章子怡

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テンプレート:Infobox Chinese-language singer and actor 章子怡チャン・ツィイー1979年2月9日 - )は、中国女優身長164cm。体重48kg。

中国では、ヴィッキー・チャオシュー・ジンレイジョウ・シュンとともに、四小名旦として知られている。

来歴

生い立ち

北京で電信局職員の父親と幼稚園教諭の母親のもとに生まれる。体が細かったため「丈夫になって欲しい」という母の勧めで8歳から舞踏を始め、11歳のとき北京舞踊大学附属中学に合格し、16歳で全国青年ダンス・コンテストで優勝した。中学校卒業後、北京の名門演劇学校中央戯劇学院に入学。1994年に全国桃李杯舞踏コンクールで演技賞を受賞した。

キャリア

1996年にテレビドラマ『星に願いを〜星星点灯』(放送時は『蛍火』)の主役で女優としてデビュー。1999年にチャン・イーモウ監督の映画『初恋のきた道』で語り手である青年の母の少女時代(この映画の主人公)を演じ、映画初出演を果たす。この作品が第50回ベルリン国際映画祭銀熊賞を受賞したことから、脚光を浴びるようになる。

アカデミー外国語映画賞を受賞した『グリーン・デスティニー』、ジャッキー・チェンクリス・タッカーと共演した映画『ラッシュアワー2』でアジア以外の国々でも広く知られるようになり、国際的な知名度を得るようになる。

2005年にロブ・マーシャル監督の映画『SAYURI』で主演を務め、ゴールデングローブ賞主演女優賞にノミネートされた。翌年の第59回カンヌ国際映画祭では審査員を務めた。

俳優以外の活動では、メイベリンシャングリ・ラ・ホテルズ&リゾーツなどの広告塔や「関愛児童組織(Care for Children)」という慈善事業を行っている[1]。また、2008年8月に開催された北京オリンピックの公式サイトの特派員記者を務め[2]、また大手ポータルサイト「搜狐」(SOHU)の派遣により、同年3月末にギリシャオリンピア遺跡で行われた聖火採火式のリポーターを務めた[3]

2008年2月6日から7日にかけて行われた「春節聯歓晩会」で「天女散花」という歌をソロで歌った[4]。この春晩は、春節(=旧正月)の年越しに放映される番組で、中国国民のほとんどが見るといわれている。また登場する際、テロップが中国語の発音では同じの「張子怡」になっていた、とも報じられた[5]

人物・私生活

2007年5月からはニューヨークで投資会社を経営するイスラエル人のテンプレート:仮リンクと交際しており、2008年7月に婚約を発表[6]。このヴィヴィ・ネヴォは映画会社ワインスタイン・カンパニーの株主で、この映画会社の3本の映画で主演した[7]。2010年に二人は破局している。

2007年9月に香港政府による住民拡大制度「優秀人材入境計画」に申請し、香港の居住資格を取得したと報じられた[8]

大のマスコミ嫌い。以前映画のプロモーションのために複数のインタビューを受けたが、どのインタビュアーからの質問も妊娠説やチャン・イーモウとの恋愛の噂など私生活に関するものだったことから、マスメディアに不信感を持つようになった。近年は中国国内においても「無断で写真を撮影しない」「交際している富豪に関する質問はしない」など10以上の細かいルールに従うという契約書にサインしなければ取材には応じないハリウッド形式の取材方法をとっている。単に興味本位の質問を嫌うためであるとされるが、このことでより一層、彼女の発言や本音が聴ける機会が少なくなった[9]

エピソード

  • ラッシュアワー2』撮影時は英語があまり話せず、ジャッキー・チェン等に通訳してもらいつつ撮影に臨んだ。また、共演者だったロセリン・サンチェスから英語を習おうとしたが、ロセリンから「私の英語は訛りがあるから、真似するとハリウッドで仕事がなくなる」と言われ、断念したこともある。その後英語の必要性を痛感し、後に勉強を始めて約2年間で習得した。また、エミネムの曲を聴いて英語を覚えたと発言している。
  • 2009年1月、アメリカの娯楽サイトにツィイーの全裸写真が多数流出した。写真はヴィヴィ・ネヴォの所有するフランス領サン・バルテルミー島で2人でバカンスを楽しんでいる様子を盗撮したもので、流出した写真は計81枚。ツィイーのマネージャーは「婚約中の2人のプライベートな生活を狙うのは許せない。有名人には普通の人と同じ生活が送れないなんて」と怒りをあらわにした[10]

主な出演作品

映画

テレビドラマ

主な広告

脚注

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外部リンク

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