隆慶帝
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テンプレート:基礎情報 中国君主 隆慶帝(りゅうけいてい)は明朝の第13代皇帝。諱は載垕(さいこう)(垕の字は后の下に土)。廟号は穆宗(ぼくそう)。日本では在位中の元号から一般的に隆慶帝と称されている。
生涯
嘉靖帝の第3子として生まれ、嘉靖18年(1539年)に裕王に封じられている。嘉靖帝の晩年、明朝は内政の乱れの他に、「南倭北虜」と称される倭寇とタタールによる侵攻にさらされていた。即位した隆慶帝は嘉靖期の弊政を改革すべく、嘉靖帝への諫言により罪を得ていた徐階、海瑞などの人材を登用し、それまで朝廷で権勢をふるっていた道士を一掃した。また疲弊する国庫を建て直すため、海外貿易を開放し、倭寇、タタールに対してある程度の貿易を認める柔軟策で対外的にも安定した時代を現出した。
しかし隆慶帝自身は凡庸な皇帝であり、朝政を省みずその政務は大学士に代行されていた。また酒色に溺れ享楽を求めた生活のため若くして崩御した。
宗室
后妃
- 孝懿荘皇后
- 孝安皇后
- 孝定皇太后
子
女
- 蓬莱公主
- 太和公主
- 寿陽公主
- 永寧公主
- 瑞安公主
- 延慶公主
- 棲霞公主