Alto

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ファイル:Xerox Alto.jpg
Xerox Altoのモニターは縦長だった

Alto(アルト)は、1973年ゼロックスパロアルト研究所 (PARC) でアラン・ケイの要請を受けて3ヶ月足らずで作られたコンピュータ試作機。

概要

後に別プロジェクトであるXerox Starにそのハードウエア技術が転用されたため“ワークステーションの原型”と紹介されることが多いが、ケイらはあくまで「パーソナルコンピュータ」試作機と位置付けていた。メモリ増強などの拡張を伴ってAlto-II、販売を目的にしたAlto-IIIまで作られたが、結局、市販はされなかった。1973年春頃にプロトタイプが稼動をはじめた。1970年代終わりまでに約1500台が製作され、多くの研究機関に配布された。

当初はアラン・ケイの通称・Dynabookプロジェクトにおいて「暫定Dynabook」と呼称され、そのオペレーティングシステム的存在ともいえるSmalltalkの研究開発に使われた。出資受容の条件に要求してこれを見た、アップルコンピュータスティーブ・ジョブズに影響を与え、LisaMacintoshを開発させるきっかけとなった。

暫定Dynabookとして以外にも、同所内外で並行して動いていたいくつかのプロジェクトのプラットフォームとしても活用され、試作機でありながら後世に名を残す存在となる。そのハードウエア技術を転用してのちに開発されたDorphinやDoradoといったD-マシンには、PARCとは別機関で開発されたMesaベースの統合環境が搭載され、1981年Xerox Starとして発売された。Xerox StarではイーサネットによるLANを通じた情報共有がセールスポイントとされたが、イーサネットもまたAltoプロジェクトの産物である。

メインフレームミニコンピュータ(ミニコン)に代表される専門技術者が業務に使用することを目的としたコンピュータが中心のこの時代にあって、Altoは個人が情報ツールとして使用することを想定したパーソナルコンピューティングの方向性を強く打ち出した。これは現在のパソコンにも直接つながる考え方である。

Altoは、将来のグラフィカルな操作環境の開発を見越して、ビットマップディスプレイマウスを当初から標準で装備。また、その目論見通り、初号機誕生後、直ちにNovaより移植され、以後、Alto OSの1つとして重要な役割を担うこととなるSmalltalkシステムを介し、1970年代半ばにはすでに、ウインドウシステム、メニュー操作、アイコン付きパレット、WYSIWYGエディタなど、現在のパソコンに匹敵する特徴も備えていた。この世界初のGUIベースOS (=Smalltalk) は、パーソナルコンピューティングの方向性をエンドユーザーに示すだけでなく、オブジェクト指向の概念を本格的に取り入れた設計で開発者にもアピールし、このときのオブジェクト指向によるOS(APIやフレームワーク)設計は、現在最先端と言われるOSにも今なお色濃い影響を与え続けている。

外部リンク

1977年当時、暫定Dynabookとして動作するAltoのスクリーンショットを挿絵に見ることができる文献。

1980年代に放映されたTV番組から。暫定Dynabookとして動作するAltoのGUIを観ることができる。

日本のTV番組から。アラン・ケイスティーブ・ウォズニアックへのインタビューもある。