長新太
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長 新太(ちょう しんた、1927年9月24日 - 2005年6月25日)は日本の漫画家・絵本作家。ナンセンスの神様との異名も持つ。数多くの絵本を出しており、児童文学の挿絵も多い。
本名は鈴木しゅう治。「しゅう」は「揫」で、下の部首が手で上が秋という字(常用漢字外)。
経歴
東京府荏原郡羽田町に生まれ、蒲田に育つ。戦時中は陸軍少年飛行兵学校を受験したが体重が足りなかったために不合格となる。東京市立蒲田工業学校(現在の東京都立一橋高等学校)卒。蒲田が空襲の被害を受けたため横浜市に移り、ここで敗戦を迎える。映画が好きだったため映画館の看板屋で働いたが3年ほどで仕事を辞める。
1948年、東京日日新聞の漫画コンクールに応募作品「ロングスカート」が一等入選、これを機に東京日日新聞社に入社。1949年漫画家としてデビュー。日日新聞社の編集者の命名でペンネーム「長新太」が決まる。コンクール作品の題名「ロングスカート」より「長」、新人の「新」、図太く行けとの願いを込めて「太」としたものである[1]
1955年に東京日日新聞社を退社し、本格的に作家活動を始める。1958年、「がんばれさるのさらんくん」で絵本作家としてデビュー。絵本の他にイラストレーション、エッセイなどの分野でも活動した。
2005年6月25日、中咽頭癌のため東京都渋谷区の病院で死去。享年77。
受賞・栄誉
- 1949年 『ロング狂』(4コマ漫画) - 初笑い東京日日新聞漫画祭り二等
- 1959年 『おしゃべりなたまごやき』(文・寺村輝夫) - 第5回文藝春秋漫画賞
- 1960年 イタリアの国際まんがサロンで国際漫画賞受賞
- 1969年 『よるわたしのおともだち』 - 東京イラストレイターズクラブ賞
- 1974年 『おしゃべりなたまごやき』 - 国際アンデルセン賞優良作品
- 1977年 『はるですよふくろうおばさん』 - 講談社出版文化賞絵本賞
- 1978年 『ぼくのくれよん』 - 厚生省児童福祉文化奨励賞
- 1981年 『キャベツくん』 - 絵本にっぽん大賞
- 1984年 巌谷小波文芸賞。『ぞうのたまごのたまごやき』 - 小学館絵画賞
- 1986年 『さかさまライオン』(文・内田麟太郎) - 絵本にっぽん大賞
- 1990年 『トリとボク』『ヘンテコどうぶつ日記』 - 路傍の石幼少年文学賞 『ふゆめがっしょうだん』(写真・冨成忠夫、茂木透) - 絵本にっぽん大賞
- 1994年 『おはなし広場 こんなことってあるかしら』 - 産経児童出版文化賞美術賞
- 1994年 紫綬褒章
- 1999年 『ゴムあたまポンたろう』 - 日本絵本賞
- 2005年 『ないた』(作・中川ひろたか) - 日本絵本賞大賞
主要作品
絵本
- 『ぼくのくれよん』(講談社)
- 『ごろごろにゃーん』(福音館)
- 『ちへいせんのみえるところ』(ビリケン出版)
- 『ぴかくんめをまわす』(福音館書店)
- 『タコのバス』(福音館書店)
- 『ムニャムニャゆきのバス』(ほるぷ出版)
- 『つみつみニャー』(あかね書房)
- 『ちょびひげらいおん』(あかね書房)
- 『みみずのオッサン』(童心社)
- 『こんにちは!へんてこライオン』(小学館)など。
漫画
- 『マンガどうわ なんじゃもんじゃ博士 ハラハラ編』(福音館書店)
- 『マンガどうわ なんじゃもんじゃ博士 ドキドキ編』(福音館書店)
- 『マンガ・怪人シリーズ』(エッセイ集「海のビー玉」に①から⑪まで収録)
挿絵
- 『おしゃべりなたまごやき』(文・寺村輝夫)
- 『山のむこうは青い海だった』(作・今江祥智 理論社)
- 『ぞうをだいた女の子』 (作・落合恵子 理論社)
- 『へんですねえ へんですねえ』(作・今江祥智 ベトナムの子供を支援する会)
- 『ぼんぼん』4部作(作・今江祥智 理論社)
- 『ヘンテコどうぶつ日記』(理論社)
- 『うみのしまうま』(作・山下明生 実業之日本社)
- 『かいぞくオネション』(作・山下明生 あかね書房)
- 『海のメダカ』(作・皿海達哉 偕成社)
- 『ぬい針だんなとまち針おくさん』(作・土橋悦子 福音館書店)など。
エッセイほか
- 『海のビー玉』(平凡社ライブラリー)
- 『長新太のチチンプイプイ旅行』(平凡社)
- 『ユーモアの発見』(岩波ジュニア新書) など。
今江祥智作品 テンプレート:リンクのみの節
- 今江祥智を参照。
寺村輝夫作品 テンプレート:リンクのみの節
- 寺村輝夫を参照。