (bloodthirsty butchers)
- MY FIRST KISS(あんしんパパ)(アニメ『キテレツ大百科』の主題歌『はじめてのチュウ』の英語バージョン)
- CAN'T HELP FALLING IN LOVE(エルヴィス・プレスリー)
- NOW YOU DON'T REMEMBER (SNUFF)
- What Kind Of Love (SNUFF)ライブにて演奏
- Lovin' You(ミニー・リパートン)
- PINK PANTHER(ピンク・パンサー、同名映画/邦題ピンクの豹のテーマ、作曲はヘンリー・マンシーニ)
- The Trooper(アイアン・メイデン)ライブにて演奏
挿話
インディーズブームの走り
- 海外ではNOFXのFAT MIKEにプロデュースされたことでも有名。NOFXのツアーにも参加しておりFAT MIKEが立ち上げたレーベル「Fat Wreck Chords」に所属していた。他に、グリーン・デイやオフスプリング、ブリンク182などといった、海外の超大物バンドとツアーを回り、成功を収めている。また、HUSKING BEEやSHERBETなど、メンバーによるバンドプロデュースも行われている。
アンチメジャー
- 活動概念として、一貫して見受けられるのが「非大衆性/アンチメジャー」である。これは1980~90年に出現したパンク/ロックジャンルのバンドの大部分が、地道なライブハウス活動を経たのち大手レコード会社にスカウトされ、大衆的な商業戦略によりテレビの音楽番組やバラエティー番組に出演し、一時的に持ち上げられ、人気・商業価値の下降とともに契約を切られて解散していく「バンドブームのバブル崩壊時代」の悲惨な経緯を当時ライブハウスで働いていた横山がリアルタイムで見ていた事が起因になっている。
- 1990年代初期、アンダーグラウンドと位置づけられていた一部のパンク/ハードコアバンド達はこうした前例を踏まえ、ライブハウス展開、CD自主制作、CD手売り、深い精神世界の歌詞、いわゆるDIY精神とよばれる自主活動を精力的に行い、支持者、ファンを拡大しつつあった。ハイスタンダードも同様にほとんどの活動を自主的に行い、後のパンクバンド達の活動方針の目安となっている。
- 現在のパンク/エモーショナルのライブ会場であたりまえのように見受けられる、演奏し終わったバンドマン自ら自分達のバンドのTシャツやCDを手売りするという光景は、いわゆるAIR JAM世代のバンド達が始めた事である。
- 歌詞における「深い精神世界の内容」という部分ではアンダーグラウンドのバンドの中ではよりPOPに近いものであったが、ブッキング・イベント等ではそれら幾多のバンドとの共演をしている。
- 当時は「メロコア」、「エモ」といった呼び名は定着せず、ジャンル分けが非常にボーダレスだったことも一因である。
- 2ndアルバム「GROWING UP」がメジャーレーベルのトイズファクトリーよりリリースされる事が発表された時、当時のシーンではその方針に対して様々な意見が起こり、アンチメジャーを貫かなかったハイスタに驚くファンもいた。しかし製作自体はPIZZA OF DEATHで行われており(ファット・マイクプロデュース)、作品自体の素晴しさがそうした話題自体を問題にしないほどのクオリティーであったため、「インディー製作/メジャー流通」という手法も、後続のこのジャンルのバンド達の活動に大きく影響している。(HUSKING BEE、BRAHMAN等)
- 現在でこそ「テレビに出ないアーティスト」は多く存在するが、ノータイアップ、最小限プロモーションでありながらCDの好セールスを記録し、ライブハウスに足を運んでこそ、そのバンドの姿が見えるという活動のさきがけ、代表格がハイスタンダードであることは間違いない。横山はこの手法を逆手に取り、稀に出演したテレビやメディアでは「その出演自体をネタ」としてファンに提供している節がある。(オムツを買いに行く途中に来た発言等)
ファンに対する感謝
- ハイスタはファン層の膨大化により、従来/新規のファンによる温度差、特にチケットが常にプレミア化する問題等に頭を悩ませていた。ライブチケットはどの会場も瞬時にソールドアウトしてしまっていたからだ。そこで昔からのファンに対する感謝、メッセージとして行われたのが1997年12月リリースの完全ノープロモーション、事前告知一切なしのシングル「War Is Over(w/WIZO とのSPLIT (1997年))」である。これは、ハイスタを昔から聞いている人はライトユーザーに比べて頻繁にDISK UNION等のレコード店に出入りしているだろうから、いつも通りフラっと店に入ったら何気なしに突然ハイスタのシングルが置かれていて、偶然買えた人はラッキーという狙いだった。
- HAPPY X'MAS(WAR IS OVER)
- LIFT ME UP,BRING ME DOWN(アルバムとは別収録のもの)
- 発売当初はアナログレコード、シングルCDの2種類、後にごく少数、CDだけ再発された)
- また、1997年~1998年に告知最小限のライブハウスツアー、「Fuckin' band boom tour」というパンク/メロコアブームを自ら風刺するようなタイトルのライブを都内数箇所で行っている。どれもキャパ500人以下の会場であった。このライブ告知もいくつかのライブハウスにて、同ジャンルのバンドが出演するイベントの終演後にpizza関係者がチラシ配りをして告知するという「頻繁にライブハウスに出入りしている人が優先的に情報を得られる」という狙いがあった。同時期の1997年、1998年に屋外での大イベント「AIR JAM」を開催している側面もあり、どのファンも大切に接するというメッセージのもと、メジャー移籍した後もハイスタの活動方針自体にはインディーズ/メジャーの垣根を越えているものが多かった。
- 4thアルバム「MAKING THE ROAD」からは完全自主流通に移ったものの、インディーズとしては驚異のセールスを記録し100万枚を突破している。収録されている「stay gold」はアルバムセールス用にPVも作成され、当時西新宿にあった老舗ライブハウス「新宿ロフト」でのライブの模様が収録された映像が使用されている。このライブは長年ロックミュージシャンの登竜門的、伝説のライブハウスとなっていた「新宿ロフト」が西新宿から歌舞伎町へ移転する事に伴うフィナーレ・イベントの一環としてハイスタンダードが出演したもので、まさにロフトの長い歴史に対して「stay gold」というメッセージを込めて送られたものとなっている。(ちなみにmaking the roadツアーの初日は新生:歌舞伎町の新宿ロフトで行われた)
活動休止の真相
- バンド活動休止当時、ブログ等はそれほどさかんではなかった時代であったため、メディアにほとんど出現しないハイスタの動向はほとんど明かされることはなく、この「脱退」「活動停止」に関するアナウンスが横山より発せられるまでの間、すでに解散しているのではないかと捉えてしまっているファンも多かった。
- 「難波のドラッグ依存症、身内へのDV、沖縄移住によるリハビリテーション」等の根拠のない噂が絶えず、活動停止も難波によるところが大きいのではないかという悪者扱い的な線引きをされることもあった。
- もちろんこれは全てデタラメな噂で、難波自身がこの件については2010年にmixiの日記等で強く否定し、心無い噂にショックを受けていたことを発言している。お互いに子供が生まれた際にはお祝いの連絡を入れるなど、この間も難波・横山は絶縁というような状態ではないことが両者のブログで確認できる。
- しかし難波が始めた音楽活動が、電子音・打ち込みを多く取り入れた事や、ブログ内で最初にふれたハイスタに関する話題が前述にある印税・原版権に関する警告だった事もあり、メンバーの動向は明るみになっていったものの、ハイスタンダードの活動再開は厳しいということが浮き彫りになった。
- 横山はソロ活動のライブにおいて頻繁に「STAY GOLD」を演奏している。ライブでこの曲が始まるとオーディエンスの熱狂振りは凄まじく、相変わらずの支持率の高い曲である。他にも「the sound of secret minds」も演奏、難波は「turning back」、「California dreamin'」、「New life」をライブで何度か演奏している。
- 横山のブログでは難波の脱退による活動休止と書いていたが、脱退のきっかけは、横山から休養したいとの申し出があったことによる。そこから長い充電期間に入るのだが、横山がリハビリのつもりでソロ活動を発足させたことにより、難波との確執が生じたことを述べている。[1]
脚注
- ↑ 【ハイスタ全告白】11年ぶりの再始動 横山健(上) - サンケイスポーツ・2012年2月13日
外部リンク