焼きまんじゅう
焼きまんじゅう(焼き饅頭、やきまんじゅう)は、群馬県地方の郷土食の一種。前橋市・桐生市・伊勢崎市・太田市・館林市などの中毛・東毛地区が本場とされる。
概要
蒸して作ったまんじゅうを竹串に刺し、黒砂糖や水飴で甘くした濃厚な味噌ダレを裏表に塗って火に掛け、焦げ目を付けたもので、軽食として好まれる。
まんじゅうは、あんの無い薄いもの(素まんじゅう。中国でいうマントウの類)が普通に用いられるが、一部にこしあん入りもある。通常、二色パン状に2個が接合した状態で蒸かされたまんじゅうを、2組(計4個)長目の竹串に刺して、炭火にかける。火に掛ける前後には適宜、刷毛を用いて裏表に味噌ダレを塗る。タレは一般に、北毛に行くほど濃くなり、中毛、東毛に行くにつれ緩くなる傾向がある。
焼きたての温かいうちは軟らかいため食べやすいが、冷めると水分が抜けてしまい、噛みちぎれないほど固くなる。このため、焼きたてで冷め切っていないものが珍重され、お土産用等も、焼く前のモノに別にパッケージしたタレを添えて、自宅で焼く事を前提とした形で販売している。
歴史
起源は幕末(19世紀中期)と見られ、前橋発祥説が有力とされているが、他にも伊勢崎市、沼田市等の店舗が元祖を名乗っており、それぞれ独立した起源であるとする見方もある。そもそも、焼きまんじゅうは酒を家庭でも造っていたころの副産物なので、商売のために誰かが発明したという類のものではなさそうである。前橋市の老舗焼きまんじゅう店当主であった原嶋熊蔵はその著書で、自身の2代前にあたる勢多郡飯土井村(現・前橋市飯土井町)出身の原嶋類蔵が、1857年に前橋で売り出したものが創始である、としているが、沼田市の東見屋饅頭店の創業は1825年(文政8)ということなので、商売としての創業は東見屋饅頭店の方が古いことになる。
群馬県南部では、古くから二毛作による冬季の麦作が盛んで、おっきりこみ(おっ切り込み、煮ぼうとう)といった麺類やまんじゅう類などの小麦粉食品が好まれていた背景がある。埼玉県の秩父市や長瀞町、栃木県の足利市にまで分布していて、繭や絹織物の生産地とほぼ一致することから、繊維関係の商工業者間の交流によって群馬県近隣地域にも広まったものと見られる。
現在、関東地方の祭りなどでは「上州焼きまんじゅう」の名前で露店でみかけることもある。
焼き饅祭
伊勢崎市では毎年1月11日の初市の日に「焼き饅祭」が開催され、正月の風物詩となっている。その他の地域でも祭りの屋台や夜店で売られることが多く、群馬県民にとっては郷愁を誘う食物である。
「餡入りのまんじゅうは、焼きまんじゅうとして邪道か、否か」という話題は、群馬県民が焼きまんじゅうを食べる時にしばしば語られる議論でもあり、餡入り焼きまんじゅうを極度に嫌う向きも少なくない。
コーンスナック
地元・群馬県の有力スーパーマーケットであるベイシアは、地元でイベント「花と緑のシンフォニーぐんま2008」が開催されることを記念し、「上州焼きまんじゅう味コーンスナック」を2008年2月4日から発売した。
せんべい
前橋駅や高崎駅などで焼きまんじゅう味のえびせんが、お土産として販売されている。
ポテトチップ
2010年6月28日から湖池屋は原嶋屋総本家監修の「上州焼きまんじゅう味ポテトチップ」(地域限定)を発売した。
ガイドブック
群馬県(観光物産課)が「焼きまんじゅうガイドブック」を2009年3月18日に発行。
文献
- 『焼まんじゅうあれこれ』 原嶋熊蔵 1970年