鯛めし

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鯛めし(たいめし)はを素材とする郷土料理の一つである。

愛媛の鯛めし

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南予の鯛めしの一例
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南予の鯛めしの一例(愛媛県松山市内の飲食店にて)

鯛めしは愛媛県郷土料理の一つである。「鯛めし」は、地域によって、大きくは二つの種類に分けられる。

東予地方中予地方では、一尾丸ごと焼いたを、醤油で味付けした半炊き状態の炊き込みご飯の上に載せ、さらに加熱して完成させる。通常土鍋で提供される。今治などの東予中予地方松山・北条等で食べられる。同類のものとして鯛麺鯛そうめんがある。

また、南予地方では、鯛の刺身ご飯に載せ、特製のタレ生卵ゴマきざみねぎなどの薬味を混ぜたものをかけて食べる。載せる前にタレにいったん浸ける場合もある。タレは醤油を主体に、その店・家庭独自のものが用いられる。主に宇和島などの南予で食べられる。

郷土研究家の土井中照によると、南予地方の鯛めしが、今日の姿で紹介されるようになったのは昭和60年代以降のことで、それ以前は素材に鯛のほかなどが用いられることもある「ひゅうが飯」であったという。昭和60年代以降、「鯛めし(ひゅうがめし)」の表記がみられる様になったと指摘している。土井中は、南予地方の名物料理をつくりたいという観光政策が影響しているのではないかとみている[1]。実質は行政が意図的に鯛めしを観光に活用した実態は無く、鯛めしを観光ガイドに掲載するなど観光政策に導入したのは近年になってからである。

ただしその歴史は古く一説には平安時代、藤原純友伊予水軍とも言われ、別の説では海賊が火を使わずに食べるために考案したと言われるが、米は炊くときに火が必要で、保存や移動の難しい生卵を使用するなどつじつまが合わず信憑性は低い。

「鯛めし」は宇和島市内の狭い地域で食べられる家庭料理で、昭和30年代には一般的に「鯛めし」としか呼ばれておらず、「ひゅうが飯」とは「鯵」を使った料理を指して区別していた。鯛めしという呼称は昭和30年代には使用されている。また、当時の「鯛めし」は鯛の刺身と卵と醤油のみの簡単な味付けが多く、料亭では「鯛めし」を出すことはなかった。家庭料理であった「鯛めし」は余った鯛の刺身で作られる締めとしての食べ方であり上品とは言えず「鯛めし」だけで食べられることは少なかった。料亭の料理として出されるようになり甘みを出し現在の味に変化したが、一部のホテルでは現在でも昔ながらの辛い「鯛めし」を出すところも残っている。

昭和の50年代になると、当時の津島町(現宇和島市)の料亭が六宝という名称で「鯛めし」に似た料理をだすことが地域の食べ方として知られるようになる。愛媛県内の各地で「鯛めし」が普及してきたのも同時期であるが、炊き込みの鯛めしと区別するため、「生の鯛めし」という特別な呼び方も使われていた。南予の特産品とされることが多いが、宇和島市以外の県内に普及したのは同時期であり南予独特であった事実はない。宇和島市から松山市に出店する料理人が多いため県内では若干早く松山市で売り出されることになる。 昭和の60年代になると、「鯛めし」の説明をするのにひゅうが飯と記載している料亭が増えるが、やがて「鯛めし」と記載され写真で説明している店が増えてきた。

2007年(平成19年)、「宇和島」と地名を冠し、「宇和島鯛めし」として農林水産省の「郷土料理百選」に選ばれた。

松山市では平成21年に「活き鯛めし」の名称を使い、松山市で昔から食べられた郷土料理として大々的に「鯛めし」を紹介するが、現在は宇和島が発祥の地と変更されている。前述のとおり松山市で広まった歴史は浅いため郷土料理と呼ぶには疑問も残る。「活き鯛めし」と「宇和島鯛めし」は同じものである。

駅弁

駅弁としては今治駅小田原駅の鯛飯弁当、静岡駅の鯛飯が販売されている。鯛を使った駅弁の一つ、今治駅の「瀬戸の押寿司」は2006年5月の日本経済新聞土曜版の駅弁特集で全国一位に輝いたほか、四国旅客鉄道(JR四国)が2012年に開催した「四国の駅弁選手権2012」では金賞を受賞している[2]

また、静岡の鯛飯は炊き込みご飯の上に鯛の身のソボロを散らしたものであるが、これは赤魚をソボロにしたものを使っておりパッケージにもその旨記載されている。

脚注

  1. 土井中照『愛媛たべものの秘密』(アトラス出版)
  2. JR四国公式サイト 「四国の駅弁選手権2012」本審査の結果について
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