青木一貞
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青木 一貞(あおき かずさだ、安永5年3月3日(1776年8月6日) - 天保2年8月6日(1831年9月11日))は、摂津国麻田藩の第10代藩主。
第9代藩主青木一貫の四男。母は第8代藩主青木一新の娘・お薗。正室は佐竹義忠の娘、継室は池田定常の娘。子に青木重龍(長男)、谷衛昉(次男)、青木一興(六男)、娘(小出英明室のち石河光晃室)。官位は従五位下、出羽守、甲斐守。幼名は源五郎。
生涯
藩主の四男として生まれたが、生母は正室かつ先代の一新(隠居ながら存命であった)の娘であったため、嫡子とされた。3人の異母兄(佐野健行、設楽貞喬、米津政佑)は庶子とされ、他家に養子に出された(一貫は宇和島伊達家からの婿養子であり、庶子は青木家の血を引かないことになる)。
天明6年(1786年)8月21日、一貫の死去により家督を相続する。寛政5年(1793年)11月1日、将軍徳川家斉に御目見する。同年12月16日、従五位下出羽守に叙任する。後に甲斐守に改める。寛政年間に藩校・直方堂を創設している。
文政4年(1821年)7月21日、隠居し、長男重龍に家督を譲った。以後、不老斎と号した。天保2年(1831年)に死去、享年56。法名は正法院殿一乗義貞大居士。