篠山線
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篠山線(ささやません)は、かつて兵庫県多紀郡丹南町(現・篠山市)の篠山口駅から同郡多紀町(現・篠山市)の福住駅までを結んでいた、日本国有鉄道(国鉄)の鉄道路線である。1972年に廃止された。
路線データ
- 路線距離(営業キロ):篠山口 - 福住間 17.6 km
- 軌間:1067 mm
- 駅数:6駅(起終点駅含む)
- 複線区間:なし(全線単線)
- 電化区間:なし(全線非電化)
- 閉塞方式:スタフ閉塞式(全線1閉塞)
運行形態
- 1944年3月21日開業時
- 運行本数:篠山口駅 - 篠山駅間9往復、篠山駅 - 福住駅間5往復
- 所要時間:全線35 - 57分
歴史
太平洋戦争中、丹波地方で産出されるマンガンや硅石輸送と、海沿いを通るため海からの攻撃が懸念された山陽本線のバイパスとして福知山線の篠山駅(現・篠山口駅)と山陰本線の園部駅を結ぶ目的(改正鉄道敷設法別表第78号)で建設された。1944年に篠山口駅 - 福住駅間が開業し、同時に1913年から篠山駅[1]と篠山町(当時)市街地を結んでいた篠山鉄道が廃止された。しかしながら翌1945年に終戦を迎え、福住駅 - 園部駅間の建設は中止された。
以後、地域輸送に貢献することになるが、園部方面へ早く延長するため篠山町の市街地から離れた場所(旧・丹南町内)に篠山駅を置いたため利用者は少なく、1968年に赤字83線に指定され沿線住民の反対にあったものの1972年に全線が廃止された。
なお、篠山口駅 - 園部駅間には1934年から国鉄バスが運行されており(園篠線)[2][3]、西日本ジェイアールバスにも継承されたが2002年に撤退、代わって神姫グリーンバス(移管当初は神姫バス)が篠山口駅 - 福住間、京阪京都交通が福住 - 園部駅間を運行している。
年表
- 1944年(昭和19年)3月21日:篠山口駅 - 福住駅間 17.6km 開業、篠山駅・八上駅・丹波日置駅・村雲駅・福住駅が開業[4]。
- 1971年(昭和46年)9月7日:篠山口駅 - 福住駅間の廃止問題で、地元と合意に達したので1972年(昭和47年)3月1日実施に移したいと運輸省に申請。
- 1972年(昭和47年)3月1日:篠山口駅 - 福住駅間の全線が廃止、篠山駅・八上駅・丹波日置駅・村雲駅・福住駅が廃止[5]。
駅一覧
接続路線の事業者名は篠山線廃止時。現在は全駅兵庫県篠山市に所在。
駅名 | 駅間キロ | 営業キロ | 接続路線 | 所在地 |
---|---|---|---|---|
篠山口駅 | - | 0.0 | 日本国有鉄道:福知山線 | 多紀郡丹南町 |
篠山駅 | 5.0 | 5.0 | ||
八上駅 | 8.8 | 8.8 | 多紀郡篠山町 | |
丹波日置駅 | 1.8 | 10.6 | 多紀郡城東町 | |
村雲駅 | 3.6 | 14.2 | 多紀郡多紀町 | |
福住駅 | 3.4 | 17.6 |
逸話
篠山線の廃止にあたって地域との交渉をまとめたノウハウが国鉄の内部文書として残され、これがのちの特定地方交通線の廃止交渉に役立ったという。この文書は一時出版も考えられたというが「相手に手の内を見せるようなもの」としてお蔵入りになったという逸話も残されている。
また路線廃止の数年後、篠山線の管轄だった福知山鉄道管理局文書課が作成した国鉄総裁への篠山線廃止上申書や篠山線に関するデータなどといった内部文書に加え、篠山線廃止への理解を住民に呼びかけるパンフレットや篠山線廃止後の補償に関する地元との合意書(何れも複写)などが一括して寄贈された。これらの資料は現在も篠山市に残されており、篠山市立中央図書館(閉架図書のため、受付カウンターでの申請要)にて広く閲覧することが出来る。
脚注
関連項目
外部リンク
- 丹波篠山インターネットテレビ - 以下の2つの記録映像がある。
- 「篠山線廃止反対運動/篠山・藍本間新線建設促進運動」(1955年/14分34秒)
- 「さよなら篠山線」(1970年/13分15秒)
- ↑ 福知山線の篠山駅は篠山線開業前の1944年3月1日に篠山口駅に改称したが、篠山鉄道の駅は同年3月20日限りで廃止されるまで篠山駅を名乗っていた。
- ↑ 3月28日篠山-原山口間営業開始「鉄道省告示第115号」『官報』1934年3月24日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ↑ 7月11日園部-原山口間営業開始「鉄道省告示第310号」『官報』1934年7月7日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ↑ 「運輸通信省告示第78号」『官報』1944年3月20日 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ↑ 1972年(昭和47年)2月1日日本国有鉄道公示第547号「運輸営業の廃止の件」