国道15号
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国道15号(こくどう15ごう)は、東京都中央区から神奈川県横浜市神奈川区へ至る一般国道である。京浜地区においては「第一京浜」あるいは「一国(いちこく)」などと呼ばれる。
なお、本稿においては明治時代の明治1號國道(めいじいちごうこくどう)についても併記する。
目次
概要
国道15号は、旧東海道の日本橋 - 神奈川間とほぼ同じ位置にある国道であり、明治1號國道の日本橋 - 神奈川間にも相当する。
芝五丁目交差点以西の区間は毎年1月開催の東京箱根間往復大学駅伝競走(箱根駅伝)のコースともなっている[1][2]。
歴史
京浜国道
1885年(明治18年)の国道指定により、国道15号の前身である明治時代の「1號國道」が指定される。
明治の1号国道は、日本橋から横浜港に至る国道であった。日本橋から神奈川までの区間は現在でも残っている旧東海道と同じであり、神奈川から先は万里橋[4][5]を渡り官設鉄道[6]に平行し初代横浜駅前から、現在の国道133号を経て横浜港[7]までの道路と同じである。この1号国道は、通称「京濱國道」と呼ばれる。
京浜国道改築
大正時代になると京浜国道の交通量が増大し、それに伴い交通事故の問題も多くなる[8]。これらの交通問題に対処するため、東京府と神奈川県が品川の八ツ山橋から神奈川の青木橋までの改築をする計画となり、八ツ山橋から生麦まで改築が行われた。その後、帝都復興院が生麦から表高島までを改築し、八ツ山橋から表高島に至るまでの、距離約22.5km・総工費約1293万円(当時金額)となる改築がおこなわれた[9]。
改築の経過
まず、神奈川県が1918年(大正7年)6月に「1號國道改修事務所」を設置し、同年7月に六郷橋から生麦までの区間の工事が着手され、東京府が1920年(大正9年)6月1日に「國道改修事務所」を設置し、八ツ山橋から六郷橋までの工事が着手される[8][10]。そして、1925年(大正14年)8月3日に六郷橋と六郷橋から生麦までの区間が完成[11]、1927年(昭和2年)11月28日に八ツ山橋から六郷橋までの区間が完成する[12]。なお、1919年(大正8年)と1921年(大正10年)に幅員を広くする工事変更を行っている[8]。改築費用は東京府と神奈川県が負担だが、内務省土木局の道路改良費から改築費用の2分の1、六郷橋は3分の1を補助を受けている[8]。
その後、1923年(大正12年)9月28日に関東大震災の復興事業とされ、帝都復興院が1924年(大正13年)に生麦から表高島までの区間の改築に着手し、1930年(昭和5年)10月の京浜国道の改築完成となる[8][9]。
この京浜国道の改築は、改築と同時に鉄道との交差の全てを立体交差とする計画であり、電柱も全て排するとしていた。しかし、京浜電気鉄道本線との鈴ヶ森での交差、京浜電気鉄道大師線との六郷橋南詰での交差は立体交差にする工事が行われたが、京浜電気鉄道本線との八ツ山橋での併用軌道、および、京浜電気鉄道穴守線や海岸電気軌道との交差は平面交差のままとなり、電柱も排されることが無かった。立体交差の計画において、東京府や神奈川県、内務省、鉄道省の無計画さにより平面交差の箇所が残ることになり[13]、せっかく巨費を投じての改築が意味を成していない結果となる。また、電柱を排することについても、逓信省が例外を認めたために警視庁から例外を要求され、そして、東京電燈や東京市電気局など次々と要求が拡大していく結果になる[8]。
新京浜国道
先の立体交差の問題に加え、その後のさらなる交通増加や交通事故の増大により京浜国道改築完成後、わずか数年で新たな道路計画することに至る。まず、東京府と神奈川県により東京府道下大崎川和線・神奈川県道都田下大崎線、及び東京府道大森大師河原線・神奈川県道田島羽田線などを整備して対策する[14]が、内務省は抜本的に解決するための新しいバイパスとして、「新京濱國道」を建設することになった[9]。
年表
- 1876年(明治9年)6月8日
- 『太政官達第60号』(道路ノ等級ヲ廢シ國道縣道里道ヲ定ム)にて国道、県道、里道が指定される。この時は、道路を国道・県道・里道のそれぞれ1等 - 3等に分類する等級制であり、現在の番号による分け方では無かった。
- その後、国道の等級は、1885年1月6日の『太政官布達第1号』(國道ノ等級ヲ廢シ其幅員ヲ定ム)により廃止。
- 1885年(明治18年)2月24日
- 『内務省告示第6号』(國道表)にて、国道路線が番号を付与、指定され、「1號」(東京ヨリ横濱ニ達スル路線)、「2號」(同(東京ヨリ)大坂港ニ達スル路線)他、44路線が指定される。
- 1918年(大正7年)7月
- 京浜国道の改築が開始される。
- 1920年(大正9年)4月1日
- 1923年(大正12年)9月28日
- 京浜国道改築は、関東大震災の復興事業となる。
- 1925年(大正14年)8月3日
- 六郷橋から生麦までの区間の改築が完成。
- 1927年(昭和2年)11月28日
- 八ツ山橋から六郷橋までの区間の改築が完成。
- 1930年(昭和5年)10月
- 京浜国道の改築が完成。
- 1934年(昭和9年)5月1日
- この時の「1號國道」と日本橋 - 神奈川間が重複区間であった、「36號國道」(東京市ヨリ横濱港ニ達スル路線)の経過地を変更し、この年に着工した「新京濱國道」の経路に変更される。
- 1934年(昭和9年)7月
- 1952年(昭和27年)12月4日
- 1965年(昭和40年)4月1日
- 道路法改正によって一級・二級の区別がなくなり、「一般国道15号」となる。
路線状況
通称
重複区間
道路施設
日本橋
東京都中央区の日本橋川に架かる、国道15号の起点ともなっている橋である。 テンプレート:Main
八ツ山橋・新八ツ山橋
東京都品川区の東海道品川宿北端に位置し、東海道本線等の鉄道線を越える、国道15号の橋である。しかし、東海道新幹線上に八ツ山橋・新八ツ山橋は架かっていない。これは、東海道新幹線がトンネルで旧道直下を通す構造のためである。なお、映画「ゴジラ」で、日本上陸地点としてこの付近が設定された。
- 八ツ山橋
- 初代の八ツ山橋は、1872年(明治5年)に架けられた日本初の跨線橋である。なお、この橋は、木造橋であった。
- 1914年(大正3年)にアーチ形の鉄橋に架け替えられ、1924年(大正13年)3月29日に東京電車鉄道が省線品川駅前から京浜電気鉄道旧品川駅前まで延伸により八ツ山橋上に軌道を敷き、1925年(大正14年)3月11日に京浜電気鉄道本線が高輪駅までの延伸に伴い、この軌道線の一部に乗り入れ[16]をした。
- 1930年(昭和5年)に既設アーチ橋(2代目)の西側に併設する形でアーチ橋(3代目)を架設し、「2つの橋」となる。その後、京浜電気鉄道本線が現在の品川駅に延伸・軌道線廃止により、1933年(昭和8年)4月1日供用した「八ツ山跨線橋」へ移り、東京電車鉄道の品川駅前から北品川駅前までの廃止により、八ツ山橋は道路専用橋となる。
- 1985年(昭和60年)3月に4代目の橋に架け替え、現在に至る。
- 新八ツ山橋
- 新八ツ山橋は、1963年(昭和38年)5月11日に供用開始。道路拡幅により、当時の八ツ山橋の代わりとして架設される。
六郷橋
東京都大田区と神奈川県川崎市川崎区の間を流れる多摩川を越える、国道15号の橋である。 テンプレート:Main
地理
通過する自治体
交差する道路
通称 | 交差する道路 | 交差場所 | 日本橋 から (km) | |||
---|---|---|---|---|---|---|
中央通り | 国道4号・国道6号・国道14号・国道17号 / 中央通り | 東京都 | 中央区 | 日本橋 | 0.0 | |
国道1号・国道20号 / 永代通り 東京都道10号東京浦安線 / 永代通り |
日本橋交差点 | 0.2 | ||||
東京都道408号八重洲宝町線 / 八重洲通り | 0.6 | |||||
鍛冶橋通り | 1.0 | |||||
東京高速道路 | 京橋(接続なし) | 1.1 | ||||
東京都道304号日比谷豊洲埠頭東雲町線 / 晴海通り | 銀座四丁目交差点 | 1.6 | ||||
東京高速道路 | 新橋(接続なし) | 2.2 | ||||
港区 | ||||||
東京都道316号日本橋芝浦大森線 / 昭和通り 東京都道405号外濠環状線 / 外堀通り |
新橋交差点 | 2.3 | ||||
第一京浜 | ||||||
大門通り 竹芝通り |
大門交差点 | 3.5 | ||||
首都高速都心環状線 | 金杉橋(接続なし) | 4.0 | ||||
国道130号 / 旧海岸通り | 芝四丁目交差点 | 4.4 | ||||
東京都道409号日比谷芝浦線 / 日比谷通り | 芝五丁目交差点 | 4.8 | ||||
東京都道301号白山祝田田町線 東京都道409号日比谷芝浦線 |
札の辻交差点 | 5.3 | ||||
東京都道415号高輪麻布線 | 泉岳寺交差点 | 6.3 | ||||
東京都道317号環状六号線 | 八ツ山橋交差点 | 7.7 | ||||
八つ山通り | 品川区 | 7.8 | ||||
東京都道317号環状六号線 | 新八ツ山橋交差点 | 7.9 | ||||
国道357号 / 山手通り 東京都道317号環状六号線 / 山手通り |
北品川二丁目交差点 | 8.7 | ||||
東京都道421号東品川下丸子線 / 池上通り | 青物横丁交差点 | 9.5 | ||||
東京都道420号鮫洲大山線 | 南品川三丁目交差点 | 9.8 | ||||
東京都道316号日本橋芝浦大森線 / 海岸通り | 鈴ヶ森交差点 | 11.6 | ||||
首都高速1号羽田線 | 鈴ヶ森出入口 | 12.0 | ||||
東京都道318号環状七号線 / 環七通り | 大田区 | 大森東交差点 | 13.1 | |||
国道131号・東京都道6号東京大師横浜線 / 産業道路 | 大森警察署前交差点 | 13.6 | ||||
東京都道11号大田調布線 / 多摩堤通り | 東蒲田二丁目交差点 | 15.1 | ||||
東京都道311号環状八号線 / 環八通り | 南蒲田交差点 | 15.7 | ||||
国道409号 / 大師道 | 神奈川県 | 川崎市 | 川崎区 | 川崎競馬場前交差点 | 18.7 | |
国道132号 / 富士見通り 神奈川県道9号川崎府中線 / 市役所通り |
宮前町交差点 | 19.3 | ||||
神奈川県道101号扇町川崎停車場線 / 新川通り | 新川橋交差点 | 19.7 | ||||
神奈川県道140号川崎町田線 / 市電通り | 元木交差点 | 20.2 | ||||
神奈川県道14号鶴見溝ノ口線 | 横浜市 | 鶴見区 | 鶴見警察署前交差点 | 22.5 | ||
神奈川県道104号鶴見停車場線 | 鶴見駅入口交差点 | 22.6 | ||||
神奈川県道6号東京大師横浜線 / 産業道路 | 大黒町入口交差点 | 24.4 | ||||
神奈川産業道路 | 神奈川区 | 新子安駅入口交差点 | 26.0 | |||
神奈川県道111号大田神奈川線 | 京浜子安駅入口交差点 | 26.9 | ||||
首都高速神奈川1号横羽線 | 東神奈川出入口 | 28.1/28.3 | ||||
みなとみらい大通り | 栄町交差点 | 29.0 | ||||
青木通り | 国道1号 / 第二京浜・東海道 | 青木通交差点 | 29.2 |
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史跡
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ギャラリー
脚注
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ 3.0 3.1 参考文献『改良された京濱國道』に同じ場所の写真が掲載。
- ↑ 当初の橋とは異なり現在の万里橋は、横浜市道横浜駅根岸線を継ぐ方向に架けられている。
- ↑ 参考資料「国土地理院地形図」、外部リンク「レール敷きつつ、街造りつつ…」
- ↑ 官設鉄道の一部であった現在の横浜駅 - 桜木町駅間は、現在、根岸線となっている。
- ↑ 道路関係法令での横浜港とは、現在の大さん橋の入口である開港広場前付近を指す。
- ↑ 8.0 8.1 8.2 8.3 8.4 8.5 参考文献『改良された京濱國道』
- ↑ 9.0 9.1 9.2 参考文献『行詰れる京濱國道』
- ↑ 参考文献『一號國道改築工事概要』
- ↑ 参考文献『彙報、京濱國道神奈川縣管内改築工事竣工式』
- ↑ 参考文献『彙報、京濱國道竣工式』
- ↑ 2012年10月に最後まで残った京急空港線が完全高架化され、鉄道との平面交差は解消される予定である。
- ↑ 参考文献『丸子橋架設工事の大要』、『大師橋架設工事概要』
- ↑ 参考文献『地方通信、京濱國道の横断信号機』
- ↑ 京浜電気鉄道本線の旧品川駅 - 高輪駅間の一部は、国道15号と併用された東京電車鉄道の軌道線を使用していた。なお、八ツ山橋は厳密に鉄道道路併用橋では無い。
参考文献
- 内務省道路改良会発行『道路の改良』、1920年(大正9年)-1944年(昭和19年)
- 第5巻第1号(P106-116)三浦 七郎著『一號國道改築工事概要』、1923年(大正12年)6月
- 第7巻第8号(P113-118)『彙報、京濱國道神奈川縣管内改築工事竣工式』、1925年(大正14年)8月
- 第9巻第1号(P123-152)田中 好著『改良された京濱國道』、1927年(昭和2年)1月
- 第9巻第1号(P197-202)『彙報、京濱國道竣工式』、1927年(昭和2年)1月
- 第16巻第7号(P167)『地方通信、京濱國道の横断信号機』、1934年(昭和9年)7月
- 内務省東京土木出張所発行『行詰れる京濱國道』、1935年(昭和10年)3月
- 工事画報社発行『土木建築工事画報』、1925年(大正14年)-1940年(昭和15年)
- 第2巻第1号(P317-321)高田 景著『京浜国道六郷橋と鶴見橋工事』、1926年(大正15年)1月
- 第11巻第6号(P317-321)『丸子橋架設工事の大要』、1935年(昭和10年)6月
- 第16巻第1号(P24-27)大林 勇次著『大師橋架設工事概要』、1935年(昭和10年)6月
関連項目
テンプレート:ウィキポータルリンク テンプレート:ウィキプロジェクトリンク テンプレート:Sister
外部リンク
- 国土交通省 / 関東地方整備局
- 国土地理院(地図・空中写真閲覧サービス / ウォッちず)
- 品川区(しながわWEB写真館:品川区が保管する写真を公開、2010年5月24日閲覧)
- 社団法人土木学会附属土木図書館(デジタルアーカイブス)
- 京浜急行電鉄株式会社(写真で見る京急100年の歩み)
- Old Map Room(レール敷きつつ、街造りつつ…:国土地理院の明治24年・大正11年・昭和23年・平成11年地形図を比較、2010年5月24日閲覧)