高原須美子
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
テンプレート:政治家 高原 須美子(たかはら すみこ、1933年6月16日 - 2001年8月19日)は、日本の政治家、経済評論家。
経済企画庁長官(第42代)、日本体育協会会長(第12代)、セントラル・リーグ会長(第4代)を歴任した。
概要
略歴
東京生まれ。東京都立武蔵高等学校、一橋大学商学部卒業。1956年毎日新聞社入社。『エコノミスト』記者などをへて、63年結婚して退社。その後評論家となりテレビなどで知られる。
1989年8月、第1次海部内閣で経済企画庁長官に任命され、女性で初めて民間人閣僚に就任した。その後、1993年に日本体育協会会長、1995年に駐フィンランド特命全権大使、1998年にセントラル・リーグ会長に就任したが、いずれのポストも女性が就任するのは初めてであった。
2001年8月19日、悪性リンパ腫のため死去した。享年68。
人物
- 父も毎日新聞社の社員、小林芳人(薬学者の小林芳人とは同姓同名の別人)。戦時中は陸軍から懲罰召集を受けた新名丈夫ら、出征する毎日新聞社社員を編集局内で万歳三唱の音頭をとり、見送る役目を果たしたという。
- 一橋大学の同期に石原慎太郎(東京都知事)、鳥海巌(元丸紅社長)、高橋宏(首都大学東京理事長)がおり、4家族で毎年、旅行に出かける仲であった[1]
- 大学の後輩の大田弘子(のちに経済財政政策担当大臣)に財団法人生命保険文化センター研究員の職を紹介し、経済学研究の道に進ませた。
著書
- 男性経済論への挑戦 東洋経済新報社 1979.11. 東経選書
- 女は三度老いを生きる 高齢化社会を生き抜く知恵 海竜社 1981.11
- 東京都の財政再建を考える 健康・安全・快適な暮しのために 学陽書房 1981.1
- 女のマネーブック 人生を2倍愉しむ暮らしの経済学 海竜社 1986.12
- エイジレス・ライフ ゆたかな高齢化社会の設計 有斐閣 1989.12 いま家族を問う
- いきなり大臣 講談社 1990.12
脚注
- ↑ 1999/05/31, 日本経済新聞
|-style="text-align:center"
|style="width:30%"|先代:
川島廣守
|style="width:40%; text-align:center"|セントラル・リーグ会長
第4代:1998 - 2000
|style="width:30%"|次代:
豊蔵一
|-style="text-align:center"
|style="width:30%"|先代:
青木半治
|style="width:40%; text-align:center"|日本体育協会会長
第12代:1993 - 1995
|style="width:30%"|次代:
安西孝之
- 転送 Template:End