毛利元世
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毛利 元世(もうり もとよ、寛政8年9月29日(1796年10月29日) - 弘化2年7月27日(1845年8月29日))は、清末藩の第6代藩主。
下野国佐野藩主・堀田正敦の六男(仙台藩主・伊達宗村の孫)。正室は長府藩主毛利元義の養女(第4代清末藩主毛利匡邦の娘)。官位は従五位下、讃岐守。幼名は紀七郎。初名は堀田正名。
文政2年(1819年)8月16日、養父政明の死去により、末期養子として家督を相続した。同年9月1日、将軍徳川家斉に拝謁する。文政2年12月16日、従五位下讃岐守に叙任する。文政10年5月3日、駿府加番を命じられる。天保8年(1837年)9月8日、大番頭に就任する。同年11月25日、辞職する。弘化2年(1845年)7月27日、死去。二男五女あり。二人の男子はいずれも早世したため、家督は本家・長府藩から養子に迎えた毛利元承が継いだ。法号は善徳院賢巌良哲。墓所は東京都港区高輪の泉岳寺。