玄界灘
テンプレート:統合文字 玄界灘(げんかいなだ)は、九州の北西部に広がる海域である。大陸棚が広がり、対馬海流が流れて世界有数の漁場として知られる。
名称・表記
玄界灘のことを略して「玄海(げんかい)」とも呼ぶ。これは「玄界灘」の省略記法でもあり、海を意味する漢字が複数使用される「玄海灘」は誤記であるとされている。古くは「玄界洋」とも書かれ[1]、これを略して「玄洋(げんよう)」という呼び方もあり、学校や団体の名称に使われる例がある[2]。
範囲
最も一般的な範囲として福岡県宗像市の鐘ノ岬から志賀島、糸島半島、唐津湾を経て佐賀県唐津市の東松浦半島までの海岸から、沖合は大島、地島、沖ノ島、長崎県の壱岐、対馬までの海域を指すとされる。東方は響灘に接し、西方は東シナ海、北方は日本海に連なる[3]。一方で、東端を遠賀川河口まで、西端を平戸海峡(平戸瀬戸)までとすることもある[4][5][6]。
範囲内にある島
主な港
地形・気候
南側は全て水深200m以上の大陸棚である。南西から北東に向かって対馬海流が流れている。新生代になってから日本列島の原型が形成された頃は日本海は巨大な湖で、その当時は朝鮮半島と陸続きであった。そして、第四紀の頃に玄界灘にあたる海域が形成されたとされる。この玄界灘には未知なる海底断層が存在しているとみられて福岡市の警固断層に関係する可能性が指摘されており、学術機関で研究や調査がなされている。
九州・山口沿岸部の気候は温暖であるが、冬は日本海側気候の特徴が現れる。北西の季節風と対馬海流の影響で雲が発生するため曇天の日が多く、沿岸部に雨・雪を降らせることもある。
漁業
対馬海流が流れ、世界有数の漁場として知られる。博多漁港、唐津港、呼子港などにおいては多くの魚介類が水揚げされる。
歴史
日露戦争を歌った軍歌「戦友」第9番の「玄界灘で手を握り 名を名乗ったが始めにて」や、無法松の一生にて小倉祇園太鼓の「玄界灘の荒波に…」として有名である。
1905年には、東郷平八郎が率いる連合艦隊とロシア帝国のバルチック艦隊(バルト海艦隊)との間で発生した日本海海戦の激戦地となった。
2005年3月20日10時53分には福岡市沖を震源地とするM7.0の福岡県西方沖地震(福岡県北西沖地震)が発生して、福岡県や佐賀県で震度6弱を観測する大地震となった。
「げんかい(玄界・玄海)」の使用例
- 玄界島 (福岡市西区に属する島、大字地名)
- 福岡市立玄界小中学校 (福岡市西区玄界島の市立小学校・中学校)
- 福岡県立玄界高等学校 (福岡県古賀市にある県立高校)
- 玄海町 (佐賀県東松浦郡の地方自治体)
- 玄海町 (福岡県宗像郡にかつて存在した地方自治体)
- 玄海原子力発電所 (佐賀県東松浦郡玄海町にある九州電力の原子力発電所)
- 宗像市立玄海中学校
- 宗像市立玄海小学校
- 宗像市立玄海東小学校
- 玄海国定公園 (玄界灘に臨む福岡、佐賀、長崎三県の海岸線を区域にした国定公園[7])
- 佐賀玄海漁業協同組合 (佐賀県唐津市の漁業協同組合)
- 玄海灘に立つ虹 (韓国KBSワールドラジオの番組)
- げんかい (海上自衛隊の多用途支援艦)
脚注
- ↑ 吉田東伍 『増補 大日本地名辞書 第4巻 西国』 冨山房、1901年(1979年増補)
- ↑ 福岡県立玄洋高等学校、玄洋中学校、玄洋社など
- ↑ ただし国際水路機関の定義では、日本海の範囲は、玄界灘より西の五島列島から済州島・韓国南部にいたる海域までとされている。「日本海の範囲」国際水路機関による定義 (第九管区海上保安本部)
- ↑ 玄海町町誌編纂委員会編 『玄海町誌』 玄海町、1979年
- ↑ 角川日本地名大辞典編纂委員会編 『角川日本地名大辞典 35 山口県』 角川書店、1988年、ISBN 4-04-001350-6
- ↑ 渡辺光他編 『日本地名大事典 1 九州』 朝倉書店、1967年
- ↑ 日本の自然保護地域■玄海国定公園 (環境省)