皮膚呼吸
皮膚呼吸(ひふこきゅう)は、皮膚を利用した呼吸のことである。この語は分野ごと、業界ごとに、異なった用法で用いられているのでそれぞれ解説する。
目次
生物学における用法
生物学において皮膚呼吸(cutaneous respiration)とは、「体表を用いて行われる外呼吸」とされている(『岩波 生物学辞典』【皮膚呼吸】)。
本来、体表面というのは、酸素を通過させる機能をもっている[1]。
動物は、体外とのガス交換のための器官を備えるものが多いが、そのような構造を持たないものもある。
皮膚呼吸のみの生物
特別な呼吸器官をもたない動物は皮膚呼吸に頼ることになる[2]という。例えば環形動物のミミズやヒル、触手動物のホウキムシやコケムシなどで行われている[3]。 特に小型の動物では皮膚呼吸だけで十分なガス交換ができるので、特定の呼吸器官を持たない場合が多い。
併用する生物
それなりの呼吸器官を持つものでも、皮膚呼吸をする動物は多い[4]。
脊椎動物では両生類や爬虫類は、肺で呼吸と併用するかたちで、皮膚や粘膜を利用した皮膚呼吸も行っている。咽喉部や総排泄腔の内壁に毛細血管の豊富な部位があり、この部分がガス交換に関与している。
ただし、呼吸器による呼吸と皮膚呼吸が併用されている場合では、全呼吸に占める皮膚呼吸の割合(酸素摂取量の割合)は、生物の種類および温度条件などによって異なっており[5]、例えば、ウナギの場合では、温度が低いほどその割合は高く、10℃以下では皮膚呼吸による酸素摂取量の割合は全呼吸に対して60%以上に達する。(これが、ウナギが夜間には陸にはい上がることができる理由と言われている[6])。カエルの場合は、冬眠中かそうでないかで異なり、普通は皮膚呼吸が30~50%程度であるが、冬眠中は皮膚呼吸が70%になるという。鳥類や哺乳類では、皮膚呼吸の割合は低く、例えばハトやヒトでは、1%以下とされている[7]。両生類の中にはプレソドン科やテンプレート:Snameiのように肺を持たない種もいる。
美容分野における用法
「皮膚呼吸」という言葉は、美容や発毛の分野では誤った使い方をされている。
化粧品会社の宣伝において、皮膚が美容、健康上好ましい状態で外気に晒されるのを、人体そのものに見立て、比喩表現として「皮膚呼吸」という言葉が使用されることがある。
例:「皮膚呼吸が阻害されるとは、化粧品類を塗布した際に、分泌物が汗腺や皮脂腺からスムーズに分泌されるのが阻害され、皮膚が重く感じる現象のことを言う」
この、比喩的な意味での皮膚呼吸の確保は、実際に肌の健康状態などに影響を与える(下記、注)。
- (注1) 哺乳類の皮膚には、皮脂腺や汗腺といった様々な外分泌腺が存在しており、皮膚や体毛の状態を保つとともに身体の恒常性維持などに利用されている。特にヒトの場合には哺乳類では珍しく、汗腺から分泌される汗が体温調節の機能をも担っている。
- (注2) 皮膚表面に何らかの塗布を行うことは、これら汗や皮脂の働きを妨げるため、吹き出物やあせもなどの美容上のトラブルを起こし易いし、皮膚を通じた体温の発散も妨げられるため体温調節上も好ましくなく、熱射病をも誘発しかねない。
ただし、上記の用法を生物学的な意味での「ガス交換としての皮膚呼吸」と混同することは後述の誤解を招く原因となっている。
人間の皮膚呼吸にまつわる諸説
「皮膚呼吸を妨げると命に関わる」といった説が広がっているとされる。このような説は俗説とも言われ、迷信とも、あるいは都市伝説とも言われる。あるいは疑似科学だとも言う。
やけどが原因の死亡と皮膚呼吸の関係の有無
広範囲のやけどが致命的なものとなることがある(例えばアメリカ合衆国では年間3000~4000人ほどが重度のやけどのために死亡している[8]、とされる。)
このようなやけどの結果起きる死亡に関して「その要因の一つが皮膚呼吸の阻害である」という人々がいるというが、(医学書などでは)皮膚呼吸の阻害は生命にかかわるものとはされていないという。例えばメルクマニュアル医学百科[9]は「皮膚呼吸の阻害」は挙げていない。
やけどで死亡に至る原因は以下のようなものだという。
- 高熱に晒されたことによる熱中症
- 皮膚組織の損傷に伴う体液の損耗およびそれによって発生するショック状態
- 皮膚の持つ抗菌作用が損なわれることによる感染症
- 胸部の皮膚が熱傷により硬化し、肺を膨らませられないことによる窒息
- 熱気や炎を吸い込んだことによる呼吸器の損傷
「皮膚呼吸を妨げると命に関わる」 という説の起源と真相
この説の起源は明らかでないが、医学関係者は否定している。
一般に、金粉に関して言われることが多い。金粉で全身を覆うと皮膚呼吸ができず死に至る、というもので、一説では、『007 ゴールドフィンガー』で、ボスを裏切った女性が全身に金粉を塗られて殺された場面が登場したことが起源と言われている。一方で、一部の小学生向け雑誌[10]などで、古くから「金粉を塗った場合、1時間が限度」と記載されるなど、広く知られていたことも確かである。また『鉄腕アトム』に、純金を敷き詰めた浴槽に入ることを趣味としていた人物が「金中毒」になる、というエピソードが登場している[11]。
金粉だけでなく、他の物質でも同様のことが言われる例もある。『医学パズル』(中野昭一著 光文社 カッパブックス 1975年初版)の209ページおよび210ページでは、大正年間に行なわれた仮装行列で、南洋の原住民に扮するため全身にコールタールを塗った男性が数時間で死亡した事実が挙げられているが、この場合も「皮膚呼吸はごくわずかで死因にはならず、全身がコールタールで覆われたため汗や放射による体温の調節ができず熱中症により死亡した」とされている。
脚注
- ↑ 『岩波 生物学辞典』【皮膚呼吸】
- ↑ 『岩波 生物学辞典』【皮膚呼吸】
- ↑ 『岩波 生物学辞典』【皮膚呼吸】
- ↑ 『岩波 生物学辞典』【皮膚呼吸】
- ↑ 『岩波 生物学辞典』【皮膚呼吸】
- ↑ 『岩波 生物学辞典』【皮膚呼吸】
- ↑ 『岩波 生物学辞典』【皮膚呼吸】
- ↑ メルクマニュアル医学百科家庭版【やけど】
- ↑ メルクマニュアル医学百科家庭版【やけど】
- ↑ 小学館「小学生シリーズ」
- ↑ なお、肌につける物に由来する中毒の例では、16世紀に鉛の薄板を酢で蒸すという簡便な方法が中国から伝わり大衆に広まったため、明治時代になって社会問題化した「女性や歌舞伎役者が使用していた鉛白粉に含まれる鉛白(鉛をつかった白色顔料)による鉛中毒(重金属中毒)」が挙げられる。当代きっての役者が天覧歌舞伎の演技中に足が震えて公演が中断するという事件が報じられた(職業病・労働災害)
参考文献
- 『岩波 生物学辞典』
関連文献
書籍
- 傳田 光洋『皮膚は考える』 岩波科学ライブラリー、2005年
論文
- Stücker, M. et al. (2002): The cutaneous uptake of atmospheric oxygen contributes significantly to the oxygen supply of human dermis and epidermis. In: Journal of Physiology. Bd. 538, Nr. 3, S. 985-994. PMID 11826181 テンプレート:DOI
- 小清水 英司、坪井 実、駒林 隆夫「皮膚貼付薬の疲労回復に関する基礎的研究 : サリチル酸メチルの経皮吸収並びに皮膚呼吸、皮膚血流量に及ぼす影響について」日本体育学会大会号、1981
- 坪井実、田中保子、菊地祐子「運動と皮膚呼吸」体力科學、1966、Vol.15, No.4、p. 164.
- 竹内 勝、麻生 和雄、並木徳重郎「皮膚呼吸におよぼすビタミンB_1およびリポ酸の影響について」ビタミン(日本ビタミン学会誌)、第12回大会研究発表要旨、1960、pp.303