芦田内閣
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前の片山内閣の総辞職に伴い、引き続き民主党・日本社会党・国民協同党を与党として発足した。1948年(昭和23年)10月7日に総辞職し、次の第2次吉田内閣の組閣まで職務を執行した。
マッカーサーからの書簡に従って、いわゆる政令201号を出し、公務員のスト権を奪った。 復興金融金庫の融資をめぐる昭和電工事件で総辞職し、総辞職後、芦田均自身も逮捕された(裁判では無罪)。
閣僚
- 内閣総理大臣
- 国務大臣(副総理)
- 西尾末広(衆議院議員)(日本社会党)
- - 1948年7月6日
- 西尾末広(衆議院議員)(日本社会党)
- 外務大臣
- 芦田均(兼任)
- 大蔵大臣
- 北村徳太郎(衆議院議員)(民主党)
- 法務総裁
- 文部大臣
- 森戸辰男(衆議院議員)(日本社会党)
- 厚生大臣
- 竹田儀一(衆議院議員)(民主党)
- 農林大臣
- 永江一夫(衆議院議員)(日本社会党)
- 商工大臣
- 水谷長三郎(衆議院議員)(日本社会党)
- 運輸大臣
- 逓信大臣
- 冨吉榮二(衆議院議員)(日本社会党)
- 労働大臣
- 建設大臣
- 建設院総裁(→建設大臣)
- 一松定吉
- - 1948年7月10日
- 一松定吉
- 行政調査部総裁(→行政管理庁長官)
- 船田享二(国民協同党)
- - 1948年7月1日
- 船田享二(国民協同党)
- 行政管理庁長官
- 船田享二
- 1948年7月1日 -
- 船田享二
- 経済安定本部総務長官
- 栗栖赳夫(参議院議員)(民主党)
- - 1948年10月2日
- 芦田均(臨時代理)
- 1948年10月2日 -
- 栗栖赳夫(参議院議員)(民主党)
- 物価庁長官
- 栗栖赳夫(兼任)
- - 1948年10月2日
- 芦田均(臨時代理)
- 1948年10月2日 -
- 栗栖赳夫(兼任)
- 中央経済調査庁長官
- 栗栖赳夫(兼任)
- 1948年8月1日 - 1948年10月2日
- 芦田均(臨時兼任)
- 1948年10月2日 -
- 栗栖赳夫(兼任)
- 地方財政委員会委員長
- 賠償庁長官
- 船田享二(兼任)
- 国務大臣兼内閣官房長官
- 苫米地義三(民主党)
- 内閣官房次長
政務次官
- 外務政務次官
- 伊東隆治:1948年4月15日 - 1948年10月15日
- 大蔵政務次官
- 法務政務次官
- 松永義雄:1948年4月15日 - 1948年10月15日
- 文部政務次官
- 厚生政務次官
- 農林政務次官
- 商工政務次官
- 運輸政務次官
- 逓信政務次官
- 労働政務次官
- 建設政務次官
- 天野久:1948年4月15日 - 1948年10月15日
- 経済安定政務次官
- 地方財政政務次官
- 西郷吉之助:1948年4月17日 - 1948年10月15日