石狩湾新港
テンプレート:Mapplot 石狩湾新港[札幌港](いしかりわんしんこう[さっぽろこう])は、北海道の石狩湾のほぼ中央に位置し、小樽市と石狩市にまたがる重要港湾。港湾管理者は北海道、小樽市、石狩市が設立する特別地方公共団体(一部事務組合)の石狩湾新港管理組合。
概要
北海道の政治・経済の中枢である札幌市の中心部から北へ約10~15kmと北海道内の港湾の中では最も近く、札幌圏の生産・流通の拠点である総面積3,022haの石狩湾新港地域開発の核となる港湾である。
2003年にはリサイクルポート、港湾物流特区の認定を受け、ハード・ソフト両面から、札幌圏の臨海部における生産・物流拠点として利便性の高い地域形成を目指している。 現在は、韓国と繋がる外貿定期コンテナ航路が就航しており、小樽港とともに札幌圏の海を経由した物資流動の要となっている港湾であるが日本海側の立地ゆえ、太平洋側に位置する釧路港(国際バルク戦略港湾)、苫小牧港(国際拠点港湾)、室蘭港(国際拠点港湾)に比べ港湾取扱貨物量が圧倒的に少ない。 このため港湾後背地の開発会社が2002年倒産し、港湾事業計画そのものが見直しを迫られた。
さらに日本海航路の整理縮小により港湾荷役の伸びが鈍化しているため、地震等の有事の際、太平洋側の港湾だけに依存していては道央圏への物資供給に大きな不安が残るものと標ぼうし、市民生活等に欠かせない物資(エネルギー等)は石狩湾新港での取り扱いを増やすよう札幌圏のみ官民で取り組んでいる。
しかしながら計画当初のような大規模港湾としての機能を充分に発揮するに至っていない。物流基地としての立地が悪く、苫小牧港が札幌の外港として十分に機能しているため、企業立地も進まず広大な工業用地は立地が進まず空地のみ残り大規模港湾開発としては結果的に苫小牧東部開発計画同様に事実上失敗したといえる状況にある。
過去10年程は、石狩湾新港地域内で冷凍冷蔵庫の集積が進み、庫腹量は20万トンを超え、札幌市内の全冷凍冷蔵庫の庫腹規模と肩を並べるようになったものの、利用率が減少しており北海道の冷凍基地、一般食品は苫小牧港後背地に、海水産、コンビニ食材は釧路港後背地に移転集約される動きが進んでいる。いずれの原因も道内人口が減少に転じ、消費地としての札幌市の地位が低下し本州消費地向けへパラダイムシフトしたことが大きな原因となっている。2006年12月には水深14mの西地区多目的国際ターミナル(西ふ頭)が供用を開始し、苫小牧からの陸送費のコスト負担増を嫌って王子特殊紙江別工場向けの木材チップ(製紙原料)の陸揚げの全量が苫小牧港から本港揚げに切り替えられた。 さらに平成18年度より、大規模地震発生時における緊急物資等の受け入れを可能とするため、数百年に一度の地震時にも損壊しない強度を有す耐震強化岸壁の整備に着手し、同圏の物流拠点機能のみならず市民生活等における重要な防災機能の一つとして、着実な機能高度化が図られている。
石狩湾新港振興会では2005年より対外ポートセールスの際に「札幌港」の通称を使い始め、将来は正式な名称として変更することも視野に入れ検討している。
歴史
- より札幌に近い石狩湾中央部には広大な未利用地があり、明治年間よりファンゲント、C・S・メーク、岡崎文吉、広井勇らにより港湾建設構想が立てられもしたが、遠浅の砂浜のため、当時の港湾土木技術ではここに大きな港湾をつくることはかなり大がかりな工事となり、実現は困難だった。
- 1936年 旧北海道庁の技師伊藤長右衛門と中村廉次により、銭函浜に外港を設けて新川河口を掘削し、工業地帯を造成する計画案が立てられ、1940年には政府の調査費もついて「石狩工業港ならびに石狩工業地帯造成計画」がつくられたが、第二次世界大戦の戦局悪化により実現には至らなかった。
- 戦後、伊藤案を元に小樽市により「銭函副港計画」(1959年)や「札樽港計画」(1964年)が持ち上がるが、潮流や建設条件などの検討を進めた結果、計画地は現在の石狩湾新港の位置へ移動。
- 1970年 「第3期北海道総合開発計画」が閣議決定され、石狩湾新港地域開発は国家プロジェクトとして始動。
- 1972年 北海道開発庁は北海道開発審議会の答申を得て「石狩湾新港地域開発基本計画」を庁議決定。同年北海道が港湾管理者となることが告示され、港湾計画が運輸大臣に承認される。
- 1973年 重要港湾の指定を受ける。
- 石狩町の新港に港湾機能が一部代替されることによる小樽港の衰退を懸念する小樽市と石狩町の間で数年間にわたり綱引き状態にあったが、1975年石狩湾新港地域の一部を石狩町から小樽市に割譲(境界変更)することで決着。
- 1978年 それまで北海道単独だった港湾管理者に小樽市と石狩町を加え、三者により「石狩湾新港管理組合」を設立。
- 1982年 東ふ頭の一部を供用開始。サハリンから木材を積んだブランカ・レイニア号が第一船として入港。
- 1988年 花畔ふ頭の一部を供用開始。
- 1994年 出入国管理及び難民認定法に基づく出入国港の指定を受け国際貿易港として開港。税関を設置。無線検疫港の指定。
- 1997年 韓国釜山港との間に外貨定期コンテナ航路を開設。
- 1999年 植物防疫法に基づく植物検疫港に指定。
- 2000年 家畜伝染病予防法に基づく動物検疫港に指定。
- 2003年 重量物の道路輸送を可能とする「港湾物流特区」に認定、「静脈物流拠点港(リサイクルポート)」の指定。中国・東南アジアとの間に定期コンテナ航路を開設。
- 2004年 港外停泊中の韓国籍貨物船MARINE OSAKA号(5,565t)が強風で走錨、北防波堤外側に衝突し横転大破。300kLの重油が流出。乗員16名のうち船長ら6名が水死。航海士1名不明(3日後に石狩市親船町の海岸で遺体発見)。事故直後、航空自衛隊と海上保安庁がヘリと巡視船を使い救助活動を行った。船体は2日後に沈没。
- 2005年 検疫港に指定。すべての外国船の直接入港が可能に。サハリン向け航路の開設。
- 2006年 カザフスタン等向けの中古車輸出を開始。西地区多目的国際ターミナル(-14m)の供用開始。GRAND OJI PIONEER号が第一船として入港し、王子特殊紙江別工場向けの木材チップ陸揚げを開始。
- 2007年 アメリカ海軍のイージス艦ステザムが「友好・親善」を目的として西地区多目的国際ターミナルに入港。
各種統計
- 入出港船舶数 1,860(内航1,102、外航375、漁船157、その他226)(2006年)
- 取扱貨物量 3,448千トン(2006年)
- 内貿貨物量(移出入) 2,615,649トン
- 化学工業品 1,416,683トン
- 鉱産品 1,170,704トン
- 軽工業品 15,731トン
- 特殊品 11,454トン
- 農水産品 1,016トン
- 雑工業品 44トン
- 金属機械工業品 17トン
- 外貿貨物量(輸出入) 832,645トン
- 化学工業品 221,480トン
- 特殊品 216,572トン
- 金属機械工業品 138,719トン
- 農水産品 112,508トン
- 林産品 86,334トン
- 雑工業品 28,885トン
- 軽工業品 27,250トン
- 鉱産品 897トン
- 外貿コンテナ取扱量(個数) 27,475TEU
- 実入 17,147TEU
- 空 10,328TEU
- 外貿コンテナ取扱量(重量)150,851トン
- 輸入 113,013トン
- 輸出 37,838トン
- 内貿貨物量(移出入) 2,615,649トン
- 立地企業 738事業所 799.6ha(2007年3月末)
港湾施設
係留施設
- 東ふ頭 水深10m×1(185m)、水深7.5m×2(260m) 建設用骨材、木材、スクラップ等
- 中央ふ頭 水深7.5m×6(865m) 石油製品(専用危険物埠頭)
- 花畔ふ頭 水深10m×5(880m)、水深7.5m×3(390m) コンテナ、セメント等
- 樽川ふ頭 水深10m×2(370m)、水深7.5m×3(390m)、水深5.5m×2(200m) 水産品、スクラップ、中古家電、合板等
- 西ふ頭(多目的国際ターミナル) 水深14m×1(280m) 製紙用チップ、客船等
外郭施設
- 防波堤 北(4,500m)、東(694m)、島(640m)、島(北)(850m)
- 防砂提 防砂堤(200m)、東防砂提(500m)、西防砂提(400m)
水域施設
- 中央航路 水深10~15m 111.0ha
- 東地区泊地 水深7.5~10m 64.6ha
- 中央地区泊地 水深7.5m 17.4ha
- 中央水路地区泊地 水深5.5~10m 50.4ha
- 西地区泊地 水深14m 26.9ha