浅野財閥

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浅野財閥 (あさのざいばつ)は、浅野総一郎が設立した財閥である。十五大財閥の一つに数えられる。

浅野総一郎がコークス販売で成功を収めたのをきっかけとして、渋沢栄一渋沢財閥の支援の元、大規模化していった。1884年(明治17年)、官営工場である深川セメント製造所の払い下げを受けて「浅野セメント」(後の日本セメント)を創立し、以後これを中核企業として発展した。

傘下に金融機関を持たず、安田善次郎率いる金融財閥である安田財閥との関係も深いため安田財閥の産業部門的な性格を有していた。安田からの支援を受け1896年(明治29年)に東洋汽船を設立した後、造船鉄鋼業にも進出していった。1908年(明治41年)には鶴見埋立組合(後の東亜建設工業)を設立し、1913年(大正2年)から鶴見地区の埋立を開始した。その地には鶴見臨港鉄道が開通し、浅野セメントや日本鋼管、旭硝子などの工場が並ぶ京浜工業地帯として発展していった。

1918年(大正7年)8月、浅野総一郎により一族の投資による証券保有会社、浅野同族株式会社が設立され財閥化した。1944年(昭和19年)6月に同社は株式会社浅野本社に社名を変更したが、戦後連合国軍最高司令官総司令部 (GHQ) による財閥解体解散した。解散後、傘下の企業は旧安田財閥系の企業集団、芙蓉グループに合流した。

主なグループ企業

浅野本社(旧・浅野同族)傘下の直系会社を挙げる。

参考文献

  • 『百年史』 日本セメント、1983年。