泊古墳
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概要
泊古墳は志摩市大王町畔名の集落北方の、遠州灘に飛び出した岬の基部にある前方後円墳である。泊古墳から約200m離れた岬の先端部に、泊古墳よりやや大きい前方後円墳の鳶ヶ巣古墳(とびがすこふん)があり、志摩市内ではこの2つの古墳が最大規模となる。
1911年(明治44年)に土地所有者が畑にしようと開墾したときに古墳と判明し、翌1912年(明治45年)に宮内省の調査が行なわれた。この時は盗掘されていなかった鳶ヶ巣1号墳は、のちに盗掘された。
1994年(平成6年)8月発行の『大王町史』では泊古墳と鳶ヶ巣古墳を、志摩国司であった高橋氏の祖先の墓と推測しているが、一般には被葬者不詳とされる。
墳丘
泊古墳は全長32.4m、前方部は幅14m高さ3.7m、後円部は径18.8m高さ3.7m、前方部が北面し、主軸はほぼ南北方向である。後円部墳頂には横穴式石室と見られる5個の巨石の露出があり、石室の開口部が南面していると推測される。
出土品
1911-1912年(明治44-45年)の出土品は、銅鏡2面、瑪瑙(めのう)小玉、鉄槍と鉄刀が数本、くつわ鏡1枚、銀張り杏葉(ぎょうよう)1個・須恵器である。
銅鏡のうち1枚は、鏡の周りに鈴状の突起が5個付いた五鈴鏡と呼ばれるもので、東京国立博物館に所蔵された。
築造時期
当初は出土した須恵器より築造時期は6世紀末から7世紀初頭とされていたが、のちに阿児町(現在の志摩市阿児町)の少年が、泊古墳と鳶ヶ巣1号墳から埴輪を発見し、築造推定時期が変更された。埴輪の特徴より、両古墳ともに伊勢国で小型の前方後円墳が多数築造された5世紀後半から6世紀前半に築造されたと考えられるようになった。
参考資料
- 『日本の古代遺跡52 三重』(森浩一企画、伊藤久嗣編著、保育社、平成8年11月30日発行)
- 『日本古墳大辞典』(大塚初重ほか編、東京堂出版、平成4年5月31日)
- 『大王町史』(編集:大王町史編さん委員会、発行:大王町、平成6年8月1日)