豪徳寺
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テンプレート:出典の明記 テンプレート:日本の寺院 豪徳寺(ごうとくじ)は、東京都世田谷区豪徳寺二丁目にある曹洞宗の寺院。元は臨済宗。山号は大谿山(だいけいざん)。一説には招き猫発祥の地とされる。
歴史
本寺付近は、中世の武蔵吉良氏が居館とし、天正18年(1590年)の小田原征伐で廃城となった世田谷城の主要部だったとされる。
文明12年(1480年)、世田谷城主吉良政忠が伯母で頼高の娘である弘徳院のために「弘徳院」と称する庵を結んだ。当初は臨済宗に属していたが、天正12年(1584年)曹洞宗に転じる。
寛永10年(1633年)、彦根藩主・井伊直孝が井伊氏の菩提寺として伽藍を創建し整備した。寺号は直孝の戒名である「久昌院殿豪徳天英居士」による。
文化財・施設
文化財
- 彦根藩主井伊家墓所(国の史跡)〔清凉寺(滋賀県彦根市)・永源寺(東近江市)の墓所と共に指定〕
- 仏殿(世田谷区指定有形文化財):井伊直孝の娘・掃雲院が父の菩提を弔うため、延宝5年(1677年)に建立。
- 仏殿木像5躯(世田谷区指定有形文化財):仏殿同様、延宝5年、仏師・松雲元慶の作。
- 梵鐘(世田谷区指定有形文化財):延宝7年(1679年)の作。
その他の施設
招き猫伝説
招き猫発祥の地とする説がある。井伊直孝が猫により門内に招き入れられ、雷雨を避け、和尚の法談を聞くことができたことを大いに喜び、後に井伊家御菩提所としたという[1][2]。
豪徳寺では「招福猫児(まねぎねこ)」と称し、招猫観音(招福観世音菩薩、招福猫児はその眷属)を祀る「招猫殿」を置く。招猫殿の横には、願が成就したお礼として、数多くの招福猫児が奉納されている。ちなみに、招福猫児は右手を上げており、小判などを持たない素朴な白い招き猫である。