舞鶴線
|} 舞鶴線(まいづるせん)は、京都府綾部市の綾部駅から京都府舞鶴市の東舞鶴駅に至る西日本旅客鉄道(JR西日本)の鉄道路線(地方交通線)である。
日本海軍の舞鶴鎮守府が置かれ、軍港のあった舞鶴への鉄道として建設された。かつて出征者や引揚者の輸送で賑わった路線も現在は舞鶴市などへのビジネス利用や丹後・若狭地方への観光路線となっている。全区間が福知山支社の直轄である。
目次
路線データ
- 管轄(事業種別):西日本旅客鉄道(第一種鉄道事業者)
- 路線距離(営業キロ):26.4km
- 軌間:1067mm
- 駅数:6(起終点駅含む)
- 舞鶴線所属駅に限定した場合、山陰本線所属の綾部駅[1]が除外された5駅になる。
- 複線区間:なし(全線単線)
- 電化区間:全線(直流1500V)
- 閉塞方式:単線自動閉塞式
- 最高速度:95km/h
- 運転指令所:福知山運輸指令室
運行形態
京都駅 - 東舞鶴駅間に特急「まいづる」が下り8本、上り7本運転されている。以前は土曜・休日・夏季に「まいづる」のうち1往復が小浜線の小浜駅まで乗り入れていた[2][3][4][5][6][7][8][9][10][11][12][13]。なお、綾部駅で進行方向が逆転するため、舞鶴線内では座席が進行方向と逆向きに設定されていた。
ほかの北近畿方面の特急と異なり、大阪方面の列車は現在は設定されていないが、過去には「エーデル北近畿」として東舞鶴駅まで乗り入れていた時期もあった。東舞鶴駅 - 大阪駅間の距離は福知山駅経由 (152.9km) よりも京都駅経由 (145.4km) のほうが若干短い。それでも、福知山駅で大阪方面の特急「こうのとり」と接続する普通列車が何本か設定されている(ただし当該列車のすべてが東舞鶴駅 - 福知山駅間の運転とは限らないため、時間帯によっては綾部駅 - 福知山駅間でいったん園部駅発着の列車に乗車する必要がある)。
普通列車は福知山駅・綾部駅 - 東舞鶴駅間に1時間あたり1本程度運転されており、一部は「特急リレー号」として綾部駅で山陰本線の特急列車と接続している。朝5時台の西舞鶴駅始発の列車は小浜線と直通運転をしている。西舞鶴駅 - 東舞鶴駅間の列車も下りのみ1本設定されている。全線でワンマン運転を実施しているが、一部列車には車掌が乗務することもある。以前は、朝に東舞鶴発綾部行きの快速列車(途中停車駅は西舞鶴駅のみ)が1本のみ運行されていたが、2006年10月21日のダイヤ改正を以って廃止された。2013年3月16日から新たに快速が設定されたが、これは1年前の2012年3月17日改正で真倉駅を通過とした普通列車[14]の名義を変更したものであり、列車の性質は異なる。夜間滞泊は西舞鶴駅のみで行っている。
非電化時代は一時期、山陰本線・舞鶴線・北近畿タンゴ鉄道宮津線・同宮福線を経由して福知山市・綾部市・舞鶴市・宮津市を循環する「四都市循環列車」を運転していたことがあった[15]。その経路は次の通り[16]。
- 福知山駅→(山陰本線)→綾部駅→(舞鶴線)→西舞鶴駅→(北近畿タンゴ鉄道宮津線)→宮津駅→(北近畿タンゴ鉄道宮福線)→福知山駅
- 西舞鶴駅→(舞鶴線)→綾部駅→(山陰本線)→福知山駅→(北近畿タンゴ鉄道宮福線)→宮津駅→(北近畿タンゴ鉄道宮津線)→西舞鶴駅
さらに、山陰本線の嵯峨野線にあたる京都駅 - 園部駅間がまだ非電化だった頃は、当時あった特急・急行とは別に綾部駅でスイッチバックし、京都駅 - 東舞鶴駅間を直通する普通列車が運転されていたこともあった。その列車は夜間の運転であったため、京都市内でのその日の用務を終えて舞鶴方面へ帰宅するビジネス客には重宝された。
使用車両
現在の使用車両
特急「まいづる」のうち一部の列車のみが北近畿タンゴ鉄道の気動車で運転され、そのほかの列車はすべてJR西日本の電車で運転されている。電化後も223系5500番台導入まで電車としての新型車両は導入されていなかった。
- JR西日本所有
- 北近畿タンゴ鉄道所有
過去の使用車両
蒸気機関車
ディーゼル機関車
気動車
- キハ17形
- キハ20系
- 福知山機関区(現在のJR西日本福知山電車区)所属で、小浜線および宮津線(現在の北近畿タンゴ鉄道宮津線)・山陰本線と共通運用されていた。
- キハ55系
- 福知山機関区(現在のJR西日本福知山電車区)所属で、山陰本線直通の準急(のちに急行)「丹後」「わかさ」でも使用、末期は宮津線(現在の北近畿タンゴ鉄道宮津線)で運用された。
- キハ58系
- キハ40系
- キハ82系
- キハ181系
- 向日町運転所(現在のJR西日本京都総合運転所)の所属で、山陰本線への直通や宮津線で特急「あさしお」を中心に、北近畿タンゴ鉄道宮津線に転換後も運用され、1996年3月16日の廃止以後も臨時特急「たんご」(多客臨)として運行していた。また、時折団体列車として乗り入れることがあった。
電車
- 183系
- 電化開業以来、特急「まいづる」に使用されていた。
利用状況
ほぼすべての列車が全線を走破するが、その利用は京都府北部の中核都市である舞鶴市の代表駅である東舞鶴駅と西舞鶴駅が中心であるため、西舞鶴駅をのぞく中間駅は利用が低調である。なお特急列車および特急に接続する普通列車(特急リレー号)は、舞鶴市に国や府の出張官庁、また企業の支店・営業所などが集中していることからビジネス利用が多いが、それ以外の普通列車は通学等の利用が多い。1999年(平成11年)10月に電化開業して以後、一貫して利用者数を増やしてきたが、近年は微減傾向である。
歴史
元は阪鶴鉄道・京都鉄道が計画していた路線だが、日露戦争を控え着工を急ぐ必要性から1904年に官設で福知山駅 - 綾部駅 - 新舞鶴駅(現在の東舞鶴駅)間と支線が開通、阪鶴鉄道に貸与されて開業した。支線として舞鶴港線(西舞鶴駅 - 舞鶴港駅間)や、出征者や戦場からの引揚者を運んだ中舞鶴線(東舞鶴駅 - 中舞鶴駅間)などを有していたが、1985年までにすべて廃止されている。
年表
- 1904年(明治37年)11月3日:福知山駅 - 綾部駅 - 新舞鶴駅間が官設で開業(綾部駅 - 新舞鶴駅間は16.4M≒26.39km)。同時に阪鶴鉄道に貸与。現在の舞鶴線にあたる区間に綾部駅・梅迫駅・舞鶴駅(現在の西舞鶴駅)・新舞鶴駅(現在の東舞鶴駅)が開業[17][18]。舞鶴駅 - 舞鶴海岸荷扱所の軍用線も開業。
- 1907年(明治40年)
- 1909年(明治42年)10月12日:線路名称制定により、神崎駅(現在の尼崎駅) - 福知山駅 - 新舞鶴駅間、舞鶴駅 - 舞鶴海岸荷扱所間などが阪鶴線になる[20]。
- 1912年(明治45年)3月1日:綾部駅 - 新舞鶴駅間、舞鶴駅 - 舞鶴海岸荷扱所間が分離され、舞鶴線に改称[21]。
- 1913年(大正2年)4月10日:舞鶴海岸荷扱所が海舞鶴駅に改称。舞鶴駅 - 海舞鶴駅間の旅客営業を開始。
- 1919年(大正8年)7月21日:支線(中舞鶴線)新舞鶴駅 - 中舞鶴駅間(2.1M≒3.38km)が開業。東門駅(のちの北吸駅)・中舞鶴駅が開業[22]。
- 1924年(大正13年)4月12日:舞鶴駅 - 海舞鶴駅間の旅客営業が廃止。
- 1929年(昭和4年)6月1日:梅迫駅 - 舞鶴駅間に中筋信号場が開設。
- 1930年(昭和5年)4月1日:営業距離の単位をマイルからメートルに変更(綾部駅 - 新舞鶴駅間 16.4M→26.4km、舞鶴駅 - 海舞鶴駅間 1.0M→1.8km、新舞鶴駅 - 中舞鶴駅間 2.1M→3.4km)。貨物支線 新舞鶴駅 - 新舞鶴港駅間 (1.3km) が開業。貨物駅として新舞鶴港駅が開業。
- 1939年(昭和14年)6月1日:新舞鶴駅が東舞鶴駅に、新舞鶴港駅が東舞鶴港駅に改称[23]。
- 1941年(昭和16年)9月1日:貨物支線 東舞鶴駅 - 東舞鶴港駅間が廃止。東舞鶴港駅が廃止[24]。
- 1944年(昭和19年)4月1日:舞鶴駅が西舞鶴駅に改称[25]。
- 1946年(昭和21年)9月1日:東門駅が北吸駅に改称[26]。
- 1951年(昭和26年)9月1日:中筋信号場が駅に変更され真倉駅として開業。
- 1960年(昭和35年)3月29日:淵垣駅が開業。
- 1966年(昭和41年)10月1日:海舞鶴駅が舞鶴港駅に改称。
- 1972年(昭和47年)11月1日:中舞鶴線 (3.4km) が廃止。北吸駅・中舞鶴駅が廃止。
- 1985年(昭和60年)3月14日:舞鶴港線 (1.8km) が廃止。舞鶴港駅が廃止。
- 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化により西日本旅客鉄道が承継。日本貨物鉄道が梅迫駅 - 東舞鶴駅間の第二種鉄道事業者となる。綾部駅 - 梅迫駅間の貨物営業が廃止。
- 1991年(平成3年)4月1日:福知山支社から舞鶴鉄道部の直轄になる[27]。ワンマン運転開始[28]。
- 1996年(平成8年)7月13日:東舞鶴駅付近が高架化[29]。
- 1999年(平成11年)
- 年月日不明:舞鶴鉄道部が廃止され、福知山支社の直轄に戻る[31]。
駅一覧
駅名 | 駅間営業キロ | 累計営業キロ | 快速 | 接続路線 | 線路 | 所在地 |
---|---|---|---|---|---|---|
綾部駅 | - | 0.0 | ● | 西日本旅客鉄道:山陰本線 | ◇ | 綾部市 |
淵垣駅 | 5.3 | 5.3 | ● | | | ||
梅迫駅 | 2.9 | 8.2 | ● | ◇ | ||
真倉駅 | 7.3 | 15.5 | | | ◇ | 舞鶴市 | |
西舞鶴駅 | 4.0 | 19.5 | ● | 北近畿タンゴ鉄道:宮津線 | ◇ | |
東舞鶴駅 | 6.9 | 26.4 | ● | 西日本旅客鉄道:小浜線 | ◇ |
綾部駅・西舞鶴駅・東舞鶴駅の3駅はJR西日本直営駅、淵垣駅・梅迫駅・真倉駅の3駅は無人駅である。
廃止区間
駅名は廃止時点のもの。(貨)は貨物駅を表す。( )内の数字は起点からの営業キロ(舞鶴港線・中舞鶴線の営業キロは路線記事を参照)。
脚注
参考文献
- 今尾恵介『日本鉄道旅行地図帳 ―全線・全駅・全廃線- 9号・関西2』新潮社、2009年。ISBN 978-4-10-790027-2。
- 川島令三『山陽・山陰ライン 全線・全駅・全配線 (3) 京都北部・兵庫エリア』講談社、2012年。ISBN 978-4-06-295153-1。
関連項目
テンプレート:西日本旅客鉄道福知山支社- ↑ 『停車場変遷大事典 国鉄・JR編』JTB、1998年。ISBN 978-4-533-02980-6。
- ↑ 平成15年 春の臨時列車運転について(インターネット・アーカイブ)- 西日本旅客鉄道プレスリリース 2003年1月16日
- ↑ 平成15年度 【 夏 】の臨時列車の運転(福知山支社)(インターネット・アーカイブ)- 西日本旅客鉄道プレスリリース 2003年5月16日
- ↑ テンプレート:PDFlink(インターネット・アーカイブ)- 西日本旅客鉄道福知山支社プレスリリース 2004年1月16日
- ↑ テンプレート:PDFlink(インターネット・アーカイブ)- 西日本旅客鉄道福知山支社プレスリリース 2004年5月14日
- ↑ テンプレート:PDFlink(インターネット・アーカイブ)- 西日本旅客鉄道福知山支社プレスリリース 2005年1月14日
- ↑ テンプレート:PDFlink(インターネット・アーカイブ)- 西日本旅客鉄道プレスリリース 2005年5月20日
- ↑ テンプレート:PDFlink(インターネット・アーカイブ)- 西日本旅客鉄道プレスリリース 2005年10月14日
- ↑ テンプレート:PDFlink(インターネット・アーカイブ)- 西日本旅客鉄道プレスリリース 2006年2月1日
- ↑ テンプレート:PDFlink(インターネット・アーカイブ)- 西日本旅客鉄道福知山支社プレスリリース 2006年5月19日
- ↑ テンプレート:PDFlink(インターネット・アーカイブ)- 西日本旅客鉄道福知山支社プレスリリース 2006年8月24日
- ↑ テンプレート:PDFlink(インターネット・アーカイブ)- 西日本旅客鉄道福知山支社プレスリリース 2006年10月13日
- ↑ テンプレート:PDFlink(インターネット・アーカイブ)- 西日本旅客鉄道プレスリリース 2007年1月19日
- ↑ テンプレート:PDFlink - 西日本旅客鉄道
- ↑ 『'90最新・33社全収録 第三セクター鉄道』(鉄道ジャーナル年鑑『日本の鉄道』別冊)鉄道ジャーナル社、1990年、p.97。
- ↑ 『JTB時刻表』1991年5月号
- ↑ 『日本鉄道史』中編、鉄道省、p.574(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ↑ 「運輸開始」『官報』1904年11月5日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ↑ 『日本鉄道史』中編、鉄道省、p.577(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ↑ 「鉄道院告示第54号」『官報』1909年10月12日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ↑ 「鉄道院告示第11号」『官報』1912年2月23日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ↑ 「鉄道院告示第46号・第47号」『官報』1919年7月18日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ↑ 「鉄道省告示第89号」『官報』1939年5月23日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ↑ 「鉄道省告示第170号」『官報』1941年8月26日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ↑ 「運輸通信省告示第105号」『官報』1944年3月27日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ↑ 「運輸省告示第226号」『官報』1946年8月16日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ↑ 『データで見るJR西日本 2001』西日本旅客鉄道
- ↑ ジェー・アール・アール『JR気動車客車編成表 2011』交通新聞社、2011年。ISBN 978-4-330-22011-6。
- ↑ 『JR気動車客車編成表 '97年版』ジェー・アール・アール、1997年。ISBN 4-88283-118-X。
- ↑ 平成11年秋 ダイヤ改正について(インターネット・アーカイブ)- 西日本旅客鉄道プレスリリース 1999年7月30日
- ↑ 『データで見るJR西日本 2005』には記載されているが、『データで見るJR西日本 2006』には記載されていない