池田長吉
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池田 長吉(いけだ ながよし、元亀元年(1570年) - 慶長19年9月14日(1614年10月17日))は、安土桃山時代から江戸時代初期の武将、大名。長吉系池田家初代。
池田恒興の三男。母は荒尾善次の娘。正室は伊木忠次の娘。子に池田長幸、森寺長貞、池田長政、池田長頼、池田長賢。豊臣秀吉の養子となる。
幼名は藤三郎。兄・池田輝政と共に豊臣秀吉に仕えて近江国佐倉に3万石の所領を与えられた。天正13年(1585年)、従五位備中守に叙任(『系図纂要』)。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは兄と共に東軍に属して美濃岐阜城攻めに参加し、近江水口岡山城攻めでは長束正家・長束直吉兄弟を調略によって城から誘き出し切腹させるなどの戦功を挙げたことから、戦後にそれを徳川家康に賞されて因幡鳥取藩6万石に加増移封された。なお、正家の財貨は長吉がことごとく奪ったという。
慶長19年(1614年)9月14日、45歳で死去した。法名は隣松院殿茂林宗綱大居士。