鶴見臨港鉄道
テンプレート:Infobox 鶴見臨港鉄道株式会社(つるみりんこうてつどう)は、かつて神奈川県にて鉄道事業・軌道事業を営んでいた会社である。現在の東日本旅客鉄道(JR東日本)鶴見線にあたる鉄道路線を建設・運営していたが、1943年に戦時買収により国有化された。
会社自体は、鉄道路線の戦時買収後もそのまま存続し、鶴見・川崎の埋め立て造成を行った東亜建設工業(旧浅野財閥系)の傍系企業として現存している。
目次
沿革
- 1924年(大正13年)7月25日 - 会社設立。
- 1926年(大正15年)3月10日 - 浜川崎 - 弁天橋間および大川支線分岐点 - 大川間が貨物線として開業。
- 1930年(昭和5年)3月29日 - 海岸電気軌道を吸収合併し、軌道線とする。
- 1930年(昭和5年)10月28日 - 本線を全線電化し、電車による旅客営業を開始。
- 1931年(昭和6年) - バス事業を開始。
- 1937年(昭和12年)11月18日 - 子会社として鶴見川崎臨港バスを設立。
- 1937年(昭和12年)12月1日 - 軌道線を廃止し、バスに転換。
- 1938年(昭和13年)5月 - 鶴見川崎臨港バスへバス事業を譲渡。
- 1938年(昭和13年)12月1日 - 鶴見川崎臨港バスが川崎乗合自動車(鶴見臨港鉄道と京浜電気鉄道の系列会社)と合併し、社名の鶴見と川崎を入れ替えて川崎鶴見臨港バスとする
- 1943年(昭和18年)7月1日 - 戦時買収により、保有する鉄道路線が国有化され、鶴見線となる。
- 1954年(昭和29年) - 川崎鶴見臨港バスが京浜急行電鉄の子会社となる。
- 2011年(平成23年)11月1日 - 東亜建設工業株式会社の完全子会社となる[1]。
買収後
1943年(昭和18年)7月1日、鉄道全線が国有化され、国鉄鶴見線が誕生した。この時の事情について、会社側や親会社の東亜建設では「国家総動員法の発令により強制買収された」と説明している(「戦時買収私鉄#概説」も参照)。 このとき、鉄道省の担当者からは「大東亜戦争が終結した後には買収路線を元の会社に戻す」という口約束を受けていた。そこで終戦後の1946年(昭和21年)頃から、この約束の履行を求めて同じ浅野財閥由縁の南武鉄道(現・JR南武線)、青梅電鉄、奥多摩電鉄(現・JR青梅線)と共に被買収私鉄払い下げ運動を行った[2][3]。
当初、運動は南武鉄道が主導したが、これは南武、青梅、奥多摩の3社が合併して『関東電鉄』を結成するという構想の中心を南武が担ったためであった。その後、鶴見臨港が主導権を握り、1947年(昭和22年)「被買収鉄道還元期成同盟会」へと発展する。一方で払い下げが実現した時には鶴見臨港を加えた4社で合併し関東電鉄を発足させることにしていた(詳細は「南武線#歴史」参照)。公共企業体日本国有鉄道が発足する直前の1949年(昭和24年)には、鉄道還元法案が国会に提出され、衆議院で可決されるが、参議院では審議未了、廃案となる。その2年後の1951年(昭和26年)、同様の法案が再度国会に提出されたものの今度は衆議院でも審議未了廃案になり、被買収私鉄還元運動は尻すぼみになってしまった。
以後は、川崎鶴見臨港バス株を京浜急行電鉄に売却、有力マリコンとなった東亜建設の下で矢向延長線の用地として買収済みだった鶴見駅西口周辺の土地を活用する不動産業に特化していった(後述)。同じ頃、南武鉄道も陸上交通事業の継続を断念することになり、傘下にあったバス部門(立川バス)を小田急電鉄に売却した(詳細は「立川バス#沿革」参照)。
路線
買収当時
買収時点で既に廃止されていた路線
未成線
- 鶴見 - 矢向
- 浜川崎 - 大森
- 軌道線の廃止後に、浜川崎駅から先の千鳥町や水江町、浮島町といった埋め立て地の工事進捗を見越し、そこに進出した工場への貨物輸送も狙って免許申請された。ルートは軌道線はおろか京浜電鉄(現・京浜急行電鉄)が大正期に申請し却下された「生見尾線」(後の産業道路)のコースよりもさらに海寄りを走り、現在の浮島橋のあたりで多摩川を渡って東京府(東京市蒲田区、現・大田区)に入り、京浜電鉄穴守線(現・京急空港線)の穴守駅や羽田競馬場付近、即ち現在の東京国際空港内から森ヶ崎鉱泉の近くを経由し、学校裏駅で京浜電鉄線(現・京急本線)と交差、省線大森駅に抜けるというものだった[4](「京浜急行電鉄#未成線」も参照)。
- 1943年(昭和18年)の買収直前に免許を獲得するが、買収や太平洋戦争の戦局悪化で鶴見臨港鉄道としては建設を断念、終戦直後のGHQによる羽田飛行場の強制収用で東京都内部分の建設は物理的にも不可能になった。しかし翌1944年(昭和19年)、東京急行電鉄が大師線の延長として川崎大師 - 入江崎間を開通させ、1945年(昭和20年)には川崎市電の渡田 - 桜本間と京急大師線の入江崎 - 桜本間も開通して旅客営業、また国鉄浜川崎駅と各企業の専用線をつなぐ貨物輸送が行われた。その後塩浜操車場(現・川崎貨物駅)の開業に合わせて両線が休廃止され現在はJR東海道貨物線の一部となっている。なお同時に浮島町方面への分岐線も神奈川臨海鉄道浮島線として実現しこちらは貨物専用ながら現在も盛業中である(「川崎市電#特徴のあった区間」および「海岸電気軌道#廃線跡とその後」も参照)。
輸送・収支実績
年度 | 乗客(人) | 貨物量(トン) | 営業収入(円) | 営業費(円) | 益金(円) | その他損金(円) | 支払利子(円) | 政府補助金(円) |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1926 | 136,064 | 81,690 | 33,662 | 48,028 | 36,423 | |||
1927 | 301,651 | 181,297 | 69,285 | 112,012 | 37,035 | |||
1928 | 434,866 | 305,541 | 127,674 | 177,867 | 23,560 | |||
1929 | 765,725 | 489,961 | 254,045 | 235,916 | 25,656 | |||
1930 | 87,714 | 725,973 | 486,370 | 304,735 | 181,635 | 雑損522軌道61,608 | 27,718 | |
1931 | 1,673,150 | 759,820 | 616,672 | 361,352 | 255,320 | 雑損933軌道71,782 | 179,473 | |
1932 | 2,467,062 | 760,431 | 602,316 | 379,331 | 222,985 | 雑損439軌道自動車63,348 | 191,971 | |
1933 | 3,298,317 | 857,152 | 695,385 | 421,919 | 273,466 | 雑損405軌道自動車85,356 | 183,685 | |
1934 | 4,182,960 | 890,118 | 740,431 | 452,636 | 287,795 | 雑損償却金29,684軌道其他90,788 | 160,677 | |
1935 | 4,497,701 | 930,097 | 767,713 | 458,593 | 309,120 | 雑損30,647軌道其他84,220 | 160,461 | 55,508 |
1936 | 5,764,524 | 1,005,175 | 859,183 | 460,635 | 398,548 | 雑損償却金324,939軌道自動車50,140 | 153,267 | 129,798 |
1937 | 7,287,748 | 1,199,898 | 1,037,356 | 565,344 | 472,012 | 雑損11,856軌道自動車309,099 | 157,453 | 57,678 |
- 鉄道統計資料、鉄道統計各年度版
車両
蒸気機関車
- 301・302(→国鉄1190形1190・1191)
- 303(→国鉄1765形1765)
- 304(→国鉄1770形1770)
- 501(旧国鉄1800形1811→小湊鐵道5。国有化により1811に戻る)
- 502(旧国鉄1850形1855。国有化により1855に戻る)
- 701(旧国鉄700形704。1939年、外地へ譲渡)
電車
貨車
貨物輸送が鉄道建設の大きな目的であったことから、多数の貨車を所有していた。国鉄では生石灰輸送目的にほとんど限られていて少数しか保有していなかった鉄側有蓋車や鉄製有蓋車を、有蓋車の保有数に比較して多数保有していたのが特徴で、これは主に石油を缶入りで搭載するといった目的で使用されていたと考えられている。また沿線の製鉄所で使用するコークスを輸送するための無蓋車は、コークスの比重が軽いことから側板・妻板が高くされているものがあった。この他に日本鋼管所有の私有無蓋車が55両、無蓋水滓車が12両、芝浦製作所(東芝)所有の私有大物車3両が鶴見臨港鉄道に車籍編入されていた。
有蓋車・鉄側有蓋車・鉄製有蓋車
- ワブ1形 ワブ1 - 国有化前に廃車
- ワブ2形 ワブ2 - 4 - 国有化前に廃車
- ワム3001形 ワム3001 - 3003 - 国有化後ワム1形ワム1719 - 1721に編入
- ワ3101形 ワ3101 - 3120 - 国有化後ワ22000形ワ28398 - 28417に編入
- ワ17000形? ワ17407 - ト2801に改造
- スム4001形 スム4001 - 4010 - 国有化後スム1形スム3982 - 3991に編入
- テム5001形 テム5001 - 5030 - 国有化後テム1形テム1 - 30に編入
- テ5001形 テ5501 - 5580 - 国有化後テ1形テ461 - 540に編入
- テフ21形 テフ21・22 - 国有化後テフ1形テフ1・2に編入
無蓋車
- トム2001形 トム2001 - 2035 - 国有化後トム1形トム2227 - 2261に編入
- トム2100形 トム2101 - 2145 - 日本鋼管所有車
- トム2201形 トム2201 - 2210 - 国有化後トム11000形トム12721 - 12730に編入
- トム2501形 トム2501 - 2510 - 国有化後トム13000形トム13000 - 13009に編入
- トラ1001形 トラ1001 - 1010 - 国有化後トラ1形トラ3401 - 3410に編入
- テサ形? テサ1 - 12 - 日本鋼管所有無蓋水滓車、詳細不明
大物車
- シキ100・200・300 - 芝浦製作所所有車、国有化後シキ110形シキ110・111に編入
- シム110 - 芝浦製作所所有車、国有化後シム20形シム20に編入
車両数の推移
年度 | 蒸気機関車 | 電車 | 貨車 | |
---|---|---|---|---|
有蓋 | 無蓋 | |||
1926 | 2 | 27 | 10 | |
1927 | 3 | 27 | 10 | |
1928 | 3 | 59 | 25 | |
1929 | 3 | 129 | 45 | |
1930 | 4 | 10 | 129 | 45 |
1931 | 4 | 11 | 129 | 45 |
1932 | 4 | 15 | 129 | 45 |
1933 | 4 | 15 | 129 | 45 |
1934 | 4 | 15 | 126 | 45 |
1935 | 4 | 17 | 126 | 45 |
1936 | 4 | 17 | 126 | 45 |
1937 | 4 | 23 | 126 | 48 |
施設
- 潮田変電所、回転変流器(交流側435V直流側600V)直流側の出力500KW、常用1、予備1、製造所英国電気
- 安善町変電所、水銀整流器(交流側568V直流側600V)直流側の出力500KW、常用1、製造所富士電機
- 『管内電気事業要覧. 第11回』(国立国会図書館近代デジタルライブラリー)
参考文献
- 電気車研究会『鉄道ピクトリアル』1986年12月号(通巻472号)特集:鶴見線
- 矢嶋亨 「鶴見臨港鉄道の貨車」 テンプレート:Cite book p.55
脚注
- ↑ 簡易株式交換による連結子会社の完全子会社化に関するお知らせ - 東亜建設工業
- ↑ 加藤新一「鶴見臨港鉄道の買収と払下げ問題」 - 鉄道ピクトリアル1986年12月号
- ↑ 原田勝正『南武線 いま むかし』多摩川新聞社、1999年。
- ↑ 鶴見を読む 鶴見臨港鉄道 - 横浜市立鶴見図書館HP、会社が1935年に発行した「鶴見臨港鉄道要覧」内の地図に記載あり。