麻布永坂町

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

テンプレート:Pathnav テンプレート:Infobox Settlement 麻布永坂町(あざぶながさかちょう)は東京都港区にある町名である。麻布地区総合支所管内にあたる区域の一つで、麻布狸穴町とともに区内で唯一の住居表示未実施地域である[1]。住居表示未実施のため、街区符号・住居番号はない。

概要

外苑東通りより古川(渋谷川)の谷へ向かう斜面に位置し、飯倉片町交差点と地下鉄麻布十番駅の中間にある。町域の大部分は住宅地となっており、著名人の邸宅などがある。また、麻布永坂町は古くから更科そばで有名であり、町内には更科そば本舗の布屋太兵衛がある。

歴史

ファイル:麻布地区(東京都港区)住居表示対照図.png
麻布地区住居表示対照図(クリックで拡大)。麻布永坂町は中央やや右。

1962年昭和37年)以降、麻布永坂町の範囲は徐々に縮小している。

残された旧町名

住居表示に関する法律が成立した1962年昭和37年)以降、港区においても新たな街画が設定されてそれまでの歴史ある町名が次々と消滅、1978年昭和53年)には町名変更の実施率が97.4%に達していた[1]。この際に最後まで残ったのが麻布永坂町と麻布狸穴町であり、これら二町の名称は現在まで存続することとなった[1]

これは、麻布狸穴町の住民であった世界経済調査会理事長・木内信胤が、「歴史的にも古く、価値のある町名はきちんと後世まで残すべき」と、住居表示の施行を強行する行政に対して異を唱え、脚本家・松山善三が中心となって、住民による反対運動が行われた結果である[1]。麻布永坂町では、ここに居を構えるブリヂストン創業者・石橋正二郎を始め、蕎麦屋・永坂更級の主人らも住居表示の実施に対して強固に異を唱えた[1]

その後、2006年(平成18年)度末現在、港区は麻布永坂町という町名のまま住居表示を実施する意向を示していない。

沿革

永坂

永坂(ながさか、長坂)は、麻布永坂町の町名の起源となった坂であり、港区麻布永坂町と六本木5丁目とのあいだを北から南に下る長い坂である[2]

現在は飯倉片町交差点(外苑東通り)から麻布十番・一の橋交差点まで下る東京都道東京都道415号高輪麻布線)となっており、道は首都高速都心環状線の高架橋に覆われてしまっている。坂の上、飯倉片町交差点手前には首都高速道路の飯倉出口がある。また、坂の途中の麻布永坂町には永坂更科がある。

永坂(長坂)の名称についてはこれまで、起因不明(『新撰東京名所図会』)、「長い坂だから。或いは、付近住人の名前から」(『新編江戸志』)、「長坂氏が居住していたためというのは付会(こじつけ)の説」(『麻布区史』)など、様々な解説がなされている[3]

正岡子規には永坂を詠んだ俳句蕎麦屋出て永坂上る寒さかな」がある。

施設

参考資料

  • 『まち探訪ガイドブック』 - 2007年度版、港区発行

脚注

テンプレート:脚注ヘルプ テンプレート:Reflist

外部リンク

  • 麻布永坂町 麻布地区の旧町名由来(一の橋公園設置) 港区
テンプレート:東京都港区の町名
  1. 1.0 1.1 1.2 1.3 1.4 特集・東京の地名 町それぞれの物語 『東京人』(都市出版株式会社) 第20巻第5号 平成17年5月3日発行
  2. 「永坂」 横関英一 『江戸の坂 東京の坂(全)』 筑摩書房 平成22年11月10日発行
  3. 「永坂」 石川悌二 『江戸東京坂道辞典コンパクト版』(新人物往来社) 平成15年9月20日発行