龍造寺周家
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龍造寺 周家(りゅうぞうじ ちかいえ、永正元年(1504年) - 天文14年1月24日(1545年3月7日))は、戦国時代の武将。龍造寺氏の一族。父は龍造寺家純。子に龍造寺隆信、龍造寺長信、龍造寺信周。龍造寺家兼の孫にあたる。
叔父である龍造寺家門の養子となり、水ヶ江龍造寺家の次期当主の立場であったと思われる。しかし、1545年、実父の龍造寺家純、養父の龍造寺家門、実弟の龍造寺純家、龍造寺頼純、義弟の龍造寺家泰等、他の多くの一門衆と共に粛清された。実父とともに馬場頼周に討たれたとも、一説には実父とともに戦って敗れて逃れた後、主君の少弐氏に謝罪の使者として赴くところを殺害されたともいう。