西洋環境開発
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テンプレート:Infobox 株式会社西洋環境開発(せいようかんきょうかいはつ)は、日本にかつて存在した不動産デベロッパー。本社はサンシャイン60ビルに所在した。
概要
1960年代からセゾングループ総帥の堤清二は西武化学工業(現:朝日工業)を通じて滋賀県、宮城県、群馬県を中心に土地の買い占めを始め、宅地分譲や住宅販売など不動産開発事業を開始した。その当時で借入金は800億円あり、すでにメインバンクから金利減免の措置を受けていた。
1972年に西武鉄道グループと西武流通グループ(セゾングループ)への分割の際に、西武流通グループに入り、不動産・レジャー部門が西武都市開発として分離・独立。後に横浜の不動産会社・太洋不動産興業と合併し、1986年に両社の名前の一部をとり、西洋環境開発へ社名を変更した。
アーティスティックな活動で注目された堤清二は小売業の域から脱することを目論んで「生活総合産業」を謳い、不動産開発に傾倒するようになる。これは西武グループの中核部分を父堤康次郎から引き継いだ異母弟義明への対抗心からではないかとも言われる。
しかしながらバブル景気による過剰投資が祟り、バブル崩壊で多額の不良債権を抱え、金融不況に突入した1997年以降は第一勧業銀行・日本興業銀行ら取引銀行8行の懸案事項となり、2000年7月に負債総額約5538億円で特別清算された(事実上の倒産)。西武百貨店と密接な関係にあった当社の倒産は、セゾングループ解体の大きな要因となった。
1980年代から特別清算申請後まで「ヴィルヌーブ」ブランドで分譲マンションの開発・分譲も行っていた(西洋ハウジングが受託販売)。
主な開発物件
リゾート
主な子会社
- ハウスポート西洋(不動産仲介業。特別清算後に安信住宅販売が吸収)
- 西洋ハウジング(分譲地・マンションの販売代理業。特別清算後に住宅デベロッパーのユニホー(名古屋市)子会社となり、不動産仲介業へ転換し存続)
- 西洋コミュニティ(マンション管理会社。特別清算後にユニホー子会社となり「ライフポート西洋」へ社名変更し存続)
- サホロリゾート(特別清算後に加森観光子会社のサホロマネージメントが買収)
- 西武ピサ(西洋環境開発が56%、西武百貨店が44%出資)
- 西武北海道
- 北海道西洋(旧・苫小牧環境計画)
- 尼崎自動車教習所
- ホテル西武オリオン(現・ホテルロイヤルオリオン、西洋環境開発とオリオンビールが折半出資していた)
- 志摩東京カウンティ(現・タラサ志摩スパアンドリゾート株式会社。志摩芸術村のデベロッパーで2001年に民事再生法申請後、アールビバンが買収し加森観光の運営となる。)
- 六甲環境計画(六甲アイランドAOIAを運営。阪神・淡路大震災により廃業)
沿革
- 1949年12月26日 : 国土計画興業株式会社(後のコクド)が肥料部門を分離し、尼ヶ崎化学肥料株式会社として設立する。
- 1950年8月29日 : 尼崎肥料株式会社へ商号変更する。
- 1955年3月 : 朝日化学肥料株式会社へ商号変更する。
- 1960年9月 : 日本ニッケル株式会社の鉄鋼部門を吸収し、西武化学工業株式会社へ商号変更する。
- 1966年3月 : 初の大規模住宅開発となる、多田グリーンハイツの分譲を開始する。
- 1970年6月 : 西武流通グループ(後のセゾングループ)へ移管する。
- 1972年1月1日 : 不動産開発事業を行う西武都市開発株式会社を存続会社とし、肥料・飼料・鉄鋼事業を行う西武化学工業株式会社(後の朝日工業)を分離設立する。
- 1972年5月1日 : 西武都市開発株式会社が、株式会社ディベロッパー西武を吸収合併する。
- 1986年1月 : 西武都市開発株式会社が、太洋不動産興業株式会社および株式会社シティクリエイトと合併し、株式会社西洋環境開発へ商号変更する。
- 1987年9月 : 住流通事業部を、株式会社ハウスポート西洋として分離する。
- 2000年7月18日 : 臨時株主総会で解散決議し[1]、東京地方裁判所に特別清算開始を申立て、即日特別清算開始。負債は約5,538億円。
- 2001年7月6日 : 特別清算協定認可される。
- 2002年2月25日 : 臨時株主総会で資本金を1,000万円とする[2]。ただし登記簿には記載されていない。
- 2005年10月20日 : 特別清算終結が確定し、法人格消滅。