片桐貞隆
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片桐 貞隆(かたぎり さだたか)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将、大名。大和国小泉藩の初代藩主。
片桐直貞の次男で、片桐且元は兄である。21歳の時に兄と共に豊臣秀吉に仕え、播磨国に150石の所領を与えられた。その後、小田原征伐、文禄の役などに従軍したことから、播磨国内に1万石余の所領を与えられる。秀吉没後は兄と共にその子豊臣秀頼に仕え、慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは西軍に就いて大津城の戦いに加わった[1]が、所領は安堵された。慶長19年(1614年)の方広寺鐘銘問題を契機に徳川家康との内通を疑われるようになり、兄と共に豊臣氏の下を去って家康に仕えるようになり、大坂夏の陣の後、1615年、大和国小泉に1万6千石を知行された。
兄より遥かに激しい気性の持ち主であったと言われている。
関連項目
脚注
テンプレート:小泉藩主- ↑ 『大津城攻防戦闘要図』、『筑紫古文書』