竹生島
竹生島(ちくぶしま)は、琵琶湖の北部に浮かぶ島。琵琶湖国定公園特別保護地区、国の名勝および史跡に指定されている。
地理的概要
葛籠尾崎の南約2キロメートルに位置し、滋賀県長浜市早崎町に属する。全島が針葉樹で覆われており、琵琶湖八景(深緑)のひとつにも数えられる。島の周辺は深く、西側付近は琵琶湖最深部 (104.1m) である。
竹生島には定期船が発着する港が島の南側に一箇所あり、数店の土産物店と寺社はそこからすぐの所にある。寺社関係者ならびに店舗従業員はいずれも島外から通っているため、無人島となっている。
湖底遺跡
北の葛籠尾崎との間には湖底遺跡があり、水深70メートルほどの湖底から多数の土器が引き揚げられている。この土器は非常に古く、且つ時代の幅も大きいもので、縄文時代早期から弥生時代、果ては中世にまで及ぶと考えられている。このような遺跡は世界でも類がなく、沈積原因は今なお大きな謎に包まれている。
歴史
古来、信仰の対象となった島で、神の棲む島とも言われる。南部には都久夫須麻神社(竹生島神社)、宝厳寺(西国三十三所三十番)がある。竹生島神社は、明治の神仏分離令に際して弁才天社から改称した。竹生島は神仏一体の聖地であったことから、分離の際には少なからず混乱があったようである。ちなみに、竹生島弁才天は相模の江島神社、安芸の厳島神社と並んで日本三大弁天のひとつに数えられる。
戦国期には、近江国小谷城主であった浅井久政(浅井長政の父)が、長政への家督委譲を目論む家臣団によって一時的にこの島に幽閉され、隠居生活を強要された。
近代には宗教家の大石凝真素美が琵琶湖の竹生島は人類発祥の地であると主張した(『大石凝真素美全集』1923年、国華社)。
竹生島成因の伝承
多多美比古命(伊吹山の神)が、姪で浅井岳(現在の金糞岳)の神である浅井姫命と高さを競い、負けた多多美比古命が怒って浅井姫命の首を切り落とした。その首が琵琶湖に落ちて竹生島が生まれたという。金糞岳(標高1317m)は滋賀県2位の高峰で、最高峰の伊吹山(標高1377m)は、竹生島の高さを差し引くと本当は2番目だったというわけである。竹生島神社には浅井姫命も祀られている。
文化
竹生島は古くから信仰の対象とされた事から、能の演目や平曲や近世邦楽の楽曲でも取り上げられている。
芸能・音楽
- 『竹生島』(脇能物の荒神物)
- 『竹生島詣』
- 常磐津節
カワウによる糞害
人が往来する場所は島の南の一部に限られており、それも定期船が発着する港と、そこからすぐの所にある数店の土産物店と寺社に集中している。終日無人の北部にはカワウの大規模なコロニーが形成されている。その数は約2万羽にも達し、糞害[1] により木々のほとんどを枯死させるという景観被害を及ぼしている。今日では「緑樹陰沈んで」と謡曲で謡われた在りし日の竹生島の姿を見ることはできない。水質の汚染も北側で特に顕著。近年では南側にも糞害の影響は及び始めている。
このような深刻な状況に滋賀県も対策に乗り出し、営巣妨害のために樹木にロープを張ったり、爆音機や目玉風船による威嚇といったことがなされ始めた。また、2004年度からは有害鳥獣駆除が実施され、もうひとつの滋賀県内での主要なカワウ営巣地である近江八幡市の伊崎半島地区と合わせて年間1万羽以上が駆除されている。
2007年6月2日には、安倍晋三総理大臣が嘉田由紀子県知事らとともに長浜港より竹生島へ向かい、カワウの被害を視察している。
2008年度、滋賀県は銃器による駆除を見合わせたが、その結果、生息数が約6万羽に激増。2009年には駆除の再開を余儀なくされた。
交通アクセス
この他、オーミマリンが海津大崎より不定期便(事前予約があった場合のみ運航)を就航
脚注
関連項目
- 琵琶湖
- 沖島
- 多景島
- 矢橋帰帆島
- 沖の白石
- 日本の秘境100選
- 竹生島流
- 滋賀県道319号竹生島線 - 島内の参道の一部が滋賀県道となっている。
- 偉大なる、しゅららぼん - 万城目学の小説。琵琶湖の神から特殊能力を授けられた湖の民の話。湖の民にとって重要な場所として幾度となく登場する。